小説『シネマハイツに守られなくても』

人がどんどん死んでいく映画を見て、こんな世界ならすれ違わなくて済んだのかなと思えるほど、ぼくは平和に生きている。そりゃ生きていればいつかは死ぬだろうが、差し迫った生命の危機はなく、嫌なことには嫌だと言っていいし、手に入れたいものを手に入れる手段はいくらでもある。時代や環境を無視して比較されたら怒っていいし、傷つけられたら訴えていい。それなのに。

月光という名のクッキーをレモンティーに浸して食べる。すっかり染み込ませたつもりでも、中は案外乾いている。上下の歯でさくさく粉砕される、粉と油からなる食料。その音と同じリズムで人が撃たれたり地面に倒れたりする。この映画を作った人が伝えたかったことは、ぼくが感じ取っている何かとは違うだろう。描きたいものがあって、そこに多くの人が共感して関わって作ったとしても、別のとらえ方をされてしまうんだ。ひとりとひとりで同じことが起こらないはずはない。

クッキーの空き箱を丁寧に折りたたんで、一番上になった面に書かれてある文字すべてを読んで、読み終えた後はきみの名前を拾った。一文字一文字には音と形しかないのに、つなげると胸を締め付ける。祈るように視線を動かし、救済のように発見をする。

(もう、行っていいんだ)。

見つけたかった文字をすべて見つけられたので、ぼくは決意する。会いに行こう。いま。行って伝えよう。 その後のことは知らない。

玄関を出ると握りしめたスマホが震えた。「今から会いに行っていい?」「だめ」。少し考えて「こっちから行く」と追伸。少しも考えなかったことがわかる早さで承諾のスタンプ。ああ、それで良いんだ。それほど考えなくても伝えて良いんだ。何度も教えてくれたのに、今さらやっと腑に落ちた。スマホはもう見ない。アパートの階段に昆虫の死骸がいくつか転がっている。その横をたんたたんと不規則なリズムで駆け下りる。何事も悲劇ではない。

映画とクッキーの部屋を後にしたぼくは、銃撃されることもなくきみの場所まで安全にたどり着けるよ。