小説『おしゃべりなドッペルゲンガー』

いいなあ、とはっきり思う。だけども、とはっきり聞こえる。よくない。できっこない。だってこういう障害があるし、だってこういう義務があるし、だってこういう世間の目があるし、だってこういう中傷を受けるだろうし、だってこういうリスクがあるし、だってこういう恥晒しにあうし、だってこういう汚点になるし、だってこういう罠があるし、だってこういう心無い人に狙われるし、だってこういうこういうこういう。でも何もせずにいたらこういうこと全部と無縁だよ。ねえ。安心安全平和にいられるよ。ねえねえ。そうしよう。いいよね。ずっといいよね。うんと言って。・・・ぼくを頷かせようと必死だったあなたは天使だったのか悪魔だったのか。ずっと考えていた。うそ。たまに考えていて、ふいに分かった。設問がまちがっていた。あなたは、おそらく、ただの人間だろう。天国を選べない、かと言って、地獄も選べない、どうしようもないほど人間だったのだ。ちっぽけで怖いんだろう。喋っていないと不安なんだろう。ぼくはぼくに似たあなたを抱きしめる。ちっぽけなまま黙っていられるように。

3+

小説『逢う魔が時』

買ってもらったボールが飛ばなくて
こんどは空に向かって投げた
ぼくの名前ごと飛んでいった
いずれ落ちてくるだろうと正門をくぐる

帰り道にボールを探したけれど見つからない
ほかの人に持っていかれたんだろうな
あるいは犬とか車に潰されるなどして
ぼくはボールのことを忘れて宿題にはげむ

それから数年が経ち
ぼくは少しの変哲だけ持った大人になった
大人ってなってみると案外かんたんなことで
だけどときどき夕焼けから目をそらす

茜色の中でぽつんと電球みたいに
あの日のボールが落ちていた
ゆっくり歩み寄り拾い上げようとする
誰かの手が重なった

驚いて手を引っ込める
あの日のボールなわけないのに
自分のもののように拾おうとなんかして
ぼくはおとなの仮面をつけてから顔を上げる

失礼、

同時に発したその言葉が重なる

すみれ色の目をした生き物だった
本来ならどんな色かは分からない
茜と混じってしまってる
ただこの世界で生まれたものではないだろう

白球の主はあなたか
待たせてすまなかった
この星の空気に慣れるまで
意外といろいろ必要でな

かわいそうに
きれいな男だが頭が弱いんだろう
だけど手渡されたボールにはぼくの名前が書いてあって
仮初めのお面は音もなく剥がれ落ちた

2+

小説『完璧な部屋』

きみの平和のためにぼくの心が殺されるのならそれで構わない。

パンくずをついばんでいた白い鳩はぼくの言葉を聞いて首を傾げた。

ぼくたちはしばらく甘い音楽でも流れ出しそうな雰囲気のなか見つめあっていたけれど、玄関から人の気配がして振り返った隙に鳩はいなくなってしまう。
残りのパンくずぜんぶを見事にたいらげて。

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1+