【小説】良い匂いのする朝

このBLシリーズに出てきたリツがゴロゴロ甘えてるだけの話。番外編小噺。

起こり得ない状況を不意にぶつけて困らせるのと、子どものわがままと、何が違うって言うんだろう。

あなたの心臓の位置に手のひらをあてて、嘘がつけないようにして、尋ねてみたかったことがあるんだ。

「ねえ、アオイさん。もしもあの人が帰ってきたら、あの人を選ぶの?」
とく、とく、とく。
手のひらに伝わってくるあなたの鼓動は、僕自身の鼓動と混じってしまい、どっちがどっちか分からなくなる。
反応のないアオイさんのラテ色の髪に顔を埋めて、してはいけない質問だったね、ごめん。と謝る。
「え。質問だったの?質問だと思わなかった」
「えー、質問だよ。あなたに聞いたんだけど」
「そう?『大好きだよ、これからも僕だけを見ていて』って翻訳されたんだけど」
「すごい!」
「当たったでしょう」
「きっとそう言いたかったの」
「うん伝わってきた」
この人は最初で最後の恋人になると思う。
恋人たちは誰でも、相手に対してそう感じる瞬間があるんだろう。
だから僕が強く感じるこの感情は特別なものじゃない。
特別なのは、今という現実だけ。
僕が欲しくて欲しくて堪らなかったひとは今僕に抱擁することを許してくれて、10分後には起き上がって顔を洗ったら、僕が会社に持って行くためのお弁当のおかずを詰めてくれる。

「選ばないと言ったら嘘になるかも知れない」
嘘の無い回答に、胸がちくりと痛む。
自分で質問したくせに。
「でも、もしそうなったら、リツくんは私を取り戻して欲しい」
「わかった」
「リツくんのいる世界が好きだということ、私に思い出させて欲しい」
「うん」
「捕まえておいて欲しい」
「うん」
「私は弱いから、引きずられてしまうかも」
「大丈夫、守る」
「ありがとう、頼りにしてる」
アオイさんが微かな息を吐いたのが分かった。
微笑んだのか、安堵したのか、表情は見えないけれど、僕の方がずっと守られていると思った。

それからふたりしてむにゃむにゃしてたら10分なんてあっという間に過ぎて、アオイさんは「薄情者!」と詰りたくなるほど潔くベッドから起き出した。

わがままを言って困らせたいけれど、僕のためにお弁当をこしらえてくれる姿も好きで、その背中に伸ばしかけた手をきっぱりと引っ込める。

そんな僕の葛藤を読んだようにアオイさんは振り返ると戻ってきて、身をかがめるや僕の額にキスを落とした。

「おはよう、リツくん」
「お、おはようございます」

思いを寄せてただけの学生時代を思い出し、思わず敬語になってしまった僕には一言も突っ込まず、アオイさんは今度こそ洗面所へ姿を消した。

ぽっと明かりが灯った気がする額にふれては、その指を自分の唇に押し当ててを繰り返す僕を、笑うように蝉が鳴き出した。

やがてキッチンから僕の好きなだし巻き卵の良い匂いが漂ってくる。