雑記

なんでも書きます。何気に一番人気あるカテゴリー。

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【雑記】かわいいものがあふれるだけ

かわいいものがあふれる季節がやってきましたね🎃
そう、それは…ハロウィン!
かぼちゃのプリン、紫いものタルト、綿あめ味のキャンディー🍭
まず食べ物がいっせいにかわいくなる。
そして、オレンジと紫と黒といった毒々しいカラーリングで街やお店のディスプレイがかわいくなる。
化粧品あまり興味がないので知らないけれどハロウィン限定コスメとか出るのかな?2か月後にクリスマスが控えてるからあんま大々的にはしないのかな?わからないけども。
おどろおどろしくて微かに残酷な香りがするけれどもポップで吸血鬼とかちょうかわいい(?)
アシュユリかー、はまってたなー🕷🕯💉
唐突に思い出す過去の推しカプ。今見たらまた違った視点で楽しめるものがいろいろあるかもしれなくて何がしたいかというと絵文字を使いたいだけなんです💖🎩

ポップ度あがるなー。軽いなー。

脈絡からの解放🎭

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【雑記】見たいものしか見ていない

迷っている時、何か探し物をしている時。欲しいもの、なりたいこと、本当はもう決まっている。理由と確証さがしをしている。同じことを支持している人の言葉。(よし、大丈夫だ)。賛同を得ている。(うん、やっぱりこれに決めよう)。

後押しが必要なんだ。だから、迷ってる人を後押しできるのは「いいね」「がんばって」「応援してるよ」じゃなくて、「私もそうだったよ」「同じだったから分かるよ」なんだと思う。体験者。実践済み。
だから人のためになるには自分が体感しておかないといけないし、どんな人のどんな悩み事に遭遇するかわからない、誰を助けたくて励ましたくなるか未定、なので自分がコツコツ経験値を貯めたりやってみるべきだけど、失敗や恥ずかしかったことも経験のうちに入るから、そういう話は取っとくといい。誰かにとって親身になれたり、聞いてもらえるアドバイスができるから。

ただ一点問題なのはこういう話をしているとむず痒くなることで、そんなこといちいち考えて動かなくていいという結論に落ち着くこと。

だとしてもやっぱり自分を優先させて動いた結果が誰かにとっての聞きたい話になったりもして、ほんと何が役立つか分からない。そうであるから、何か役立つかもよ。まだ見つけていないだけ。出会っていないだけ。で、あったりする。

あと、「がんばれ」「応援してるよ」って言葉に「いやいや、もう十分頑張ってるから」とか思わないでしょ。その言葉の前には「こんなことしか言えなくて、力になれないけど」って付いてる。言い方次第、状況によるし、というかざっくりその人によるんだろうけど、「がんばれ」を自重する風潮(意外とそんなものはないのかも知れないけど)、かえって違和感を覚えるのは自分だけだろうか。んー、というか「がんばれ」って言われたくないなら何が必要か明らかにしておくと実質的に求めた支援が受けられるかも。それも面倒臭いかままならないなら「ありがとう」って言えばいいんじゃない。まあ、ありがとうって、私は素直にそんな気持ちになれないけど(最後で自論をぶち壊す)。おまえがこの立場になってみろよ簡単に言いやがってよー、くらいには思うかも。最低だ!

1+

【雑記】あそびごと

wordpress慣れてきた。

久々に自分のブログ見たら「白いな?!」ってなったので(まあそれが狙いではあるんだが🙄)、たまに色味があったら良いかもと思って絵文字プラグイン入れてみた😍✨これ。

基本的にサイトやブログにおいては「活字以外に表現を頼るとは何事か!」「絵文字~?あまったれんな!」って厳しく考えてたとこがあって、好きじゃなかったんだけど、まあ、これも楽しいかなと思って…。

🌎🍇🍮🙃😘🍑🍆🏀⛳💎🇧🇪

なんだよこんなに楽しいのかよ…。

ちなみに謎のルールの反動で、メールやLINEだととてもよく絵文字使う方。
よりこっちの意図に近しく伝わるって、分かってはいる。

ただ、詩や小説を書くときはそれに邪魔されたくねーんだよなあーというプライド?頑固おやじみたいのがいつまでもいる。

こんなおじさんでも自分の一部だから捨てられないんだ👼🏻🐱🍒

雑記の時は使おう。

2+

【雑記】理想と現実

さっきあげた小説は、スマホのメモに眠ってた書きかけを完成させたやつ。
メモで書いてスマホからもタブレットからもパソコンからもアップロードできる。便利な時代よの。

執筆環境(理想)
・淡色を基調とした広い部屋
・座り心地のいい椅子
・飲みたいものが好きなだけ飲める
・窓からは自然の緑が見えている

執筆環境(現実)
・ベッドの上で寝ころびながら
・扇風機の風
・窓の外を車が走っている
・飲み物は麦茶かカフェオレ

理想があるうちが花かも知れない。
そして環境はあんまり関係ないかも知れない。
むしろ満たされていないほうが良いのかも知れない、人間、欲は尽きないけれど、不足していたほうが、夢を見られる。
と、合理化をする。

質より量。

他人の書いたものにあれこれ言うより、一行でも自分で書いたほうが良い。私はその人を偉いと言う。勉強でもそうだ。一分でも手を動かしたほうが偉い。この勉強したい、あの資格とって、ああしてこうしてって言ってるよりも。何事もそうで、これは自分への戒めでもある。もちろん計画を立てることは大切だが動き出すことはもっと大事で、計画立てて満足したり計画という名の後回し精神には注意をしたいところ。だけどそんな場合でもやっぱり「計画して満足したならその程度」なんだろうな。やりたいことって「やりたい」って考える前にやってたりするし、そのエネルギーや瞬発力みたいなのはすごいと思う。すぐ行動にうつすひとってすごいな。心がけてはいるけど、それって心がけるようなことかな?と思ったりして一進一退。
まあ、頭の中でこね回してればお金もかからないし場所はとらないしエコだよね!
その層を突き破ってきたものにだけ現実に存在させてあげよう。

3+

【雑記】得意は使える

ここ数日、好きについての記事をいくつか書いた。好きは強いとか、好きなことは消えないから大丈夫とか。その見解は今のところそのままだけど、好きとよく比較されるのが「得意なこと」ではないだろうか。

好きなことと得意なことは違うとよく言われる。私もそれはいろんな人を見ていてよく思う。「あれ?この人これを極めればいけるんじゃないか?」とか、「なんでこの人ここを磨かないの?」とか。それらは他人事であるがゆえの見方かも知れないけど、本人の素質と願望が寄り添っていないことは多々ある。時としてそれは「ギャップ萌え」という新たな価値を生み出しもするが今回はその話ではなく。

服装に例えたらどうだろう。
その人が着たい服(好き)はロリータファッション。仮に。
でも、似合う服(得意)は清楚な和装。とかね。
極端だけど。

じゃあ得意な物事が当人にとってなんの利益ももたらさないの?他者からの評価以外に?ってなると、どうもそうじゃなくて、好きなことを維持したり始めるためのサポート役になってくれるんじゃないかなとは思う。メインに据えると「ちがう、そうじゃない!」ってなるけど、得意なこともやはり好きになるはずだよ。それを頼って人が集まったり、それが得意なおかげで人から褒められたりしていれば。卑屈にならない程度に。そういう才能が何か一つあれば、自分の好きを保つための材料になるんじゃないかな。好きで生きていなくても、得意でお金を稼げるのなら。そういうやり方もあるんじゃないかな。

そのやり方の良いところは、得意なことは「スキル」として客観的にとらえられるところ。得意なことはそれを好きな人にいつか抜かれる運命で、それは避けようがない。好きは最強だから、苦労も苦労じゃない。だけどそれが得意なことであったら、受け入れられるだろう。すごいな、好きには敵わないなって。だから得意はツールには向いている。すべては好きを守り、続けていくため。
なので得意なこともあればあるほどよい。

もし好きなことも得意なことも何にもないのだとしたらその劣等感で生きていけば良い。劣等感とか自虐の精神はとらえようによってはだいぶ強い。ギャグにもシリアスにもなるし、共感を得やすい。つまり自分のファンがつくれる。自分を見てくれる人がいると知ることほどの幸せはそうそうない。そこから、何か挑戦しようとかあれこれ願望が出てきたら「しめしめ」とほくそ笑むのです。

自らの手で終わらせなければ絶対どこかにはつながる。
好きになれない今のために、好きになれるかもしれない人や時代まで捨ててしまわないで欲しい。
こういう言葉はいつだった発する方のエゴであるんだけど、理由がないなら私のために生きてよ。ってやつ。

一でつまづいたからって残りの九十九を捨てちゃう?
もったいないよ。
ふざけるなと感じる。

どうせ死ぬの。だったらなおさら今を選びたいって純粋に思ってるならそれはそれで自由にすれば良いけど、もしも「本当は〇〇したいのに。」って気持ちがあるんなら、それができるまで生き延びるんだ。

死にたかったら詩の中で何回も気の済むまで死ねば良いし、殺したかったら小説の中で何人でも気の済むまで好きな方法で殺したら良い。

諦めるには若過ぎるんだよ。
関わりすぎているし。

まあ確かに君が死んだって世界は回るけど。
生きてたってどうせ回ってるんだつまり変化なし。

みんなバカ死ね地球もろとも粉々に割れちまえって罵りながらもう少し見ておこう。いつか平気になって笑えるよ。今はそんな自分を想像できなくても。いつか全部肥やしになる。卑屈も憎悪も嫉妬も羨望も落胆も敗北も不安も。貯めれば貯めるほどお得になる。
つまりマイルだな。
せっかく貯めたマイル、使いたくない?

4+

【雑記】好きは大丈夫

下の「好きに気づく」でも書いたけど、好きなことに関しての続き。

好きなことは自分の中で時とともに変わったりするけど、よそからの力では消せないと思う。たとえば、時間がなくなったら好きなことできなくなって忘れちゃうんじゃないか、とか。否定されたら自信がなくなって、好きなことでもやがて嫌いになっちゃうんじゃないか、とか。

そういうの全然心配しないでいいと思う。

好きなことが好きなうちは絶対消えないし消せない。もし消えたりすることがあったら、あなたは結局自分の意思でそれを好きじゃなくなったんだと思う。べつの新しい何かをもっと好きになったのかもしれないし、もう好きになり尽くしたのかもしれないけれど。とにかくあなたは自分の意思でそれを好きな自分じゃなくなったのだから、環境や周囲に責任をなすりつけるべきではない。

だから、つまり、繰り返すが、好きなものは強い。

押し込められるものじゃない。やめろって言われてやめられるものじゃない。もし一定期間それを中断したとしてもずっとどこかで考えているし、いつかはきっと、って野望抱いてる。それは幸せなことなんだよ。好きなもののために葛藤できる、なんてことは。好きなことがなければその葛藤はそもそもない。贅沢なんだよ。

命があるうちに、体や頭が自分の思い通りに動くうちに、好きなもののためになら、何だってしたほうがいい。他のことにとんと無頓着なんて最高じゃん。好きな気持ちはずっと続いたとしても、それを続けられる心身がなければ愛でようがない。健康は大事。私は自分のそういった領域を守るためなら、人間関係なんかたいして重要じゃない、はっきり言って軽視しても良いと思ってる、本当に。その人にとって、べつになくても良い程度ならばの話だけど。まあもちろん自分のしたことは自分に返ってくるよ?それを見越してまあいいやって関係ならべつに要らないのでは。べつに要らないどころじゃなくて、限りある時間を奪うという点では害悪ですらある。

愛や友情より大切なものを持っていたってべつにそれはそれでいいんだよ。ただその考えはあまり声に出して言うもんでないかもしれないけど。人間同士も効率よく繋がればいい。媒体が電子であってたとえば一生現実に対面することがなかったとしても、それはリアルになんら劣るものではない。生身だから、時間かけたから良いってもんじゃなし。もちろんそれはそれで良いこともあるんだろうけど、必ずしもそうじゃない。というところまで含めて覚えておくのが良い。

他人が色々言ってきても、その人にとってはこっちが他人事なんであって親身なわけない。その人の言ったことを鵜呑みにしたとしてなんか災いがふりかかってもその人が責任とってくれるわけでないでしょ。アドバイスしただけだもんって逃げられる立場だもん。自分以外すべてそうだよ。だったら、ハイハイって素直なふりしてさその実聞き流せばよいのだ。心の中で「うるせーおまえ俺じゃねーだろバーカ」つってな。とってもいつまでもガキ精神。顔に出ないタイプだとより良いね。私はよく顔に出てると言われるから上記の話ほとんど適用できない派。

ほら分かったでしょう。他人は無責任。

5+

【雑記】好きに気づく

いちばん最初に新しいことを始めようとした時ってさ、なんとなくだけど大切なこと全部できてたなあと思う。手順のこと。効率的ではなかったかもしれないけど効率的になるよりも大切なこと。

たとえば私が詩のサイト作ろうとした時は今みたいに会員登録してポン!みたいな過程ではなくて自分で一からサーバー借りて(または買って)タグ書いて(または教えてくれるサイトから勉強やコピペ自由のやつコピペして)掲示板必要ならそこも借りて設置して検索サーチに登録してやっと知ってもらって、みたいな色々することあったんだけど、そもそもそういう情報集めたり、こういうのは全然苦じゃなくて「これどうすんだ?」って疑問を持って、自分の好きなサイトやここいいなあと思うところがあれば真似から入ったり、とりあえずやってみるかってやってみて、ダメなら何度でもやり直す。随時手を加える。

こういう過程が全然苦じゃない。時間許す限り半日でもパソコンの前に座ってられるし大学で一人暮らししてた時はもうそれこそベッドから起きたらまっすぐパソコンの前に行ってご飯食べずに気づいたら夕方だったみたいなの日常的にあるし、それって少しでも他人から強要されたものだったり要は自分が好きでやり始めたことでなければありえないのね。誰でもそうだと思うけれど。だから「好き」ってものすごく強い。それが「得意」な人よりも「好き」な人のほうが絶対に強い。好きはそのうち得意になるかも知れないけど、得意は好きにならないケースも結構あるよね。自分でもそうだし他の人で「この人これ得意なんだなあ。これしたらいいのになあ」ってこっちが羨ましくなるような才能持っていても本人が「私それ興味ない」だったりね。

好きはすごい。
勝手に自分から加速させてって、他のこと気にならなくなるし、そのためになんとか時間捻出しようとするし、となると他の部分でも工夫するし、とにかくそれにまつわることが何も苦じゃ無くなるっていうハイパー無敵。

挫折って「得意なこと」に対して起こるものであって、「好き」なことにはそもそも起こりえない現象だよね?
だって続けられるんだもん。
折れるとかそういうことはない。

もちろん得意なことがたくさんあるに越したことはないけど、好きなことがあることはもっともっと大切。下手でも好き。

じゃあ好きなことってなんで好きになれたかというと、自分が寂しかったりもうダメだって思ってたときに「それでもここにあるよ、いるよ!」と寄り添ってくれた記憶や体験があるものって割とそうなるんじゃないかな。またはそれに関してすごくかけがえのない思い出があるとか。

だから若い人は好きをいっぱい作ってください。どんな苦労も大丈夫な好きなもの。評価が無くても低くても自分が好きなもの。そしてときどきその幸せを噛み締めてあげる。
これがあるだけで、誰も死ななくて済む夜もある。

4+

【雑記】どれでも大切

ここ三年くらいはiPhoneのフリック入力で詩や小説やブログ記事を書いているが、それより以前はもっぱらパソコンのキーボードだった。手が動かしづらい関係で必然的にフリック入力に変遷したという経緯があるけどそうじゃなくても変遷したのかな。

手軽さでは絶対スマホに軍配だけどひさびさにパソコンのキーボードで自分の思うスピードで打てるようになったので打ってたら、ああ、こっちもやっぱり楽だ。と思うのは慣れてるからかな。懐かしいもん。トータルで見たらこっちのがまだまだ使用歴長いもん。そら、書くものも初々しくなるわ。男子学生は恋に落ちる。空は青くなる。世間は敵。世界は僕たちのもの。に、なるわ。うんうん。夏のせいでもある。うんうん。

とは言えフリック入力も同じ程度に楽になってきてるんだけど(というか「邪道!」ていう謎の感覚が薄れていってる。原稿用紙の時代から見ればキーボード入力が「邪道!」なんだろうか?)、でもフリック入力は親指だけ活躍してて他の指あんま働いてないから脳の活性化には一躍買えて無さそうだなあ。出先やバス待ちなどの時間にポチポチ打ち込んだりメモできるのは間違いなくとても便利。

家にいるときは、iPhoneとiPadとパソコンの三台を並行して見ながらサイトデザインの崩れがないかとか誤字がないかとかチェック兼ねつつ、パソコンが何か読み込んで空いてる時間はiPhoneでLINEしたりアプリしたり調べ物したり、その横ではiPadで動画見てたり音楽流してたりするから、暑いのとか気にならないのね。頭に室温を気にする容量が残っていない。で、ふうって一息入れた時にハッ!として汗ダラダラになってることにようやく気づいてクーラーつける。これは割とよくやる。あー今すげー夢中になってたー、て分かる瞬間。これ地味にうれしい。地味にしあわせ。まあ、健康上はよろしくないんだろうが…。

懐かしいものに触れると、その時の気持ちや立場や何やかやが蘇ってくるでしょう。音楽とか、においとか。それは景色であったり人であったり料理であったり思い出の品であったりするんだけど、入力端末もその一つだなって思ったという話。一番パソコンをメインで使ってたときはVAIOだったー。懐かしい。その次は白のDynabookだったー。懐かしい。ちなみに白のDynabookは初めて自分のお金で買ったパソコン。今は赤のDynabook。

画面表示とかインターフェースとか、そういうのも含めて、執筆環境は思い出なんだよ。その端末でしか書かなかったものってあるはずだ。
鉛筆でしか書かれなかったもの。原稿用紙にしか書かれなかったもの。パソコンのキーボード使ってしか書かれなかったもの。iPhoneでしか、iPadでしか書かれなかったもの。
そもそもそれが無ければ書かなかった人すらいるんだろうな。以前は「書く人は何を使ってでも書く」みたいに感じてるところがあったが、それはそれであるのかも知れないけど、今日はそんな考え方じゃなくて、ツール次第で人は何にでもなっただろうと思う。明日にはまた違う考え方してると思う。一貫性は保てないと思う。生きているとはそういうことだと思う。無理矢理まとめ。手がちゃんと思うように動いて私はうれしい。完璧じゃないけど、充分。

1+

【雑記】壁と襞

壁と襞は似ている。

ひとつ大きなイメージ(人、景色、色、場所、思い出)があって創作活動っていうのは何度もそれを塗り直したり、いろんな角度から眺めたりしているだけなんだと思う。ずっとひとつのことを。ずっとひとりのひとを。だから色んなことを網羅的に包括的にやっているように見えてもそれはそのことを包むレースの襞が増えただけで、本当に言いたいことや表現したいことは微かだったりする。だけどそのままでは品が無いし味がないから襞をつけてふんわりさせたりボリュームを持たせて存在感を出したり香りをつけて居場所を示したりする。そういった派生で他人は気配を感じたり本来作者が伝えたいことを直に伝えられるより感じることが強くなったり多くなったりする。だからこの世界に無駄なものはない。人によって無駄なものがあるだけで。そうでないものを探し出せた時にみんな肯定できるし、肯定してた人に初めて共感ができるようになる。自分で壁を打ち立ててしまえば襞に触れることさえできない。ない。壁は一時的に自分を守るかも知れない。だけど自分にとって大切なものから自分を隔てることもある。襞はやわらかい。壁には勝てない。物質的には。だから自分が取り除くしかない。朝だけでも。夜だけでも。壁はいつでも建てられるけど襞は脆く儚い。人の中で生きることしかできない。飲まれてゆくしかない。傷つくしかない。もし知りたかったら。触りたかったら。

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【雑記】サタデーモーニング

好きってすごいよな。何の見返りもないのにものを生み出すモチベーションになるんだよな。お金のためじゃなく時間を費やしてしかも他人のことは二の次でたぶん自分のため、原初は自給自足、なぜって最初の読者はいつだって自分自身だから、そしてそれをわざわざちゃんと形にしていくんだ。尊いよ。まぶしいよ。私生活でのいろんなしがらみや苦悩や、創作活動を妨げる要因になりそうないろんな時間的・精神的制約、それらぜんぶ乗り越えて、もくもく励んでいるんだ。土曜日の朝っぱらから推しカプの二次読んで真面目に感動してる。作品そのものの手前、そもそも人の創作意欲の根源だとかに。これがあれば友達も彼氏も要らないよ。短絡的。極・論。気持ちの上ではみんなそうだよ。嫌いなものとか受け入れないものも全部全部ネタにしちゃえば平和だよ。プレミアムフライデーなんか関係ねえよってただ毒づくくらいなら過重労働のサラリーマンと帰宅途中の気になる花屋さんのお話とか書けばいいじゃない(仮定)、西野カナの歌詞にはてなマークがとまらないならどっちも男にすればいいじゃない(腐)、勉強が楽しくないから科目を擬人化すればいいじゃない(実践済おすすめ)。そして西野カナのことすみませんこんなこと言いながら私のiPhoneにはいってるから。iPhoneって「あいふぉん」じゃくて「あいふぉーん」てしないと変換されないて知ってた?そこ融通きかせよう?な?余計な予測変換あげまくって笑わせるくせに自分の名前に関するアイデンディティばきばきで体質的(性能的)に譲歩できないようインプットされてるとか可愛いかよ。私のだけかな。二度寝しよ。

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