小説『対岸の青』

うれしいな。きみとふたりでこんなに遠くまで来られて。

そう伝えようと思ったぼくよりもきみが発するのが早かった。

「なんか、こわいな」

「え?」

「このまま、おまえ以外の誰にも心を打ち明けずに生きていくのって、こわくて、さみしいな」

形容詞はそのままぼくに捧げられた。

海はどこまでも青くて、ほんの少しだけ丸い。

横断歩道で立ち止まった犬が、飼い主の顔を見上げている。

郵便配達のバイクが彼らの前を通過した。

予兆なんて、ひとっつもないのに。

きみは「こわいね」と言う。

ああ、終わった。

ぼくはいずれ真実にたどりつくきみを、邪魔しながら平気な顔でいること、たぶん、できない。

だったらぼくが返す言葉は、

「うん、確かにこわいな」

そうであるはず。そうで良いはず。許されるはず。

きみは「よかった」と言ったあとでぼくの顔を見上げて、逃げる異変の尾を見たろう。

何かが違うと、思ったかもしれない。

でもその何かは追いかけてはいけないものだと、賢く悟った。

「ありがとう」

「どういたしまして」

「好きだったよ」

「ぼくのほうこそ」

ぼくたちの青春に幸せがあるのなら、お互いに両思いのままさよならを言えたことだ。

尾を引く傷は一生ものだ。

きみの初恋がぼくでほんとうに良かった。この先思い出すのはぼくのこと、ぼくといたきみ自身のこと。

対岸の見えない青い海のこと、歩き出した犬の背中に見えたまだらのこと、遠ざかる郵便配達人の姿とエンジン音、自販機で買った130円の炭酸で濡らしたぼくの唇のこと。

好きだから嘘で笑うよ。運命くらいねじ伏せられる。ほんとは何も怖くない。たくさんの人はまだ気づいてない、だけどいつか気づくだろう。ありがとう、ぼくにひとをすきにさせてくれて、ありがとう。

きみはぼくの最後の恋人。