小説『完璧な部屋』

きみの平和のためにぼくの心が殺されるのならそれで構わない。

パンくずをついばんでいた白い鳩はぼくの言葉を聞いて首を傾げた。

ぼくたちはしばらく甘い音楽でも流れ出しそうな雰囲気のなか見つめあっていたけれど、玄関から人の気配がして振り返った隙に鳩はいなくなってしまう。
残りのパンくずぜんぶを見事にたいらげて。

「今、鳥と話していたの?」
帰宅したおまえはそう笑いながらテーブルに紙袋を置いた。
中から缶詰やペットボトルの飲料を取り出していく。
ぼくの好きなお菓子もちゃんとある。
「外、たくさんいた?」
「少しね」
「少しか」
収穫物を並べていたおまえは血痕のついた上着を脱ぐやおもむろに両腕を広げた。
いやだなあめんどうだなあと思いながら抱きついてやる。

「おかえり、おまえがぶじでうれしい」
「ただいま、きみとまたあえてうれしい」

それから地区の状況についてのラジオをいっしょに聞いたあと、眠いと言い出したおまえのためにカーテンをしめる。
「いっしょにねて」
「ぼくはねむくないや」
「ひとりになってもいいの」
「脅迫」
しかたなく隣に入ってやる。
「少しは警戒しなよ」
「どの口が」
おまえはぼくのことを毛布かぬいぐるみのように抱いて眠る。

「ラジオが」
「びっくりした、とっくに寝たかと」
「ラジオが、嘘を流していた。きみがやったの」
ぼくは少し固まった後で、ゆるゆると力を抜いた。
「やった。怒る?」
「いや、感心する。良くないんだな。細工するくらいには」
「さっきの鳩は白かった。この地区では見かけないやつだよ」
しっかり締めたはずのカーテンが少し開いてて、外の光がちらちら入ってくる。
おまえの心臓はどこにあるかがすぐわかる。
うるさくて、たしかすぎて。

「なあ、平和が今ここにないなんて、思っちゃいけない」
「うん」
「心が殺されて良いことなんか、ひとつもない」
「うん」
「ひとっつも、ない」
「うん」

頷くことしかできない。
分かってるんだ。
おまえが外で見てくるものがどんなに生々しくて救いようがないものか。
ぼくがいなければあの壁だって簡単に飛び越えられるだろうに。

(ぼくに価値を見出してしまった、おまえの負け)。

「あ、そうだ。さっき拾った」
おまえはぼくの前に白いかけらを差し出した。
「お守りっぽいだろう?拾ってきた」
「お守りっていうか、犬かなにかの骨じゃない?これ」
「あげる。持っておいて」
「うん大切にする」
「おれも、大切にする」
おでこにあたたかいものが触れた。
これはまたずいぶんと遠慮がちな。
「ずっと、されてる」
そういえば悲しいことがあったなあと、今になって思い出して感傷に浸る。

「浸っていいよ、どこまでも浸っておいで、おれがつないでおく、ぜったいにきみをはなさないから」

そう言う奴ほどはやくにいなくなってしまう。
ぼくは返事を保留にしたまま、自分の太ももを搔こうと手を伸ばし、もうそこに太ももがないことを思い出す。
(ああ、そうだった)。
そうだった。
たいした高さじゃないのに。
あんな壁。
壁とも呼べないくらいでも、おまえは飛び越えられないんだ、ぼくを大事に思い始めてしまったおまえ自身のせいで、手に入らないものを数えもしない、くだらなくて、滑稽で、ほんと泣けてくるよ。