小説『月の恋人』

薄情だった
眠れない夜があるなら
ひとりでオーロラを見に行けと言う
途中で側溝にはまっても知らない
助けたりしないと言う

仮に冗談だったとして、なんでだ
おまえは冷蔵庫を開ける時間が長い
トイレのスリッパの向きをそろえない
雨が降って洗濯物が濡れてる?
てめえで入れろや

ふつふつと怒りが湧いてくる
これは終わりの始まりかも知れない
いや待てそもそも始まっていたんだろうか
勘違いのままここまで来て
勘違いのままこれからも過ごす

そんな人生を送りたいんだろうか
でもそれ以外に選びたい道もない時
どうしたら良いんだろう
取り返しのつかない何かに
つかまってしまったんだと今さら気づいて

あれ、行かなかったの、オーロラ
月を睨んでいたら声をかけられた
え、なんですか?
あなた誰ですか?
すっとぼけた返事を投げつける

月だけで満足するような恋人は嫌か?

ははあ、嫌なんだろう
恥ずかしいんだろう
間違えたと思うんだろう
悔しくて情けないだろう
おまえはどこへでも行ってしまえ

酔ってる?
聞かれたので
酔って見えるか阿呆馬鹿
そんなことも見抜けないのか腑抜け
と返事した

おまえは戸惑っている
そうだ存分に戸惑えば良い
もう優しくしてやらない
ぼくのことで永遠に苦しめ
オーロラとかひとりで見に行け痴れ者

「月、きれいだね」

無視。

「今夜、すうごく大きいや」

無視無視。

「きみが、生きてたらなあ」

ぼたっと、花が落ちる音がした。
ぼたぼたっと続けて血の雫が落ちるような音がした。

なんだ、泣いてやがる。

「きみがここに、生きてたらなあ。生きて、隣にいてくれたらなあ」

そういえばこいつの泣き顔は見たことがなかった。

面白いから観察してやろうと思っていたら、愛だの永遠だの言い始めるのでこっちが恥ずかしい。見るにも聞くにも耐えがたい。

いったいいつまで故人を引きずれば気がすむんだ。

「どうか隣に」
いるよ。いるいる。
「愛してる」
わかった。わかってた。あれでわからないならおかしいだろう。
「愛愛愛してる」
はいはい、わかったわかった。
「だって、かわいいから」
ふ、ふーん。

「もっと一緒に、いきたかったなあ」

…。
……まあ、その点は、悪かった。

薄情だったのは自分だったと、伝える口も無いで、月の光で編まれた体でおまえに触れた。おまえはいつまでも泣き続けた。次に満ちる時まで、おまえが誰かを好きになってると良いのに。

思ってもいないことを、思ってみる。

薄情はぼくだ。

こっちに来れば良いのにと思ってる。
おまえもこっちに来れば良いのに。

そうしたらもう一度、運命を重ねるのに。

小説『月の恋人』