【小説】『箱と毒』

1つ前の話のちょっと前の話。気まぐれに続いた。けど、これ以降は続かない。独占欲強め病み美形人気者→自己評価低め庶民派無自覚地味メン。性癖です。BL風味?展開(といえるかな微妙?)。

額に書いてあったらいいのにな。自分とその子がうまくいく確率が。そうしたら誰も間違わないだろ。おれを好きになる女の子みんなかわいくてかわいそうだよ。だっておれはその子たちを絶対好きになんないから。だから、分かればいいのになって思う。そしたら誰も傷つかないし、誰も傷つかない世界を望んでる自分なんてものに罪悪感を覚えることもないだろうに。不可能性の高さで恋愛対象に選んでるなんて思われたくない。おれの好きな子は絶対におれを好きになることはなくて、でもそれが分かるからおれはその子を好きなんじゃない。できることなら好きになって欲しいと思う、でも、そうなったらそうなったで手を取り合ってさあ、次はどこに行く?って光景も想像できなくて、それはまだおれが臆病で自尊心を大事に持ってるってことの証明になるのかな。

みんなと一人ずつ愛し合えたらって思う。ほら、体育祭のフォークダンスみたいに。一人ずつね、平等にね、音楽が鳴り止むまで。

好きです。ずっと、好きでした。って、そう言われておれがどんな気持ちになると思う?腹が立って仕方がないんだ。だって気持ちを伝えたんだろう。おれはできないのに。おれには、できないのに。だから返事はそっけない。ありがとうとも言わない。ごめんねとも言わない。ただ、ふうん、って言う。だって、他に言いようがないから。おまえたち、ほんとずるいよ。好きな相手に好きだって言って、これだけ好きだったって言って、時々黒目をうるうるってさせる、そういうの、ほんとずるい。おれがどんなにひどい言葉を投げつけてふったって事情を知ってる友達が慰めてくれて時間がかかっても次の相手を好きになれるんだろ?切羽詰まってないんだ。にこにこ笑ってる顔に肉片ぶん投げてやりてえとか全部秘密にしたいからありったけの目を潰してやりてえとか錯乱する夜はあった?せいぜい裸とか制服以外の格好とか体温とか想像して勝手に幸せになれたんだろ。

内面がどれだけどろどろでもすべて封印してにこってできるのが小さい頃からのおれの数少ない得意技であって、でも汎用性があるからすごく多くのひとが錯覚してくれるんだ。おれがほんとはどろどろだって最初に気づいたのがシバだった。

「なんか、おまえに、殺されそうな気がする」。

さいしょ、シバちゃん、おれにそう言った。まだ会話らしい会話もしてないのに。目が合っただけなのに。なんで?なんでなんでなんで?正直焦った。なんで気づいた?でも、いや、落ち着け。待て。シバちゃんは「おまえに、殺されそう」って言ったんだ。おれの気持ちはちっとも見抜かれちゃいない。ていうか、逆。殺されそうとか言っておきながらシバちゃんはおれと一緒にいてくれることが多かった。シバちゃんの目はいっつもきらきらしてて雨の日の子犬みたいで捨てていきたいような拾いたいような気持ちにさせる。だけどシバちゃんは普段メガネをかけてるから誰もそんなこと知らない。だってシバちゃんはあのクラスでは透明人間だもんね。正直おれにも見えてなかった。おれのまわりには常に、いいにおいのする女の子や、声のおっきい友達がいたから。シバちゃんは無味無臭。いじめられてるわけじゃない。だあれも気づいていないだけ。だけどおれが気づいたんだ。おれが気づくってことは周囲がじょじょに意識し始めるってことを意味する。

案の定、教室で、シバちゃんの存在が少しずつ色を帯びていった。女子も男子もシバちゃんをおもしろがりはじめた。「シバくん、いつも何読んでるの?」「シバ、サッカーする?あ、やんねえの」「バイト先に遊びに来てよ」「シバ、宿題見せて」「シバって、どこに住んでんの?」たしかに、色を、帯びていった。「あ。なんか、シバの目って、なんかきらきらしてんなあ」。

やばい限界むり。

教室が静まり返っていた。一瞬何事かと思ったけど、どうやら俺の行動に起因する静寂だったらしい。「びっくりした、おまえいきなり椅子蹴るから。びびったんすけど?」。一緒にいることの多い男子の一人がそう教えてくれなければ、おれは自分のしたことさえ思い出せなかった。

翌日からおれは明確な意図を持ってクラスで立ち回った。高校入学依頼始めてあれほどやりがいのある「目標」を見つけた。ほどなくしてシバは学校に来なくなった。いや、来られなくなった。おれがそうなるように仕向けたんだ。

「あいつ、小動物を解剖するの、趣味なんだって」。

それだけ。ほんとそれだけなんだ。

シバが学校へ来なくなって数日経った放課後、おれはシバの家の玄関前に立っていた。表札を眺めながら立ち尽くしていると、シバの母親が買い物から帰ってきて家へ招き入れてくれた。シバと違っておしゃべり好きで、よく笑う人で、なんだか申し訳なかった。

「あの子にこんなかっこいいお友達がいたなんてねえ」
「……あの、シバくんって友達いますか」

言ってから、しまった、と思った。
だけど、シバの母親は明るい人だった。

「小学校低学年くらいまでは調子良かったんだけどねえ。……あ、あの子には内緒ね」

内緒も何もねーだろ。ってくらいの声量だった。

「シバ、入るよ」

まさかこんな展開に。ってくらい、予想はしていなかった。郵便受けに宿題プリント突っ込んだら帰るつもりだったのに、こんなところまで。
シバの母親に後押しされるような格好でおれはシバの部屋に入った。

数日。たった、数日か。ほんとに?数週間でも、数年間でもなくて?本当に?

シバの姿が目に入った瞬間、大袈裟でなくおれは泣きそうになった。ごめん、って、一言漏れる。贖罪にもならないのに。だけどシバは意味を取り違えて「……あー、いいよ。だいじょぶ。本読んでただけだし」。

「ごめんな、母ちゃんがはしゃいでたろ」
「あ、いや。歓迎してもらって、嬉しかった。てか、すごい明るい人だな」
「うん、面食いだから」

ん。てことはシバはおれをイケメンだと思ってくれてるのか?単純なことに気分が高揚した。

「シバ、学校来ないの?」
「なんか行きづらくなって。何がってわけじゃないんだけどな」
「そっか。無理するなよ」
「うん」
「勉強とか、おれが、教えるし」
「え。マジ。助かる」
「シバが迷惑じゃねーなら」
「いや、おまえこそおれの家なんか来てて大丈夫?ハブられたりとか」
「気にしない」
「あー、でもありがたいけど、行けたら行くようにする、学校」
「ゆっくりでいいと思う」

この事態を招いた張本人を前にシバは無防備だった。そしておれも無防備だった。すらすらと善意の言葉が出てきた。そのうち、シバがこうなったのはおれのせいじゃない。と確信できるまでに至った。だって、あいつらがおれなんかに乗せられるのが悪いんだ。自分の意志もなく、おれが言ったことに同調して。どうしてシバを信じてやらないんだ。シバが、おれの言ったような残酷なこと、するわけない、だろ。それくらい、わかれよ。

「てか、シバ、家ではメガネしないんだ」
「あー、うん。あれ伊達。自分の世界に没頭しやすいから」
「なんかわかる」
「え、そう?おまえには理解できないはずだけどな」

自分の言葉にシバは、へらっと笑った。

あの日教室で椅子を蹴った時より強い衝動が自分を襲った、と思った。あの日と違うのは、自覚があったこと。そして、それを、自制できたこと。

「おれ、シバが好き」
「そう?ありがと」
「ほんと好き」
「え?なにそれ。感性おかしいの?」

こんな話を聞いたことがある。実話か小説か。本で読んだのか、ネットで見かけたのか。
病弱な妻を看病する夫は、妻の食事に毎回少量の毒を混ぜる。愛する妻が、決して回復しないように。それでいて死なないように、ただ弱らせて、家に留めるんだ。
この話はどんな結末だったろう。それとも、この話自体が、おれの、空想かな。

「ゆっくりでいい。ほんと、無理だけはするなよ」
「べつに、病人じゃあるまいし」
「そっか、そうだよな」
「そうだよ。おまえがおれなんかに過保護になんの、なんかもったいねえよ」

ここでシバを押し倒してみる?いやいや、絶対にありあえない。今このタイミングで、もっともしてはいけない行為だ。おれはふと、これまで自分に告白してきた女の子たちの顔つきや表情を思い出す。不安そうだった。思いつめていた。それでいて、ようやく感情を発露できて、恍惚としていた。のろい、かもしれない。少し、そう思う。誰に対しても、共感を示さず、冷徹に、振り払ってきた報いだって。でも仕方がないよな。同情で回答するものでもないし。ほら、平等なフォークダンスだよ。言っただろう?おれの前にシバが来たんだ。それだけだ。音楽が続くうちはローテーションが止まらないなら、おれは停止ボタンを押してやる。そして二度と音楽が流れないよう、致死量未満の毒を、少しずつ少しずつ、逆光でいっぱいのこの部屋に住むこの体に流し込んでく。

2+

【小説】『平成のシバちゃん』

夜空に大輪の花が咲く。
無数に、あたかも無数であるみたいに。
燃え尽きなかった火の粉が空からパラパラ降ってきて木とか建物が燃え上がってそのうち大火事になって世界まるごと燃え尽きちゃわないかなって妄想が頭をぐるぐるする。

「シバちゃんと見られて良かったよ、今宵、平成最後の打ち上げ花火を」

どうせ聞こえないだろうと思って呟いたのに「そうか?」なんて情緒のない返答がある。言ったこっちが恥ずかしくなって「つまんなかった?」。

「べつにつまんなくはないけど」
「けど?」
「なんかしっくりこないなと思って」
「どういう意味?」

だってさ、とシバはおれに向き直って言う。教鞭のように突き出されたじゃがりこをぽりぽり食い始めると一瞬だけ嫌な顔をされたけど取り上げられることはなかった。

「だってさ、おまえは彼女と別れて仕方なくここにいるんじゃん?」
「そうだっけ」
「そうだったろうが」

ぺちっ。シバちゃんがおれの頭を叩くためには少し背伸びしないといけない。律儀に頭を叩いてくるのだから可愛い。

「おれは最初からシバちゃんとここに来たかった気がするんだけどなあ」

褒められることは数多あれど貶されることはほとんどないスマイルを浮かべると「都合のいいやつ」「二枚舌め」「たらしが」などと散々中傷された挙げ句「ま、いいけどよ」。許してもらえた。

今年ももう終わるね。
いや気が早いし。
夏が終わると一気に坂を駆け下りてくようだったじゃん?毎年?
おまえの時間感覚なんて知らねえけど。
もう年の瀬か。
うーん、頷きかねる。

舌の上ではじける炭酸みたくパチパチ瞬いてた花火を人差し指と親指の間につかまえてプチッと潰したちょうどその時、ふっと世界中から光と音が消えた。ふたり以外の。

「99.9%」。

おれの言葉に、シバは「何が?」とこちらを振り仰いだ。

「おれとシバちゃんがうまくいく確率」。

シバは心底不可解そうに視線をさまよわせた。何言ってんだこいつ?って顔に書いてある。子犬みたいに黒い目がきらきら光ってる。光なんてないのに。きらきらって。
ああ、いいな。
見上げてくるシバちゃんの目にも、シバちゃんを見下ろすおれの目が、少しでもきらきらって光って映っていればいいな。
シバちゃんは見たことないんだろうな。シバちゃん自身の目が、こんなふうにきらきらって輝くところを。
シバちゃんも知らないのに、おれだけが知っている。おれだけが許されている。おれだけが、おれだけが。なんて贅沢。なんて至福。なんて恩寵。なんて、なんて。

「シバちゃん、あいわらず鈍いんだから」
「悪かったな」
「それとも、わざと?」
「何がだよ」
「な、わけないか」
「いやだから何がだよ?」

クライマックスは絶好のチャンスだって、子供の頃、いとこの兄ちゃんに聞いたことがあるんだ。もう地元にいないけど。みんなが空ばっか見てるだろ。だから、絶好のチャンスなんだよ、って。

「ねえ、シバちゃん。来年も一緒に見ようね」
「どうだろ。それはお前次第だな」
「じゃあ100%だ」

忘れかけてた音が始まる。
空は防弾ガラスのように強固だ。
でも、たまに、不安になる。
思いがけず割れて宇宙の外側がどろっとこちらの世界へこぼれてきてしまったら?
しかも、一瞬のことじゃなくて。
時速5キロの速さで、のろのろのろのろと。むこうの世界が流れ込んできたら?
術はないのに時間が中途半端に与えられて。
その時おれは何ができるんだろう。その時おれは何を救えるんだろう。
少なくとも、せめて、できることなら、シバちゃんに軽蔑されたくないな。
できるんだろうか。
わからない。
でもそれって考えても仕方がないから、1秒でも多くシバちゃんを構う。

「じゃあ100%」。
「いや聞こえてたから。なんで2回言ったの」。
「大事なことだから」。
「わけわかんね。きもちわる」。

だけど、こうまで鈍いシバちゃんも、それはそれで捨てがたいや。

1+

【小説】よくある話

新しく無邪気な朝陽が
あなたの睫毛に影を作るより早く
この手紙をぼくは書いています
約束どおり左手で

キッチンに豆のスープと
パンケーキがあるので食べてください
今日だけは好きなだけシロップをかけて
焦ってはいけませんよ、少しずつです

いつかあなたに言いましたね
建物の外は灰色で
毒と鉄骨だけ残る汚染された世界だと
いつから嘘に気づきましたか?

自分以外がみんな器用で優秀に
思えたんです、どこか真実で
ぼくは存在していい
類の生き物でなかったんです

それだけのこと

最初は食べるつもりでいたんです
あなたは弱くて簡単そうだ
非力で知恵のないぼくにも
仕留めることができるだろう

できただろう
だけどぼくはしなかった
あなたが笑いかけたので
ぼくの素性や才能と無関係に

それで今まで暮らしたんです
絵本で文字を覚えましたね
角度を固定した望遠鏡からたまに見える
夜空の星で、わかる、あなたは賢い

ぼくの嘘に耐えられない
そんな時がいつか来るだろう
来なかったとしても
いつも予感に怯えるだろう

その目に写したくなかったんだ
ぼくはあまり美しくないので
計画は一年ほど前に立てました
あなたがここにある本をすべて暗唱できた頃

いいですか、外の世界は美しいです
ぼくが目を背けるほどに
あなたにはきっとふさわしい
ここで過ごした日々も忘れられる

これを謝罪文だと思わないでください
手紙で謝罪されるようなことが
あなたの身に起こったんだと
ゆめゆめ思わないよう用心をして

あなたが随分と賢くなってから
唐突にこの世界へ放り出すことが
馴染めなかったぼくからのプレゼントです
ひとつくらい良いことをしたいです

最後にひとつ
この部屋には色がありませんでした
あなたがここを出たら最初に
色の洪水に侵されるでしょう

怖く感じるかも知れません
しかしすぐに涙が出てきます
こんなに美しい景色があったのだ
もしあなたがそう涙を流すのならば

それだけでぼくが閉じ込めて
嘘をつき続けた挙句に
放り出した意味も分かるでしょう
しばらく涙は乾かないでしょう

読み終えた手紙は食べてください
証拠は少ないほうがいい
あなたは被害者でぼくは加害者だ
よくある話を人間は大好きだから

4+

【小説】神様失格

まだわからないな
せっかく涙に色をつけたのに
まだわかってあげられないな
ぼくは神様失格だ

山をなぞる夕陽の輪郭
ひと、それ、すきだろう?
ぼくはそれを見ている人がすき
わるくないなと思うんだ

人も、そんなに、悪くないなって
天使たちはやめとけって言う
口の悪い彼らは嘘はつかない
だけどぼくは試してみたいな

だっておかしいじゃないか
知らないもののために為すのは
いいとかわるいとか言えないじゃないか
なんにもわからないままでは

そう思ったんで、ぼく、涙に色をつけた
恥ずかしくないように、ぼくにだけわかるように
かなしいの?つらいの?うれしいの?
なつかしいの?おまえ、いま、しあわせ?

色がわかったところで理由はわからない
どうして?ねえ、どうして?
質問ばかりのぼくはある日地上に放られる
天使になりたての悪魔から

おまえがいたんだよ
ぼくの降った街に
すみっこに
ぼろぼろで

こんな話信じる?
こんな話信じたの?
おまえ、初めて
それって、神様みたいだ、ほんとすごいよ。

2+

【小説】mars

誰もぼくに気づかない夜、誰も傷つけなくて済むからあなたに会いに行こうと思った。

わかってる、どうかしてるぜ、空気は澄んでもシュノーケル。口の中でゴムを噛み続ける。そうしていればいつか消えてなくなるみたいに。ほんとは信じていないんだけど。信じたふりをしてあなたを油断させたいだけ。

ぼくが好きになったものがいつまでも輝いて見えるのは、ぼくが今も好きでいるって証かな。認めたくない。だってそれはもうぼくのものじゃない。分かるんだ、傷なんてつけられてなかったって。

ノック・ノック・ノック。

ふざけているわけじゃない。あなたが水中を泳ぐ時そうであるように、ぼくには今これが必要なんだ。

ノック・ノック・ノック。

出ないでいい。出ないでくれよ。委ねるぼくは昔から弱い。目の前のドアが内側から開けられるのを恐れてる。夢に見たのに。涙が流れたのに。プラスチックの恋。チープじゃなければ大切にできたのかな。嘘だよ。どうかしてる。分かっているんだ。しあわせじゃない。そう言われても。連れ出せないことくらい。分かっている。

これが最後だ。

ノック・ノック・ノック。

3度目の音が外れる。

左目の下を腫らしたあなたが出てくる。ぼくたちは鏡で自分を見るように無遠慮に互いを見つめた。

「えっと、ぼくのほうが、まだマシかも」。先に口を開いたのはぼくだった。どうだろうね。あなたは小さく首をかしげた。「どうしようか」。まず、その、馬鹿げた格好をやめろよ。「わかった」。だからってここで脱ぐな。「わかった」。なんでここが分かった?ストーカー?「まあ、そうだね。……あのひと、殴るの?」。たまに。「いやに、なんない?」。すぐに忘れるんだ、おれって、バカでさ。「知ってる」。おい。

「……ぜんぶ、消して、やろっか」。

は?怖い怖い。勘弁なんですけど。「いや、その、傷」。はぁ?「ぼく、実は、魔法とか使えて」。やめろ、そういうの。キモイんですけど。「ごめん、笑って、くれるかなって」。ぜんぜん笑えないから。

そう言ってあなたはちゃんと笑うんだ。よかった、理性の、言いなりにならなくて。あなたが、笑ってくれて。

よかった。ほんとうに、よかった、わすれなくて、よかった。

よかった、あなたが、今、ちっとも幸せじゃなくて。

ベランダのむこう、火星が、きれいだった。きっと、あなたの肩越しに見るからだな。ぜんぶ、消してやろっか。

2+

【小説】◯◯◯と◯

おまえは今日も疲れ切っている
そんなにも、そんなにも
玄関を出た先の世界は辛いのか
悲しいことばかりが起こるのか

なぜ今日も行くのだろう?
なぜ明日も行くのだろう?
ぼくを置いて行くのだろう?
ひとりの昼間は少し退屈だ

かわいいものはおまえだけ
生きているもののうちでおまえだけ
そう言ってくれるおまえは
自分の好きなほうを選べない

ある時おまえは笑いながら帰ってきた
珍しいことだな、つられて笑う
両手はぐっしょり濡れていたけど
楽しそうなおまえを見られてうれしい

その夜は打上花火が上がった
何回目だろう、数えるのを忘れてた
あれを打ち上げているのは人なんだと
おまえはしんみりした顔で言う

翌朝、スーツの2人組がやって来て
おまえを連れて行ってしまった
おまえはぼくを振り返らなかった
戻ってきたスーツの1人にぼくは抱え上げられた

(かわいいー おれ 飼っていいですか)
(かわいいか〜? ま、好きにしろよ)

ここに何かの取引が成立する。

ようし、ようし
うちでおいしいもの食わせてやる
警察が助けに来たからな
もう心配いらないからな

(しんぱい?それって、何だ?)

ぼくの質問にスーツは答えない
そしてあなたは戻ってこない
ぼくも部屋に戻らない
本当に久しぶりに玄関を出た

今年もぼくは打上花火を見る
一年前は誰と見ていたのだっけ
あの夜は少し幸せだったな
ぼくは誰にでも甘えることができる

『殺人犯と猫』

2+

【小説】そして明日も

まぶたがひらく。どうか、あなたの目に初めて映るぼくが、嫌悪されませんよう。人はだんだん欲張りになる。少なくともぼくは、あなたに対し、そうなっていく。明日は指先が少しでも動きますよう。唇がぼくの名前を呼びますよう。起き上がり、光景を視野に入れ、認識し、つたなくも笑いますよう。ちぐはぐでも良い、文法の乱れた言葉を発し、空腹を訴え、無意味に唇を舐め、食べたいものが分かりますよう。でたらめな歌を歌い、やがて退屈になり、疲れたなら午睡し、日が陰る頃に目を覚ます。毎日予想外のことが起きて欲しい。ぼくが思いつかなかったあなたでいて欲しい。そんな日は来るだろうか。そんな日だって来るだろう。来るんだとしても、まだ先になりそう。でもぼくは決して希望を捨てたりしないのだ。なぜか?それが、ニンゲンだから。ああ、また、ミス。もう何体目か分からない。惜しかった。ざんねんだ。修正不能のあなたを消去する。重ねた思い出の上で眠りにつく。この記憶はゆうに致死量を超えている。

1+

【小説】リスタート

ごつごつした木の根がのびてきて、ぼくとぼくの大切なものをばらばらに取り込もうとする。だめである理由を正確に伝えないとここから逃げられないのに、まちがうことが怖くて伝えられなくて、貴重な時間はどんどん過ぎてく。

ゲーム・オーバー。

救いのない現実を、どこか美しいものであるように、とらえようとした、ぼくたちへの罰だ。きっとどんな意思も介在していないんだけど。

服を脱いだマネキンの森を、きみとぼくとは疾走してきた。疲れも感じず。ふたりだからどこまでも行けるんだと思った。大量生産されたマネキンの中に、よく知った顔を見かけた気がした。だけどすぐに流れ去った。森を抜けた。

辿り着いた先には何もなかった。途中で思い出を落としてしまったんだ。戻ろうか、いや、過去は危険だ。ここにいたらいいよ。ここがいちばん安全だよ。そう言い聞かせながら、ぼくを寝かしつけたあと、きみはひとりマネキンの群れに帰る。明日のぼくが駆け抜けるための森を大きくするために。やがてぼくもとらわれてしまうんだろうか。いや、そんな日は来ないように思う。確信はないけれど。もし最初から取り込まれることが決まっていれば、こんなにひどい気分で目覚める朝をいくつも用意しないはずだから。

おはよう。

自分が誰かを確認するためだけに発声する。雨の降らない荒野で喉は掠れている。ああ、ほら、まただ。また、この、スタート地点。投げ出された自分の手の先を見る。きみが、いる。まだ眠りの中。あっちを向いていた顔がこっちへ向けられる。予感はあった。

まるで、鏡を見ているようだ。

「おはよ、ぼく」。今度は、きみを起こすために発声する。今日こそきみを連れ出してやる。これが何百回、何千回目でも、ぼくは決意して起き上がる。

3+

【小説】六月の冤罪

気象庁の梅雨入り宣言から三日目の午後三時、アパートのこの部屋の玄関チャイムを鳴らす者があった。警察かな。おそるおそるのぞき窓から外を窺おうとしたけれど、どうも向こうから指の腹で塞がれているようで何も見えない。まっくらだ。かと言って、このまま出たところで事情聴取されて連行されるだけだろう。はーあ、どうしよっかな。この家に来たってことはベランダ側もマークされてるんだろうし、ゲームオーバーかな。抵抗しても意味がないなら、うーん、もう、いいです。

「はい」。
おれは、ジャージ姿のままドアを開けた。
ら。
「え?」。
天使かな。
「あのさ、ぼくに恥かかせないでくれる?」。
天使が、しゃべった。
どこかで見たような。かと言ってこんなに、いっそ凶悪なまでにかわいい子をおれは一瞬だって忘れていられるだろうか、いや無理。じゃ、初対面なんだ。不思議となつかしいのはあんまりその顔や姿が好みすぎておれの頭が麻痺してるせいだ。
「ん?」。
「ん?じゃ、ねえよ」。
「かわいいのに怖いとか最高に好きなんですが」。
「能天気かよ」、と言いながら天使はおれの家にずかずかとあがりこんできた。純白のウエディングドレス姿で。衝動に駆られてドレスをめくると、足元はコンバースのスニーカーだった。
顔面を蹴り上げられて鼻血が滴る。
おれが何をした?いや、したけども。
「アダチの家で余興やるって言ったじゃん。ぼくがジュリエットするから、おまえロミオって設定だったじゃん。待ち合わせ場所指定したよね?時間もちゃんと!それなのにおめーが来ねえからぼく変態だったよ?」。
すこぶる。
「ごめん、すこぶる話が見えない。どういうこと」。
おれがしらばっくれているとでも思ったか、天使は「ぐぐぐ」と言葉に詰まった。
なぜおれがしらばっくれているのか、その裏でどんな言い訳や企みを思案しているか、見当をつけようとしているようだった。
いっさいないんだけども。そんなもの。
「…ひとちがい、じゃ、ないかな…」。
ようやくそれだけ振り絞ったおれのほっぺたにすかさず往復ビンタが飛んでくる。さすがおれの天使、手が早い。
「もういっぺん言えるか?」。
胸ぐらを掴まれたおれは「うー」と唸って考えているふりをしているんだけど、それは天使が考えているような理由じゃないだろうと思う。おれは、どうすれば一秒でもこの時間を延長できるかというそのことばかりを考えていたのだ。

「…ひとを、ころしちゃって…」。
「は?…なんで?」。
「…生きててもしょーがねーやつだったから」。
「…ふうん」。
「お金、ちゃんと、ためられないし。彼女も、つくらないし、仕事も、できねえし」。
「…うん」。
「そのくせ、自分よりがんばってるやつが評価されてんの見て妬むし、救いようのねえやつ…」。
「…」。
「紐で、首絞めた」。
「…うん」。
「…そして、どうしたら逃げ切れるか、考えてた…」。
「…」。
「でも、なんか、もう、疲れて…」。
「…」。
「さっきのチャイムも、警察だと思って、開けた…」。

状況が状況だし、俗世で会う最後の天使かも知れないし。
おれが打ち明けている間、天使はただ黙っていた。
もう言うこともなくなってきた頃、天使がすうっと息を吸い込んだ。

「ばかじゃねえ?自分が何言ってるかわかってる?」。
「うん、ばかなこと言ってる」。
「だよね」。
「はい」。
「死んだら逃げらんないよね」。
「はい」。
「疲れるも何もないよね、死んだら」。
「はい」。
「さらに言えば、自殺って、逮捕されないよね」。
「はい」。
「できねえから」。
「はい」。
「他には?」。
「え?」。
「他に言い残したことは」。
「え、特に…」。
「わかった」。

天使が自分の着ているドレスをびりびりと破り始める。あ、なるほど、ご褒美だな?俗に言うボーナスタイムだな?淡い期待を抱いたものの、その下は半袖シャツだった。

「下は、脱がねえ。おあいにくさま」。
おれの視線で言わんとすることを察した天使はせせら笑う。
「そんじゃ一緒に罰ゲーム受けに行くか。立て」。
「え?」。
「え、じゃねえから。おまえのせいで連帯責任だよ。アダチの誕生日なんだよ」。
ごめんさっきから訊こうと思ってたんだけどアダチって誰。
とは、言える雰囲気じゃない。
「あの、天使ちゃん」。
「ぼくかよ?」。
「お名前、なんですか」。
「好きに呼べ」。
「あの、じゃあ、おれの名前って、なんですか」。
「それぼくが教えんきゃなんねえこと?」。
「いや、答え合わせっつうか」。
「何のだよ」。
天使はおれの手を引いて玄関に向かう。存外強い力だ。
「アダチ、泣いてるから。ぼくとおまえの余興いちばん楽しみにしてたんだからな」。
だからアダチって誰。
「行かねえの?」。
天使が振り返る。
ああ、ほんと天使。
考えるより早くおれの口が動いていた。

「      」。

それを聞いた天使はにっこり笑う。
「そうこなくっちゃ」。
玄関のドアが大きく開けられる。数日間太陽を見ていなかったおれの目が眩しさで一瞬ダメになる。
「そうやって正直に言ってりゃ誰もおまえを怒んないよ」。
だから声だけが頼りだった。
声と、おれの体を前に引くその手だけを、頼りにしていた。

2+