【小説】夜の果て

かわいそうな話を百も千も集めて、もう愛してもいいでしょう?と尋ねたかった。夕焼けは誰かの血になぞらえるには光が、多かった。ぼくが所有していないものなんてないと、認めたくないんだ。

(理由を、残して)。

懇願ばかりするんだ。あきれた表情を浮かべていても、ああ好きなんだとわかる。こいつは、ぼくを、好きであるんだ。羨ましい。憎たらしい。ぼくも誰かを好きになってみたい。そんな目で誰かを見て、こんな気持ちにさせてみたい。それ、なんて、殺し文句。月に赤が混じって明後日の向こうまで沈む。夜は静かだ。馬鹿みたいだ。

夜は、夜だね。
月がなくても。
星がなくても。
黙っていても。
喋っていても。

夜を夜たらしめているものって、いったいなんなんだろうね。ぼくたちを包んでいるこの得体の知れない、静けさ。気の遠くなるような昔から運ばれてきた熱のような、それでいていま生まれたばかりの風のような。虚無でもなく、豊潤でもない。ぼくはそれを嫌いにも好きにもなれる気がする。中立、ということだろう。興味が無いんだ。夜には自分の抱えているものがなんであろうと、興味が無いんだ。無関心。それはある種の優しさと呼べるものかも。構われたくない。匿われもしたくない。ただ放っておいて欲しい者たちにとって。

たとえばそれは、ぼくたちのような。

弱さを理由に強者に楯突く。そんなやり方があったかもしれない。やり方の数だけ物語は、あったんだろう。未来は。結末は。だけどそれはもう弱さではないから、ふたりとは無縁だった。賢く生きられなくていいから、簡単に冷たくなりたくはない。大勢に分かってもらえなくていいから、誰かには丁寧に撫でられたい。それがわがままだと言うんだよ。ぼくたちは贅沢なんだ、誰にでもできることじゃないだろう、逃避行って。

月が出ているのに影が出ず、ぼくら今なら世界の果てまで行けそうだった。あるのなら。果てなんてものが、どこかにまだあるのなら。追手を気にして振り返ることも、いつからかやめてしまった。誰もここまでは来られないよ。声を介さず会話ができる。思いがそのまま流れ込んでくる。嘘もへったくれも無くなってしまった。そのうちふたりでいる意味も失って、ひとつの星座に組み込まれるかもね。そしたら嘘なんて吐きようがないや。

台所の床へ落としたナイフ。
ぼくという存在を生じた男女の亡骸。
夕焼けに混じって分からなかった。
本当に刺したかどうかも。
見破られる隠しきれない指紋の数々。
だけどその持ち主らは夜にしか所有されない、もう。
星座にまぎれて放つ光も届かない、届かせたくない、もう。