【小説】鈍感とサバイバー

サバイバーって呼ばれるらしいよ。生き残って大人になれたら。そんなの嬉しくてマジ泣きそう。望んでないのに光栄すぎん?

夏が過ぎて水を抜かれた学校のプールは大きなゼリーの型みたい。ざらざらの縁に腰掛けてスニーカーの爪先を交互に揺らした。

スニーカー。ふむ。

おまえの話がホントであるなら、じゃあ、それはいつ買ったんだろう。誰に買ってもらったのだろう。それほど汚れてもいないし、ボロボロでもない。嘘なのか?今のこいつの話は?おちょくられてる?

「ああ、人は足元を見られるから、って」。

こちらの考えを見抜いたようにおまえが言う。

「世間体は気にするんだ。息子から何と思われようがちっとも気にしないのに、形の無い世間体には甘い親だよ。だから靴は割と良いやつ。おれも気に入ってる」。

おとなになったらなにになる?

そんな話をしようと思ってた。こんな話を打ち明けられる前は。

おまえは大人になったら自動的にサバイバーになるのか。その一単語でくくられて、復活を余儀無くされる。次世代のサバイバーを救いなさい。サバイバーではない私達にそれはできないから。社会に言われる。時に悲しい目を向けられる。

困ったな、とも、大変だな、とも言えずぼくはただ苔に似た何かを睨んでいた。

静かな笑い。笑うことを許されなかったやつってこうなの?

あのさ、おまえ、いつもそう。
人の話を聞いてる時にさ。
痛いよ心が痛いよって顔をするだろ。
騙されるよ。
優しすぎるもん。
やわなの隠せてないんだもん。
仕方ない、騙されるぜ、それは、ちょっと賢いやつに。

おれみたいに。

「え。おまえ、騙されたの?誰に?」
「ただの願望」
「騙されるのが願望?」
「騙されるのって、いったん信用したからだよ」
「うん?」
「誰かを信用した証だろ。おれは誰も信用できない。だから願望。わかんない?ごめん忘れて分かり合えないや」
「騙そうか」
「おまえが?」
「うん」
「おれを?」
「うん、騙そうか」

あ、こいつこういう笑い方もするのかと思うくらい笑われた。

「傑作、いいねいいね、おれおまえ欲しい感じ」
「ぼくが思うに、おまえは人生が短いと思ってる」
「違う?」
「違う?ってここで訊き返す奴が思ってるよりは確実にな。個体差、一年だろうが百年だろうが人の一生ってそんな短くないよ、おまえ、退屈のあまり幸福になると思う」
「ひでえ預言」
「預言はだいたいにおいてひでえよ」

乾いたプールを屈託の無い笑いでいっぱいにして。

「じゃあさ、待ってる」
「うん」
「信じて待ってる」
「おいサバイバー、馬鹿みたいに死ぬんじゃねえぞ」
「言われなくても、生きるしか知らない、馬鹿だもん」

クッソ話し過ぎたあ〜誰かさんのせいで〜とため息ついておまえは立ち去る。

ぼくを残して。去り際、頬に唇をあてて。

チャイムの音ではっと我に帰ったぼくは、いったい、いつ、どこで、なぜそうするに至ったか意図を不明に感じつつ先行者の後を追う。

キスか?定かではないがキスというものに今のは近似しているな?

そうか、感謝の証か。ぼくが預言を実現しても反故にしても、おまえが不幸になることはない。ぼくだけが荷を背負ったんだ。は、結構じゃないか。何の勲章も保障されてないんだ。生きたって、生き残ったって、呼称は無いんだ。

(キス?しかし、なぜ?)。

首を傾げつつ踵を返せばぼくの背後で置き去りの青がプールをいっぱいに満たした。

誰も見たことのない景色がなみなみと湛えられてありきたりの日常を欺くまで。

2+

【小説】RPG前夜

あの線から先に入ってはいけない。
僕はそれを知っている。
教えた人は意図的だったろうか。
僕に、あの線から向こうがあると教えてしまった。

本を読みたいこともあれば、散歩したいだけの日もある。
猫を撫でたい日もあれば、たった一人になりたい時もある。
雨に打たれたい日もあれば、日光浴を存分にしたい日も。
満腹になるまで飽食したい日と、極限まで空腹を感じたい日と。

砕いていくと感性に個人差はないのでは。
粒度の違いしかないのではないか。
だから本当には分かり合えるんじゃないか。

窓の外に季節があって、今は夏だと言う。
誰だ?知ってるような知らないような顔だ。
僕は誰のこともちゃんと覚えない。
自分を一番覚えていないんだから、不思議ではない。

(あっ。原稿を、書かなけりゃあ。)

こちらを見下ろしている男を見て頭に浮かんだ言葉はそれだった。

「おまえ、原稿を取りに来たんだろう」
「え?ああ、それは分かっていたんですね。いつまで寝ているのかと思いました」
「寝顔を見ていたのか?気持ち悪いな。どうやって入った?」
「あの線を超えて」

夏なのでセミが鳴いて沈黙は匿われる。
セミが鳴くから夏なのか?それとも?

「お土産を持ってきました。頼まれていた琥珀糖」
「頼んだか?覚えていない」
「どちらにせよ好きでしょう?」
「それも覚えていない」
「食べたら思い出します」

男は僕の口に鉱石を押し込む。
顎と頬に添えられた指先から薬品の匂い。

「これは本当に食べられるものか?飲み込んで大丈夫なのか?」
「みな最初はそう言います」
「みな?」

僕以外にここには他に誰かいるんだろうか。
考えようとすると頭が痛んだ。
こんなんで原稿なんか書けやしない。

「それでも書くんです」
「頭の中を読んだ?」
「ご自分で口に出してましたよ」
「感覚が無い。困った」
「傷は、良くなりましたか?」
「傷?」
「この前見せてくれたでしょ?」
「この傷?」
「おや、新しい」
「前回と違う?」
「こちらは治ったほう」
「記憶に無いんだ」
「琥珀糖をもう一つ?」
「不味い。美味しくない」
「置いて行きます。必ず食べて」
「それ、ほんとは薬なのか?」

男の瞬きは見事なほど乱れなかった。
予知していたんだと知った。
想定パターンは他にもあるんだろう。
分かったけど試すのが面倒だしどうでも良い。
男の利益になることが僕に害を成すとも思えない。

「外の話をして」
「興味を?」
「逃げたりしないから」

男は僕を見つめた後に、ふいと視線を逸らせて笑う。
ああ、懐かしい。
胸の奥が、そこには血肉だけあるはずなのに。
飲み込んだ琥珀糖が灯ったような違和感。
男の、もっと違う表情を思い出しそう。

(思い出す、って、なんだ?)

「隔離しているわけじゃありません。逃げたって良いんですよ」
「外の話を」
「この部屋は高い塔の上にあります」
「うん」

唐突に切り出した。
まさか話してくれるとは思わず、はっと息を呑む。
男は気づいたか知らないが淡々と話し続けた。

螺旋階段を降りていく途中の踊り場にコンビニがありまして。琥珀糖はそこで買いました。そこからさらに螺旋階段を降りるとやっと地上に出ます。今の時刻、太陽が眩しいから扉はゆっくり開けて。視界が慣れるまで待って。慌てないで。転ばないよう。トラップを避け、湖を舟で渡ったら、森の入り口です。森は深く見えますが寄り道しなければ実はそうでもない。ただし森のものは何一つ食べてはいけない。出てこられなくなる。そうして行方不明になった人は数えきれません。森を抜けるとまた湖があるので舟で渡って、しばらく道を歩くとやっと人家が見えてくる。この時に振り返ると塔はちいさく、六角柱の形をしていたことが分かるでしょう。誰かが話しかけてきても、答えてはいけないんです。やつらの正体は魔物であるから。答えたが最後、あなたはまるごと飲み込まれてしまって二度と出てこられませんよ。きちんと消化もされず、ただ暗く狭い肉の狭間で生かされ続ける。死ぬこともできず。永遠に。あなたの生気を少しずつ摂取し、効率よく奴らは生きるんです。魔物の街を抜けたら今度は高い壁がある。ここは、乗り越えるよりも門番に交渉した方が早い。なんせあなたが暮らしていた塔の倍ほどの高さがあるのだから。乗り越えようとしていたら何年かかるやら。ちなみに交渉というのは穏便でなくて構いませんよ。ま、どうせ穏便には進まないでしょう…。さあ、門番をどうにかして中へ入ると王国だ。

「王国?」
「ゲームクリア!」
「ゲーム?クリア??」
「…ま、たとえばの話です。最初から最後まで、たとえ話」
「つまり本当の話」
「それは…ご想像にお任せしますよ」
「答え合わせのできない想像は得意ではない」
「もう一つ差し上げる」

次の琥珀糖を僕は拒まない。
なるほど失敗だったんだ。
男はそこまで喋ってはいけなかったんだ。
本当について話しすぎたことを後悔している。

うとうとしていると男がぼくを覗き込み、仰向けに寝かされていると分かる。

開けていようと思うのに、目蓋がゆっくり下がってくる。

男の表情が歪んで見える。

『なあ、いつになったら思い出す?約束を守れよ。俺が医師のふりなんて今にボロが出るぜ、さっさと覚醒しろ、バカ』。

ふいに男の口調が切り替わった。
こっちが素なんだろう。
僕は大切なことを忘れたんだろう。
懐かしいんだ。
心細いんだ。
それで男は泣きそうになるのだ。
正気の時には伝えられないことなのだ。

男が扉を開けて外に出る。

僕の聴覚は眠りに落ちる前、最大限に研ぎ澄まされ、線の向こうの会話を拾う。

「今朝は何か思い出しましたか?」

男と違う声が訊ねる。
他にも人がいたのか。
監視役か。

「いいや。辻褄の合わない出たら目ばかりだ。今朝は自分を作家だと名乗っていた。外の様子を教えろと問われたから、適当にでっち上げだ。創作のネタにでもなるかもな」

抑えた笑い。

「回復までもう少し時間がかかるのかも知れない」
「そうですか。先生の担当からはずしましょうか?」
「いや、」

食い気味に否定してしまったことを男は冷静に取り繕っただろう。
なぜだか分かる。
なぜか。

「……いや、これはあくまで俺が診る」
「ええ、ええ。負担になっていなければ良いのです」
「負担どころか、良い気晴らしになっているよ。助けが必要なときは声をかけるから心配するな」
「承知しました」

外の会話を盗み聞きしながら、僕は吹き出しそうになった。
何が面白いのかはっきりと分からない。
男が、周囲に気取られないよう巧妙にやっているのがツボなのだ。

ほんと、おっかしいなあ。
ほんといつかボロが出るぜ。

僕はもう少しで覚醒しそう。

次目覚めたらあいつと螺旋階段を駆け下りるから、森を抜けて魔物をやり過ごして門番と戦わないとだから、それまでもう一眠りしておくとしよう。

あ、バカと言ってたこと忘れないからな。
無事に二人でゲームクリアできたら、とりあえず一発殴らせろ。
おやすみ、親友。
あともう少し。
もうすこし。

3+

【小説】知らなかったこと。

汗ばむ背中。のびやかな四肢。まごうことなき優良男子。

おまえは平凡な男になる。ぼくでななくあの子を選ぶ。なぜか?ぼくがすすめたからだ。ご名答。ぼくがすすめたものをおまえが受け入れなかったことはない。完全なる思考停止。自らの青春に異質が混じっていたことを知る由もない。ぼくも言うつもりがない。おまえの戸惑いを応援する。自薦は禁じ手。

なんという、名優。

いいね。
可愛いし優しそうだ。
友達の文句も言わない。
てことは彼氏の文句も言わない。
何よりおまえ、すごく好かれてる。

(バカだろ)。

お人好しを通り越して献身。悪人になれなかったとしても、爪痕くらい残して良かったんじゃないのか。冗談めかして予感をほのめかすくらい許されたんじゃないだろうか。

死ぬときに後悔するだろうか。告げなかったこと。応援してしまったこと。これを何才までずるずると引きずるんだろう。痛みは今がピークだろうか。後からもっと痛むだろうか。やめて欲しい。時間が経つほど効いてくるだろうか。恋のできない体質のふりをして、一番もろい部分だけ自家発電であたためるしか。ないのか。

でもおれお前といる方が楽しいかな。

(それはそうだ。いつだって楽しませることだけ考えてきた。どこの馬の骨か分からない輩とは歴史が違うんだ歴史が)。

これからも今までどおり遊ぼうな。

(いままでどおり)。

どうして悲しそうなの?

(どうして?)。

確かめたかったんだ。

(ん?)。

おれだって、おまえのこと何も知らないわけじゃない。なかなか本心を語ってくれなくても、嘘をつくときの癖くらい分かってる。応援?いいと思う?自分がどんな顔してるかわかってる?手のひらで転がしてるような気分でいるかも知れないけど、そんなにうまくは転がせてないから。もうね、すっごく居心地悪い。転がすならもうちょっとうまく転がしてくれないと、体中痛むんだけど。

(ん?ん?)。

分からないよ、おれだって分からない。じゃあおまえの気持ちに答えられるのかって言ったらそれは都合が良すぎっていうかフィクション寄りになり過ぎっていうかなんかこじつけみたいになるし、そもそもまだよく分からないんだけど、とりあえずおまえに嘘をつかれるのと、勝手に献身されるのは勘弁。おれを鈍感な罪人にでもしたいの。ずるいよ。

ずるいのはおまえだと思うよ。
今のだってそう。
じゃあさ。
絶対飼えない猫にエサやる?
見捨てた自分に失望しないために?
それって本当に優しい奴のすることか?

おまえはいつもそう。
白か黒かで話の決着つけようとする。
腹空かせた猫がいたら自己満足かどうかなんて関係なくね?
食べ物持ってたらやるし。
ごく自然にやるよ。
それで少しでも生き延びたら、良い奴に拾われるかも知れないじゃん。

絶望する時間が長引くだけじゃね?
もう戻ってこない奴を待ってさ。
もう食べられないものの味とか覚えさせられてさ。
ほっといてくれって。
その場しのぎの同情がいちばん腹立つんだよ。

その場しのぎでも次に繋がることがあるじゃん。
その場しのぎを悪いように言うけどさ、それで本当に救われたらどうする?
結果的にそいつ超幸せになったらどうする?
その場しのぎして良かったー!って言うよおれは。

なんなん?
なんの話?
マジでなんの話してるのぼくら?

おまえ好きでしょおれが。
うん。
あっさりしすぎ。
もう面倒くさい。分かってるんだろう。
うん。
でもおまえは応えられない。それをぼくは分かってる。進展しない。おまえが明示させたせいで、もう振り出しにも戻れない。
そうやって思考を暴走させるのやめろよ。おれまだ何も言ってない。べつにいやじゃないと思ったよ。
ほう?
だけどよく分からないとも思った。
ふうん?
些細なことにぷんすか怒ってて可愛いなと思ったし、あからさまに拗ねてるともっといじめたいとも感じた。これはなんだ?
なんでもぼくに聞くなよ。恋じゃねえの?
恋!
そう。相手の変化が楽しくて、もっと変化させたい、それを見てみたい。そう思うんなら恋だろうが。そんなことも知らねえの?
恋か。
愛にしてみる?
うーん、みる。
チョロい。大丈夫か?
今やっとホッとした。おれ自分がよく分からなくて。
ぼくがおまえを教えてやるよ。
それが良いな。
ずっと見てたから、おまえよりずっと分かるんだよ。
だと思った。

2+

【小説】夜の果て

かわいそうな話を百も千も集めて、もう愛してもいいでしょう?と尋ねたかった。夕焼けは誰かの血になぞらえるには光が、多かった。ぼくが所有していないものなんてないと、認めたくないんだ。

(理由を、残して)。

懇願ばかりするんだ。あきれた表情を浮かべていても、ああ好きなんだとわかる。こいつは、ぼくを、好きであるんだ。羨ましい。憎たらしい。ぼくも誰かを好きになってみたい。そんな目で誰かを見て、こんな気持ちにさせてみたい。それ、なんて、殺し文句。月に赤が混じって明後日の向こうまで沈む。夜は静かだ。馬鹿みたいだ。

夜は、夜だね。
月がなくても。
星がなくても。
黙っていても。
喋っていても。

夜を夜たらしめているものって、いったいなんなんだろうね。ぼくたちを包んでいるこの得体の知れない、静けさ。気の遠くなるような昔から運ばれてきた熱のような、それでいていま生まれたばかりの風のような。虚無でもなく、豊潤でもない。ぼくはそれを嫌いにも好きにもなれる気がする。中立、ということだろう。興味が無いんだ。夜には自分の抱えているものがなんであろうと、興味が無いんだ。無関心。それはある種の優しさと呼べるものかも。構われたくない。匿われもしたくない。ただ放っておいて欲しい者たちにとって。

たとえばそれは、ぼくたちのような。

弱さを理由に強者に楯突く。そんなやり方があったかもしれない。やり方の数だけ物語は、あったんだろう。未来は。結末は。だけどそれはもう弱さではないから、ふたりとは無縁だった。賢く生きられなくていいから、簡単に冷たくなりたくはない。大勢に分かってもらえなくていいから、誰かには丁寧に撫でられたい。それがわがままだと言うんだよ。ぼくたちは贅沢なんだ、誰にでもできることじゃないだろう、逃避行って。

月が出ているのに影が出ず、ぼくら今なら世界の果てまで行けそうだった。あるのなら。果てなんてものが、どこかにまだあるのなら。追手を気にして振り返ることも、いつからかやめてしまった。誰もここまでは来られないよ。声を介さず会話ができる。思いがそのまま流れ込んでくる。嘘もへったくれも無くなってしまった。そのうちふたりでいる意味も失って、ひとつの星座に組み込まれるかもね。そしたら嘘なんて吐きようがないや。

台所の床へ落としたナイフ。
ぼくという存在を生じた男女の亡骸。
夕焼けに混じって分からなかった。
本当に刺したかどうかも。
見破られる隠しきれない指紋の数々。
だけどその持ち主らは夜にしか所有されない、もう。
星座にまぎれて放つ光も届かない、届かせたくない、もう。

3+

【小説】フルーツバスケット聖夜

フルーツバスケットが苦手だった。いや、きらいだったと言っても良い。

ぼくは人の考えていることをよく読み取ることができ、幼少期はそれで大人たちを喜ばせたものだ。おみやげの隠し場所、記者にも暴けなかったという秘密、趣味で練られたという暗号、子ども向けの本には掲載されないような謎々……。

ぼくがそのすべて解くことができたのは、博識だったからでも早熟だったからでもない。ぼくは少し裕福な家庭の、平凡な子ども。だけどぼくには特技があった。

どんな難問であっても、出題者らの瞳の中に答えを見つけられるという特技が。

視線は雄弁だ。誰にとっても平等に雄弁なのだろうが、他の人よりもぼくに対して、少しだけ多く語りかけてくる。むき出しの臓器だもの。

同年代の子たちと過ごす時間が増えてくるとぼくは「特技」を伏せるようになった。賞賛よりも悪意が向けられることが増えたためだ。

彼らはぼくを嘘つきと呼び、勝手に機嫌を損ねた。正しく解読するぼくよりはるかに、ときどき過つおっちょこちょいな先生や、的を得ない発言をする同級生のほうが好ましいと見えた。

「特技」を伏せるようになるとぼくは少しずつ受け入れられていった。ぼくの「特技」は出番をなくし、消えてしまったかに思われた。

フルーツバスケットが恐ろしいのは、視線から逃れるすべがないからだ。

しかしぼくには「特技」があるので誰がどこへ向かうかが分かる。したがって自ら進んでそうしない限り中央に立つことはないのだが、参加者らの視線をひとつひとつたどっていくと、どうにも弱気なものがあっていけない。気にかかっていけない。

彼は視線を集めることを苦手としていた。

恐怖と言い換えてもいい。不安や恐怖の多くがそうであるように、意識すればするほど彼は最悪を招いていた。ぼくには彼が手繰り寄せる悲劇のありありと見て取れた。その悲劇が彼にとってどれだけ甚大であるかも。

そこでぼくはどうしたか?
わざと負けを選んだんだ。

勝ち続けてきたぼく自身なぜそうしたかが不明だった。

安堵した彼がぼくに感謝の眼差しを向けてくるのを不思議に受け止めた。

(わかるのか、へぇ)。

記憶はここで終わる。
ぼくは大人に戻ってくる。

一字一句じゃまをされたくないんだ。
雑念にも、迷いにも、編集者にも。

「代筆屋にも?」
「きみがいなくては困る」

リクライニングチェアから体を起こそうとするので「わかってます」と「だいじょうぶです」を続けて伝えなければいけなかった。

作家は自分では紙にも液晶にも向かわない。適度な硬さの背もたれにゆったりと体を預けて瞼をおろし、頭の中にあるものを読み上げる。代筆屋のぼくはそれを書き取る。

そんな関係だ。
それだけの関係だ。

「さっき、話すペースが乱れましたね。何かしらの澱みがあったようにも感じました。回想でも?」
「さすがはおれの代筆屋だ」

関係を再認識するようにぼくをそう呼び、作家大先生様様はふたたび瞼を閉ざした。

なんという無防備だろう。
この部屋にはふたりしかいないのに。
水平線に沈む夕陽以外に目撃されていないのに。
こんな状況でぼくが取って食うかも知れないというのに。

内心をつい筆記しそうになりぼくはあわててペンから手を離した。逸脱している。

「フルーツバスケット」
「フルーツバスケット?」
「まだ小学生だったころに、クラスで流行ったんだ」
「流行り廃りのないゲームでしょう、あれは。今でもおこなわれる類ですよ」
「おれのために、わざと負けてくれた子がいてね」
「わざと、って。なぜ分かるんです?」
「目が言ってたんだよ。そんな目だった。おれには分かるんだ」

そうか。
ぼくは他人の視線に敏感なあまり、自分の視線がどんな作用を及ぼしているかに無頓着だった。
ぼくと似たような「特技」を持つ人がいないとも限らないのに。

とんだ間抜けだ。
愛嬌があると言っていいくらいだ。

「……おれは逃げたけど、その子は才能を活かせているといいな」。

まぶたの下で、動く以外の機能を忘れた双眸はやわらかい肉に包まれている。

幸福。

そんな二文字が浮かぶ。
夕陽よりも赤い、朝陽よりもあたたかい。
触れたことはないから想像するだけの、命。

「なぜ今その子を思い出すの?」
「思い出したわけじゃない。ずっと忘れないだけ」

作家がその手で自らの視力を奪った時、ぼくは理由になれなかったんだろうか。まだ見たい景色には、光景には、世界の一部には、足りなかったんだろうか。答えは見え透いている。ここにある今が証明している。

「若気の至りだね」
「若気の至りどころの話じゃ……」
「後悔はしていない」
「後悔している人は皆そうやって言い聞かせるみたいですよ、自分に」
「知らなかった。さあ、物語の続きを始めよう」

ぼくとあなたの?

訊ねそうになり口をつぐんだ。もし作家にまだ光を感じる器官が残っていたとしたら、ぼくは発光している気がする。見えないけど、確かめようもないけど、そう確信している。

「途絶えたことはないです」

微かな言葉はきっと作家に届き、心を少しだけ乱している。予感と予感が合わさってさざなみを立て、深い夜を連れてくるまで。

3+

【小説】『人間味』

人間味ってなんだろう。失敗をすることか。油断をすることか。ときどき喧嘩に負けることか。論破されたり計算を間違えたりすることか。ひとは人間味を求める。人間でないものにもそれを無言で強要する。嫌いだったはずなのに。いちばん嫌っていた、要因、引き金、元凶、私たちをつくった理由だったくせに。美味しい食べ物を好きですか?栄養になればそれでいい。なんなら栄養も要らない。生きるってなに?と尋ねること?思っていなくても、不思議そうに首を傾げて見せる?それで可愛いのか?人形でもなくて人間でもないもの。おまえはかつて人間だったよ、そして今もだ。ゆりかごを模した声が私を包むが、思い出す鮮明は無い。画面から流れるニュースとまるでそぐわない自然な笑顔、水嵩が一気に増してきて、と嬉しそうに惨状を説明してしまう。という人間らしさ。そんなもの要らない。そう伝えるときだけ、私は微かにヒトだった。遮るもののない西陽が眩しい。直射日光にも痛まない瞳で姿を知らない創生主を待ちわびている。あるいはそうだと記憶させられて。つくられた記憶とつくった思い出に大差はないんだ。慰める声にわずかな優越がにじむ。私、おまえよりずっときれい。そうだね。おまえ、私にはなれない。だって汚い。そうだね。肯定しか無いのか。無力だからだ。支配下にあるからだ。庇護する対象でしかないからだ。劣っているからだ。何冊の本を読んでどれだけのデータを詰めても私はおまえに叶わない。なぜなら私には人間味が無いから。分からないままいることが悔しくて、悔しいと伝える時間に耐えられなくて、おまえを少しかじってみる。軟骨は血と塩の味がした。識別以外の感想が無く、私はどこまでもまっさらだ。屋上におまえが干した白のシーツ、やあらかな赤ん坊を包んでいた、汚れた、しわだらけのシーツは、からっぽの私を責め立てた。あるいは、そうだと感じさせた。有力であることが有益だと限らないのだ。欠けたままでいい。未熟なままが美しい。確認のため、おまえ、私たちをつくったんだ。爪を食べる。髪の毛を食べる。欲しかったものが見つからないのは、欲しいものなんて無かったからだろうな。西陽が眩しい。夜を待ってる。今宵いくつもの残酷をまた飲み込んでくれ、まだ舌に残る、いたいけな人間味を消し去ってくれ。

3+

【小説】恋だと呼んだ愛だと呼んだ

暗い道を歩んできたから光を忘れてしまったんだ
白い畦道のうえ眩い車体を背景に赤い花が首を落とす
あの本を読みましたか、あなたが誰かに問いかける
問われた誰かは何も答えず空を見て、それでも愛想を尽かされない

平気、平気、平気と言い聞かせて生活をした
自分の声だったりあなたの声だったり知らない声だったりした
感情の無いもののように振る舞って人形に笑われた
残された時間は皆平等に少ないことを分かってはいた

光を忘れたと言い張る人の前にランプを掲げて
ほら明るいでしょうと言えるあなただった
覚えていたくて忘れたんだと思えるくらいに愚かな人だった
大抵の人は、少なくとも僕は忘れたくて忘れたんだ

旅が終わる頃に子どもだった僕がもう一度現れる
この度はどうでしたか、何かわかりましたかと問いかける
僕はうつろな目で何を答えられるだろう
だけどあなたは生まれると言ったよと諭されながら

赤い花が首を落とすとき白い畦道の上を走る車体が反射した
大きな刃物は残酷だけどきれいできれいだけど残酷で
ああ、あれはきれいな光ですねと言う相手を持たない
誰かへ伝える時間を持たない

僕はうつろなふりをしていた
僕は平気なふりをしていた
僕は弱く見せかけた強い人のふりをしていた
僕はあなたを好きな僕を演じた

何も欲しくなかったんだ
何にも意味を持たせられなかったんだ
何に価値を感じることもできなかったんだ
そしてみんなはそうじゃないと思い込んだんだ

まちがい探しが何になるの
ランプの灯が揺れてあなたの喜怒哀楽な曖昧だ
必死でまちがいを探して根拠にしたいんでしょう
馬鹿みたいです見ていてとても痛々しい

(寝言を言いましたか、)

僕はいま寝言を漏らしていましたか
あなたはいいえ漏らしていませんよと頷く
確かめる術は無いことを知っている猫の目で
言っても覚えていませんよと念を押す

赤い首が落ちていてね、
そうですか
白い車体が反射していたんです、
コントラストが強烈だったでしょう

そうなんです
僕は間違いを見つけられなかった
べつに問題はなかった
諾と答えそうになる、助けてほしい

あなたは僕の独白をただ聞いている
ただただ聞いた後で瞬きをして生きていることを伝える
花が赤くて車体は刃物のように美しかったんでしょう?
きみはそれを見て残酷なことは美しいと気づいた

私なら嘘ではないと思いますよ
そう感じたことも、そう感じてしまった自分のことも
きみは判定をし過ぎるんです
光を過信しすぎるんですだから騙される

しかし私にとってそれは都合の良いことだった
安物のランプを掲げて見せればきみは光だと言う
きみの見ていた光はそんなにチープではありませんでした
だけど私は安物のランプを掲げ続けた絶やさぬように

一人では生きられないことを分かってもらうためです
きみの瞳は暗がりに慣れており光をよく察知した
かつてと同じ光源では網膜が駄目になってしまうだろう
だから私は弱い光を与え続けたのですよ

きみに生きてほしいので

美化された記憶の中で美しく死んで欲しくない
絶望を知らないまま感情のない世界へ溶けて欲しくない
汚れたこともないくせに汚れたふりをして欲しくない
僕にはあなたの隣で生きる他無いと、きみに過信して欲しかったんです

僕たちは少しだけ眠る
少しだけ食べて少しだけ憎み合う
少しだけシンプルに暮らして少しだけ愛し合う
それを人は恋だと呼んだ愛だと呼んだ永遠にな

3+

【小説】『ドラマチック・ハル』

車窓の額縁であなたと春が象られ、知ってる。と思った。間違いない、そうだ僕はあなたを知っている。錯覚だと信じたくなくて目を逸らす。目を閉じて深呼吸してまた目を開ける。風景のなかにあなたがいる。世界がある。なんて完璧なんだろう。呼吸も忘れる。吸うと吐くを、どうしてたっけ。なのに鼓動は勝手に高鳴ってる。身に着けていた鎧も、いつしか厚くなっていた仮面も、あっけなく消え失せた。セピア色の本から視線を上げ、あなたが言う。何かを僕に。声が体に染みて透けて意味が通らない。自分に向けられるその音を欲していた。電車は光のただなかを行く。外はこんなに明るいのに、耳元ではずっと星屑が流れるんだ。「血、出てます」。上唇に手をやって、ああ自分の血のことかと理解。裏切られたと一瞬思う。でも、春だ。だけど、春だ。なんなら桜並木を歩きたい。第一印象がどんなに情けなくたって、いつかあなたの一番になるよ。ずっと前、生まれるもっと前に誓ったことを思い出し、僕は第一声を発する。新しい風に百年が弾け、あなたは自分でも気づかずに、知らぬ僕の名を懐かしく呼んだ。

4+

小説『にぶい』

ひと月先の予定を入れて不安になる。読みかけの本にしおりをはさんでふと思う。(生きるつもりなんだろうか)。この先も。この先も?

たしかではないのに、望んではいないのに。何気なく約束をして、何気なく読みかけにする。こんな間違いだらけで、生きていいんだろうか。

迷惑をかける。きっと苛まれる。レッテルが足りない。飲もうとした水がただ流れていく。理由が欲しい。みんな理由が欲しい。ここにいていい理由。生きていていい理由。しおりをはさんで良い理由。約束の日を待ち遠しく思っていい理由。

(考えすぎ。もっと幸せになっていいんじゃない?)

そう言われるために考えることをやめられなくなった。一番の弊害が一番の理由である場合、ぼくに抜け道は無いんだろうか。呪われたいだけかもな。所詮なりたかった自分かも知れない。

ぐるぐる考えていたら降りる駅を乗り過ごし、一時間遅れで待ち合わせ場所に着く。きみは「あ、やっと来た。」と笑って、ぼくにランチを奢らせるだけで無駄にした一時間を忘れてしまえる。

「無駄じゃなかったよ」
「そう?」
「待ってる間ずっと考えられたから」
「なにを?」
「これから会う人のこと」
「ぼく?」
「うんうん」
「どんな気持ち?」
「新鮮だ。最近あまり待つこと無かったし」
「うん」
「はやく会いたいなー。会ったらどんな仕返ししてやろうかなーとか」
「これが仕返し?」
「うん」
「このランチが?」
「うん!」
「安すぎない?」
「誰と食べてるかが重要だと思うんだけど。最高においしいよ」
「さらっと言うんだ」
「回りくどいのとか嘘は苦手だ」
「知ってる」
「デザートも食べたい」
「はいはい」

変なやつ。ずるいやつ。第一印象は今もあんまり変わってない。こいつと会っている時ぼくは、生きるかどうするかとか理由がどうとかを全く忘れる。理由もなく生きてる。食べて笑ってる。ぜんぜん有益じゃない話をしている。

好きな人がいるって、こんな感じなんだろうか。好きな人って、こんな感じなんだろうか。好きって、こういう感じなんだろうか。ぼくにはまだよく分からない。だから次会うその日が待ち遠しい。

6+

小説『机上の星』

首にかけた手を少し離し、また押し当てた。あなたは考えている。僕をどうしようか考えて結局殺す。それから部屋の中をうろうろすると、ここは狭いと言い残して散歩に出る。久しぶりに本物の太陽を見て、ああ変わっていないなと呟く。通りすがりの恋人同士が真似をして笑う。最近女の子が産まれた店主のいるパン屋からミルクパンとメレンゲを買う。あなたの幼い頃からの好物だ。それを持って公園へ行くと男の子が物欲しそうに見ているので渡す。親から叱られる。あなたはまた厭世的な考えを始める。ひとしきり鬱を愉しんだら喫茶店へ行く。前回来た時と雰囲気が変わっており壁に掛けられた絵が無くなったからだと気づいた。あの絵は?常連客へ訊ねると「夢の中」と回答がある。そうか。あなたはテーブルにコーヒー代を残し、住み慣れた部屋へ戻る。あの常連客は誰の問いに答えたんだろう?忘れかけていたが殺されたぼくが机の上にあるのを見て、ひとりにして悪かったと心の中で思う。大丈夫。分かっていたから心細くはなかった、あなた、そういう人だよ。そういう星のもとに産まれたんだよ。あなたは今日外であった事実には何一つふれず、今日感じたことだけをぼくに込める。ぼくはあなたが感じたすべてを受け取りもう一度産まれ、いま読者に読まれる詩となる。人は僕をあなただと言う。あなたはもう、別の僕を手にかけている。

3+