2+

No.651

おまえと暮らしていると、自分が自分じゃなくなる感じがする。もっと言うと、自分がこの世からいなくなったあとの世界を見ている気がする。こんなに確かなのに。今ほど確かな日々はなかったのに。予行練習をしているみたいだ。単純な聞き間違いに、いつか来る別れを見た。おまえはやがてぼくに捨てられるだろう。だから優しくする必要はないのに。こんなにすべてを捧げる必要はないのに。「だいじょうぶ」「だいじにします」「だいすきです」。おまえの言葉は「だい」から始まることが多い。(だいきらいだ)。ぼくは大抵おまえのようになれないので、せめてショートケーキのいちごを嫌いなふりをする。「え?ほんとに?もったいないなあ。おいしいのに。ほんとにほんと?じゃあ、食べちゃいますね」。おまえがそれを好きなので、ぼくはそれを嫌いなふりをする。

2+

No.650

桜を見上げるひとに焦点を合わせる
すこしだけちらつく残像
ここは命あるものばかりでできている
発動していない死がこんなにもたくさん

はかないね。きみの言葉に頷く
はかないって、よくできたかんじだね。
きみの言葉にまた頷く
頷いたあとで、ああ漢字、と気づく

野原に命がこぼれている
川に命が流れている
菜の花の上を命がはばたいている
ぼくの頬を命がすり抜けていった

ずっと一緒にいられたら良いのにね
きみはたまに永遠に執着する
永遠のこと、ぼくはよく分からない
良いか悪いかも感じない
でも奇跡なら毎日見ている

ごはん、食べよう。
きみの言葉に頷く。

おにぎりとサンドイッチ。
梅おかかとシャケ。
卵ハムサンドとシーチキン。
緑茶とカフェオレ。

これはおどろいた。
どちらもつくってきたのか。
そうよ、あなたわがままだったから。
お互い不機嫌にはなりたくないでしょ。

きみの言葉に頷く。
頷いてばかり。
ぼくはもう話せないからだ。
永遠は知らない、奇跡なら毎日見ている。

3+

No.649

伝えたい言葉が尽きたんだ。言葉は君に敗北した。見えないものに宿るもののことを信じるか信じないかで、喧嘩にもなったね。月が膨張するんだよ。ほんの少しね。君が眠ると。月は、いま生きる人といつか死んだ人が曖昧になる空間なのじゃないかな。そう思うんだ。だって、ほら、眠りって死に近いだろう?月はそれを見てるんだ。世界中の眠りを。部屋の壁に飾るたくさんの写真が、時間はいずれなくなることを教えてる。僕らも例外ではない。朝に起きてふと気づくんだ、僕はどうしてこんなところに。とほうもなくて、取り返すすべもなくて、忘れたくて呪うよ。逆効果なのに。あの日、花に隠した本音。受け取って土に埋めた魂。悪くないと言い聞かせてここまで来たんだ。潔癖のまま、おとなになることを選んだんだ。だから言葉は尽きたんだ。言葉は尽きて今ここにないけれど、君に会いたい気持ちは消えない。耳をふさぐとたちまち満月の割れる音がする。耳をふさいだことを後悔させるために。おそれるな。目を開くと花吹雪の夜だ。カレンダーを振り返って「今年も」とつぶやく。今年も君を忘れられなかった。僕がてくてく帰った部屋で、君は花の夢を見ている。心許ない月明かりの下で、永遠に舞い散る花をきっと見ている。

4+

No.648

あまい。甘い、乾いた匂いのする棚から一枚のレースを引っ張り出して、ごっこあそびに使おうと思う。無限の明日の滅亡ごっこ。ぼくらは罪悪感にさいなまれる子羊で、だけど一番の願いを知っていて背かなかった。周囲を傷つけることに鈍感で、自分たちが壊されそうになることに敏感で。てんごく。天国へつながるアパートの踊り場。蜜蜂に集めさせた他人の不幸を、孤独な少女がティースプーンで舌へのせている。回数を重ねて血がかよう。綺麗なことと残酷なことは紙一重で、認めたくないひとから燃え上がっていった。雪の日のマッチみたいに。つめたい。冷たいドアを開けることができなくて、妄想は砂場の砂にからまっていた。そと。外は、銃弾のような雨だね。憎む相手もいなくなって、ひたすら地面に打ち付けるだけ。逃げていく陽だまり。なみだ。溶け合う地上の涙。あの棚から持ち出した、たった一枚のレースじゃすくえない。こぼれ落ちて嫌な思いをするだけ。だから離さない。だから誰にも渡さない。ぼくらのごっこあそびにしか使えない。正常なら、落ちてこぼれた。正しさを説くひとのいない、ここでしかぼくら生きたくないんだ。

3+

No.647

赤い点滅
聖なる領域が飲み込んでいく
ノートも花壇も棺桶も
解読を望まない暗号も

有識者が扇動する
ぼくらの未来を左右する
今だって正論に侵食されてる
祈りはしない、だって叶わないだろ

進みたいと思うんだ
目をつぶる言い訳が祈りなら
取り戻したいと思うんだ
昼も夜も忘れないなら

立ち上がるために挟んだしおり
明日があるという無邪気な期待
もし裏切られるんだとしても
予感だけでうずくまりたくない

ぼくらは嘘を見抜くことができた
ぼくらは暗号を解読することができた
ぼくらは遺伝子の組み替えができて
ぼくらは新天地を創造できた

その一方で

ぼくらは花の色が分からなかった
ぼくらは雨に濡れないために傘が必要だった
ぼくらは眠らないと疲れてしまうし
ぼくらはぼくとぼくでは生きられなかった

大切にしたいわがままと
大切にされたいエゴを売って
飲み込まれていくものを羨んでもいる
連れ去られるものを軽蔑してもいる

(脈動なのよ、警笛じゃなくて、
あなたに見えている赤の点滅は、
あなたが生まれる少し前に、
私が感じた温もりなのよ)。

5+

No.646

守ってあげたい。と思っていた、守ってあげられる。と思っていた。きみの何気ない言葉がぼくに、あやふやじゃない現実を突きつけるまでは。いつでも優しくて強かった。知ってるのはもうぼくだけじゃなかった。巻き戻せたらなんて言おう。巻き戻せたらどう振る舞おう。そんなこと考えるんだ。そんなことしか考えられないでいるんだ。素直になんかなれない。本音は永遠に語らない。知らないんだ。要求するなんて、知らないんだね。本音がどれだけ汚いかってことを。消えればいいって思ってる。きみを好きなあの子も、ぼくを好きじゃなかったきみも。日常を送るこの街も、そこそこ平和な何もかも。無関係なものだって今じゃ観衆に見えるんだ。笑ってるんだ。安心してるんだ。今回も異物は排除されそうね。そうだろ、残って欲しくないなって思ってる。だからカラーセロハンを重ねてく。照りつける太陽をにらんでる。境界がぼやけるまで。涙が蒸発してしまうまで。逃げて、逃げて、今のうちにぼくから逃げて。きみを好きでいられる魔法がとける前に。ぼくがかけた魔法がとける前に。魔法よ、魔法よ、ぼくを化け物へもどさないで。きみはあの子を連れて逃げて。

4+

No.645

また風が吹くんですね。花を散らす風が吹くんだ。砂が舞い上がるのは嫌いだ、だけどあなたの姿を浮かび上がらせてくれることがある。

ぼくはベッドの上にいながら世界中を旅した。凍りついた町、色とりどりの港、潮の香りがする通り、そこかしこにこぼれ落ちた悲しみを、拾い集めて歩いたんだ。

そんなこと、やめたら。あなたは言う。そんなこと、しないでいたら。あなたは言うが、変わらない。あなたがぼくにしていること、決まった時刻にこの部屋を訪れ、ひとつのりんごを剥いてくれることと、本質は変わらないんだ。

ぼくはたまに寝たふりをする。それくらいしか驚かせる方法がないから。朝が来ればあなたが訪れるという、この部屋は、世界中どこを探しても一番の部屋だよ。

どんな景色を見たって、美味しいものを味わったって、すべてはここへ帰るため。ただいまって言うためのさよならなんだ。

だから今回のもきっとそう。ぼくはしばらく目覚めないけれど、またここへ帰ってくるよ。あなたは気づかないかも知れないけれど。

風を吹かせて花を散らそう。立ち止まりたがる時間を、次の季節へ連れて行こう。

あなたはたくさん泣くだろう。曇りが晴れて世界が見えたら、どこまでも歩けるあなたになるだろう。ぼくが旅したかったこの星の上を、どこまでも歩けるあなたになるだろう。

4+

No.644

欲しくない。伝わってるよと言って欲しくない。僕が嘘を言わなくても。正しく伝わった、そう感じた瞬間に、取り返しがつかないほど、僕らの時間は巻き戻される。そのくせ全部覚えてる。上書きされて真っ暗なキャンバス、どんな色がどれだけ積み上げられて、何が隠されたかも覚えてる。ときどき思うんだ。ずっと夢だと思ってる、だけどここが現実なんじゃないかって。もう少しで届きそう。もう少しで見つかりそう。自惚れた途端、空から星が落ちてきて、また真っ暗になるんだ。やむなく次の光を待ってるんだ。足元で砕けた破片は皮膚を切り裂いたかも知れない。血は赤いんだろうか。命は尊いものだろうか。それだって確かめることができない。できないでいる、解けない謎くらい、ここに残したいから。叫ばないでも、君には気づいて欲しいから。

3+

No.643

青い星座になり永遠へのぼってった。初めて行く場所なのに怖がらないで。群青の下、僕は人間だ、どうしようもなく。一度掴んだものを離すときに強く感じるんだ。昨日と明日がまるで違って見える。きっとうまくいかない、忘れたふりはうまくいかない。手先は器用でも思いは消せない。もしも思いが消えてしまえば、それは僕じゃない。優しくなかったあなたを忘れて、あれは優しい人だったと言い聞かせるようになったら、僕はもう僕じゃない。好きだった。どうしようもなく、好きだった。良いところなんかふたつもない、ひとつしかない。あの目、僕を見る目が好きだった。眼差しを忘れそうになったら、月の隠れた夜空を見上げよう。名前のない星座が瞬くから。手を伸ばしても届かない遠くで。どれだけ距離が離れていても、僕は平気。この光は銀河を貫きここへ来た。項垂れる僕を、嘲笑って、心のどこかに灯ってる。これ以上のわがまま、僕はきっと、死ぬまで知らない。死ぬまで待てない。

4+

No.642

書いては消して書いては消して。この世でもっともちいさな殺しは推敲である。生き別れた剥製が、臆病によってまた解き放たれる。嫌われるのが怖かった。好かれてもいないのに。傷つけるのが怖かった。深く刺さる爪もないのに。何もなびかせず、誰の視界や人生も邪魔することなく、死にもせずに生きていきたかった。たくさん恥をかいた日には棺桶で眠った。生花をたくさん敷き詰めて。干し草にしなかったのは、数少ないわがまま。すべては禁じられており笑っていい一日なんかないんだ。気づかれずに消えたい。霧は狡い。明るくなって目をあけて、いっそ自分以外の手が伸びてくるのを待ってる。瞼なのか、首なのか。手と手であるのか、引っ込められるのか。待ってる、蕾がすべて咲く前に。奇跡はぼくが起こすんだ。言い聞かせるばかりで、予感ひとつに託してる。消しては生んで、消しては生んで。

7+