小説

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【小説】◯◯◯と◯

おまえは今日も疲れ切っている
そんなにも、そんなにも
玄関を出た先の世界は辛いのか
悲しいことばかりが起こるのか

なぜ今日も行くのだろう?
なぜ明日も行くのだろう?
ぼくを置いて行くのだろう?
ひとりの昼間は少し退屈だ

かわいいものはおまえだけ
生きているもののうちでおまえだけ
そう言ってくれるおまえは
自分の好きなほうを選べない

ある時おまえは笑いながら帰ってきた
珍しいことだな、つられて笑う
両手はぐっしょり濡れていたけど
楽しそうなおまえを見られてうれしい

その夜は打上花火が上がった
何回目だろう、数えるのを忘れてた
あれを打ち上げているのは人なんだと
おまえはしんみりした顔で言う

翌朝、スーツの2人組がやって来て
おまえを連れて行ってしまった
おまえはぼくを振り返らなかった
戻ってきたスーツの1人にぼくは抱え上げられた

(かわいいー おれ 飼っていいですか)
(かわいいか〜? ま、好きにしろよ)

ここに何かの取引が成立する。

ようし、ようし
うちでおいしいもの食わせてやる
警察が助けに来たからな
もう心配いらないからな

(しんぱい?それって、何だ?)

ぼくの質問にスーツは答えない
そしてあなたは戻ってこない
ぼくも部屋に戻らない
本当に久しぶりに玄関を出た

今年もぼくは打上花火を見る
一年前は誰と見ていたのだっけ
あの夜は少し幸せだったな
ぼくは誰にでも甘えることができる

『殺人犯と猫』

2+

【小説】そして明日も

まぶたがひらく。どうか、あなたの目に初めて映るぼくが、嫌悪されませんよう。人はだんだん欲張りになる。少なくともぼくは、あなたに対し、そうなっていく。明日は指先が少しでも動きますよう。唇がぼくの名前を呼びますよう。起き上がり、光景を視野に入れ、認識し、つたなくも笑いますよう。ちぐはぐでも良い、文法の乱れた言葉を発し、空腹を訴え、無意味に唇を舐め、食べたいものが分かりますよう。でたらめな歌を歌い、やがて退屈になり、疲れたなら午睡し、日が陰る頃に目を覚ます。毎日予想外のことが起きて欲しい。ぼくが思いつかなかったあなたでいて欲しい。そんな日は来るだろうか。そんな日だって来るだろう。来るんだとしても、まだ先になりそう。でもぼくは決して希望を捨てたりしないのだ。なぜか?それが、ニンゲンだから。ああ、また、ミス。もう何体目か分からない。惜しかった。ざんねんだ。修正不能のあなたを消去する。重ねた思い出の上で眠りにつく。この記憶はゆうに致死量を超えている。

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【小説】りっちゃと夕暮れミルフィーユ

夕暮れミルフィーユ。待ち焦がれたように焼けた空。平成最後の夏休みが始まった日。
「ねえ、りっちゃ」。
おれは、生まれて初めての失恋をした。
「辞めるのかよ」。
りっちゃ、こと、白河律は、本質にはふれず深刻に訊ねて来た。
学校、辞めないよな、それくらいで。
二言目には脅迫だ。
「うーん、どうしよっかな。なんせ人生初の失恋だからな。もう立ち直れないかも」。
迷う素振りを見せると、律は鞄の中をごそごそし始めた。何が出るかな。そわそわ期待しながら待っていたら、煙草。
「りっちゃ、やめい」。
「夏休み入ったからもう学生じゃねえもん」。
いろいろ間違ってるけど、うん、決めた、言わない。
こいつの屁理屈に付き合うと厄介だって、おれが一番わかってるから。
「よかったじゃん。あんな女。おまえと合わないって」。
「どうだろ。清純だったよ」。
「清純?ハッ、笑える」。
の割にはニヤリともせず律は吐き捨てた。
「ごめんね、りっちゃ。おれのせいで、禁煙、破らせて」。
「てめえ起因じゃねえ。自惚れんのもたいがいにな」。
「あと、ごめん、素に戻らせちゃって」。
高校デビューの、学級委員長さん?
「誰も見てねえからいいっつうか」。
河川敷の向こうから同じ制服の奴らが歩いてくる。同級生。
律は煙草を持ち替え、背筋を伸ばした。
目を疑うような爽やかな笑顔を浮かべる。
気づいた一人が手を振る。
律は笑顔のまま振り返す。
そいつらの視線が気にならなくなると、また元の手に煙草を持ち直した。
「ごめんね、りっちゃ」。
「今度は何だ」。
「実はね、おれ、気づいてた」。
「は?」。
律の顔がまともにこっちを向く。
ほんっと、こいつ、バレバレだな。
唇でふれた唇は、つるりとした感触だった。
今まで感じたことのない心地。
そうだな、もっとかさかさしてるかと思った。
期待どおりで、想像以上。
「……は?え?」。
律の顔がみるみる赤くなって(たぶん)、口は何か言いたそうに、でも何も言い出せずにパクパクしている。
「りっちゃ、今さらなんですけど。わかんなかった?」。
「わ、わかるかよバカ、何やってんだ」。
「新しい恋、始めてみました」。
「……なんつった」。
「もとい。この恋、始まってました」。
「……は?」。
「いつまでも幼なじみを手こずらせるわけにもいかないので。おれはね、気づいてたよ。おもしろくて目が離せなかった。でも、りっちゃ。おまえ忍耐強いから、なんか、もう、めんどくさいんだわ。精神構造的には墓場まで持ってけるタイプでしょ。ただし露呈しやすいという弱点は否めない」。
「……なに、言ってんだ」。
「なんで毎度そんな熱い目で見るわけ?バレてないとか思ってたんだろ?すっげえ分かりやすくてこっちが冷や冷やするわ」。
「な、なななぬの話がだよ」。
「言っていいなら言いますけどー。てか、噛みすぎ」。
「いい、言わなくて、いい」。
律は煙草をもみ消した後、両手でゆっくりと顔をおおった。
そのまま自分の膝小僧に埋もれるようにして3分経過。
また顔を上げた時、まだ目の縁は潤んでいた。
「い、いやじゃ、ねえのかよ」。
消え入りそうな声で。
「いや?いやどころか毎回楽しくて。ほんとに好きな子の前で好きでもない子のこと好きなふりするの、たっのしくてさあ!」。
律はしばらく反芻した後。
「……てめえ……ひとの心をなんだと思ってやがんだ」。
俊敏に立ち上がった律の回し蹴りが肩口にヒットする。
律の体つきから到底想像できない威力に土手を転がったおれは、情けない音を立てて浸水した。
「やばい、折れた、りっちゃ、まじまじまじ、これまじのやつ」。
「はあ?」。
「すいませ、ほんとすいませ、痛い痛い肩が痛い、立てない立てない立てないから。変なふうにひねったっぽい」。
ちょうど負傷した肩口から川に突っ込んだおれは溺れるはずもないところで溺れようとしていた。
「りっちゃ、たすけて、しずむ」。
「たすけて?」。
「ください」。
「不完全」。
「神様律様仏様おねがいです助けてくださいっ」。
おれの発した悲痛な叫びを聞いて、表情筋の死んだ律の顔がニタっと崩れる。

「ま、いいぜ?」。

おいおいおい、こんなでいいのか、おれ、こんな顔つきで人命救助するやつでほんといいのか。いま絶対、借りを作ってやったぜ。くらいに思ってんだろ、あっ、うーん、無理もねえか。平気なほうの腕をガシッと掴まれ引き上げられる。指先、動く。骨は折れていないみたいだ。

「りっちゃ」。
「んだよ」。
「しあわせになろうね」。
「……もう、なってっから」。

そう言って律は睫毛を伏せたその先端に夕陽がとろとろ溢れて、ちょ、なーにー?これかわいい。やだもー、しんじらんなーい、おれの幼なじみ超絶かわいいんですけどーレッツヘルプミー?

転校生だった、りっちゃ。初対面のときほんと天使かと思ったよ。中学の頃は手のつけられない不良だったのに、おれの行く高校にあわせて学力と人格変えてくる、そんなりっちゃ、半端ないって。羽目を外して退学ならないよう優等生然として学級委員長まで引き受けちゃう、そんなりっちゃ、最高じゃね。

「えーと、両思い記念に、手とかつなぐ?」。
「がねぇし。なに考えてんだよてめ。誰かに見られて噂になんだろうが」。
「えー、いいでしょ、だっておれのこと好きじゃん?」。
「うぬぼれんなバーカ」。

とか言って、りっちゃ、ちゃんと嬉しそうだ。
寄り道なんかしなけりゃよかった。
こんなに時間が濃くなるなんて。
たくさんあげよう、たくさんもらおう。

りっちゃと夕暮れミルフィーユ。

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【小説】六月の冤罪

気象庁の梅雨入り宣言から三日目の午後三時、アパートのこの部屋の玄関チャイムを鳴らす者があった。警察かな。おそるおそるのぞき窓から外を窺おうとしたけれど、どうも向こうから指の腹で塞がれているようで何も見えない。まっくらだ。かと言って、このまま出たところで事情聴取されて連行されるだけだろう。はーあ、どうしよっかな。この家に来たってことはベランダ側もマークされてるんだろうし、ゲームオーバーかな。抵抗しても意味がないなら、うーん、もう、いいです。

「はい」。
おれは、ジャージ姿のままドアを開けた。
ら。
「え?」。
天使かな。
「あのさ、ぼくに恥かかせないでくれる?」。
天使が、しゃべった。
どこかで見たような。かと言ってこんなに、いっそ凶悪なまでにかわいい子をおれは一瞬だって忘れていられるだろうか、いや無理。じゃ、初対面なんだ。不思議となつかしいのはあんまりその顔や姿が好みすぎておれの頭が麻痺してるせいだ。
「ん?」。
「ん?じゃ、ねえよ」。
「かわいいのに怖いとか最高に好きなんですが」。
「能天気かよ」、と言いながら天使はおれの家にずかずかとあがりこんできた。純白のウエディングドレス姿で。衝動に駆られてドレスをめくると、足元はコンバースのスニーカーだった。
顔面を蹴り上げられて鼻血が滴る。
おれが何をした?いや、したけども。
「アダチの家で余興やるって言ったじゃん。ぼくがジュリエットするから、おまえロミオって設定だったじゃん。待ち合わせ場所指定したよね?時間もちゃんと!それなのにおめーが来ねえからぼく変態だったよ?」。
すこぶる。
「ごめん、すこぶる話が見えない。どういうこと」。
おれがしらばっくれているとでも思ったか、天使は「ぐぐぐ」と言葉に詰まった。
なぜおれがしらばっくれているのか、その裏でどんな言い訳や企みを思案しているか、見当をつけようとしているようだった。
いっさいないんだけども。そんなもの。
「…ひとちがい、じゃ、ないかな…」。
ようやくそれだけ振り絞ったおれのほっぺたにすかさず往復ビンタが飛んでくる。さすがおれの天使、手が早い。
「もういっぺん言えるか?」。
胸ぐらを掴まれたおれは「うー」と唸って考えているふりをしているんだけど、それは天使が考えているような理由じゃないだろうと思う。おれは、どうすれば一秒でもこの時間を延長できるかというそのことばかりを考えていたのだ。

「…ひとを、ころしちゃって…」。
「は?…なんで?」。
「…生きててもしょーがねーやつだったから」。
「…ふうん」。
「お金、ちゃんと、ためられないし。彼女も、つくらないし、仕事も、できねえし」。
「…うん」。
「そのくせ、自分よりがんばってるやつが評価されてんの見て妬むし、救いようのねえやつ…」。
「…」。
「紐で、首絞めた」。
「…うん」。
「…そして、どうしたら逃げ切れるか、考えてた…」。
「…」。
「でも、なんか、もう、疲れて…」。
「…」。
「さっきのチャイムも、警察だと思って、開けた…」。

状況が状況だし、俗世で会う最後の天使かも知れないし。
おれが打ち明けている間、天使はただ黙っていた。
もう言うこともなくなってきた頃、天使がすうっと息を吸い込んだ。

「ばかじゃねえ?自分が何言ってるかわかってる?」。
「うん、ばかなこと言ってる」。
「だよね」。
「はい」。
「死んだら逃げらんないよね」。
「はい」。
「疲れるも何もないよね、死んだら」。
「はい」。
「さらに言えば、自殺って、逮捕されないよね」。
「はい」。
「できねえから」。
「はい」。
「他には?」。
「え?」。
「他に言い残したことは」。
「え、特に…」。
「わかった」。

天使が自分の着ているドレスをびりびりと破り始める。あ、なるほど、ご褒美だな?俗に言うボーナスタイムだな?淡い期待を抱いたものの、その下は半袖シャツだった。

「下は、脱がねえ。おあいにくさま」。
おれの視線で言わんとすることを察した天使はせせら笑う。
「そんじゃ一緒に罰ゲーム受けに行くか。立て」。
「え?」。
「え、じゃねえから。おまえのせいで連帯責任だよ。アダチの誕生日なんだよ」。
ごめんさっきから訊こうと思ってたんだけどアダチって誰。
とは、言える雰囲気じゃない。
「あの、天使ちゃん」。
「ぼくかよ?」。
「お名前、なんですか」。
「好きに呼べ」。
「あの、じゃあ、おれの名前って、なんですか」。
「それぼくが教えんきゃなんねえこと?」。
「いや、答え合わせっつうか」。
「何のだよ」。
天使はおれの手を引いて玄関に向かう。存外強い力だ。
「アダチ、泣いてるから。ぼくとおまえの余興いちばん楽しみにしてたんだからな」。
だからアダチって誰。
「行かねえの?」。
天使が振り返る。
ああ、ほんと天使。
考えるより早くおれの口が動いていた。

「      」。

それを聞いた天使はにっこり笑う。
「そうこなくっちゃ」。
玄関のドアが大きく開けられる。数日間太陽を見ていなかったおれの目が眩しさで一瞬ダメになる。
「そうやって正直に言ってりゃ誰もおまえを怒んないよ」。
だから声だけが頼りだった。
声と、おれの体を前に引くその手だけを、頼りにしていた。

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【小説】ハミングのないピクニック

「それほどお腹が空いていなかったのがいけなかった」?

いや、違う。

それほどお腹が空いていなかった時に出歩いたのがいけなかった。

月のない夜に。

ふと、こわいような気がしたんだ。ずっと平気だったことが。どうして平気でいられるのかって。

おれは、なんとなく、それまで食べたもののためにもう一度生まれ直したいような心持ちで草むらを歩いていた。

「痛いです」
みっともなく飛び上がったのは、足元からとつぜん声が聞こえたからじゃない。
月のない夜にもそれがすこし輝いて見えたからだ。
「あなた、今、あたしのこと踏んづけましたよね」
「あん?」
「だったら、拾ってください」
「なんだと?」
「もう一度言います。運命なので、拾ってくださいな」
「あ、はい」

あの時は内心「あさごはん、みっけ!」くらいのノリだった。とりあえずその時は満腹で、だけど朝ごはんはあるに越したことはなくて、都合のいいことにそいつはおれを怖がらないから仕留める必要もなかった。

それがまあ、毛づくろいなんて、されてしまって。孤高の遺伝子が泣くぞ。

崖から落ちる時にすべてを忘れてしまったんだそうだ。矛盾だらけだとしてもおれはそいつが最初に語ったことを信じて、まあそれでいいかって思ってる。嘘でも本当でも。そいつがそういうことにしたかった。じゃあそれが事実だったってことでいい。

おばあさんが死んでしまった次の日、銃をかついだ猟師がやってきて、あの時の恩を返せと言うんだそうだ。いやだと突っぱねるとあっさり諦めて帰るんだが、次の日もまた次の日も来るんだそうだ。

それでね、猟銃を奪って撃ってしまったのよ。なかなかやるじゃないか、心臓か?まさか、左腕一本よ、べつに殺したいわけじゃないもの。まあ、そうだ。そうでしょ?そうだ、おれはその気持ちをとてもよく分かるぞ。殺したいわけじゃないんだ。うん。食べないといけないんだ。食べる?いいや、こっちの話さ。

誰も連れて行ったことのない花畑をなんとなく秘密にしておいたのは、分かっていたから。彼らはおれをこういう目で見る。

(そこへ連れて行ってどうしようと言うの?)

白い花がたくさん咲いたんだ。それを、見せたいだけ。

(嘘をおっしゃい)

ほんとうだよ。

(いいえ、それも嘘。いきなり食べる、つもりでしょう?花だって咲いてなんかいないのよ。あなたが育てた花が咲いたりするもんですか)。

がぶり。

夕焼けから夜になる時がいちばん安心する。
わかるわ。
自分が隠されていく感じがする。
そうね。
もう思い出しているんだろう?
気づいていて?
きみは忘れたりするもんか。
もういいの。
スカートの中に何を隠している?
何も。捨ててきたの。
おれは逃げたりしないさ。
あたしもよ。
追いかけたり食べることには疲れた。
そんなこともあるのね。
いつもだよ。
あなたオオカミには向いていなかったのよ。
そうかもな。
次はきっと平気よ。

おれたちは森で暮らしていた。特別なことじゃない。月のない夜にだけふたりでハミングのないピクニックをした。今までずっと、誰に自慢したこともなかったけれど。

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【小説】はじめましてとぼくはいう

その家のドアはいつも少しだけあいていた。こどもの目がひとつ、のぞけるくらい。レモングラスが香って、ぼくは迷わないでいられる。かごに文鳥が二羽いて、まんまるい目でぼくを見ている。呼び鈴を鳴らすと男が迎え入れてくれる。はじめましてとぼくはいう。

お手紙をあずかってきたんです、その、あなたの、たいせつなひとから、それで、ぼく、ここの場所を知って。ぼくがどもりながら経緯を説明する。男は「座っていいよ」と言った。床に座ろうとするぼくへ「椅子へ、どうぞ?」。そのとおりにした。男はハーブティーをいれてくれた。ぼくの向かいに腰を下ろす。そしてようやくぼくを見てくれる。よくきてくれたね。話し出す。ぼくたちは会話をする。未来でもない、過去でもないこと。やがて時はすぎる。男は「もう時間だね」と笑う。その頃には、おたがい自然に笑えるようになっていたので。また会いに来てくれるかな。はい。こんなモーロクに付き合わせて悪いね。いいえ、とても楽しかったです。あと、この香り、好きなので。男は少しだけ寂しそうな顔を見せた。だけどそれは笑顔には変わりなかった。

その家のドアはいつも少しだけあいていた。こどもの目がひとつ、のぞけるくらい。レモングラスが香って、ぼくは迷わないでいられる。かごに文鳥が二羽いて、まんまるい目でぼくを見ている。呼び鈴を鳴らすと男が迎え入れてくれる。はじめましてとぼくはいう。

部屋に通されると、そこには文鳥のように白くて小さな双子がいた。ぼくはいう。はじめまして。女の子はいう。ちがう、あなた、昨日も会った。前も、その前も、そのまた前も。なぜ毎回はじめましてというの?あなたまるで、

そこへ男がやってきてハーブティーを差し出してくれる。悪いね、私の文鳥が、何かきみに言ったのだろう?いいえ、ぼくは首を横に振る。女の子たちは姿が見えなくて、かごの中の文鳥が背中の羽毛にそのくちばしを隠していた。いいえ、ちっとも。だって、そうだろ。おかしな小鳥たち。ぼくがここへ来たのは初めてなのに。それからは優しい時間が流れた。ぼくは男の話にときどき相槌を打った。話は淀みなく続いた。子守唄みたいに。そしてぼくは本当に眠ってしまった。

薄く目を開ける。明け方なのか夕方なのか判別できなかった。時計はないけれど、なんとなく夕暮れ時なんだろうと思った。あたたかかったから。これは、太陽がまだのぼっていない一日の気配ではない。ぼくは唐突に懐かしさに襲われる。蓋をしていたものが、一気にあふれたような懐かしさだ。部屋のドアを少し開いて、向こうから聞こえてくる声を聞き取ろうとする。

おじいさま、ねえ、あの子はなぜ毎回はじめましてというのかしら?あたし、不思議よ。
小鳥の声。
おじいさま、ねえ、そしておじいさまはなぜそのことを指摘なさらないの?あたし、とっても不思議。
これも、小鳥の声。
彼の時間がそのように流れているからだよ。あの子はね、一日終わるごとに命が終わるんだ。そしてつぎ目覚めたときにまた新しく生まれるんだよ。
と、男。
お病気なの。
これは、小鳥。
どちらが?
と、もう一羽の小鳥。
いいや、ちっとも。
男。
お病気なんかではないさ。
ぼくの、男。

ぼくはベッドに戻る。ガーゼにもぐって、今聞いた言葉を忘れるためにもう一度眠ろうと思う。

知っていたのに。

この家のドアがいつも少しだけあいているのも、そしてそれがこどもの目がひとつのぞるくらいの幅であることも、迷わないようレモングラスが香ってきて、かごには文鳥が二羽いて、まんまるい目でぼくを見るんだろう?呼び鈴を鳴らすと迎え入れてくれるのは、女ではなくて男だろう?

ぼくは、知って、いたのに。

男はどれだけ待ちわびただろう。これから先あと何度ぼくのはじめましてを聞かされるんだろうか。そうだ、メモ。メモしておけばいいんだ。この家であったこと、男の話の内容など。それをポケットに忍ばせておけば、見るたびに思い出せるだろう。男に、同じ話をさせずにすむのだろう。

ぼくはふと思い、ポケットに手を入れてみた。指先に折りたたまれた紙の感触があった。取り出してひろげてみる。

てっぺいさん
しゅみはりょこう
とくいなことガーデニング
学生時代もてた
笑うと目がほそくなる
エプロンがにあう
文鳥をかっている
なまえはキラとジジ
どちらも女の子
おしゃべり
話し相手
てっぺいさんは革靴がきらい
汚しちゃっても洗えないから
白いシャツがすき
汚れたことが、わかるから
おくさんは交通事故でなくなった
そのおなかにはおとこのこがいた

そこには、ぼくのものと思われる筆跡で、男に関するたくさんのことが書かれていた。

小さく折りたたんで、ベッドの下へ隠した。それを本当はポケットに入れておくべきなんだろうけど。だけど、ぼくは、好きだったので。男に会うために長い坂をのぼってくるのも。たまにほどけるスニーカーの紐を結び直すことだって。用心しながら電柱を避けたり、塀の上の猫に声をかけて一瞥されるのも。目的の家をみつけて呼び鈴を鳴らす。ドアはいつも少しだけ開いている。ぼくが訪れる頃を見計らって用意された飲み物のにおい。あれは、おかあさんのにおい。男がドアを開ける。はじめましてとぼくはいう。

これ以上の幸福が、あるだろうか。ぼくは知らない。もう一度眠る。また生まれるために。もう少し待っていてね。必ず会いに行くから。たったひとりのあなたに。

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