【雑記】きっかけはなんでもいい

リアルな話をしましょう。やりたいことを「やりたい」と言ってる暇があるうちは本当にやりたいわけじゃないってこと話を。えっ、気づいたらやってた。みたいのが理想です。そう、これは理想の話。

人がいいわけするときに使うものって3つあるそうです。時間、お金、経験(知識)。この3つ。昨年わたしちょいと荒稼ぎしまして(自分比)、この3つがみごとにそろった状態になったわけですね。で、それまでは時間、お金、経験をいいわけにしていたのですが、それが使えなくなった。

こうなったら普通はやりたかったことやるはずですよね。でもやらなかった。そこで気づいた。あ、いいわけしてただけだ。と。いいわけの「せい」にしてたけど、いいわけの「おかげ」で目を背けていられたんだなあって。

何が言いたいかと言うと、やりたいことに時間、お金、経験は関係ないということです。あったらあったでいいでしょうが、べつになくてもいいです。

とくに「やりたいこと」に関して、いいわけは成立しないということ。時間はつくるもの。お金はつくるもの。経験はそもそも不要だな。みんなさいしょははじめてだし!

てなると、たった今から何始めてもいいので、やりたいことがあったらやってしまうべきだ。そこでいいわけを始めたら、もしその障害がすべて解消されたときにも着手しないんだと思う。

「やらないことが悪い」って言いたいのではなく、「やりたいやりたい」と思ってることって案外やりたいことじゃないかもな?って気づいてみるのもいいのではないか令和。

4+

【雑記】よかった

書き続けてきたことを喜んでもらえるほど嬉しいことはないよ。なぜなら書き続けることしかしてこなかったから。いろんなものに「ごめんなさい」と「ありがとう」を言葉にせずに伝えたいような気持ちで眠りにつくこととします。やめなくてよかった。やめようと思うこともそんなにない私であるが、だからこそなかなか「どうだろうか?」と訊ねるような機会もない。自分が一方的に垂れ流しているようで、ほんとうは違うんじゃないかとか、そんなことも分かってないじゃないかとか、自分が書き続けることがもしかしたら自分をすきでいてくれたひとを幻滅させてしまうこともあるのでは?と。だって、生きてるから変わるから。嫌いにさせたらごめんなさいと、いや、待てよ、いやいや、でもやっぱり自分を優先させてたわ。書きたいように書いてきたわ。嫌いにさせたらごめんなさいは嘘だ、今のなし。でも、こういう思考の足跡があったこと隠さないと決めたので削除しないぞ。見ろ、投稿したぞ。

5+

【雑記】おきづきかな

平成の投稿はNo.678が最後です。

平成では、インターネットと詩に出会えたことが自分にとって非常に大きかったです。この2つがなかったらどうなってたか分からない。どっちが欠けてもだめだったと思う。
そして、私が書いたものを読んでくれて、感想やハート(いいね)をくれた人のいてくれたことが大きかったです。ありがとうございます。
みなさんはこれからも、感想やハートは伝え続けるべきだと思います。
作者ってものすごい自由気ままに発信してるように見えても、(あれ、これって意味あんのかな。もう終わろっかな)って、ふっと賢者モードになることがあるので。私に限らないと思う。
習慣、勉強、仕事、趣味などにおいて、たくさんのものを中断したり捨てたり諦めたりしたけど、詩はとても自然にそこにあったと思います。たぶんものすごく手軽だったからだと思います。削ぎたいように削げて、付け足したいように付け足せて、小回りの効く表現手段だったからだと思います。私にとっては。
前は、イラストや音楽など直感的にわかるというか一瞬で訴えかけられるような手段にあこがれたこともあったけど、私が手にした武器は言葉なので(確信)、もし他のものに手を出すことがあっても最終的には言葉の上に還元していけたらなあと今は思います。
またちょっと前は「けっきょく自分のために書いているんだ」という思いが強くて、それを好きに解釈してもらえればいいんだとかたくなに思ってたけど、すこし手を加えることで誰かへ届くのなら、伝わりやすくなるのならそれもいいかなと、ちょっとまろやかな思考になりました。今はそんな感じ。

うむ!

ところで、お気づきだろうか。
4月21日から毎日更新していた詩がカウントダウンになっていたことに。ほかの数字も混じってるけど、一応カウントダウンぽくなってる。

4/21 No.669
あと日もあれば僕たちはきっと足並みそろえて新しい朝を迎えられたのに。

4/22 No.670
ふやけた時計の針は午前時。まだまだ終礼にはほど遠い。

4/23 No.671
度目の正直を裏切って

4/24 No.672
色の名前をひとつずつ覚えた

4/25 No.673
次は本指に作ってください

4/26 No.674
色の鳥が待ってる場所へ

4/27 No.675
つ葉を編んだ指輪をあげる

4/28 No.676
原色の透明部分にかくした暗号

4/29 No.677
子のぬいぐるみがやって来て
うなだれた僕の前でおじぎする

4/30 No.678
あと歩が踏み出せない、どうしてだか信じ込んでいる、あと一歩が僕たちを駄目にするのだと。

明日のぶんは予約投稿したので、0時に更新されるはず。予約投稿はじめて使うのだが正常に投稿されるといいな。

カウントダウンはそれで終わり。

エメラルドはまだまだ続きます。

8+

【雑記】幼女の懺悔

思い返しても「あれはしてはいけないことだった。今後どんなにつらいことがあっても絶対にしまい」と胸に誓うのは、わたしが幼稚園生の頃にしてしまったことです。近所にスーパーがあったのですが、夏になると8分の1スイカがならびました。わたしはその尾根(?)の部分を指で押してデコボコにしてしまった。押したいから押したのだが、きっとあのスイカは誰も買わない。なぜなら一番最初に食いつきたい部分が何者かの指で押されてボコボコにされていたので。もし犯人が幼女だとわかればすこしは「なーんだ」で済んだかもしれない。(済まない)。しかし犯人は何食わぬ顔をしてそのまま店を出たので、ボコボコにした犯人が実際誰なのかは想像もつかない。もしかしたら毒物を注入されたかもしれない。汚れた手の持ち主かもしれない。そう考えると売り物にならないだろう。当時のわたしには思いもよらないことだった。スイカを育てたひと、トラックで運んだひと、それを店頭に並べたひと、スイカを食べたくて買い物に来たのに買えずに帰ったひと、みんなの気持ちや経済に良くないことをしたと思う。本当に本当に申し訳ないことをした。だから夏になるとたくさんスイカを食べる。寝る前にたくさん食べると就寝中に尿意をもよおすが眠気を押してトイレへ行く時間はわたしへの執行時間だと思うのであの夏ダメにしてしまったスイカのことを忘れずに令和の夏もスイカを食べたい。もしあの夏あの夕方スイカ食べたかったけど買わずに帰ることになった徳之島在住の人がいま幸せならいいなと思う。あと子どもはスイカの尾根を指で潰す誘惑に勝てるほど強靭な自制心を持ってはいないのでもしスイカの前にたたずむ子どもがいたら目を離さないで欲しい。そして尾根を潰す動きを見せたら怒らずにスイカの生い立ちやかかわった人のこと、ちゃんと伝えてあげてほしい。人類の願いである。スイカは重たいし、育てるのもとても大変だ。それに、夏の風物詩というシンボル的存在でもあるからして、やはり、わたしはなんてことをしてしまったんだ…つらい…。と思う一方で「しかし無理だろう」と反論する声もある。あんな剥き出しの尾根を潰さずにいろと言うのか?8分の1カットだぞ、4分の1でも6分の1でもなくて。8分の1カットの絶妙な鋭利さ。「どうぞ指をおいてください。そのうえでそっと力を加えてください。シャクっと音を立てて凹みますので」と言わんばかりの姿…据え膳食わぬは5歳児の恥!…ああ、いけない、これではまるで反省していないどころか開き直った、大人になっても自制心のかけらもない不届きものみたいではないか、いやそうなのか?そうだとしても少なくとも悪いことをしたという自覚はあるんだ、そのうえで今なお葛藤してるんだ。でもやっぱり悪いことだ。してはいけないことだ。あれ以来一度もしていないし、8分の1カットに対しては本当に目にするのもつらい。ごめんなさい。

3+

【雑記】身近にあった平成の奇跡

小3の1年間書いてた日記帳を発掘する。クリスマスプレゼントに鍵付きの日記帳を買ってもらい、そこからの1年間。日記帳は毎年買い替え、たしか小5まで日記帳は続けて、小6でインターネットに会ってメルマガにうつったと思う。雑記や記録系は。でもこの日記帳が始まりなんだな。読み返してみたら、いろんなことを感じたり、素直に喜んでいたり、子どもっぽいなあと思う。子どもなんだけど。1年間で字とイラストが上達してるのも趣深い。ていうか字が男子のように汚い…おっと性差別かな。まあまあ平和に幸せに過ごしていたのだなあと思う。それから自分1人で書いてるのに他者の目を気にしてるのが興味深い。日記帳の最後に「この日記帳をここまで読んでくれたみなさん。最終回なのでカラーでお送りします!」的なこと書いてあって我ながらほほえましひ…。あと1日書き忘れたとき翌日に「すみません」から始まるのな。だれに謝っているのか…そうか未来の読者か、つまり私だな。書くことが好きだったんだなーとあらためて思った。好きかどうかも考えたことないくらい習慣づいてたんだけど、後から見たら分かるものだな、絶対すきでしょ。少なくとも友達とワイワイ遊ぶより明らかに好きだったことの1つでしょ。ぶっちゃけ友達と遊ぶのやワイワイするのや「わー」とか「すごーい」とかするのほんと嫌だった。今なら「それでいいでしょ、べつに」って思えるんだけど子どもだから、心から楽しめない自分に罪悪感感じたり何かと視野狭くて哀れ。草むらでしゃがんでる方がほんと安心できる。うむうむ。それで良き。持ち物少なくしたいので割と躊躇なくポンポン廃棄する性格だけどこの日記帳が今まで捨てられず残ってきたことも平成の奇跡である。

4+

【雑記】「卒業しよう」も好きのうち

この山は高いなあ。終わりがないなあ。そもそもこれ山なのか。川なのかも。流れて、めぐって、また降って、あがりはないのかも。

自動車の免許更新に行ったら次回の有効期限が「平成36年」と記載されていて「令和」じゃないのか!と少しくやしいような「いやでも平成36年って存在しないからレアかも」と一喜一憂するなど。

わたしは自分のサイトについてほんの少しだけ反発心でつづけているところあるかも知れないと思った。

反発心の対象はいつの間にかフェードアウトしていったわたしが好きだったひとびとのことである。

人生が複雑化してきて時間が割けなくなって、ということもあるだろうし、単に興味が薄れて他にもっと夢中になれるものを発見できたということもあるんだろう。よろこばしいことである。だが1読者としては「あんなに好きだったのに!消えるなんて!ゆるさない!もどってこいよ!」ってなるんである。エゴ。

いいんだよ、変わらないものなんてないから。

それより「生活が変わったから」「社会人になったから」という理由で好きなことを手放す人はちょっと考え直したほうがいい。受験勉強とかならしかたないかもだけど、「卒業しよう」と、ほんとうは好きなくせに「卒業しよう」とわざわざ口に出して背を向けることは、うんと良くないことだ。これは半分エゴで半分はそうじゃない部分から言いたいのだけど、「卒業しよう」って決意しないと手放せないほど好きなものにはこの先そうそうめぐりあえないと思うんだよね。たまに時計を見上げて時間の進みに「遅いなあ」てため息つきながら向き合う程度のものしか残ってないと思うよ。好きとか夢中ってすごい奇跡で幸福で、このうえなく尊いので、うーん、でもまあこれ誰かに言われなくても気づく系かな。

うん、この話やめた。

ただ、卒業しようって決意しないと卒業できないものはまだ卒業できない系のやつだよ。
忘れようって決意しないと忘れられない人が本当に好きだった人だと気づくように思い知るといいんだ。
時間は有限だということを、な。
くくく……(?)。

しかしキャラメルコーンってなんであんなに美味しいんだろう。1袋あけるまで手を止めることができないもん。もしあれが違法な薬物だとしたらさ、中毒になっちゃう人の気持ちもわかるってもんだよ。だめって言われても絶対隠れて手に入れようと思うだろうし、取引してはいけないって言われたらあらゆるルートを検索するだろうし、すっごく高価だとしてもそのためにがんばって働くなり下手すると良くない稼ぎ方さえ身につけてしまうかもしれない。キャラメルコーンがたまたま違法な薬物じゃなくってみんなもっと感謝しないといけないんだよなあ。感謝が足りないんだよ感謝がさあ……ポリポリポリポリ……。

4+

【雑記】非加工だからって偉いわけではない

思ったことや感じたことをなるべく一般的な言葉に置き換えて出力したものが雑記。そのまま出力したものが詩。詩のほうが自然なんだね。伝わりやすい文章にしようと手を加えたものは加工品。自分としてはなるべくそのまま出力しようとするんだ。でもときどき「伝わりやすさを重視すべき」と感じて雑記にすることもある。この、今書いていることのように。でも本当なら詩にするべきなんだと思う。かなしいと思う。ここでただ「かなしい」と書くのは嘘で、妥協で、だってかなしいと思ったわけはないんだ。わけはない、というか、それ以前の言葉にならない言葉があったはずだ。最大公約数へ逃げたな、と後ろめたい気持ちになってしまうんだ。自分でも気づかないほど瞬時に一般的な感情の型にはめて言語化してしまったんだ。すごく突発的で、ストレートな感情であるかに思えても、ほんとうは「むかついた」じゃなくて「青空割れろ」とかだったはず。なのに、伝わるものにするためにズルをした、と思ってしまう。そういう出力の違いで自責の念を感じることもあって、ほら雑記にした、手を抜いたーって思うんだけど、ほんとはどっちでもいいんだろう。カメラのフィルターを変えるように、自由にやればいいのかなと思った。あと、逆だとしても違和感ないなとも思う。加工したのが詩で、そのまま出力したものが雑記だとも言える。ズルしたのは詩で、真摯なほうが雑記だとも言える。「どっちにでもとれる」という結論でまた私は逃げてしまったのか。情けないことである。

3+

【雑記】サイト修正完了

おわったー。ふー、すべてのファイルの修正が終わりました。これで今後も問題なく読めるはずです。

http://rigel.chu.jp/

じゃっかん微調整が必要かもしれないが……。文字化けしてるファイルがあったらメールフォームからでも教えていただけると、シャッ!となおします。

5+

【雑記】サイト修正/SHORT 1~20

今日は、SHORTの1〜20のページへリンクを貼りました。このへんは10年以上前の詩です。もう書けないやつばかりだな。今書いているものも未来の私には書けないものになるんだろう。そう思うとなかなか「もう、ここらへんでいいや」と思えない。

8+

【雑記】どうしても好きになれないものを好きになろうとすることのデメリット

うさんくさいタイトル。うむ。平成回顧録。私は2年前の春に1つのことを克服しました。私は自分のそれが嫌で嫌で気づかぬうちにものすごい損失を出していた。後から分かったことだが。挑戦できたことも本当はしたかったこともすべて避けていた。そして「これさえなければ私だってできたんだ」と思っていた。ふりかえってみれば時間の無駄だったと思う。あ、あと「これさえなければ」と条件付きの願望って「これ」がなくなっても取り掛からないもなんで先に追記しておこう。

この文章を読んでくれる人の中にも、「自分のここが嫌い」って感じる部分がある人はいると思う。ある時は無理に好きになろうとするかも知れない。だけど好きになれなくて、そんな自分がまた嫌で「だめだ」って思うかも知れない。自分が自分に失望してしまうんだ。

でも、どうしても好きになれないなら好きにならなくていいと思う。好きじゃないものを好きになることって、2つの意味で悪いと私は思っている。

1つ目は、自分の気持ちに嘘をつくことになるから。2つ目は、それを本当の意味で好きになったり、人の役に立つ方法を絶ってしまうことになるから。

2つ目について深掘りしてみよう。「嫌い」という感情のとらえかたが雑なんだ。なぜ嫌いかも分からないものを好きになるってのは不自然な話で、ちぐはぐしている。からまった糸を左右にひっぱって戻そうとしているように。もちろん糸はほどけない。なので、なぜ嫌いかの理由に向き合ったほうがいい。そうしたら、どうしたら好きになれるのか。そもそも好きになったほうがいいのか、とか見えてくるはず。

なんだかすでにうまく言えないんだけど、自分の嫌いなとこって、好きなところより個性になりうると思う。個性になるってことは同じものを持っている誰かを励ますことができたり、アドバイスができたりするってことだ。

そして、あなたが自分の「嫌いなところ」から目をそらしたら(「嫌いなところを無理に好きになろうとすることも一種の逃避だと思う)、あなたによって救われたであろう人も救えないんだと思う。

私は自分が克服したことについて今も悩む人がいたら、その人がどういうふうに解決の手段を探して、どう絶望するかまでが分かる。どの本を読んで、どのサイトを見て情報を得て、どこでつまづくかがほぼ分かる。

なぜ分かるかというと、私はそれをずっと嫌いだったからだ。もし「好きになろう」の試みがうまくっていって(うまくいってしまって)、嫌いであることをないがしろにしてしまったら、そんなことはわからないだろうし今この文章を書いてもいないだろう。

自分にある「これさえなければ」と思う部分や状態を、もし好きになりたければ、唯一の方法は、それを乗り越えることだと思う。

あなたがそれを乗り越えられたら、同じことで悩んでいる誰かを支えたり救ったりができる。そのためには単に「好きになろう」で蓋をするんじゃなくて、嫌いという感情に向き合って納得いくまでどうにかしないといけない。だいぶ抽象的な言い方をしてしまっているが、病気なら治す。性格なら改善する。

嫌いなものを好きだ好きだと思い込むことは逃避で、その嘘にたぶん誰も耐えられないから。自分が自分につく嘘に耐えぬけるほど人はあまり丈夫ではない気がするから。他人への嘘なら大丈夫だと思うんだけどね。でも他人への嘘も結局自分への嘘だから嘘はむずかしいよね、嘘は。

それよりは沈黙が楽ですよね。私だって幼稚園のころからたくさん黙ってることある。言わないだけ。嘘じゃない。嘘つくくらいなら黙ったほうが得策ですよ。なんのはなしだっけ。まあいいか、おわり。

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