小説『カリソメランプ』

空っぽの花瓶はランプになった。ぼくはそれを持って歩いた。それだけを持って暗い森の中を。秋の夜だ。深くさみしい。梟と魔女が品定めしている、人間の子どもを。ランプに灯した火のあるおかげで誰もぼくを食べることはできないのだ。

洞窟の前に来て空を見上げる。ぽっかりと月があって、どうしたって向こう側へ落ちたくないぼくは、何が息づいているとも知れない穴の中へ身をすべらせる。微かな痛みに次いで湿った鼻が手にふれ、間近にあるのは獣だと知る。これは森の王に違いない。間違いなく四肢の生き物は、しかしぼくに伝じる言語を使った。

死にたい死にたいという思いで張り裂けそうになってるやつの差し出す肉ほど不味いものはない。おまえに何があったか知らんが、吾輩は卑しい人間どもの処理役ではないのだ。夜明けが来る前に帰るといい。おまえのその仮初めのランプがまだランプであるうちに。

知らなかった。ぼくは知らなかった。黒い森のいちばん奥で暮らしているという森の王は、そんなポリシーを持っていたのか。

これは困った。何故ってぼくは帰らないつもりで出てきたのだ。それがおかげで弟たちや妹たちはほうぼうで預かってもらえるのだから。かと言ってぼくはべつに死にたい死にたいというわけでもない。もう一度考え直して欲しい、そしてわかって欲しい、あなたの心配するような役割をあなたに押し付けるつもりでは、決して無いってことを。

わからぬ。
そこをなんとか。
ぷい。
お慈悲を。

こんなやりとりが夜通し続き、ぼくは、朝の陽の光に照らされた王の姿を目の当たりにすることとなる。

荘厳なたてがみだった。見たことも、聞いたことも、想像したことさえもない。さわると存外ふんわりしている。たまらなく好きだと思って、なるほど今のこの気持ちに比べれば、たしかに昨夜のぼくは死にたかったかも知れないと思う。そう取られても仕方なかったかも知れないと。

今ぼくは生きてみたい。間違いなくそうだ。堂々たる王と、新緑のまばゆい双眸を持つ生き物と、もうしばらく生きてみたいと思い、そう伝えてみる。

ぼくが自分の心に浮かんだまぎれもない希望を、愚直なまでに淡々と伝えてみたところ、王もまんざらではないようだった。

おまえのように怖気付かない人間は初めてである。したがって吾輩はおまえの願いを叶えてやることに対してやぶさかではない。

ぼくたちはいくつも夜を越えられないだろう。永遠を知ることはないだろう。約束を破り、互いを傷つけ合うだろう。いつか後悔するだろう。だけど見知らぬ未来のために、安易な予感のしているがために、今を蔑ろにするつもりもなかった。

黒い森のさびしい最奥は、花瓶には収まりきらないほどおおくの花の咲く野であった。いつぼくを食うとも知れない生き物は、自覚のあるためつねに優しくぼくにふれた。