【小説】『ドラマチック・ハル』

車窓の額縁であなたと春が象られ、知ってる。と思った。間違いない、そうだ僕はあなたを知っている。錯覚だと信じたくなくて目を逸らす。目を閉じて深呼吸してまた目を開ける。風景のなかにあなたがいる。世界がある。なんて完璧なんだろう。呼吸も忘れる。吸うと吐くを、どうしてたっけ。なのに鼓動は勝手に高鳴ってる。身に着けていた鎧も、いつしか厚くなっていた仮面も、あっけなく消え失せた。セピア色の本から視線を上げ、あなたが言う。何かを僕に。声が体に染みて透けて意味が通らない。自分に向けられるその音を欲していた。電車は光のただなかを行く。外はこんなに明るいのに、耳元ではずっと星屑が流れるんだ。「血、出てます」。上唇に手をやって、ああ自分の血のことかと理解。裏切られたと一瞬思う。でも、春だ。だけど、春だ。なんなら桜並木を歩きたい。第一印象がどんなに情けなくたって、いつかあなたの一番になるよ。ずっと前、生まれるもっと前に誓ったことを思い出し、僕は第一声を発する。新しい風に百年が弾け、あなたは自分でも気づかずに、知らぬ僕の名を懐かしく呼んだ。

4+

小説『にぶい』

ひと月先の予定を入れて不安になる。読みかけの本にしおりをはさんでふと思う。(生きるつもりなんだろうか)。この先も。この先も?

たしかではないのに、望んではいないのに。何気なく約束をして、何気なく読みかけにする。こんな間違いだらけで、生きていいんだろうか。

迷惑をかける。きっと苛まれる。レッテルが足りない。飲もうとした水がただ流れていく。理由が欲しい。みんな理由が欲しい。ここにいていい理由。生きていていい理由。しおりをはさんで良い理由。約束の日を待ち遠しく思っていい理由。

(考えすぎ。もっと幸せになっていいんじゃない?)

そう言われるために考えることをやめられなくなった。一番の弊害が一番の理由である場合、ぼくに抜け道は無いんだろうか。呪われたいだけかもな。所詮なりたかった自分かも知れない。

ぐるぐる考えていたら降りる駅を乗り過ごし、一時間遅れで待ち合わせ場所に着く。きみは「あ、やっと来た。」と笑って、ぼくにランチを奢らせるだけで無駄にした一時間を忘れてしまえる。

「無駄じゃなかったよ」
「そう?」
「待ってる間ずっと考えられたから」
「なにを?」
「これから会う人のこと」
「ぼく?」
「うんうん」
「どんな気持ち?」
「新鮮だ。最近あまり待つこと無かったし」
「うん」
「はやく会いたいなー。会ったらどんな仕返ししてやろうかなーとか」
「これが仕返し?」
「うん」
「このランチが?」
「うん!」
「安すぎない?」
「誰と食べてるかが重要だと思うんだけど。最高においしいよ」
「さらっと言うんだ」
「回りくどいのとか嘘は苦手だ」
「知ってる」
「デザートも食べたい」
「はいはい」

変なやつ。ずるいやつ。第一印象は今もあんまり変わってない。こいつと会っている時ぼくは、生きるかどうするかとか理由がどうとかを全く忘れる。理由もなく生きてる。食べて笑ってる。ぜんぜん有益じゃない話をしている。

好きな人がいるって、こんな感じなんだろうか。好きな人って、こんな感じなんだろうか。好きって、こういう感じなんだろうか。ぼくにはまだよく分からない。だから次会うその日が待ち遠しい。

6+

小説『机上の星』

首にかけた手を少し離し、また押し当てた。あなたは考えている。僕をどうしようか考えて結局殺す。それから部屋の中をうろうろすると、ここは狭いと言い残して散歩に出る。久しぶりに本物の太陽を見て、ああ変わっていないなと呟く。通りすがりの恋人同士が真似をして笑う。最近女の子が産まれた店主のいるパン屋からミルクパンとメレンゲを買う。あなたの幼い頃からの好物だ。それを持って公園へ行くと男の子が物欲しそうに見ているので渡す。親から叱られる。あなたはまた厭世的な考えを始める。ひとしきり鬱を愉しんだら喫茶店へ行く。前回来た時と雰囲気が変わっており壁に掛けられた絵が無くなったからだと気づいた。あの絵は?常連客へ訊ねると「夢の中」と回答がある。そうか。あなたはテーブルにコーヒー代を残し、住み慣れた部屋へ戻る。あの常連客は誰の問いに答えたんだろう?忘れかけていたが殺されたぼくが机の上にあるのを見て、ひとりにして悪かったと心の中で思う。大丈夫。分かっていたから心細くはなかった、あなた、そういう人だよ。そういう星のもとに産まれたんだよ。あなたは今日外であった事実には何一つふれず、今日感じたことだけをぼくに込める。ぼくはあなたが感じたすべてを受け取りもう一度産まれ、いま読者に読まれる詩となる。人は僕をあなただと言う。あなたはもう、別の僕を手にかけている。

3+

小説『ぼくたちの春夏秋冬』

最後の花火が落ちたとき
月が出ていることに気づく
隣の横顔は冷たいだろな
いま触れなくても触れた記憶で分かる

アスファルトを裸足で歩いてた
あなたを偽善者だと思った
羨ましいと思った
ぼくには取り繕いたいものがない

熱量を構成する一要素
信じた人も誰かの大切な人
単語に収斂された歴史が
ぼくの浅はかさを浮き彫りにする

小手先が通用しなくなり
呼吸がままならなくなり
虚栄心がほころび始め
夜が明けそうな冬の一日

あなたが現れた
ぼくの欠陥はあの日のためにあり
あなたの放浪癖はぼくのためにあった
出会った二人は一杯のスープを飲む

好きなものが少ない
だから見つけたら離さないようにしてる
おれにとってきみがたぶんそれで
間違いなさそうだからもう好きにしていい?

笑ってしまった自分がいた
余ってるからあげるよ
命は大切にしろと教わったからさ
見かけによらずぼくは優等生なんだ

春夏秋冬
夏秋冬春
秋冬春夏
夏秋冬春
そしてまた春夏秋冬

ワイドショーが行方不明事件を報じる
悲壮な面持ちのコメンテーター
大丈夫、それほど不幸ではない
ぼくたちは幸せに過ごしている

4+

小説『ナカナオライト』

もう頬杖をついてもいいよ。つきたいでしょ。疲れたでしょ。恋人から出た許可に身を硬くする。本当だよ。皮肉とかじゃない。攻撃もしない。もう、疲れた。

おれたちは満身創痍で向かい合っていた。すべて出し切ったと思ったのに、まだまだ湧き上がる。だけどそれはさっきまでの悪態じゃなく、楽しかった思い出だ。

終わるのかな。
ここまでなのかな。

考え始めたら急に悲しくなって泣き出してしまった。完全なる情緒不安定でふがいない。でも残してやろうと思う。こんなおれを焼き付けてやろうと思う。何度でも思い出すがいい。おまえが、傷つけた、男のみじめな泣き顔を。

誰がそうさせた?
誰が怠った?
誰が追い詰めた?
誰が、だれが、

「ごめん」。

それはルビーのように落ちてきた。

「ごめん。ほんと、ごめん」。

ダイヤ、サファイア、トパーズ、ペリドット、ガーネット、アメシスト、シトリン、タンザナイト、ラピスラズリ、

「ゆるさ、ない」。

知らない石に埋もれて、勝手知ったる星の上。おれは愛と優越感の船に揺られる。掌中にはいつしかヒスイ。もう奪われないよう飲み下した。

4+

小説『怠惰な僕と侵入する君』

まだここにいて良いと思いたくてカーテンを開ける。寝落ちしたときにスマホの画面にヒビが入った。生き物のいない水槽にクスリを溶かし捨てる。ごみのひカレンダーをどこにやったかな。してはいけないと分かっていながらゴシップをあさる。もし僕に、もし僕に子どもがいたら休日に、こんな過ごしかたはしないだろうな。大切にするのにな。事故物件サイトをスクロールする手を止めて、コーヒーを飲む。もし僕に、もし僕に家族がいたらこんな怠惰なことしないのにな。豆からこだわり、カップにこだわり、音楽や空調や会話の内容に気を配りそれから、目の前で僕に無防備な顔を見せている君をいかに愛しているかを訥々と語るか、

ピンポーン。
ゴリゴリ。
ガチャ。
おはよ。

玄関のチャイムが鳴った直後、勝手知ったる隣人が合鍵で入ってくる。

「廃人ごっこおわり」
「もう少し待たない?僕が裸だったらどうするの」
「見慣れてる」
「ほかに恋人を連れ込んでたりとかさあ」
「いま目の前にいるやつより好きなやつとかできんの?無理しょー」
「あ、はい」
「ワッフル買ってきた。食べよう」
「朝から」
「文句?」
「ありません」
「その後出かけよう」
「えー」
「めんどいって言わない」
「分かった」

もし僕に子どもがいたら。
もし僕に家族がいたら。
期待を高める妄想でしかない。
僕はいつだってどうせ君と過ごしただろう。

「コーヒー豆を買いたい」。
「お、豆。いいね」。
「ガーッとするやつも必要だ」。
「名前くらい覚えて」。
「行けばわかる」。
「そういうとこ」。

2+

小説『夜は逃げても』

あなたが好きだというものを嫌いだと言った。蛍光ピンクの垣根がどこまでも続いて、花の名前を聞き損ねる。作られたものもちゃんと優しいんだ。言われたセリフに頷けなかった。頷きたくなかった。あなたの知ってる人間はあなたの言葉に頷くことがほとんどだろう。だから記憶に残らないだろう。じゃあ僕は頷かないんだと、まあ、そういう理屈だ。
好き。
認めたくないのはひねくれてるからじゃない。もし伝えてしまって、果たされてしまって、その先に何があるのか。僕たちはどうなれると言うのか。捨てたくないものがあって、変わりたくない時間があって、そうじゃないものを捨てて変えた。別人になれるまで。なれるはずもないから当然のこととして何もなくなり、あおい夜の隅っこで伝える。それしかないから。それは残ったものだから。
好き。
かも知れない、と、あわてて付け加える。知ってた。あなたが言うから、僕はそれも知ってたと言い返す。笑いながら泣きたいような感覚になり、嘘にしようかどうしようか迷って隣にいるあなたの横顔を見ると、その目から星がこぼれた。星座がこぼれた。銀河さえあふれて、ふと空を見上げるとそこには一定の色しか残されておらず、ぐんじょう、と手のひらに降ってくる。
言ってもらえないかと思った。鼻先を埋めた肩口は冷たい。南に行きたい。じゃあ、南で。犬と暮らしたい。じゃあ、犬で。
じゃあ、って。
笑った顔を見られないよう、憎まれ口で朝を迎える。夜は逃げてもあなたは逃げない。どこまで行こうか。どこまでも行こう。

2+

小説『はすむかいの聖域』

好きでいて優しいものだけに囲まれていたい。そのために無害でいなくてはならない。だが世の真理として毒を持たない生き物は愛されることがない。葛藤。生きるという枠の中で考えるから窮屈で、一歩踏み出せば果てのない回答。安全な毛布のように敷かれている。こんなこと思っていいわけがない。こんなこと思ったまま幸せになれるわけがない。ぼくはクズだ。ぼくはバカだ。ぼくは鈍感で知恵が無く人の言っていることが分からない。自分の発言にさえそんなことないそんなことないと繰り返して自問自答の毎分毎秒。ぼくを守りたい人はどこにもいない。ぼくの守りたいものがどこにもないように。さみしいと言えない。言ったら嫌われる。好かれてもいないけど。自分が自分を嫌うだろう。存在してはいけない最たるもの、自意識過剰の紛れもなく凡人。いつか朽ちる。いつか終わる。だったらその日を早めたら良いのに、橋の向こうできみのつく嘘を知りたくて、また今日も産まれてしまったんだ。ころして。

2+

小説『やみつき』

このシリーズの話

おまえは心臓の上に手を置くのが好きだねと言った。

え、なに?
心臓。
うん。
心臓の上に、手を。
うん。
置くの、好き?

「好き。すごい好き」
「いやそんなに真顔で」
「ほんと好きだから」
「べつに良いんだけど」
「分かる?心臓はすごいんだよ。命なんだから」
「あ、うん」
「止まったら悲しいな」
「そう?」
「悲しい。特にハレの心臓とかが」
「じゃあ止まらないように毎日ちゃんとおれを甘やかさないとな」
「そうする」
「今のツッコミ入れるとこな」
「そう?」
「うん。でももう良いよ」

この男がこんなに甘えん坊やだったと高校生だった頃のおれは知らない。授業中はいつも寝ていて、放課後が近づくと起きてる時間が増えて、帰りに靴箱で見かけた時にはもうすっかり目が覚めたみたいな顔してた。

母親と、三つ上の姉と、飲み屋を経営していた。買い出しと掃除は小さい頃からやってたらしい。やがてカウンターに入るようになって、お酒をつくるようになって、バイトで貯めたお金で独立して自分の店を持って、なんか知らないが高校の同級生と付き合うことになって今に至る。同級生というのはこのおれだ。もちろん。

おれの高校時代は薔薇色に輝いていてそれは、まあ、高校以前も高校以後も変わらない。比較的いや結構外見に恵まれたおかげでそこそこ良い思いをしがちで、この男、ジウのことはどっちかっていうと同情の対象にしていたくらいだ。それがなんでこうなるかなあ。人生何が起こるか分からない。つくづく。

「ハレの心臓をさわってると安心する」
「それはどうも」
「おまもりにして持ち歩きたい」
「それは勘弁」
「ハレはかわいい」
「よっしゃ」
「ハレはかっこいい」
「ありがとう」
「ハレはおれのすべてだよ」
「考え直せ」
「ハレは、」
いつ来るかなと思っていたら今来た。
「ハレはおれに何も、言ってくれないの?」
心臓が跳ね上がったことは伝わってるだろう。笑ってくれないから誤魔化すことができない。

おれにいつも寡黙さを笑われる男は、本当は雄弁で、おれをいかに大切に思っていていかに好きかということを伝える言葉は尽きない。ふだん口数で圧倒するおれも、その点では完敗だった。それが不満なんだ。

「えーと?」
「ハレも言って」
「ジウは、えーと、そのー」
「うん」
「あー、うー」
「早く」
「くそ、言いづらいな」

大きな手が首元に伸びてきて命が縮み上がる。

「ジウは」
「うん」
「その」
「うん」
「まあ、ええと」
「うん」
「……かっこいいと思う」

これは何だ。この気持ちは何だ。ものすごく負けた気がする。勝ち負けじゃないのに、負けた気がする。相手へ素直に伝えることが負けなら、おれはいつも勝ってるのに。たった一度の敗北がこんなに尾を引くとは。あなどれない。

「ありがとう。一生大切にする」
「……んな大袈裟な……」
「思ったままを言ったんだ。いつもハレがおれにそうしろって言うから」

こいつは時々確信犯なんじゃないかとさえ思う。悔しいので心臓に手をあてる。ジウのそれはおれのよりずっと熱くてずっと確かで、ああ、おまえが病みつきになるのも頷けるよ。

3+

小説『イミテーションスープ』

戻っておいで、大丈夫、おまえが抜け出した毛布の中はまだあたたかい。

粉末のコーンスープをお湯でとかして「つくったよ」と差し出せば泣きながら飲んだね。手料理なんて初めてだ、コーンスープなんて初めてだ、誰かと食卓を囲むのも。そんなに感激されては見捨てられない。僕はおまえにもう一皿、料理を振る舞うことにした。少しだけ手を加えて。少しだけ。あと少しだけ。もう少しだけ。

そうして日々が重ねられ、いつのまにかレパートリーが増えた頃、上司から通達があった。「地上で料理人にでもなるつもりか?自分の役目を果たせ」。僕は本題を思い出して、ある夜、おまえを手にかけようと決意する。しかしおまえは偶然にもコンビニへ出かけていたので僕はスマホで「遠くへ逃げろ。この部屋は包囲された」と送った。あれ以来おまえはこの部屋へ帰ってこない。

一年が過ぎ、また冬が来るらしい。
上司は呆れたのか指示も出さない。僕はどうやら解雇されたみたいだ。代わりがいるのはこちらもあちらも同じなんだ。

ピコンと音がしてメッセージを受信した。驚いて飛び上がってしまったことにひとり赤面。

「きみが人でないことは分かっていた。でもおれはひさびさに誰かと話せて安心したんだ。まだ、喋れたんだって。まだ、美味しいと思える味覚が残ってたんだって。たとえそれがインスタントのコーンスープであっても」

ばれてら。

僕は横目でメッセージを何度かなぞった後、冒頭のメッセージを返信する。
戻っておいで、大丈夫、おまえが抜け出した毛布の中はまだあたたかい。
だって死神に温度は無いからね。
まだあたたかいと信じるのは僕の自由だ。

3+