なんとなく目を覚まして
なんとなく朝食はパンにした
なんとなく選んだ本を読んで
なんとなく散歩に出かける
なんとなく目についた靴を
なんとなく試し履きして
なんとなく気に入ったので購入し
なんとなくいい気分になった
なんとなく凝った料理をつくり
なんとなく合わせたラジオを聴きながら
なんとなく来るかなと思っていたら、
玄関のチャィムが鳴った。
ドアを開ければきみがケーキ屋の紙袋を掲げて立ってる。
「新作だって。店員さんにオススメされたから、なんとなく買ってみた。あがっても?」
こっくり頷く。
外に広がる深い夜から、ぼくはきみだけを選んで招き入れる。
きみの連れてきたにおいや、ざわめき、きみがすれ違ったであろうひとびとの感情が、少しずつ薄まって消えていく。
深海のようなアパートの一室できみとケーキを食べる。
罪悪感をともなわない食卓。
豪華ではないけど特別で贅沢な食卓。
ぼくはこのために生まれたと言って過言ではない。
きみはこのために生まれたんじゃないかもしれないけど。
「ケーキおいしいねえ」
こっくり頷く。
「明日はボートに乗ろうか」
こっくり頷く。
「青いボート、空いてるといいね」
こっくり。
「殺せと言えば殺してくれそうだね」
はっとして固まったぼくを、きみが笑う「冗談だよ。ごめんごめん。何言っても頷いてくれるから」。
今からでも頷きそうになる。もしきみが朗らかに笑いながら生きていくことを阻むものがあるなら、ぼくはぜんぜん頷くのに。なんとなくじゃない、確固たる決意で。きみはぼくからなんとなくを取り除くたったひとりの存在なのに。
ケーキの上に視線を落としたぼくは、言えなかったセリフを桃と一緒に飲み込んだ。