小説

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【小説】春の呼吸

桜が咲いたんだって。

どこの。あの坂。ふうん。興味ないんだろ。いや、そうでも。どの坂って訊かない?あるんだったら。わかるよ。まあ、いいや。なに?え?何か言いたかったんだろ?べつに。

ていうか、人生とか冷蔵庫だから。

その切り替えに対しては、ぴくりと反応した。
二人で会話しているだけなのにおまえは聞き耳を立てるようにする。

新しく食材を買うんじゃなくて、あり合わせで生きていかない?

三秒。
十秒。
七十秒が経過。

指先で回すペンが落ちて転がったけどおまえはそれを拾わないでおれのことを見ている。

正気?

余裕なんかない。確信はある。落ち着いてなんかない。だけど迷いは見せたくない。うん、と頷く。心配になって二度頷く。

ふはっ、嘘だな。

そう言う顔が少しにやけたのを見逃さない。代わりにペンを拾い上げて耳たぶを摘んだ。ほっぺたを包んでムニムニをする。べつに、可愛くはないんだよな。おれが好きになったものなのに。顔立ちも平凡だし性格だってどちらかと言うとつっけんどん。ツンデレって言われればまあそうかなって思うけど好意的解釈に過ぎると感じることはある。でも。

ずっと見てたいんだよなあ。

気持ち悪い。好き過ぎんだろ。とか。自惚れるんじゃねえよ。口悪い。味覚が変わったのかな。何だよ。なんでもない。桜。え?桜が咲いたんだろう。え、あ、はい。見に行く。え?見に行くって言ったんだ!二回言わせんじゃねえよ!聞きたいんだろ!聞きたいだけだろ!え、あ、はい。お、おま、おまえもどうかと思ってるんだ。え、あ、あ、お誘い、なの、かな?ふざけた口調になるんじゃねえよ。え、うそ、これ真実。は、おまえ、そうなの?キャラ違うじゃん。変貌が気持ちわりいんだけど。あり、ありがとう。感謝するな。違う、桜のこと。え、あ、ま、まあな。行かせていただきます。超絶に。

なにこれ。超絶あれなんだけど。プロポーズした方がデートのお誘いで照れるとかなんなの?春なの?幸せかよ。

っていう。

シミュレーション終了。

おれは息を吸う。

意を決して切り出す。

あのさ。

「桜が咲いたんだって」。

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【小説】はじまりのあいさつ

あなた、言葉の通じる生き物がきらいなんだってね。言葉が通じない瞬間がわかるから。最初からなければいいんだよね。あるものが壊れることは誰だってかなしいしさみしい。おんなじだよ。ダメになる人間を何人も見てきたよ。世間的には恵まれていてうらやましがられるんだ。時にはあなたになりたいと告げる人さえあらわれる。そうするとだんだんからっぽになって、幸せでなくてもじゅうぶん笑えてしまうんだ。帰り道を忘れてしまうんだ。自分がいつから迷っているのかも。ぼくの素敵なところはあなたなんかこれっぽっちも好きじゃないところ。ただ都合はいいかな。ぼくは雨風を凌ぐ屋根が欲しい。あなたは言葉の通じない生き物をそばにおきたい。不都合はないよね。あたらしいミルクはもういらないよ。何を差し出されなくてもぼくはここにいる。むずかしくない。ただの契約だ。しいて条件を提示するなら、寝ぼけて噛み跡をつけちゃうくらいのことは我慢して欲しいんだ。それから、名前をつけてくれ。あなたの好きなやつでいいから。

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【小説】ゆきのこども

夜を一針ずつ縫っていく
これがぼくの仕事
朝になるとぐうぐう眠る
右手の指は藍色に染まってる

次に目覚めたら探そう
これはきみが生まれた夜

お母さんはたっぷり泣いたあと
きみのことをじっと見下ろし
その一度に一生分の愛を込め
雪の中に置き去りにした

きみがこの世で最初に見たものは
自分に向かって降りかかる雪だった
それは誕生してすぐに
ばらばらになったきみの兄弟姉妹

この世界はね
かなしいの
みんなが私たちを見て
きれいだねって言い合うくらい

だからすぐ溶けてしまう
ようにしているの
そんなわけないじゃない
そんなわけないじゃない

きみは雪の声を聴くことができた
それはまだ誰も獲得していない能力で
もしそのまま少年になることができて
望むのならばどんな人の子にだってなれた

数日後きみは歩き出した
野犬がきみを襲おうとしたので
雪の言葉で文句を言った
雪は神さまのものだから野犬は消えた

きみは五歳ではじめて人間に会った
それは知らない言葉で喜びを表現した
男は有名な学者で
きみを街へ持ち帰った

きみにはあたたかな
ベッドとスープがあった
ミルクとフォークがあった
本とソファーがあった

きみの前歯がぐらぐらし始めた頃
きみのお父さんが逮捕された
ある場所からこどもの死体が
いくつもいくつも発見されて

きみは被害者として
保護されそうになった
だからきみは逃げた
逃げる場所はあの森しかない

ベッドを知ったきみに洞穴で眠ることはできない
ミルクを知ったきみに川の水をすくって飲むことはできない
フォークを知ったきみに獣を仕留めることはできない
本を知ったきみに雪の声は聞こえない

そんなわけないじゃない
そんなわけないじゃない

雪はきみを覚えていた
冬のある日ある地域では雪がおかしな動きをした
天から地ではなくて地から天へ降ったのだ
それはきみを軽々と持ち上げて空高く連れてった

きみはもう見えない
木苺が見ていたのに
きみはもうここにいない
冬眠のくまだって春を待つのに

ニュースが流れ
きみは忘れるための儀式にかけられる
独房の男だけがきみを少し思い出した
長い拷問の果てに夢を見ながら

こんな夜でも一針
あんな夜でも一針
ひとりの夜は一針に過ぎない

それ以上になることがない
それ以下になることもない

きみがここへ来てぼくを手伝うのなら
かわりにぼくが行って見てこよう

きみが会えなかったお母さん
きみを守れなかったお父さん
きみに巡り合わなかった初恋の人
きみを知るよしもない未来の伴侶

そうだ、
なんならお気に入りの本をお土産にしよう
あの学者の本棚にあるものにはすべて
何度か目を通しているんだろう?
なあ、何がいい?


……
………

困ったな
無視しながら泣くなよ
いや、泣いていい
泣いていいんだ
今夜は地上で雪を見られる
ぼくにとって生まれて初めてのことだ

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【小説】かつて星屑だったもの

汽車はずっと走っているのに、夜ってこんなに長いんだ。
「まるで誰かさんの言い訳みたいだな」。
そう呟いたら狸寝入りから飛び起きて「いえいえ、そんなことありませんよ」ってむきになる。
でも昨日のおまえは?
という質問には咄嗟に言い返せず詰まったあとで改まり「あれはですね、仕事」「ふーん?」「仕事の一環。そう、演技なの」「へーえ?」「そう、だってそれが仕事だから!つくりもの。まがいもの。ね、私情は一切はさんでません。ね、分かりますよね?分かってて言ってんですよね?」、こっちが黙ってるとおまえはどんどん早口になってしまいには泣きそうになるから大の男がやめとけよって慰めてやる。
おまえを選ぶ奴なんていくらでもいるだろうにどうしてこんな意地悪な年上なんかに惚れるかなあ、我が恋人ながら残念だ。もったいない。
「もったいないなんて言わないでください、おれのほうが、おれのほうが、ありきたりの人間なんですから」。
そう言っておまえは座席のリクライニングシートがきしむぐらい全身でのしかかってくるから一発殴ってやった。
小さく息をついてもう一度窓の外を見れば、さっきまでふたりがいた街が光の数珠になって、ぼくたちが捨ててきたものの多さを考えさせる。考えられないからしばらく目を閉じた。だけど光は追いかけてきて、顔ごと背けた。そしたらたぶん良いように解釈したおまえがへにゃへにゃとだらしなく笑った。
(こいつ、ほんと、ばかなんだなあ。)
ある程度の距離まで走ったらおまえを駅に置いて別れるつもりだったけど突如としてぼくの心理を読み取る能力を身につけたおまえに感づかれて阻止された。
今は手首に冷たい手錠。
もう片方はおまえの手首。
鍵はおまえの内ポケットの中。
用意周到にもほどがある。
本当はもっと別の使い方を予定してたんですけどねえ、って悔しがる変態。そんなのおまえ次第だろうが。囁けば耳朶まで真っ赤になって大声で返事をする。
なあ、終わりの気配を感じているのはぼくだけなんだろうか。さんざん馬鹿をやって眠った男に質問を浴びせていると涙が出てきて、またも狸寝入りのおまえに気づかれる。ただし今度は目を開けないまま、ぼくの頬の濡れた部分を正確になぞるから、もう何も怖くなくなってしまう、本当、だめな大人。ほんと、だめな、逃避行。
ぼくたちは光の鎖を断ち切って、無名になれる居場所を求めている。
だけど思うんだ、居場所なんか他所では見つからない、今いる場所がそうなんだから。思うんだ。おまえがいれば、そこが居場所なんだ。少なくともぼくにとってはそうだ。
光の尾を引く願いにも似た祈りにも似た思いが気づかれないよう息をひそめる。
いつだって大げさな男はこんな時だけは何も言ってくれない。
ぼくはこうして人間になっていく。

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【小説】もう旅になんか出ない

生まれ変わっても、いい?

ソフトウォーカスの世界に生きている君は言った。まるで、なんだか、そうだな、料理や新しい髪型について感想を求められるような軽さだった。それでつい頷いてしまったのだ。ああいいよって。

次の日、君がいなくなった。
死亡ではなく消失。跡形もなかった。誰に説明することもできなかった。あまり詳細に語れば僕のほうが頭のおかしなやつになってしまうから。この不可解な状況よりも。これから一人で君を探さなくてはならない。

生まれ変わるのだと君は言っていたな。
ベランダでさえずる鳥を見る。こいつだろうか。水槽の魚。植木鉢の花。どれも怪しい。いや、何も僕の部屋にいることはないかもしれない。遠くに出かけてみる。僕はリュックに歯ブラシと数日分の着替えを詰めた。

すれ違う人みな怪しかった。
君が意地悪で僕を無視しているようにも思った。肌の色が異なる人。聞き取れない言語でしゃべる人。向かい合えば瞳の色だってさまざまだ。しかし、待てよ。君が僕を覚えたまま生まれ変わったとは限らない。だとしたら、僕はみんなに優しくしなければ。

それから僕は何をしたか?
懐かしい部屋に戻って、旅に出る前と変わらぬ日常を過ごしたんだ。君とはもう出会うことはないだろう。それを認めることがおそろしかった日々は今や遠い。君がいつも寝そべっていたソファはそのままだけど。

そして僕にもその時が来た。
誰も知らない物語を抱えた僕、さぞかし秘密めいた老人だったろう。いつも幸せそうで。いつも遠い目をして。かぼちゃのポタージュ。あれは、うまかった。今度君がつくってくれたら、喧嘩なんかやめてたいらげよう。

別れを惜しむ人はいないと思っていた。
かすむ視界の中に、こちらへ駆け寄ってくる子どもの姿があった。何をしていたの。どこにいたの。どうしてこんなに悲しいの。子どもは矢継ぎ早に質問を浴びせてくる。
答えることは、もうできない。

問われ、答えること。
それが一番の愛だった。
求め、求められることに似て。
君はやがて誰かを好きになる。
その時に言うんだ。
もう生まれ変わるなんてこりごりだと。
今が一番幸せなのだと。
そうしたら悪い魔法は見逃してくれるだろう。
どうやらみんなそうやって生きているようなんだよ。
百年生きた僕が言うんだ。
試してみる価値はあるだろう。

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【小説】マイ・ヒーロー・イズ

大事だったものを失う気持ち良さに魅了されたら底なし沼だ。

僕はこんな大人になる予定じゃなかった。

そう言うと、計画通りの大人になった奴なんて数える程もいないさとお前は笑う。それがちっとも嫌味じゃなくって少し救われる。

家に帰ったってあいつがいるからもう少し遅らせようかな。

それ家って言えるの?
お前はどこに住んでんの?
いろんなところ。
いろんなって。
いろんなって言ったらいろんなだよ。カレーが好きでもさ同じ味付けばっかは飽きるでしょ。たまにはキーマにしたいし、グリーンにしたいし、バーモントにしたい。
バーモント。
そう、バーモント。あんたは強いて言うならハヤシライスだな。
ハヤシライスってカレーなの。
まあ、親戚。
親戚。
あんたと親戚になりたいな。もっと近づいて家族になりたい。そうだ、なろう!
寄るな気持ち悪い酔っ払い。ならねえから。じゃ。
待て待て、もう少し話そう。
嫌だね。
話してんじゃん。たとえばあの店の前に立ってる男いるじゃん。
帽子の。
違う、その隣。
ホームレス。
あれね、半年前までとある会社の役員だった男だよ。
嘘だよ。他人じゃねーか。
今はね。俺が全部奪っちゃった。
は?
だからね、あんたも俺を頼ればいいよ。たすけてヒーローって言えばいつだって参上するから。
嘘くせ。
信じる信じないはあんた次第だけど、頭の片隅にでも置いといてよ。あんたにはヒーローがついてるってこと。
どうして会ったばかりの奴にそこまでしてくれんの。
あんた俺に似てるんだ、だから、ほんとに俺かもなって思って。
何それ、頭悪いの。
あ、それ俺の口癖。
本当かよ。
本当。だから覚えていてね。本当にどうしようもなくなったら俺を呼んでね。
はいはい。
分かってんのかなあ。
分かってるって。

そして僕たちは別れた。
あれ以来、ヒーローには会っていない。
一度も呼ばなかったから。
そいつはただ平凡になって鏡の中にいるだけ。

だから今度は僕が見つけに行こう。
いつかの新しい僕に会いに行こう。

何考えてんだ、頭悪いの。

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【小説】キーマについて

月光だけを照明にしているのは相棒の体がそれ以外の光を拒否するからだ。とは言え孤島の研究所で暮らすにはそれで構わない。俺は、慣れている。

向かい合ったキーマがフォークで生ハムを食べている。
俺から目をそらさずに。
「何故そんなに私ばかりを見るのだ?」
これには驚いた。
見られているのはこっちだとばかり思っていたが、キーマからすれば俺がいつまでも見ているのだ。言われてみれば、それはそうかも知れなかった。
血のようなワインをあおっていても、それが喉を鳴らしている間にも。
唯一無二。
そんなことが、ありえるんだろうか?

数年前に、最愛の助手を事故で喪った。
それからというもの、助手を再現することに情熱を注いできた。歳月をかけ、ようやく完成したのがこのキーマというわけだ。仕草はぎこちないながらも助手としての役割を立派に果たしてくれる。おかげで俺はキーマをつくりあげた後からでも本来の研究に戻ることができた。
キーマをつくりあげるためには十年ほどを費やしてしまった。キーマはまるで助手がその期間生きていたように、俺の記憶にある助手よりも若干年を経ているように見えた。
それでも、美しいことに変わりはない。
俺はキーマを最愛の助手そのもののように、愛し、扱った。
記憶や人格までは乗り移らせることはできなかったが、俺は程よく異常を保っていた。
発狂を防止する有効な手立ては適度に異常をきたすことだ。そうして狂気を逃がすのだ。まともでいられるように。
「なあ、博士」
「うん?」
「今日は見事な満月だな」
「ああ」
「雲もなくて部屋が明るいな」
「そうだな」
「きれい」
「ああ、綺麗だ」
「博士が私を殺そうとした夜みたいに」
手からフォークが落ちた。
キーマ、それは、誰の記憶だ?
「誰の?もちろん、私だ。博士、あなたは私を殺せていなかったんだよ。あの岸壁から、突き落としたよな。だけど私は死ななかった。なんとか岸に泳ぎ着いて、こっそり博士の研究所へ戻った」
「キーマ、」
「窓から覗くと博士は私そっくりの人形を作っていた。ああ後悔しているんだなと思った。嬉しかった。だって、博士の中でワタシはもう二度と取り戻せない存在になったわけだろう?」
キーマが次の生ハムをつまみ上げて下から食べる。
これまでにしたことのない食べ方だ。
それは最愛の助手の食べ方だった。
「だめだぜ、博士。まぼろしばかり追い求めてちゃあ」。
鋭利な刃物で臓器を一突きするとこんなふうに中身がこぼれてくる。
俺は両目から泪をぼたぼた落としながら、キーマではなくなったものを見ていた。
「ありゃ、壊れちまった」
そいつの手が俺を拾い上げる。
異常を飼い慣らすことなんて到底出来ていなかった。飼い慣らされていたんだ。その証拠に、こちらが主導権を持っているという錯覚に陥っていた。疑いもしなかった。
その事実こそ、キーマが俺よりはるかに才能あることの証明だった。
最愛の助手にして最大のライバルだった男はいつだって強かで賢い。
すぐそばで見ているのはさぞかし退屈凌ぎになっただろう、俺の駄作を、駄作の俺を。
「ショートしちまったんだな、可哀想に」
まあ、いいや。
何度だって直してやるよ。
だからおやすみ、そいつの唇がそう動く。
それで額に触れられると母親に出会えた迷子の子どもみたいになって、俺は急な眠気に襲われる。
「最高だったよ。僕を喪ったおまえを見ているの。自分勝手ですごくかわいかった。愛してるぜ、どうもありがとう」。
月光。
生ハム。
迷宮入り事件。
未完成のキーマ。
殺せなかった男。
おまえは誰だ?
俺は、誰だ?

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【小説】その店のメロンクリームソーダに関するうわさ

その店のメロンクリームソーダは飲むと◯◯、◯◯◯◯。

「都市伝説にされてら」
店内はいつも通り閑散としている。ふと気になって覗いた口コミサイトで見かけた自分の店には、都市伝説の類が書き込まれていた。
「暇なやつもいるんだなあ…。って、この店ほどじゃないか」
と、入口の鈴が鳴った。
来客を知ったタイチは、スマートフォンの画面を閉じた。
久しぶりの客だ。
訪れたのは、小学校低学年くらいの少年と、はたち前後に見える男。彼が帽子を脱ぐと、まとめていた長髪がほどける。
タイチは凝視した。
男の髪の白さに、整った顔立ちに、紅茶が抽出できそうな赤い瞳に。
ぼけっと突っ立ったままの店主に構わず、今しがたやって来た二人は迷うことなく窓際から一番離れたテーブル席へと着く。
「オレンジジュース」
少年が先に注文する。
「俺はメロンクリームソーダを」
赤い瞳がやけにキリッとした声で注文する。
「かしこまりました」
タイチは平然を装いつつカウンターの中からその二人の様子をうかがってみる。
兄弟。
親子。
師弟。
友人。
恋人。
ペットと飼い主。
どれもしっくりこない。
「マヒロは金魚すくいと射的をする。その時、俺はメロンクリームソーダを注文する」
来週開催される夏まつりの計画でも立てているのだろうか。
「メロンクリームソーダ出してるお店はないと思うけどな」
「探してみないとわからない」
「わかるよ。だいたい夜店で出す飲食ってのは食べ歩きに適したものでないと売れないだろ。かと言って紙コップやビニールのコップにメロンクリームソーダ入れてると魅力が半減するっていうか」
「俺にとっては半減などしない。この世のメロンクリームソーダはすべて等しい」
「この分からず屋」
少年の吐き捨てた言葉に傷つく様子もなく、赤い瞳はもう一度髪を結わえた。完成したそれはタイチの大好きなポニーテールだった。

「お待たせしました」
少年の前に100%オレンジジュースを。
赤い瞳の前にメロンクリームソーダを。表情を盗み見ると、その目はメロンクリームソーダに釘付けになっている。
「いや、だから。タカナシの電話にはもう出なくていいって言ってんの」
「だが、マヒロのお母さんは出ろと言う」
「ぼくとお母さんとどっちの言うこと聞くわけ?」
あいかわらず関係性はわからないが、遠慮し合うような仲ではないようだ。タイチにはそういう間柄の他人はほとんどいない。
カウンターの内側へ戻るとグラスを磨くふりをしながら赤い瞳の横顔をながめた。すっきりとした顎のライン、頬の膨らみ、後頭部の輪郭まで含めてパーフェクトだ。
暑い中やって来たと言うのに汗ひとつかいてない様子だった。
触ったら、ひんやり冷たいんだろうか。
向かいに座る少年がじっとり汗ばんでいるのとは対照的だった。
バンパイアという生き物のことを思う。
生き物という表現が正しいのか定かではないがどこで見かけたのだったか。ネットだったようにも、雑誌の片隅であったようにも思う。
多数の人間にとって有益と思われる体質や性能を保有しつつあるが、いまだ解明されていないことがたくさんあるとか。ただし、数年前と比較して彼らの権利も認識されつつあり、非人道な実験や衆目にさらされるシーンも減って来たとか。初期のブームが落ち着いて来たのだと書かれていたのを読んだ気がするがそれはそれで侵害的表現である気もした。
それにしても、そのような存在を初めて目の当たりにした。
ましてその連れが脆弱そうなちびっこ一人だとは。
まさかどこからか屈強な護衛係が見張っていたりするだろうか。しかし店内には他に客の姿はなく、彼らのついた席は窓の外からは死角になっている。それに、盗み聞きした会話の内容にどうも危機感がないし、店内に入るやすぐさま帽子を脱いだところなどから、お忍びというわけでもないようだ。
ただただ凸凹デートしてます。って感じなのだ。

結わえ損ねた髪の束が耳から落ちるのを押さえつけながら、唇のあいだにストローを挟む。吸い上げられた緑の液体は、血の気のない体に染み渡った。

「とてもおいしい。生き返る心地がするぞ」
「生き返る?それ冗談。ねえ、ぼくにも飲ませてよ」
赤い瞳が少し迷った素振りをし、もう一度吸い上げた液体は口移しで注がれたので、タイチは危うく磨いているコップを落としてしまうところだった。
「ほんとだ、おいしいね。さくらんぼ、もらっていい?」
「いいぞ。俺が好きなのはソーダの部分だからな。マヒロにやる」
「やった」
譲られたさくらんぼはマヒロの口から喉へ、食道を通って胃の中へ。
ああ、ああ。
あの実があんな小さな子どもの口に入ってしまうとは。

マヒロの体格がみるみる変化する。
少年から青年へと。
金ちゃんが三回まばたきを終える頃には、十七歳のマヒロが仕上がっていた。
スプーンが床に落ちる音がする。
金ちゃんは呆然とその変化を見守っていたが、ようやくハッとして首を左右に振る。
「あれ?大きくなっちゃった」
二人は顔を見合わせた後、どうしたかと言うと。
その状況に、慣れた。
そうする他ないと知っているかのようにスムーズに。
「あ、惚れる感じ?」
「ば、ばかを言うなっ」
自信たっぷりににやりと笑うマヒロを前に、金ちゃんはそわそわと落ち着かない。
あらぬ方向へ視線を飛ばしたかと思うと吸い寄せられるように何度もマヒロを確かめた。
タイチは何度も目を瞬かせたり擦ったり、頬をつねったりもしてみたが視界に映る光景は変わらない。実際に頬をつねることなんて人生であるとは思わなかった。次にタイチは怯えた。あの少年が元に戻れないのなら。奇天烈なさくらんぼを提供した店側に損害賠償請求されたら。おれは犯罪者だ、前科持ちだ、行きつけのコンビニのあの子にもまだ気持ちを伝えていないのに、両親にもなんと言ったら、親戚一同にどう説明をすれば、恩師に、数少ない友人に、Twitterのアカウントは放置か、そうだペットのペロはどうする、俺がいなくなったら誰に世話を頼もうか、ペロ、ああ、かわいいペロ、おれが拾って育った大切なペロ、ごめんな、最期まで面倒を見てやることのできなかったふがいない飼い主をどうか許してくれ、ペロ。

タイチが我に帰った頃、青年になってしまった少年の姿も、美貌のバンパイヤの姿もどこにも見当たらなかった。

しかし夢ではなかったことの証には、飲み干したグラスとお金がテーブルにのっていた。

次の喫茶店へと向かいながらマヒロの体はだんだん元に戻っていった。
その様子を金ちゃんが恨めしそうに眺めている。
「なんだ、もう効果が切れたのか。十七歳のマヒロ、悪くなかった」
「まだ試作品だからね。てか、やっぱ惚れてんじゃん。信じらんない。嫉妬の相手が自分ってのもなんだけど」
「どんなマヒロも好きだぞ」
「かっるいなあ、金ちゃん」
「完成したら商品化するのか?」
「まさか。しょうもない」
「需要はあると思うぞ?」
「たとえば」
「自分の十年後が分かる。たとえば病気を予防できる」
「これはあくまで現時点の自分を基礎としている。その後の出来事や食生活なんかを予期して反映させているわけじゃない。本人の頭の中は元のまんまだし、まあ、誰かをちょっと驚かすくらいなら楽しめるかも」
「さっきの喫茶店の店主みたいに」
二人は顔を見合わせると笑みを交わした。
「きつねにつままれた気分だろうな」
「金ちゃんに見惚れていただけかも」
欅の下を歩けば、うるさいくらいに蝉が鳴いている。
金ちゃんのわがままで始まった真夏のメロンクリームソーダめぐりはまだ一店舗目。

その店のメロンクリームソーダは飲むと十年、歳をとる。

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【小説】猫の乞食と仇の王

どうして僕を好きなんだろう。じゃ、ない。どうして僕を好きなふりをしているんだろう。おまえは本当は自分のことが大事で優しいんだ。僕が貶められると自分のことが貶められる。僕が笑われると自分が恥ずかしい。僕が足りないと自分が満たされない。僕が泣くと自分が辛い。おまえは僕と自分を勝手に結びつける。「そこまで分かってるんならもういいよ」ってゆっくりと笑う。僕は絶対におまえに懐くことはしない。僕がほだされて甘えるようにでもなれば(考えただけで虫酸の走ることだ)、おまえは幸せであたたかい気持ちになるんだろう。そうして無条件に敵でもなんでも受け入れて博愛の権化みたいになるんだろう。僕はいつでもおまえが失脚すればいいと思っているし、支持者その他大勢から見放される日をひそかに待っている。僕の足は顔の見えないやつに切り落とされたけれどそうでなくても行きたいところなんかなかった。僕の顔の半分は悪戯によって焼け落ちたけどそうでなくても向き合いたい相手なんかなかった。僕はこの時代のこの世界に生まれてきたけれど別にそうじゃなくても良かった。おまえは否定も肯定もしないでただ一言「でもそれじゃあ俺がさみしいよ」と呟く。噛み付いても怒られない。歯を立てても逃げ出さない。僕のほうが先に疲れてしまって顎を緩める。おまえの手からは食べないと何度も言ったのにおまえは同じことを繰り返す。僕の知ってる犯人はおまえとは似ても似つかないやつだったよ。満腹になるとどうしても眠くて意識を遠ざけてしまう。おまえは僕が眠るまで身動きをしない。だから僕はするすると糸をつたうように安全に、あの日捨てられたと思っていたぬいぐるみの上にたどり着ける。うむ、このふかふかは健在だ。取り上げられる前のすべてが揃っている。僕の好きなものがまだ何一つ欠けていなかった世界だ。(おまえを殺す)。僕の復讐心には気づいているくせに。(そのうち、殺す)。唱えていないと忘れてしまいそうになる。(癪だ)。おまえの腕の中で眠りに落ちる、その瞬間だけは、今じゃないいつかに戻りたいと願うことをやめられるということ。教えたくない。悟られたくない。

おまえの知ってる僕は無口だ。

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【小説】カラフル

人の好きなものをとやかく言う筋合いはない、誰にだって。
そんなことくらい分かっていた。つもり、だった。
年の差も性別も関係ないことは百も承知で実体験としてあったから、条件によって阻止されるという感覚が分からなかった。
たくさん揃っていると思っていた。だけどそれを求めていない奴もいるんだって、俺が持っているものに心底興味がない奴もいるんだって、思いもよらなかった。
どんな集団だって俺が少しでも不機嫌を気取って鼻を鳴らせば密かに、でも確実に、気にかけるのに。
あれは、俺に、なびかない。

教室の隅の席で短い鉛筆を懸命に動かして何かを書いている。通りすがりに盗み見ようとしたことがあったが、あれが顔を近づけすぎているせいでかなわなかった。恐ろしく視力が悪いのだろう。
また別の日には取り巻きを使ってこちらに気を向かせようとあれの興味を引きそうな物を散らつかせてみたがちっとも好反応を示さない。それどころか迷惑そうな表情さえ浮かべて見せるじゃないか。てめえは何様だ?と詰め寄りたいのをぐっとこらえ、地道に観察していると、あれにも友人のあることが分かった。隣のクラスの深山と小沼田。昼休みになると三人でひそひそ笑い交わしている。ったく、何があんなに楽しいのだか。俺が近くにあった椅子を蹴ると傍の一人が耳打ちをしてくる。
「あいつらちょっとからかってみる?」。
すかさず睨みあげるとそいつは目に見えてたじろいだ。
「お、お前だっていっつも殺しそうな目で見てんだろ」。
殺しそうな、目?

その晩、俺は風呂場の鏡で自分の顔と向き合っていた。
行き交う他人から横目で見つめられていることは珍しくない。
整っているだとか美形だとかは小さな頃からよく言われていたから大衆的にそうなんだろう。だけど、殺しそうな、と形容されたのは初めてだ。
全部、あれのせいだ。
あれが、俺を眼中に入れないから。

翌朝、教室に入った俺はいつもと違う空気に気づいた。
こちらから尋ねるまでもなく数名の男女が報告のために駆け寄ってくる。
「篠原くんの席」。
「登校した時から」。
「白い絵の具が」。
「夜中に侵入したのか」。
断片的な情報が頭の中で結びつく。
まあ、そうなるな。
当の篠原は淡々とした様子で、雑巾を持って椅子を拭いている。
俺は「ふうん」と興味なさげな返事だけして自分の席に着いた。周囲がそれに倣い、ざわめきが鎮まるのが分かる。ほどなく担任が教室に入ってきて、いつもの一日が始まる。

篠原への嫌がらせは終業式までの約一ヶ月間、休みなく続いた。そのうち篠原が椅子を拭く光景は当たり前になっていき、誰もいちいち騒ぎ立てなくなった。そのことで篠原が精神的なダメージを受けている様子はなかった。少なくとも外から見ていて分からなかった。始業前には絵の具で汚れた椅子を拭き、昼休みになると深山たちと笑い合う。絵の具の色は日によって違った。二色、三色と混ざっていることもあった。前衛芸術みてえ、と誰かが囃し立てた。意味も分かっていないくせに。
退屈な悪戯の犯人さがしは行われないまま、夏休みに入ろうとしていた。

篠原に小学生の妹がいることを俺が知ったのは、終業式の日の夕方だった。
篠原兄妹が一緒にいるところに、スーパーの惣菜コーナーでばったり出くわしたのだ。
「あ?それ、妹?」と、俺。
「うん」と、篠原。
思えばこれが俺たちにとって初めての会話だった。
「はじめまして。お兄ちゃんがお世話になってます」。
「こら、黙れ」。
「えー、だってお兄ちゃんと同じクラスの人でしょ?名札にクラス名が書いてるもん」。
「そうだけど、おまえが言うセリフじゃないの」。
「なんで?」。
「なんででも」。
「ねえ、この人、かっこいい」。
「そうだろ。お兄ちゃんの中学で一番モテてるんだからな」。
「お兄ちゃん、ずるーい」。
ずるずる話し込むとこちらに悪いと配慮したのだろうか、篠原がやや強引に切り上げたから、会話はそれきりだった。
(そうだろ。お兄ちゃんの中学で一番モテてるんだからな)。
その言葉だけを神様のお告げみたいに何度も何度も何度も再生する。
この世に存在するものでもっとも美味しいものを頬張ったみたいに頬が急に痛くなってきて、鮮魚コーナーの壁面に貼ってある鏡で確認してみたところ、なんと赤面しているのだ。この俺が。この、俺が。赤面。嘘だろ。

半額シールが付いたチキン南蛮弁当を買い、ふわふわした足取りでスーパーの外に出る。
一気に重力がかかってきたように暑い。
ポケットの違和感に気づき、取り出してみる。
赤が、俺の手の中にあった。
回り道になるが橋の上に行き、川へ向かって放り投げた。それが着水するのを見届けずに踵を返した。
何が、「百も承知」だ。
何が、「揃っている」だ。
意味がない。
そんなこと、何の意味もない。
俺はまだ釣り合わない。
何が、舌打ちだ。
何が、「ふうん」だ。
何が、何が、何が。
「なびかない」だ。
あんなにまっすぐな笑顔初めて見た。
この思い、届くな。
今はまだ、届いてくれるな。
妹、おまえによく似てるな。
今度会った時になんて言えば良い。
今度いつ会える。
待ち遠しい。
分かってた。絵の具なんかじゃ満たされなかった。
分かってる。俺は空っぽだってこと。
短い鉛筆を不便に感じないほど書きたいことなんかない。
脇目もふらないほど夢中なものなんかない。
何時間でも笑い合えるほど話をしたい友達なんていない。
篠原が欲しい。
篠原になりたい。
なんだ、おまえ、たいしたことないな。
そう言ってくれ。
そこから始めたい。
残りの絵の具はもう捨てるから。
生きてきた中で一番、これから来る夏が憎い。

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