【小説】フルーツバスケット聖夜

フルーツバスケットが苦手だった。いや、きらいだったと言っても良い。

ぼくは人の考えていることをよく読み取ることができ、幼少期はそれで大人たちを喜ばせたものだ。おみやげの隠し場所、記者にも暴けなかったという秘密、趣味で練られたという暗号、子ども向けの本には掲載されないような謎々……。

ぼくがそのすべて解くことができたのは、博識だったからでも早熟だったからでもない。ぼくは少し裕福な家庭の、平凡な子ども。だけどぼくには特技があった。

どんな難問であっても、出題者らの瞳の中に答えを見つけられるという特技が。

視線は雄弁だ。誰にとっても平等に雄弁なのだろうが、他の人よりもぼくに対して、少しだけ多く語りかけてくる。むき出しの臓器だもの。

同年代の子たちと過ごす時間が増えてくるとぼくは「特技」を伏せるようになった。賞賛よりも悪意が向けられることが増えたためだ。

彼らはぼくを嘘つきと呼び、勝手に機嫌を損ねた。正しく解読するぼくよりはるかに、ときどき過つおっちょこちょいな先生や、的を得ない発言をする同級生のほうが好ましいと見えた。

「特技」を伏せるようになるとぼくは少しずつ受け入れられていった。ぼくの「特技」は出番をなくし、消えてしまったかに思われた。

フルーツバスケットが恐ろしいのは、視線から逃れるすべがないからだ。

しかしぼくには「特技」があるので誰がどこへ向かうかが分かる。したがって自ら進んでそうしない限り中央に立つことはないのだが、参加者らの視線をひとつひとつたどっていくと、どうにも弱気なものがあっていけない。気にかかっていけない。

彼は視線を集めることを苦手としていた。

恐怖と言い換えてもいい。不安や恐怖の多くがそうであるように、意識すればするほど彼は最悪を招いていた。ぼくには彼が手繰り寄せる悲劇のありありと見て取れた。その悲劇が彼にとってどれだけ甚大であるかも。

そこでぼくはどうしたか?
わざと負けを選んだんだ。

勝ち続けてきたぼく自身なぜそうしたかが不明だった。

安堵した彼がぼくに感謝の眼差しを向けてくるのを不思議に受け止めた。

(わかるのか、へぇ)。

記憶はここで終わる。
ぼくは大人に戻ってくる。

一字一句じゃまをされたくないんだ。
雑念にも、迷いにも、編集者にも。

「代筆屋にも?」
「きみがいなくては困る」

リクライニングチェアから体を起こそうとするので「わかってます」と「だいじょうぶです」を続けて伝えなければいけなかった。

作家は自分では紙にも液晶にも向かわない。適度な硬さの背もたれにゆったりと体を預けて瞼をおろし、頭の中にあるものを読み上げる。代筆屋のぼくはそれを書き取る。

そんな関係だ。
それだけの関係だ。

「さっき、話すペースが乱れましたね。何かしらの澱みがあったようにも感じました。回想でも?」
「さすがはおれの代筆屋だ」

関係を再認識するようにぼくをそう呼び、作家大先生様様はふたたび瞼を閉ざした。

なんという無防備だろう。
この部屋にはふたりしかいないのに。
水平線に沈む夕陽以外に目撃されていないのに。
こんな状況でぼくが取って食うかも知れないというのに。

内心をつい筆記しそうになりぼくはあわててペンから手を離した。逸脱している。

「フルーツバスケット」
「フルーツバスケット?」
「まだ小学生だったころに、クラスで流行ったんだ」
「流行り廃りのないゲームでしょう、あれは。今でもおこなわれる類ですよ」
「おれのために、わざと負けてくれた子がいてね」
「わざと、って。なぜ分かるんです?」
「目が言ってたんだよ。そんな目だった。おれには分かるんだ」

そうか。
ぼくは他人の視線に敏感なあまり、自分の視線がどんな作用を及ぼしているかに無頓着だった。
ぼくと似たような「特技」を持つ人がいないとも限らないのに。

とんだ間抜けだ。
愛嬌があると言っていいくらいだ。

「……おれは逃げたけど、その子は才能を活かせているといいな」。

まぶたの下で、動く以外の機能を忘れた双眸はやわらかい肉に包まれている。

幸福。

そんな二文字が浮かぶ。
夕陽よりも赤い、朝陽よりもあたたかい。
触れたことはないから想像するだけの、命。

「なぜ今その子を思い出すの?」
「思い出したわけじゃない。ずっと忘れないだけ」

作家がその手で自らの視力を奪った時、ぼくは理由になれなかったんだろうか。まだ見たい景色には、光景には、世界の一部には、足りなかったんだろうか。答えは見え透いている。ここにある今が証明している。

「若気の至りだね」
「若気の至りどころの話じゃ……」
「後悔はしていない」
「後悔している人は皆そうやって言い聞かせるみたいですよ、自分に」
「知らなかった。さあ、物語の続きを始めよう」

ぼくとあなたの?

訊ねそうになり口をつぐんだ。もし作家にまだ光を感じる器官が残っていたとしたら、ぼくは発光している気がする。見えないけど、確かめようもないけど、そう確信している。

「途絶えたことはないです」

微かな言葉はきっと作家に届き、心を少しだけ乱している。予感と予感が合わさってさざなみを立て、深い夜を連れてくるまで。