雑記

なんでも書きます。何気に一番人気あるカテゴリー。

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【雑記】ずっと謎

ずーっとひとりで書いてた。

あれは、小学校2年か3年の頃だ。サンリオキャラクターの鍵付き日記帳を買ってもらって、そこに1日も欠かさずその日の出来事を書いてた。5年生くらいまで。そこからインターネットと出会って、メルマガ→サイト→ブログって流れになっていったんだけど。

この小2〜3のころの、日記帳って、自分、何を思って書いてたんだろうな、って。

宿題でもないし、発表するものでもない。誰かに見せるのでもなく、自分が読み返すためでもない。

記録?その頃記録って概念あったかな?記録って概念は大人特有のものでは。知らぬが。

無心だったと思う。

「きつい」「やめたい」とかぜんっぜん考えてなかったし、かと言って「たのしい」「すき」でもなかったの。無だった。無。無。潔く無。

無って、すごいなあ。今、無で取り組んでることって、あまりないもんな。いや、あるか。ここか。誰に見せるでもない、自分はたまに読み返すかな、好きでも嫌いでもない、まあ好きって言ったら好きになるのかな?

あ、そうだ、

好きかときかれたらそうでもない。

ってやつの最強なところって、嫌いになったり飽きることがないってところなんだよなー。将来のことは分からんが。いつか、ふっと、離れていくのかもしれないけど、そのときも「嫌いだ」ってわけで離れるのではないように思う。

だから、人や生き物に対しても「好き好き」っていうのより、「あれ、いたんだ?」ってくらいの命を大切にするなどすればいいのかなって思う。だって好きなものはいつか嫌いになりそうじゃん?めんどくさがりの極み。

だから、目標とか夢って、あんまり挙げないほうがいいのかもなってふうにも思う。小さい子はさ、「こうなりたい!」って目をキラキラさせるじゃん、たまに。そして大人も喜ぶじゃん。ああいうの、「ああ〜・・・」って思う。ことも、ある。たまに。その勢いで向かって行ったらもったいないなあ。と。これがね、俗にいう石橋を叩いて壊す戦法なのかもね。わたしはあまりよくない大人である。

いかに長く、いかに末永くともにあるかが大切であって、一瞬のアバンチュールに胸を焦がすものではないというふうに思う。あれだ、ウォーレン・バフェットかな?

向き不向きなんだろうね。もうそれでいいんだよね。まとまるんだろうね、それが一番。

デイトレードが得意なひととバフェットタイプ、どちらも成功者がいることからも、絶対ってないから、逆に言えば絶対失敗ってものもないわけでしょう。

つまり?

結論:みんなちがってみんないい。

すでにある言葉。

いやほんとそう。まじだ。

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【雑記】一期一会のゆくえ。

昨日の投稿数たくさんあるなあ。

ふと思ったんだけどインターネットもいつかなくなるかな?って。今なんでもインターネット上にあって、その上でアプリやメディアが増えたり減ったり消えたり生まれたりを繰り返して、この基盤(インターネット)がなくなることってないみたいに思うけど、ていうかそもそも思いもしないけど、それくらいインターネット浸透しすぎてるけど、それもいつかなくなるかなって考えてゾッとしたと同時にあらたなユートピア見えた気がする(錯覚)。

新しいインフラはどんなふうなんだろうなー。生きてる間にインターネットの「次」に出会う日ってくるかな?どんなだろ。しらんけど。ブログオワコンと言われてひさしいですが、なんだろうなSNS隆盛ってとこかな?でもやっぱりブログのほうが使い勝手よくてこっちがいい、って部分もあると思う。ここもWordPressだけど、まあ、ブログみたいなもんだしな。SNSながめてると「あ、そっか。」「なるほど、なるほど。」っていうのはたっくさんあってほんとキラキラしてるなあと思う。いいと思う。でもそっちでできないことと、こっちでしかできないことと、掛け合わせるともっといいことってあると思う。とか考えてたけど、そもそもインターネットって隙が多すぎませんか。セキュリティ未熟すぎませんか。いたちごっこかな?でもいたちごっこにビジネス生まれるから必要悪とは違うかもしれないけど、脆弱って理由で消えたりはしないよなー、と思うんだけど、さっそうと消えて、あたらしいものに、取って代わられるのかもしれないな。そして予兆はたぶんある。それを感じず、察知できなかったひとが、「こんなもの!」って、ニューカマーをディスるようになって逆にマイノリティになってて時代遅れだなおっさんって言われて世の中に反旗を翻す力もなくってひねくれてくのかな。私さっきから適当にものを言ってるわけだが。

◯◯が好きな人が元気でいることをSNSで知って「ふむふむ今日も元気でいるな」と遠くから眺めるパトロンみたいな気持ちで眺めてたのが疎遠になって、ある日ふとのぞいてみたら「今日でやめます」発言しててね、パトロンおじさんもう、ふああ・・・となった。そうだよね契約してないしいつでもいなくなるんだよね、誰も責められないんだよね、悲しいですとかありがとうございますとかまた機会があれば〜みたいな挨拶でしめくくるしかないんだもんね。そういうの当たり前だけどすっごくさみしいなあって思った。

さも親しい人やすっげ応援してた人が去った後の腑抜けみたいな発言してるけどまじで接点も共通点もなくて、精神的支えですらない、ふと「どうしてるかな?」レベルで気にかけてみた人がフッと消えることすらこんなに切ないのだから、もう大好きで大好きでたまらない人とか、このひとのこれが好き!って人が突然フッと消えてしまったら本当にどう思うんだろうなあああ?!!?

と考えた次第ですよ。ええ。

でもみんな、それもこれもインターネットという遥かなる大地の上で行われている観劇であるからして、そもそもその基盤が消えてしまったらどうするんだろう。どこ行くんだろう。

流行りの(?)ピア・ツー・ピアかな。
「インターネット?ふふ、いつの時代のシステムですかそれ(確信犯)?」っていう少年が直接脳内にコネクトしてくるやつかな。

でも、まあ、考えてもわからんから考えんどこ。

追記。

なんか考えれば考えるほど「生身」であることの破壊力すごいなって。人間すごいわ。うーん、でも生身は無力だ。でも原点だ。ツールもインフラもなんもかんも、増大させてるだけ。生身は祖だから叶うはずはないのね。でもやっぱりそれが原因で滅ぶひともいる。

うん。やっぱわからん。

結論:わからん。

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【雑記】終わりの始まりの最後の夏

平成がテーマになることが増えると思います。わたしが書くものも。書店に並ぶものや、ネットに流れる記事も。特に最近そう思います。こんな平和なまま終わる時代は初めてでは?(まだ終わってない)。平和だったって言ったら怒る立場の人たくさんいるかな。とりあえず国民総平成ロスに陥ると思います。みんな。終わりができるってことはパッケージ化に他ならない。獰猛に見えた野生動物も檻に入ったら餌をあげたくなるように、いろんなふうに名前をつけて呼ぶようになるんだと思う。一区切りつくということは一旦俯瞰できるということで、そうするとどんなに大きく見えたものもスケールが把握できるから「かわいい」の対象になると思う。元来、時代とはかわいいものです。かわいいと思うことで塗りつぶしながら乗り越えていくものです。たくさん歪曲されて形を変えていくと思う。みんなの精神、感受性、自分だけのものだと思っているもの、すべてちゃんと毒されていくと思う。洗脳は簡単なので。口にすることがはばかられるものは、ぜんぶ詩や絵や歌にすべきと思う。出せる形で出していけばいいんだ。それをやめないことが死ぬまで続けなくちゃいけないことで、それ以外はおまけで、人はそのために生まれてきたと思う。

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【雑記】根も葉も火もなくても噂なんて立つよ。

脱線だらけのコラムっぽい雑記。

部屋がですね、35度あるんですね、いま温度計みたらさ、部屋の温度がですね。パソコン壊れてしまわないかな。人体は復活しそうだけど、電子機器が壊れると痛いな。嫌だな。だって35度あるからね。でもすっごく集中しているので平気でいるわけです。人間の集中力ってすごいなーっと思う。気づいたらその時点でクソ暑いな!知らぬが仏とはこのことだ!

税金を払いたくなくて払いたくなくて「今まで!国が!私に!なんかしてくれたか?!」と思って振り返ってみたら人生でめっちゃいろいろしてくれてたから(主に失業保険)、善意ってすぐ忘れられるんだと思う。まあ国の施策は善意ちゃいますけど。なので、嫌な思い出や復讐心ばかり残るんだと思う。その観点から活用したいのは何クソ精神です。(いや、そんなことないよ。)って思うということ。臥薪嘗胆の芽。

人は、否定をするでしょう。基本、コミュニケーションって否定でしょう。「いや、それはね」「私はね」「俺はね」っていうやり取りでしょう。だけど、否定は否定って形であらわれてこないのね。ほんと親切なだけだから。生まれつきかってくらい。「そんな生き方でだいじょうぶ?」「こっちの道が安全だよ、幸せだよ、こっちがいいよ」って、何の根拠もないのに、言うのね。平気で。悪徳勧誘かよって。だっていつも思うのは、あなたの根拠ってあなた1人の人生でしかないでしょ?ってやつなのね。その、経験則も、教訓も、あなたを通した、あなた1人だけを通した、応用力も再現性もないものでしょ。であるから、たいして意味ないのね。ほんとに。「こうしたほうがいいよ」「あれはしないほうが」っていう助言なんて。なんていうか裏付け少なすぎるし。まあ、しかし、裏付けがあればいいって話でもないし、他人の忠告なんてちくわの耳でいいんですよ、ちくわで。簡単でしょ。顔は、そうだな、一応それっぽく聞いてるっぽくしたほうがいいかもしらないけど。まあ大抵表情には出てるからね、「こいつ聞いてねーな」って思われといたほうがラクってのはあると思うんだ実際。

誰でも、ふと(貴様……なにいってやがる……?)と思うことってあるでしょう。どんなに冷静なひとでも。それは絶対にさ、忘れないほうがいいよ。なにくそって思う部分って、あなたがひそかに負けたくない部分であって、っていうか、たぶん勝てる見込みがあるのね。だからなにくそって思うのね。たとえばさ、誰かの行動を見てイライラすることがあったとするじゃん。(あー、そうじゃないのに。)って。そういう時ってさ(なんかイライラしてるな。いっけない、いっけない☆)じゃなくて、それで終わらせるんじゃなくて、(ちょっと待て、なんで自分はイライラするんだ?)って考えてみると分かるのね。たぶんそれを、あなたは、その人よりうまくできるから、もっと上手なやり方を知っているから、イライラしてんだよ。なので、あー、これっておかしい。それってもっとどうにかなるじゃん?ってささくれた気持ちになったときは「おっ?」って触覚を立てるといいと思うんだ。

34.8度ですね。
集中してたね。

あと、忙しいからってとっても幸せな言い訳であったりするんだね。忙しくするのって、したいしたいと言ってることを本当は行動にうつせない自分をカモフラージュできるからだよね。だってほんとにしたいなら時間とかつくるもん。他のこと捨てていけるはずだもん。それをしないのに、できないのに、「あー休みがとれたら◯◯したい」って、あなた、それは嘘ですよ。休みなんてつくれるし、それができないなら寝る時間くらい削るし、そもそも「したい」って言う前に動いてるはずなんですよ。宣言とかいらねーし。気づいたら「あ、やってた」。ってくらい自然にフォーカスしてるものがあなたの本当にしたいことで、だから、「したい」って言ってることってほんとは「したくない」こと。だよ。したいって言うの免罪符にしてるんだよ。よっしゃ今日も「したい」って口にしたぞ、私それがしたいぞ、再認識したよ、おっけー、って思って安心してるんでしょ。本当にしたいことはあなたがすでにやっていることだよ、だから、正確には、厳密には、「したい」って概念はそもそもないのかもな。したいことは、してること。したいって口にすることは、これからも、たぶんしないこと。

だけど「したい」星人がどれだけ多いことか。私もであるけど。この星人で厄介な亜種は、他人の足を引っ張る属性を持ってるやつですな。「したい」が「したくない」の変化があることは知っていて、意識していて、その上で「もうやってる」人が羨ましくて妬ましくてジャマをするのね。邪魔って言っても邪魔邪魔しい感じでは露呈させないよ、嫌われたいわけではないので。なので、親切を装うのね。話は少し戻って、「こっちがいいよ」「やめたほうがいいよ」って言葉になるのね。だから他人のアドバイスなんて、それが優しさだろうがなんだろうが、違うなら(違う。)って思ってりゃいいし、いらっときたら(うっせバーカてめーは自分の人生だけ生きてろよ)でいいんですよ。そういう、なんていうかな、ナイフをね、捨てないでほしい。まるまるした心とか魅力ないんですよ。まるまると、ほんと裕福そうに太りやがって。

嫌いな人を嫌いな理由を。腹が立つものに腹を立てる理由を。こんなの汚い、自分はちっちゃい人間だ、で戒めるのではなく、どうしたんだい?って人格くらい数個に分裂させて質問してみようではないか?

そして税金を払いたくないなーって思ったんですね。でも一周回って税金、払ってもいいかなって心情に変化があったんですね。国は敵!でも人間は敵じゃない……と気づいた生き物のようにです。ええ。

言い伝えられてきたこととか、慣習とか、圧力とか、常識とか、いろんなものがこれからあなたを飲み込もうとすると思う。元号が変わって、古きが倒れて、新しいものが生まれても、暗い波がひたひたついてくるんだと思う。正攻法でなくて、心の中で
「くそが」って思うだけでもずいぶん違うと思う。思春期かよってなじられたら「そうだね、へへ」つって内心「くそが」。これだけでずいぶん違うと思う、あなたの本心はあなたのこと「うむ、こいつ、わかってるな」って思うと思う。つまり、大切なのは自分との信頼関係なんですよ。他人って言うほど考えちゃいないですからね、あなたのことやらなんやら。善意悪意じゃなくてキャパの問題なんだよ、たぶん、ひとりひとり自分の親になり子になるしかないんだと思うなー。

35度。

暑いな。

集中力の唐突な終焉。ザ・クライマックス。

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【雑記】意外と5ヶ月経過してた

ツイッタアカウント消しました。コンタクトとってくださった方ありがとうございました。
しかしツイッタアカウントの退会申請後の30日猶予期間ってもっと短くならんかな。キャッシュでうっかりログインしてしまって「はい、やり直し〜」ってなるの、つら・・・。
また1から積み立て直しかよー、ってなって天使のような悪魔の笑顔でしょ・・・。

創作展開はしばらくはここだけに専念します。つまり元通りです。

あ、今日で平成最後の5月が終了ですね。
そしたら平成最後の6月が始まりますよ。
そして平成最後の夏が来て去ります。
秋が来て去ります。
冬が来て春が来て新しい元号になります。
せつなすぎて精神がもたない気がする。知らんけど。

そういうひとのために西暦があると思う。

平成が終わっても西暦は残る。
平成が「ばいばい」と言っても西暦は依然として2018、2019、2020…と続けていってくれる。
なんという恩寵だろうね、ジーザス。

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【雑記】バターはきみどり

深夜2時に怒りに似た何かのせいで目が覚めてしまったんですが、こんな時間にも走る車があると夢しかない。

しばらく眠くなるまで文字を書いておこうと思うんですが、アボカドって美味しいよね。あれは、さ、そもそも何か?果物なのか野菜なのか。そう思って調べたら果物だそうだ。これは結構意外で「あ、そうなの?」ってなるくらい。でも一度知ったら「うん、そう」ってなるから人間は汚いと思う。

なんでアボカドがあんなおしゃれな感じかって思ってて、だけど嘘だよ。私は、あれは嘘つきが食べるものだと思っている。食べたらわかるんだけど、まろやかなのね。もったり、まろやか。森のバターと呼ばれることもある、つまりバターなんだよ。アボカドをサラダにのっけて食べるひとは本当はバターをごろっとのせて食べたいんだけどもそれじゃ周囲から何言われるか分からないからとりあえずアボカドのっけてみっかって魂胆でしょ?知ってるんだから。だって美味しいもんなアボカド。アボカド大好き。

アボカドと生ハムはサラダの鉄板だよね。なんならもうサラダとか要らないから。野菜部分ぶっちゃけなくてもいいから。じゃあもう単体でいいんじゃね?ってなるでしょう?そうなんだよ。自分に素直に生きたい。

誰も傷つけずまろやかに生きていきたい。ホラーコミックみたいに。芸人みたいに。どんなぐさぐさ刺したり見下すようなツッコミしてても演技じゃん?イミテーションじゃん?その先には「楽しませたい」があるのでしょ?絶叫マシーンもそうだよ。その身なりから想像もつかなくて人を恐怖に陥れたりもするけどやはりそこには楽しんでほしいなっていう思いやりがあるのでしょう。そういうことだと思うんだ。

みんながそれぞれ、持てる能力をのびのびさせて、頑張らないでも発揮できる部分で、広く社会に貢献できたらいけたらなって思ってる。そんな未来になってほしい。いや、そんな今になってほしい。

おわり

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【雑記】毛嫌いの弊害

わたしふと思ったんだが、好きなことは好きでよくってそれは疑いようのないことなんだけど、嫌いなものの中でも「毛嫌いする」ってのは時として弊害になるんじゃないかなと。人生において。「食わず嫌い」もそうだな。

というのも、わたしはいわゆる文系で、学生時代も文系科目が全体成績を引っ張ってくれていたわけだが、理数系もできたらいいなとは思っていた。しかし、まあ、苦手ではあった。その延長でExcelとか表計算ツールまで苦手だった。が、さいきん使うようになって気づいた。これさあ。理数苦手なひとほど使うべきじゃね?うん、そうだね。

これから先、言うまでもないことを言いますよ。

こういうツールってそもそも得意な人はまあ普通に使うだろうから良いんだけど、苦手な人こそ使うべきなんだよ。だってさ計算とかめっちゃしてくれるし(語彙力)!今なら関数だってね、もうほとんど何も知らなくても「ああ、それね。ちょっと貸してみ」みたいにやってくれるでしょ?そのさりげなさ、イケメンかな?!Officeソフト擬人化シリーズとか出たら絶対Excelインテリメガネ系なりそうだけどあえてさりげなさイケメンキャラであって欲しいわ。

ん?なので、理数というでかすぎる枠組みに放り込んでしまうのはもったいないんだよ。これは何もExcelのことだけを言うんじゃなくて、意外と私達は必要以上にでかい枠組みで何かを忌避したり嫌悪している。

イチゴのつぶだって顔近づけてよーく見ればひとつひとつ違うんだよ。暇人って言うな。超忙しいからな。同じように、たとえば、雪って漢字にすると一文字になるんだけど、あの結晶ってひとつひとつ違うというじゃない?

「日本人だから」とか「ゆとり世代だから」とかってひとくくりにされたら「違う」って言いたくなることもあるわけでしょう。「埼玉県民は」とか「那覇市民は」とか言われたら、そんなんじゃない、って。「ジャニオタは」とか「韓流ファンは」って言われたら、褒められる内容に対してはまあ良いとしても(そんなもんだ)、貶される言葉に対しては「いっやあ?どうだろ?そうかなあ?」って首をかしげたくなるじゃないか?

そういうことだよ。

どっちの立場にもなりうるのよ。でさ、もったいなかったり恐ろしかったりするのは、相手が「ちがうんだ!」って言ってくれるならまだ再考の余地あるけど無反応だったり「そうだね」とかって返してきた場合だよな。

だってそのままの認識でこれからも生きていくことになるんだもん。もしかしたら違う見方ができたかも、そんで、あたらしい世界がひらけたかもしれないのに、「そうだね」で閉じるんだもん。

ほんともったいねーなー。リスキーだなーって思う。自戒含めての話。

でさ、わたしが何を書きたかったと言うと、「毛嫌い」の「毛」って何ってことなんだよね。ちょろっと調べたらそのままらしいね。毛のこと。動物たちの世界では毛並みで好き嫌いを判断するからだそうだ。「あいつボサボサの毛並みしてんなあ。きーらいっ」ってことか?ちょっとかわいい。

しかし、ここまで書いといてなんだが「好きなものが増えすぎる」のも困りモノだと思っているのもまだ事実なんだけど忙しいからここで終わるね1249文字。

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【雑記】お祈りにお金はかかりません

ときどき自分の書いたもの読んで「あー・・・やばい好き・・・」ってなるからあれだと思う。(ま、毎回じゃないからなっ///)。この傾向は時が経つほど強まる。数週間前のとか数年前のとか読んでて。なので私はずっと老後の自分が読むための詩集をつくってんじゃないだろうかと一瞬思った。人間生きていくためには思い込みか絶対的な成功体験のどちらかがないと難しいと思う。後者はむずかしくても前者って割りとすぐじゃん?呼吸するように手を出すんだよ、何においても。

少し話は変わるんだけど、この年になったからというのもあるんだけど、逃げ出さないことも悪だと思うんだよ。私ほんとそれを思うことがある。「立ち向かっていれば」「これを乗り越えられれば」って一見いいふうに聞こえるじゃん?向かい風にチャレンジする俺かっこいいじゃん?でもそれの危ないとこって「乗り越えさえすれば」って考えてる部分だと思うんだよ。耐え抜くことや乗り越えることが目標になってるのね。でも実際そればかりじゃないじゃない?そのやり方だと努力がむくわれなかったときに「あれだけやったのに」「なぜだ」ってなるのねきっと。でもそれって当然っちゃ当然で「工夫」をしてこなかったからじゃん?

たかい山の上にケーキがあります。

ごめん、だっさ。自分で言っててこの例えは無いなと思ったけどまあこれで進める。ざっくりと。

たかい山の上にケーキがあってあなたがそれを食べたいとする。

で、登山するって一つの方法ではある。でもそれがあなたにとって「最適」とは限らないでしょ。もしかしたら誰かにおんぶしてもらってもいいわけだし、なんならヘリで飛んでってもいいわけなのね。でさ、そのときに登山してる人がヘリで飛んでったひとの文句を言うのは違うと思うの。だってさヘリを出せるってことはそれなりの資力か人脈があったわけじゃん。影響力でも詐欺力でもなんでもいい、とにかくヘリ1つ動かせたわけでしょ?それはもうその人のスキルなので、楽をしているから悪だって考えではいけないはずなの。

なに書いてたんだっけ。

なので、大切なのは「工夫」とか「自分用カスタマイズ」ってことなのだと思う。がんばった「から」むくわれる「はず」とか、努力した「から」成功する「はず」って、頑張ってるようでなんか違うよ。そこには思考が無いもん、ひたむきではあるけどもね。

そういう危険性をね、ふと重く受け止めるわけですよ、何があったわけでもないけど。軽やかに自分の望みをかなえていくひとっているでしょう?そういうときに「なんだあいつラクしやがって」って思う人になりたくないなと思うんだ。

あとね、単純に危ないわけですよ。「頑張れば」「これを乗り越えたら」そういう耐久性たらればは人を死に至らしめるよ?実際。危ないと思ったら逃げればいいし、あ、無理。と思ったらまず無理ってことでいいじゃない?だって無理なんだもん!自分がそう言ってるんだもん。それを打ち消して「いや、もう少し頑張ればなんとかなるはず」って、向上心強いようで自分の声を無視しやがってるってことだから最低だからな。

私はほんと思う。自分以外に大切なやつなんていてはいけないよ、一人ひとりが自分自身を大切にして安心して満たされてはじめて他人のこと周囲のことなんだよ。
もうほんと思う。
死ぬって言うくらい良いんだよべつに本当に死ななければ。いやでも本心から死にたいならいいのよべつに、そういう人だっているのだから。そうじゃなくて本当はあれがしたいこれがしたい、でも生きることができない。あれが邪魔をするあいつが怖い、とかそういう理由で死ぬのならだよ。

悩める優しい人たちがみんなしあわせになってほしい(結論)。

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【雑記】餅は餅屋とはよく言ったもので

さいきん必要があって2件ほど画像を外注したのだけど(1件は直接、1件はココナラ)、まじで思うことは餅は餅屋だなって。めちゃくちゃ完成早くて「うわっ」となる。自分でできないことはささっと誰かに任せてしまったほうがいいなってつくづく思う。ネットとか、それこそココナラなんて分かりやすいよね。「これができます」って形で売り出しているのだから。それに比べたら実生活(という言い方で相応か分からないけども)で知り合う人間や人間関係なんてほんと分かりづらいし理不尽なことばっかだなって思うよ。通じ合えるわけないじゃん、あんな手さぐりでデタラメで。個人みんなタグついてカテゴライズされてればそれは効率よく必要とする人に届くんだろうけども、あまりにも。あまりにも、手さぐり。じゃないの?で、こういうこと書いたら絶対文末に「こんなこと書いてる俺やばい、へへ」みたいなお茶濁しが必要になってくるんでしょ(?)濁さないからね、本気でそう思ってるから、わたし。そんな2018年4月。無茶だよ生身の人間なんて、わかりあえん。

と書いた一方で、生身の人間と生身で会うことによって得る情報量ってものすごいものがあるよな、とは、心底思う。分かっているのだよ。インターネットがいくら膨大で、世界だとしても、生身の人間が持つ情報量というのかな、生きてる感すごいよな。それも本心。とりあえず、みんな、自分の好きなところどんどん伸ばすべき。ひとりよがりでもいいので。それが結局世の中をまるくおさめていくんだと思うんだ。

誰かが何かに我慢してるっておかしいし歪んでいると思うの。火事で焼け落ちろとか天災でどうにかなってしまえとか。そうならないためには自分を押し殺さないことだと思う。本当にそう思う。誰かにほんとうに優しいひとは自分にいちばんやさしいひとだよ。ずっと見てきたでしょ?ほんとそうなんだから。

今すっごくレモネードを飲みたい。

みんな他者へ甘すぎ。だからって「ひゃっはー!撃ち殺すぞー」っていうふうになれって言うのではなくて、「ふーん」程度でもいいよなって思うんだよ。自分に優しくない人とか自分を毛嫌いする人に対してまでご機嫌とらなくてよくね?それで何かが破壊されるのならついでに破壊しちゃえばいいじゃん、邪魔なので。

と、思うから絶対あれとこれはしない。って決めといて、選択肢を殺してしまうと他の生きるべきものが息を吹き返すから、結果的に平和でまったくもって素敵なんだよって話。たぶん。

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【雑記】ちゃまろいど

雑記ふたつめ。

合わないだけかもしれない。またすごく抽象的な話し方になるんだけど(意図的)、いまそれをやったら他人から「なあに、それえ?」みたいな目で見られたり、なんなら「なあに、それえ?」って口に出して言われたとしても、やめる必要はまったくないってことですね。なぜなら新しいものはつねに最初は「なあに、それえ?」だから。そんな対応されたら「おっ」と思っていいんだよ。しゅん、ってならずに。「いま新しいことしてる」くらいに感じればいいんだと思う。だいたいは井の中の蛙でもうすでに誰かがやってたりするんだけど。それでも。

時代や環境や人間関係が変わるだけで世界がガラッと変わるなんてあたりまえだし珍しくもない。ひとつの場所で「うん無理!」ってなったら移動しちゃいなよ。だって、そういうのってぜんぶガチャですから。ガチャってガチャガチャのことね。ガチャポン?地域によって言い方違うのかな。わからんけども。

だってさわたし今でこそペーパードライバー卒業してて運転たのしい、くらいになってるんだけど、それでもいまだにおかしいと思うよ。

人間なんかがなんであんなあぶないもの運転して許されるわけ?

そりゃ死亡事故も起きますよって話でしょう。どれだけ自動車がすぐれていても、それを操縦するのが、感情があって、その日の気分でムラがあって、イライラすればせかせかする、くよくよしてれば視野狭窄になるっていう操縦主として未熟な、あまりに未熟な生き物が、人を死に至らしめる機械を公道で操作する?

わかりませんね。

◯年後…

「おばあちゃま、むかしはにんげんがクルマを運転してたって話ほんとう?」
「ああ。そうだよ」
「やだー、こわーい、なんでそんな時代があったの?自動運転技術があるのに」
「昔はね、自動運転技術なんてなかったんだよ。今と違って人間が運転していたから追突事故や人身事故もあったし、ひどい時はひともなくなったんだよ」
「きゃー!」
「しかも、自動運転技術が怖いとさえ言われていたんだ」
「なぜなの?ねえ、おばあちゃま。その時代の人たちは考え方が傲慢だったの?人間のほうが機械より有能であると認識されていらっしゃったの?」
「そういうことになるかねえ」
「人間なんて、暗くなったら目が見えなくなるくせに?自動運転技術ならビジュアルに頼らず、視界の悪い道路でもなんら問題はないというのに?」
「そうだねえ」
「どうかしてるわ、おばあちゃま」
「そうだねえ」
「ねえ、おばあちゃま」
「そうだねえ」
「おばあちゃまったら」
「そ、う、だね…」
「ママー。おばあちゃまロイドが壊れちゃったみたい。新しいの買ってー」

てな未来もありでしょう。
設定とかオチが意味不明だけど。

私達が、ほんの数十年前の日本をふりかえって「奇妙だ」「間違っている」と感じる出来事に対するように、未来に生きる人々は私達を「奇妙だ」「間違っている」「理解できない」と評するだろう。

どんなだろうなあ、未来は…。

いや、おめでたいことに、きみたちだって騙されているのかもしれないぞ。

実はわたしは今年100歳を迎える老人で、数年後に発売スタートされるおばあちゃまロイドの試作品のひとつ…なの…かもしれ…なひ。

プツッ

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