【小説】『バニラを待つ蟻の行列』

奇跡と呼んで差し支えないものを、あなたはいとも無防備に差し出すんだね。

貴重なものだと理解できていないせいだと思ってた。
誤解に過ぎず、いくらでも余っているからだと教えられた。

あなたの隣で世界を見ると、ぼくが今まで生きてきた世界と同じものと到底思えない。

道行く人が笑いかけてくれる。知り合い?と訊ねたら「さあ?」と返答。奇跡だ。
気まぐれで花を一輪だけ買ったら花束にリボンまでついたものを渡される。なに常連?ポイントとかあんの?と訊ねたら「ないよ?」と返答。「え、あるの?」と逆質問。またも奇跡だ。

こんな事例は挙げていけばキリがないほどで、ぼくは少し機嫌をそこねてしまった。

「解明した。ぼくがどうして今まで不遇だったか分かった。あなたが奪ってたんだ。世界には幸運の限度数が決められていて、あなたがかっさらってたんだ。おこぼれももらえなかった。あなたのせいで」

我ながらとんだ言いがかりだ。だけどこれくらい許されるだろう。

ヤケという字は自分を捨てると書くらしい。自分に捨てられたことに気づいたぼくの瞳はひりひり痛んで潤ってきた。

「じゃあおれといたらいいんじゃない?おれのところに来たものぜんぶきみにあげる」

隣でカフェオレを飲んでいたあなたは平然とそんなことを言う。自分が何を言ってるのか分かってないんじゃないのか。適当なことを。

「あなたから与えられるだけの人生は嫌だ。対等でないとぼくがみじめだ」
「どうしてそう思う?おれはもうもらってるよ」
「何もあげられてない。もらってるって何をだよ」
「理由」
「理由?」
「生きる理由。死なない理由」

しばらく沈黙したあと、その意味がじわっと体に満ちてくる。

「よくそんなこと言えるな。信じられない。ばかじゃないの。恥ずかしいやつ、恥ずかしいやつ、恥ずかしいやつ。鳥肌」
「素直であることが恥ずかしいという感覚なら、まあ、そうなんだろうね」
「だから、そういう言い方が、」

喋ってるうちに落ちちゃうよアイス、と指摘されて黙る他ない。アイスのせいにして、返答は保留。

幸せのおすそ分けだとか、同情と見分けのつかない愛情なんて要らないと言いたかった。

なのに口の中はバニラで塞がっていて、あなた経由で還元された幸福が体をいっぱいにしてあふれて、いつしか足元に蟻を集めていた。

ぼくは結構とんでもないものを拾っていたのかも知れない。

どこかでばかにしてきたすべての音楽が代弁する。堕落じゃなくて目の前がひらけた感じだ。辞書を手に入れたんだ。ずっと待っていたんだ。恥ずかしいことは何一つ口にできないで、奇跡がやって来るのをずっと待ってたんだ。そこにあるのに。見えていたのに。まだ見えない、と焦らすことに全霊を注いで。