【雑記】花とnot found

古いリンク集をみつけて嬉々としてたどってみればnot foundの嵐。核戦争後の朽ちた世界で自分以外の生命体をさがす不老不死の生き物のように悲しい。アドレス(ドメイン)が別のユーザーに使われていてまったく違うサイトにリンクするのも悲しい。そういや昔見た映画で捨て犬が主人の少年をさがして危険な畑や犬同士の闘争(そして恋愛さえも)を振り切ってかつての住まいに帰還するっていうのを見たことがある。しかし懐かしい我が家に還ったわんこを待ち受けていたのはべつの家族だった……。と見せかけて主人の少年が「おまえ!」と見つけて駆け寄るという今思えば実にありきたりなお涙頂戴あっぱれ和製映画。だが嫌いではないストーリーだったんだが、あの犬の心境。ただし再会はない。ネットで好きなもの見つけてもそれはいつか消えるんだなあ。消えないものなんてないんだなあ。映画といえば今ずっと見てる海外ドラマあるんだが、運転手が目を離す時間が長すぎるのすごい気になる。助手席の主人公と運転手の相棒。深刻な会話をしているのは分かるんだが、相棒が主人公の顔をまじまじと眺める時間が長すぎて。前見ろ前!て思うんだが、これって文化と交通量の違いなのかな。そもそも会話中に人の顔そこまでまじまじ眺めなくてもいいんじゃないか?と私は思うし、いや待てよこれって道幅とか道の奥行き(見通しの良さ)が日本、ていうか私の知ってる車道とは格段に違うのでは?とも思う。ただ、でもやっぱり前方不注意はいけないだろう。2秒も3秒も横顔見つめるので毎回あわあわわわわやっべってなる。そうでもないんだろうか。実際そんなあぶないことでもないんだろうか。とても集中して見るのだが運転シーンだけいつも違和感があって「ま、しょせんフィクションだからなあ」って現実に引き戻される。そういう、ちょっとしたことで魔法はとけてしまうので制作サイドは気をつけて欲しい。それ以外はとても良い。何様か。

4+

【雑記】春に傷つくことが多いひとへ

春。桜という花は文句なしにきれいだし、あちこちで新しいこと・ものが耳目に触れるので、なんだか自分も生まれ変わったような気分になりますね。そういえば朝刊に「私は小学校時代からずっと学校という場所が好き。だから教師になった」という投書がありました。読んでいてとても清々しく、学校教育捨てたもんじゃない、ってそんな希望を持てるような投書ですね。豆を投入しすぎたコーヒーの苦味も忘れてしまいましたよ。ふふ。

とでも書くと思ったか、ばかめ!

ぞっとするぞ。学校に良い思い出しかない教師に人の痛みなんか分かるか。いじめに気づかない、気づいても見ないふりをする。仮に優しさから相談に乗ったとしても的外れのアドバイスあるいは余計なおせっかいしか焼けなくて(例:学級会を開きみんなでいじめの原因について話し合うなどの愚行)、生徒を失望させるんでは。失望させたで済めばいいが、最悪それが死に追いやるのでは。ひとはつらいこと自体で死ぬことってあんまりなくて、つらいことがあった時に自分を助けてくれそうなひとが見当たらないという事実に直面したことによる絶望で死ぬから。

かと言って前向きに教師になる人が悪いわけじゃ全然ない。むしろ学校という場にネガティブな感情持ってる人よりは理想を体現できていいのかも。(誰にとっての「理想」だ?)

そもそも学校に嫌な思い出がある人は学校に就職しないだろうから(教師にはならないだろうから)結局学校って場所はいつまで経っても地獄の人には地獄なんだろう。

しかし、そんな学校という地獄が必ずしも悪い場所かと言うと反面教師的な意味でのメリットや収穫はめちゃくちゃあると思う。「あ、この世界むり」って思うからこそ外に目を向けることができるひともいて、「ここは私の居場所じゃない」って割り切ることができれば他のひとにない考え方や行動ができるから社会に出たら(出る前であっても)レアな存在になれる。

なので、学校や会社になじめないくらいで自分がどこにもなじめないと考えるのははやすぎるし、むしろ「あ、私にここは合わなかった。じゃ、また別の場所にしっくりくる場所があるんだろうなあ」でいいのではないですか。誰も教えないけど、学校も会社もふつうに不自然な場所だからね。たとえば「毎朝太陽がのぼる時刻になったらベランダに出て裸で5分逆立ちしましょう!こうすることによりあなたについている邪念を振り払うことができますし、その日1日は5体の守護霊があなたを守ってくれます」的なこと言われたら「こわっ」て思う。状況は似てる気がするよ。

逆なんだよ。

そもそもあなたは尊いのだから、世間?知ったことか!社会が俺様に合わせろや。くらいでいいと思う。

ただ表面上はしっぽりと、上っ面だけでも順応しているかのように振る舞えばいいと思う。絶対できるから。

今の季節はすがすがしい気分になれることが多い半面、ふっと不安や残酷な気配を感じて、おそらく同じように感じている誰かへ向けてこういうことを言いたくなるんだ。

新しいこと。成功。誰かの笑顔。幸せ。これらは素晴らしくいいものだが、誰かにとっては残酷なんだ。

優しい人が、その優しさを恨まず呪わず生きていけたらいいと思う。思うじゃなくて願っている。祈っている。人って感情が外に向かうか内に向かうかの違いがあると思う。極端な例が「殺そう」になるか「死のう」になるか。「死のう」の人は少なくとも今あなたが抱えている理由で死ぬことはないんだって分かってほしいし、「死のう」で死ぬ人が増えた国に生き残っている人には少しでも疑問を覚えて欲しい。あれ、「死のう」派増えてね?って。

どっちがどう、という分け方をすべきではないとわかっている。だけど、今たまたまあなたのいる場所だけが一方的にあなたに下した評価で自分を見てほしくないなと思う。

つらいなら逃げるんだ。
無責任な人は立ち向かえって言う。
シンプルに考えるんだ。
仮に人の生きる場所がほんとに1箇所しかないなら立ち向かうべきだと思うよ。しかし、そうではないんだ。今は当たり前にインターネットがある。小学生だって使えるだろ?情報を集めて、自分から発信するんだ。ここだけじゃないって分かるから。

そもそも「だけ」ってことはないよ。もう、そんな選択肢が僅少な状況ってそうそうはないだよ。自分「だけ」がこんな目に、ここ「だけ」でしか生きていけない、あのひと「だけ」が私を理解してくれる。とか、そういう唯一無二なものってそうそうない。そうだなー、「にも」かな。自分以外「にも」こんな思いを抱えている人がいるかも知れない、ここ以外「にも」居場所があるかも知れない、あのひと以外「にも」私を理解してくれる人がいるかも知れない。うん、そう、「にも」マインドで。

自分についた傷を消そう消そうとしてよけいに自分が汚くなってしまったと感じる、ずっとその悪循環だとしても。何度も「今度こそは」「次こそは」を繰り返して、繰り返しすぎて自分含めて何も信じられなくなったとしても。意外とそんなことないから。

好きなものだけ見て、食べて、集めて、たくさん眠るといいと思うよ。とりあえずは。これまでの自分に逆張りするんだ。思いつめすぎる人は、ちょっと心配になるくらいいい加減になってみる。楽観主義すぎて失敗が多い人は、もう少し予測を立てて動く。「もしもうまくいかなかったら?」と別ルートを予測してみる。

私はというと、とりあえず食べたいもの食べてる。最近うまいのがニンニクの醤油漬けとラッキョウですかね!

5+

【雑記】サイト修正中

年号変わるのでサイトのデザイン変えようと思っていたらめちゃくちゃになったので修正中です。サーバー変えようかなあ。思い立ったときにしないとやんないもんなあ。ずっとロリポップ使っているが変えてみようかな。今のドメインは2015年12に取得しているからかれこれ4年目か。その前は別ドメインだったので結局ロリポップをゆうに10年以上、いや20年以上かも知れない。とにかく惰性でロリポップ使っていたわけだがもういいんじゃなかろうか。そしてこの膨大な量のhtmlファイルをどうしたらいいのか。とりあえず公開状態にしておきたい。ファイル数423。詩の数は12ダースまとめて70ファイルくらいあるから、840編くらいか。WordPressいまno.665だから足して1,505。これでも半分くらい削ったからもともと3,000くらいあったのかな?今は2〜3日に1つのペースだから、約6年半後に1万達成している計算か……。1万……。まあ数はどうでもいいし未来のことは分からないのだけど引っ越しせねばならない。WordPressの引っ越ししたことないな……調べるか。めんどk……いや、やろう。

3+

【雑記】いちやあけ

最初は衝撃のあまり言葉にならなかったんだが、よく考えれば(よく考えなくても)どうせ何が出ても私は呆然とした。

第一印象は違和感しかなかった。えっ、冷たい感じを受けるんだけど?無機的で、なんかこう、我に従え!みたいな?

だがさまざまな人の意見を聞いているうちに次世代感半端ない美形クール、でも時々天然な感じがしてきて一夜明けた今日は「ありだな」と思っていた。

思いながら平成の終わりをかみしめる令和の幕開け。

あ、元号のはなしです。

西暦と和暦ふたつあって厄介だという声もあるが、べつにあってもいいような感じがしてきた。

ほら、西暦って終わりが見えないじゃん?一方の和暦って割と頻繁に区切りがあるじゃん?長生きしてる人は特に区切りを経験してらっしゃるでしょう。

不定期に刻みがあって区切られるのっていいんじゃないかなあと思う。振り返ったり、思いを馳せたりできるでしょう。ゆく年くる年みたいに。

西暦つってもいつ終わるか分からないし、立ち止まるタイミング分からないから振り返りづらいし、まあ振り返って何すんだっつったら何もしないけど、とりあえず自分が予想以上にしみじみしている。

平成が終わるのか…。今日から何においても平成最後のって言い出すおじさんに、俺はなる。

3+

【雑記】なにがでる

うーん、記憶力には割と自信があるのだが、失念しているかもと思うと不安である。

新たな元号なんだと思いますか。1つ予想してたやつあったんですが過去に使われていたみたいでボツです。ちなみに予想してたやつは「安和(あんわ)」です。実際は「あんわ」でなく「あんな」と読むそうですね。

なんだろう。わくわく。元号と同じ地名を持つ地域がわーっと盛り上がるんだろうなあ。ご当地Tシャツとか販売するんだろうなあ。元号ブームに便乗した数々の商品が出るんだろうなあ。買っちゃう人いるんだろうなあ。元号変わったその日に生まれた赤ちゃんとかテレビで特集されるんだろうなあ。平成はあたらしいと思ってたけど過ぎていくんだなあ。そしてどの時代の幕開けにも人はこう思ったんだろうなあ。「あたらしい!」って。

3+

【雑記】時代はきっと確実に

ポエム。はずかしい言葉だと思う。わざとそんなはずかしいような響きをしやがってと思う。でも本当にそうだろうか。もしこれが、なんだ、ハイセンスな歌を歌うアーティストの名前とかだったらどうだ。えもい!て思うでしょう。こう、かっこいい写真のうえにかっこいいフォントでポエムって書いてあってもそれを待ち受けにすることだってできるでしょう。だがしかしポエムである。

なんか、まるまってるイメージがある。ポムポムプリンみたいな(安易)。もうちょっとシャープな響きだったらどうにかなったのでは?たとえば、スラッシュ。「/」のこと。いや、むしろ恥ずかしいのかもな。わからない。

けっきょく詩ははずかしいものなんだよ。小説よりもイラストよりもはずかしいもので、でもはずかしいと思ってはいけないんだよ。ましてや言ってはいけない。いや、言ってしまった。なので、言ってはいけなかったと過去形にしよう。それにしてもなんでこんなはずかしいのか?

言葉は大量生産大量消費された。意味を付与された、解釈をされた。されすぎた。分析されすぎた。削られすぎた。殺されすぎ、洗練されすぎた。無駄が省かれ、意味を求められすぎた。

そして言葉はくたびれて見下された。言葉がくたくたになっていることに気づく人は少なく、いや、少ないかのように思えた。

しかし、ある人が立ち止まった。しなびた言葉をひろいあげてしげしげと眺めながら言った。

「これは、いいものだ。私はこれをすきかもしれない」。

言葉はすこし元気をとりもどしたようだった。

みすぼらしくしなびて見えたがそれは新しい水を吸い上げるための姿かもしれなかった。

言葉の周囲に人の気配がする。

「なるほど、わたしにとってもいいものだ」
「うむ、ぼくもこれを好きである気がする」
「おい、これはおまえにとっても必要なものではないか?」

言葉はときどきしなびて見えた。言葉はときどきくたびれて見えた。それはたしかだった。言葉には力がなく、言葉にすがってもどうせ何もないと思うひともいた。それもたしかだった。

だが言葉はいとも簡単に息を吹き返すことができた。

しなびて見えたのもくたびれて見えたのも見る人がしなびてくたびれていたからなんだろう。そう、言葉はいつもみずみずしかった。

結局なんなんだろう。何を書きたいんだろう。

そう、これ(それ)。

結局自分は何を書きたいんだろうというときにもすでに書き出すことができるものが詩だよ。小説には真似できないでしょう。他のものには真似できないんだ。

何もかも消してなかったことにしてしまいたくなる恥ずかしさと戦ってるのはみんな同じ。

だとしんじたい。

3+

【雑記】きっとたぶんおそらく防衛本能

春をいいと思ったり、花をいいと思ったり、子犬はかわいいと思ったり、子どもはいいものだと思ったり、緑を愛でたくなったり、身だしなみより食にお金をかけたいと思うようになったり、なんだ、そうだあれか、私はもうすぐ寿命を迎える裕福なおじいさんか。

やがて平成最後の春が、はじまるんだな……。

エモい。

何をするときも「平成最後の」つけ始めたので「まただよ」って言われるやつ。

そう、さいきん自分で「そうか!」って気づいたことがあるのできいてください。

人って道に迷ったとき「自分のことが分からなくなった」「これまで何をしていたか分からなくなった」って言うでしょ。あれって逆なのかもな、って。思ったんだ。そうすると「そうか!なるほど!」となりまして。分からなくなったんじゃなくて、分かってしまったんだよ。これまで自分のしていたことが無意味だってことが分かってしまったんだよ。分からなくなった」って言ったとき、ほんとは「分かった」状態にあるんだよ。突然で認めづらいだけ。でもほんとそう。

ふと我に返ってしまったんだよ。

思い返してみると「分からない」って言ってる時って、たいていそうじゃね。分かってしまったか、分かりそうになってしまっているか。今までの自分がばかに思えて、やってきたことが稚拙に思えて、うわーってなることを予感するから「わからなくなった」と言って逃避するんだよね。防衛本能だよ。

うむ、人は儚い。

私はというとおやつタイムにドーナツいっきに3個食べたからお腹が張っています。喉の通りを良くするために白湯のんだら上顎やけどした感じです。ぶじです。元気です。

3+

【雑記】見えないものを見ようとして

とつぜんですが、私、両目裸眼で1.5なんですよね。

こないだ診察に行ったら医師に「視力が良すぎる。疲れるでしょうね」って言われたんですよ。

へ〜、なるほどな〜。視力が良いと疲れるのか〜そうか〜。と。

で、帰り道「なんで私って視力いいのかな」と考えてみた。だって基本インドアで小さい頃から液晶画面がお友達で、もうちょっと視力悪くてもおかしくない生活をしてるんですよ。そしてそれはこれからもかわらないだろう。

仕事もPC使うものだし、今や日に12時間は液晶画面と向かい合ってるんじゃないかな。まばたきの回数も少ないし、なんで視力良いんだろ?親兄弟も割と早い段階で悪くなったし、コンタクトもメガネも不要なのは私くらいである。

それなりに考えてみて、勝手にたどり着いた結論が2つあります。根拠?ない。

1つは、「慣れ」ですね。小さい頃から液晶画面がお友達だったから適応したというか、人体が液晶画面に強いかんじに変化したのかな?(適当)

もう1つは、こっちが有力候補なんだが、道歩く時に360度遠くまで見据えてるってことでしょうか。

つまり、あまり会いたくない人がむこうから来た時に、相手より早く相手の存在に気づきこちらから身をくらます必要があったわけなんです。なぜなら立ち話するのとか、あいさつするのとかめんどいから。相手の視界に入って認識されてからじゃ遅いので、ていうかそんでいきなりこちらが進路を変更したら相手を不快にさせてしまうだろう。そうなるとベストアンサーはこっちが先に気づいて早めにUターンもしくは手頃な店先などに身を潜める必要がある。何はともあれとにかくスピード優先。そんな逃亡者のような気持ちで生活してきたなのかな、って…。OK、わかってる、自分で語っていてどうかと思うよ。

あとは、道行く人ある程度みんな悪意か殺意があるのではないかと思って歩いてる。「誰でも良かった」あとからそう語るような通り魔じゃなかろうか、ふところから刃物を取り出していきなり切りつけてくるんじゃなかろうか、ひったくり犯じゃないか、体に爆弾まきつけているんじゃないか。そんないけない妄想をしている。もし不穏な動きが察せられれば私はいち早く彼もしくは彼女から距離を取り不本意ながら他人の家屋内などに逃げ込まざるを得ない。とにかく不審者の不審な動きを先に察知することが先決であって、これが1秒でも2秒でも遅れたら命取りになるかもしれないんだ。

そういう気持ちで生きていると視力は両目ともに1.5を保てるんじゃないかな。

でもきみはきっとこう言うだろう「そんな暮らしはしたくない。つらい」そのとおりだ。きみは正しい。ザッツライトすぎ。

冗談はさておき、ブルーベリーのサプリは飲んでる。

でもサプリってずるいよなー。

サプリ飲んでない人生を私は知らないわけだから、飲み続けるしかないよね。でもブルブルくん(わかさのマスコットキャラ)との付き合いもはや6年になるもんで、おいそれと離脱することもできないんだよな〜。こうやって高齢者はいろいろな悪徳商法にハマるんでしょうね。

ただ、「気休め」というのもまた1つの立派な効果効能だと思うので、これはこれでいいかなって。気休めにもならんものってもっと他にあるでしょう。あれやこれや。

3+

【雑記】はじめましてをもう一度

1番最初に見た個人サイトって覚えてます?

インターネットにはじめて接続して、Yahoo!とかジオシティーズとかそのへんのプラットフォームから最初ははいったんだと思うけど、さいしょに見たサイト。ホームページ。個人の。

私、最初に見た小説サイトと最初に見た雑記サイトのこと、トップに飾ってあった絵とかまで思い出せる。マウス手書きの。昨日のことのように、は言い過ぎだけど覚えてるほう。

今でこそ日常をのぞきみるのって簡単じゃん?のぞきみるといいますか、のぞきみせられるといいますか。でも、最初「ほ〜う!」てなるよね。

他の女子グループの交換日記みるようなかんじ?しらんけど。

今でこそ見られる前提、読まれる前提でやってるじゃん?SNSとかインターネット。でもほんと、なんていうか「吐露してます感」がすごかったのね。さいしょは。

(なんかすごい年寄りくさい話っぷりだな・・・)

いやいやITの進歩すごいから仕方ない。

そのころって匿名であることにみんな救われてたんだと思う、私もだけど。匿名でないと書けねえだろこれって話がダーッと書いてあって、私はあまりプライベート書かないほうですが(だと自分では思ってるんだが)、もうほんとうにどうしようもないつらさを書いてる人とかいて、その子が私の書いた詩といっしょにお墓で眠りたいって言ったの割とけっこう残ってる。

今生きてない気がするんだけど、どうなんだろう。
生きてたら、元気だといいな・・・ってのは善人すぎるな、本心ではない。
この子が安らげているのだったら、べつに生存でなくてもいいかな、って。

わたしそういうの、あまり「絶対生きて」的なやつ、言えないや。死にたがってるひとには言えないや、ってか言いたくないや。

何かっていうと、ひさびさにログを発見してですね。ふぁーとなったので。つながりが消えても言葉は残るんですね。

絶対なんて言わないほうがいいなあ。だって、ないもん。

どうでもいいひとにだけ嘘をつこう。きっとみんなそうしてるはず。

「でもそれってひどくないですか」って、は〜あ?自分にとってどうでもいいひとでも、誰かにとってだいじなひとなんだからおまえが不安がらなくていいんだわ。そういうの、傲慢だぞ傲慢。

4+

【雑記】例外なく

やっぱりそうだ。私が好きになったものが消えたり悪いものであったりするはずがないんだ。

思考回路がサイコパスでも本当そうだからよかった〜。こんなにいくつになっても頭の中ごちゃごちゃなひとが好きって感じるんだからもう本当いいものなんですよ。私はそういうことを伝えるために言葉を捨てないでいたい。

コラムも小説もいつかAIが書く時代がくるんでしょ。てかもうそこまで来てるんでしょ。しってる!

となるとあとは主観的な好き嫌いだけですかね、ひとに残されるのは。客観的な、なんかこう大衆受けとか流行がどうなるかとかはビッグデータに任せときゃいいのでしょ。合理的だもん。誰かがガーッと言うより。

逆に言えば、主観的な好き嫌いに集中できる時代がくるってことですよ。一点集中がじょじょに崩壊して、境界のない、束縛のない、ルールのない、ゆるやかにつながる時代が幕開けます。

ひとはみな属したいものに属し、属したくなければ属さなくていいんだ。

今までは距離が近すぎたんだ。もう無謀なほど。無理でしょ、人間この距離感。近いもん。少なくとも私は無理であった。どうりで、と思い当たることが多々あるよ。

属したいところへ属していい自由だけでなく、属さない自由も選択できる。これらの自由を侵犯されそうなときには全力で阻止すること。好きなものを好きでいつづけることには誰の許可も要らないんだ。本当はね。言われてはっとするでしょ、忘れてたんだよ。ずっと昔は知っていたのに。知っていたくせに。楽な方へ流れちゃうんだから。まったく。

2+