【雑記】ざらざらの秋

秋になると、10ヶ月だけ通った小学校で(なつさん5回小学校変わってる)、放課後、クラスメイトの女子らとどこか公園で遊んでて本当につまらなくてはやく帰りたいなあーって思ってたこととか唐突に思い出す。達観とか意地悪とかそういうのと違って、ほんとうに「みんなほんとうにたのしくてわらってるのかな?だとしたらすごいな」と思っていた。好きな人とか好きな教科とか好きな色とか好きな動物それぞれちがうのに同じことで笑えるのすごい。なんでだろ。奇跡なのかな。私もそれになりたい。なれない。いいな、たのしいと思えたらいいのにな。たのしそうだな、当たり前か、たのしいんだもんな。私つまらない子だな、つまらない顔してんだろうな。まいっか、どうせまたすぐ転校するしー。日が暮れるの遅いな。早く暗くなって「じゃ、かえろっか」ってだれか言い出さないかな。家でひとりで絵を描いてる方がずっと、とても楽しくて充実していると感じた。この頃は作文より絵とか書いてる。何気ないことと思っていたけどたぶんギリギリで、かと言ってひやひやするほど切羽詰まってなくて、あー女児だったなー幼女だったんだなーて思う、秋の匂いがすると。たまに。少しだけはみ出すこと、違和感、それも、隠しきれるくらいの違和感を、たいしてとくべつじゃないよって諌めたい。でも大切にしたい、忘れなかった人が今もそうある子どもや、大人も含めてだけど救えてるから。素直にそう思える。だからって万事解決ハッピーてわけでもないけど。帰り道にある家で、撫でてくれる通行人を待っていた雑種犬のザラザラした舌触りだけがあたたかく優しかった。

4+

【雑記】配分と残された時間

根がインドアもインドアなので「やりたいこと」「しなければならないこと」がごっちゃになって配分うまくいかなくなる時が大人になった今でもあって「だめだめだなあ」て思う時と「しあわせなことだなあ」て思う時がある。

どうやら「しなければならないこと」の割合に圧されて「やりたいこと」が消失する人も多いらしい。

なのでもし「まだそんなことやってんの(はまってんの)?」て言われた人とか、あのね、まじで大丈夫、誇りに思っていい、なんでもいいよ、アニメでも漫画でも小説でも雑貨づくりでも創作でもマッチ棒クイズとかパズルとか竹とんぼとかゲームとかカラオケとか石投げとか空想とか円周率とかなんかそういう「お金にならないもの」(って、オトナが思い込んでる類)に今でも夢中でぜんぜん幸せなことだよ。

そう言ってくるひと心底うらやましいんだろうなあって思ってる。

口に出したら「ちっげーし!」て全否定されそうなので心で思うだけだけど、けなしてくる人とか見下してくる人は、無い物ねだりさえも素直にできなくなった人たちなので、いつまでも偏執狂でOKだよ。超嬉しい、ありがとう、て思っておけば。

変なこだわり、意味ないこと(と、多くの人が勝手に認識していること)、(すぐには)お金にならないこと、うむ、万々歳じゃん。

もうそれしか生きる意味ってない気がする、最終的に。

お金って、お金ってね、ほんとうは簡単なんですよ。手に入れるの。間にいろいろはさまって難しくなってるだけで。まあ、はさまってるときでさえ難しいことはないんだけども。見直すきっかけがない。

でも、好きなことや夢中になれることって、一度なくしたら難しいんですよ。

そのうえ、好きなことを続けるにはやっぱりお金が必要で、となると配分をうまくするか、好きなことをお金にかえる努力すればいいのかなって思うけど、ここがちょっと違って、得意なこと・できること、もっとひらたくいうと「他人より苦痛じゃないこと」でお金を稼げるといいんだなあ。

「はー、まじきつい」「むり」「だるい、かわりにやって」「おしえて」

って、他人から言われたことを、自分が(そう?)(それほどでもないけど)って感じたら、あなた、それは見落としちゃいけないことですよ。

たぶん。

最終的に見習うべくは年配の方だと思う。

お金と健康と趣味。
もうほんとこれ。
最終的にこれすぎる。
これには労苦やお金を惜しまない所存。

お金は別としてあとの2つは取り戻すのに時間がかかりすぎるのと、失ってる間のダメージはんぱないからコスパ的な何かが悪いんすよ。どうせ100年だしー。でも100年まるまる残ってるわけじゃないじゃん。今20の人だってさ健康ないがしろにしてたら60とかで寝たきりになったとして、それでもあと40年?きつくね?むりじゃね?

って考えるべきだし、そう考えてる大学生知ってほんと焦る、おねえさん焦った。すっげーなーて思う。老人と若者には学ぶことが多い。つまり、そうか、みんなか。みんな先生であった。

3+

【雑記】さよならシティーズ

ジオシティーズが2019年3月で終了と知り自分の触れたものがまた一つ「過去」に組み込まれていくの感慨深いあまりに梨がうまい。シャリシャリ。果物あんまり好きくないけど梨は好きだな。水分多いからかな。スイカも好きだけど持ち運んだり皮を捨てたりするの一息入れないといけないからやっぱり梨いいな。大きさがちょうどいいもん。しゃくしゃくしてて美味しいし。

で、ジオシティーズですよ。実際利用したことはない(と思う)んだけど、その名の通り1つの街になぞらえて区画名がついてたの懐かしくて困る。

ゲームジャンルが「プレイタウン」とか、自己紹介「ハートランド」とか、女性ジャンル「パウダールーム」とかさ。
もはや「ホームページ」「電子メール」って字面が懐かしいもん。

私が最初ホームページ作った頃、フリーティケットシアター使ってたけどこれも2016年にサービス終了している。

驚くべくはスパンですよね。誕生→隆盛→衰退→撤退のスパン。ずっと続くだろう。これ以上便利なものは出ないだろうと思っていてもやっぱり上回る次世代が出てきて書き換わっていくんだもん。人間すごいもん。

そしてこれは私だけじゃないと思うんだが「初回の呪い」とでも名付けようか、初めて接したものにかけられる呪いってあると思うな。後からどれだけ便利なものが出てきても、やっぱり一番最初に自分に衝撃を与えたものからは離れられないっていうね。表面上は乗り換えてるつもりでも潜在意識で「あの頃の感動にはかなわないなあ」「あれを上回るものはないなあ」って思っていてさ、だから最初ってすごく肝心なのだが、最初って偶発的だから意識できたり操作できたりするものでないのね。

ぜんぶ運命のいたずらで、それなのに後から「ああしたい」「こうだった」っていうの人間っぽすぎて本当いやになる。

産まれたら絶対死ぬように、誕生した時点で古びていくんだよなあ。
でもこの思いも思い込みで、そのうち「不死」「再生型」みたいなのが主流になってて「スパン」って発想自体が古くなっていって「ナンスカそれ?」みたいな世代が出てきて、根本的に、思想の土台から変わっていくんじゃないかなって思うと同世代に産まれた老若男女尊くなるはずなんだけどそうでもないところほんとわかってないなって思うけど尊い。

ホームページサービス作った時にカウンターのフォント選べるのめっちゃ懐かしい。

表作ったときに銀色の縁取りにしかならんのとか、流れる文字とか中央揃えとか最高に懐かしくて思わずスクショとった。

だけど新しいのも好き。
便利なのも好き。
えっ、こんなの出た?できた?
って思うのも好きで、その時に「かつては……」て思い出すことがあるのも風流な気がする。

4+

【雑記】ただパソコンの話してるだけ。

iMacにウィンドウズ10入れるのに成功した!結論から言うと非常に簡単。途中で「んっ?」てなったけどライセンス入力せず進めてただけ。ミス。かかった費用は新規ライセンス代17,000円。新たにPC買い足すより経済的だったな。場所もとらないし、よかった買わなくて。iMac電源入れてマックかウィンドウズか選択可能で作業途中での切り替えも可能。これでMMDできるぞ。インストールできなかったあれやこれや、諦めてたあれやこれやもできるぞ。…って事態になると途端に何もしたくなくなるのは人間のサガなのか己のサガなのか。こうやってみんな死んでくんだろうな、やろうと思っていた、いつか取りかかろうと思っていたんだ…って言いながらな…。強いて言うなら画面の解像度しっくり来ないところあるけどまあ許容範囲内かな。やはりMacは優秀だった。#結論。自我が芽生えた頃から?ずっとウィンドウズだったけど何が優れてるってMac製品は型落ちしても価格がそれほど、馬鹿みたいに落ちていかないことですな。メルカリ見てても「へー」て値段で売買されてるしそういうのウィンドウズにはなくない?知らんけど。次に欲しいのはAirPods。新型の噂あったけど別に気にならないからもういいかな。まだっぽいし。こうして生活がリンゴに囲まれていく…。

2+

【雑記】ばいばい、ホームボタンちゃん。

iPhoneからホームボタン無くなるのか。Gizmodoのこの記事好き。物理への安心感、帰路への保証。まさにそれ。物理も壊れるときは壊れるのになんだろうね。時代が変われば物理に拠り所を求めなくて平気な世代が出てくると思うと急に年寄りじみた気分不可避。
そういやiMac使い始めてしばらく経ってから遅ればせながら驚いたのは「意外と使えない」ってこと。マックが使えないと言うよりマック非対応のソフトがあまりに多かったということですな。マックはいいんだけどウィンドウズ優勢過ぎてその状況を調べもせずiMac買ってやったぜうえーい★てなってた自分情弱すぎる。なんかイメージない?マック=なんでもできる。っていう。マックでできることは大体ウィンドウズでもできる。でも逆がないこともある。ウィンドウズでできてマックでできないことは多い。むー。こうなったらiMacの隣にウィンドウズPC置こうかな?!トレーダーの部屋見たくなるけどな?!っていろいろ調べてたらすっげーいい話きいた。それは、マックパソコンで仮想ウィンドウズ環境つくることであった。あーーーなんで知らなかったんだ。やばい新たに買おうとしてた。マウスとキーボードとデザインはマック好きだから、でも中身はウィンドウズが慣れてて…ってキメラ的展開なんとかなりそうで良かった良かった。…なんとか、なる、んだよな?とりあえずやってみる。そしてさ驚いたのがそもそも若者はパソコン持ってないってことですよ。いや、普通の若者がスマホで満足、事足りるのは分かるけど3D動かしたり動画編集までスマホでやるってほんとか。もうね、おじいちゃんびっくりしたわ。そうはいってもやっぱりパソコン欲しいなーって声が多数だけどそのうちさ、それこそもう物理デバイス消えるのではないか。頭でイメージしたものがそのまま他人や公共と共有できるようになるの。ドラえもんの世界にあった気がする、考えが吹き出しになって他人にさとられてしまうやつ。ほんとサトラレの世界だよ。そしてそれを取り締まる法律とか守護的な立場の人や組織が出てきてみんなわーいってなったらそいつらが実は黒幕で国家転覆をもくろむ悪の組織でその上層部と情弱庶民のBL読みたい。「俺にはおまえの考えなんか手に取るように分かるんだからな…ククク」って悪役攻めの脳内に屈託無い受けの好き好きオーラが雪崩れ込んできて赤面するのかわいくない?自分への誹謗中傷にまみれてると思ったら好き好き大好きメッセージがだだ漏れで許容範囲オーバーヒートのほっこりはん。うーん、どうだ、どっちがいいか?どっちがいいと思われますか?攻めの脳内に受けの思想が雪崩れ込むのとその逆では?砂原糖子さんの小説で似たようなのすでにあったな。設定違うけど相手の考えてること流れ込んでくるやつ。しかし不便性の風流ってあるよね。ある程度のめんどくささや障害がストーリーの要ってやつ。スマホの登場で消えたトリックや不可能になった設定っていっぱいあるじゃん?「え、スマホ使えば万事解決じゃね?」みたいなの。テクノロジー発展の陰では陽の目を見なかった多くのストーリーがあることにも思いを馳せて欲しいなと思うこともありますし思いを馳せたりするんですよ。暇人ではないですよ、毎日めっちゃ忙しかったり昼寝したりはまあしてますがね。

はあ。秋めいてきた。

1+

【雑記】夢中にならなきゃ生きられない未来。

ちょっとするはずのことをする予定がなくなったからブログを書いていますが、読んだりもします。米津玄師さんのLINEBLOGの感じがけっこう好きで、いい歌作る人はブログまで良い感じなんだな。うむ!てなりながら、読んでますが。去年8月記事にこういう文章あって「それだ。」て、なる。

親が近所の人に「うちの息子は全然駄目で〜」みたいなことを言ってる姿を見て、お前が育てたんちゃうんか、と憤ったことを憶えている。それ以来こういう謙遜文化は悪だなと思うようになったので、自分が作った音楽にはいつだって胸を張って「美しい」と言ってやろうと思っている。むろん美しくないものを出してるつもりもないけど。

LINEBLOGには千眼美子さんのブログあって何気なく読んでたらけっこうあかるく幸福の科学ネタ書いてて「そうだな。」ってなった。メディアがさんざん叩いた人もそのあとの生活があって楽しいこと楽しいって感じながら生きてて、いや幸福の科学についてあんまり知らないけど、もういいじゃん。てなった。個人のブログっていいね。マスメディアが植え付けたいイメージとぜんぜん違うんだもん。テレビでガーッと言われてる人がブログやSNSでピカーッと光ってるとほんと希望だなって思うし、これが強さだと思うな。中央集権は(マスメディアはもう崩壊してるかもだが)、どんどん時代遅れになってって、一箇所停電したら全部だめになってしまうような時代は、もう、なくなってくんだよね。分散化だよ。

誰かが植え付けようとしたイメージに踊らされることも泣かされることもないし、反論したければ自分のメディアで反論ができる。し、見るほうもそれを一次ソースとして尊重すべき。どうだろ、みんなはどうとらえてんだろ?かつてのマスも昨今ではだいぶ「この流れやばいな」ってんで視聴者やSNSに寄り添った(媚を売ったような)あり方に変わってきてるように思うし、データ活用とも言えるんだけど、マスはマスにしかできないことするともっといいのでは?「お、やるじゃーん」ってなるのでは。隷属的にならずに。追従じゃなくて差別化といいますか、なんかできるのでは?それが何かはここで考えることをしないしべつに期待もしてないが。

ただ、「こういう世界あるからこっち来ればいいじゃん。」て言える、いろんな選択肢が並んでる状態の時代って、もっと色濃くやって来ると思うのね。うん文章おかしいね。直さないけどね。

これまではマニュアル通りにできる人がちやほやされたけどもマニュアルは人間がこなすべきことじゃなくなってAIの領域になるから今後は好きなこととことんできる偏執狂の時代になってくのね。で、そうすると取り残される人種がどんな人種かというと「好きなものがないひと」「夢中になれるものがないひと」なのね。時間を忘れるほど打ち込みたいことなんてない、仕事がなくなったら何をしたらいいかわからない、何をしても飽きっぽいし熱中できない。こんな人がこんど路頭に迷うのね。で、となると将来のペテン師像もイメージができてくるぞ。「あなたを夢中にさせるもの見つけます」とかさ。「あなたが本当にやりたいことをあなたのオーラから見抜きます」的な?さ。みんな夢中になりたくて、夢中になれるものに恋焦がれて、夢中になるためならなんだってする!っていう、夢中になる対象を見つけたい症候群に一斉に陥る時代がドーンとくるのでは。想像でものを言います、ええ。そういう場所ですからな。

だからそうなると夢中格差ですよ。世の中は大夢中戦国時代になって、いかに好きなことに熱中できるかで人間はランク付けされて何においても夢中になれない人は落語者で這いつくばって生きてくしかない的な。えっあなた会社も行かず四六時中ゲームしてたんですか?羨ましいです!どうしたらそんなに夢中になれるんですか?どうか僕にも教えてください今日からあなたを師匠と呼ばせてください死ぬまでついてきます!って段階までいってしまったらこれはもう夢中コレクターという亜種ですね。そんで夢中になるためのノウハウ蒐集家として国内に名を馳せるんですが世界は広い。もっと頭のおかしな夢中コレクタがいてそいつはなんつうかもう「夢中になったものへは命を差し出すのも厭いません!」と言いながら死ぬのね。それにエモさを感じて後追いする若者が続出してもう地球人口激減するから。そうしたらそろそろ人々も熱狂からさめて「あれ……おれたちは、一体何を……」あたりを見渡すと無数の死体。その体じゅうに「夢中」の文字がびっしりと入れ墨されているのであった。

って時代が?

A:来る
B:来ない

ファイナルアンサー?

2+

【雑記】フライパンでバッティング。

自分が昔書いた話好きすぎて泣いた。

って、馬鹿っぽいけど幸せなことじゃありませんか?何回か同じこと言ってるけど、自分が肯定しないことには、自分が「ふぁ……イイ♡」って思えなければ、続かないでしょうよ。根拠なき自愛の重要性を認識すべき。愛も自信も根拠がないから愛や自信になるのであって、むしょうに謙遜したくなるのも人前だからでしょ。いや謙遜したって分かるからね、謙遜=自分の作ったものが駄作だと本心から思っているのではなくて、差し出す相手への働きかけですよ。

「私、料理つくりました。自分で味見した時めっちゃうまかったです。だけどあなたの味覚よくわからんからあなたが美味しいと感じることができるかどうかは私の預かり知るところではない、てか知ってたら怖いやろ?ん?なもんで便宜上謙遜して差し出しますが劣悪品ですって紹介してるわけと違いますよ勘違いしないでね」ってことでしょ?でもこれが逆になると危ないんだよ、逆ってなんにせよ危ないっすね。逆流。逆走。逆探知。うん危ない。

「私これ美味しかったからあなたにも口にしてほしくて差し出してみたけどどうやらあなたのお口には合わなかったみたいで吐き出してしまいましたね、私料理人失格なんでもうでしゃばりませんね料理つくりませんね、だってあなた吐き出したから」。

って逆転発想になると今度は大変ですよ。あのね、だって、ないがしろにされる人間が多すぎるんすよ。

あなたが料理をやめたことで誰かが幸せになるか。たぶん、ならない。もしかしたら「まっずい料理食わせやがって、ぺっ!」って人は多少せいせいするかもしらんけど、あなたが料理をやめたことで幸せになるってところまでたぶん面倒見切れんのね。ていうか気にしてない。

にもかかわらずあなたはフライパンを捨てる。

こうすると、今度は飢えて来る人が出てくるわけです。3タイプも。

1.あなたの料理を食ってたひと(「うまい」と言う言わないにかかわらず)
2.あなたの料理をこれから食っていたかもしれないひと(とりわけ「うまい」と感じる味覚の持ち主)
3.あなた自身

ほら、こんなに。やばいでしょう。こんなに多くの人が、あなたがたった一人の人間から「まずい」言われたことをきっかけに料理やめたせいで飢え死にするんですよ。平気ですか?生きていける?あなたはそれでも 人 の 子 か !

ってなるでしょう。

でもある種仕方がないとも言えるんですよ。なぜってね、クレーマーは文句言うけど、受け入れる人ってとりわけ何か言うわけでもないから、なのね。「うむ。今日もうまい。ごちそうさま」。おわり。

これじゃあ、料理人が「まずい。」のたった一言に過剰反応してしまうのもある意味仕方がないと言えて、なのでちゃんと愛を示そう。おわり。

2+

【雑記】優しさが優しいとは限らない。

闇の力ぽいものを、軽視したり忌避したり、ましてや打ち消そうとして抗うことはないように思う。楽しいという気持ちや好きだという感覚を自然なものとして受けいられるように、その逆もまた受けいれなければ、人として嘘であるように思う。それは自分にとって好ましくなかったり、一見不利であったり、周囲に露呈したら恥ずかしいことのように思われる。そういうわけでひたすら隠したくなるかも知れない。だけど、どんな感覚であれ生じたからには自分がそう感じたはずで、しかも意外とまじでこいつをうまく利用することで、より良い方へ、より高みへ行けることがある。コンプレックスや、嫉妬心など。復讐心とか、あいつを見返してやるんだという気持ちとか。こういう感覚は抱いていても仕方がない、際限がない、そんなもの捨てて自由になれという人にたまに会う。きっと誰でも。だが、そんな時は、果たしてそうだろうか?と、思って欲しい。それは自身の中にある「こんな感情捨てたい」「苦しい」「恥ずかしい」に一致するので、その人のいうことはさも正論であるように感ぜられる。その人こそ自分を正しい方向へ導く救世主なのでは?とすら思う。だが待てよ、と、ふと思って欲しい。それ以前に。その感情が、感覚が生まれたのは何故か。それをよく知りもしないで「自由になりたい。解放されたい。美しい心の持ち主になりたい」と思って捨て去っていいのか?てか、できんのそれ?幸せを噛み締めている時に笑うなと言われたら腹が立つように、マイナスの感情が湧いた時にそれをただちに捨てろ解放されろ自由になれと言ってくる人物に対しても、また反感を抱かないと嘘では?どちらも自分のものだからだ。助言してくる人がどれだけ善意で、または悪意で歩み寄ってきているのだとしても、思考の持ち主はいつだって自分だし、自分でなければならないと思うからだ。すぐに共有して分かち合って励まし合ってたしかめあって舐め会うような、絆。絆って、きもちわるいや。って、わざわざ口に出す必要もないけど(なぜなら本心から絆が必要な人もいる)、違和感を抱いて欲しいんだ。もっともらしくても、正しくても、優しくても、好意的でも、善意でも、一瞬「うーん。それは、どうかな」っていうのを。他の種類の感情と分け隔てなく、難しいのだとしても、自分に生じたものであるなら、全部なにかのメッセージだとして、自分だけで受け止める夜があって欲しい。すぐに救いを求めるのでなくて、それぞれひとりで泣く夜があって欲しい。雑多なようで、潔癖すぎるよ。ごちゃごちゃしたものに対して。シンプルなものは羨ましい。しかし簡単に操作される。俺の人生に口を出すな、くらいの気概は、心のどこかにあるといい。

3+

【雑記】ハッカとエゴ

精製水にハッカ油混ぜたものを100均で売ってるスプレーボトルに入れてシュッシュするだけで立派に虫除けになりますよ。ハッカ油数百円。薬局でも売ってる。千円以下でオーガニックかつ効果抜群のG対策なります。まあ出ちまったもんには殺虫剤使うしかないがな。即効性の殺虫力はないんだ。あくまで予防対策であって。

だが私これ使うようになって思うんだが、自分だけよければそれでいいのかな、って。ハッカスプレーに限らず、とくに梅雨の時期になると噴出タイプの霧状のね、スプレーが店頭に並びますでしょ、使ったことないが?あれも結局「我が家だけは御助けを」精神でしょ。

自宅からやつらを追い出して、自宅さえG攻勢から守れればそれでいいんだ、っていう。それって裏を返せば他の土地に敵を送り込むのと同義でない?わし思う、それでいいのかな、世界はそれをして大戦になったのではないかな、って。

でもそんなこと言ってたら何でもかんでも自分の責任になるんでない?それって自意識過剰ともとれるし現実的にすべてのことに因果関係見出し謝罪心から身動き取れなくなったら死ぬより他なくなるんでない?とも思うので視野は狭い方が救命にはなるのかもな、とも思った。

そもそも私どっちかっていうと自分さえ良ければの傾向あるし(告白)、ひとりひとりがそうやって御自愛できてれば誰もないがしろにされなくて済むんでは?他人が蔑ろにしても自分自身だけは最後まで自分の味方でいてやんねーと絶対無理だって。それをしないで他から大事にしようとすると自分の中の野生が牙を剥くのでは。そして最終的に他人を傷つけ自分も傷つくんだよ。みんながみんなまずはエゴイストになれば、生来エゴイストもむやみやたらと罪悪感を抱いたりに無理矢理に抱かされることもなくなり世界はまあるくなる、パンケーキ俯瞰図のように。

てことを思いながら今朝も網戸にハッカをシュシュした。ぜってーここへは来るなよ。シュシュシュ。

3+

【雑記】人が本当に量産したいものは肯定された自分像だ

経験上、何の作業においても、短期集中型(熱しやすく冷めやすい)なので、1日か長くても数日で終わらせないと出すことすらできない。

「作業早いね!」と褒めてもらえることもあるし、そのせいで「量産型」「低品質」「雑」と言われることもある。すべてにおいてじゃないが、そうかなって。品質に対して言われてる部分は仕方ないけど、必要とあらば修正すっけども、単に「時間をかけないといいものは生み出せない」という考えの人も多くいるように思う。

「いいものは熟成させるべき」みたいな。この道◯十年=文句なしに逸品、みたいな。思考停止じゃないですか。そういうの。あやしい宗教だよ。イコール(=)が短絡的だもん。明快だけどもさ。「この道」云々は、確かにあるにはあるのかもしれないけど、個人的には、んーなんかちがうなって思っていて、できる人はできるんじゃない?ていうか、それ言う人はそれに費やしてきた期間の長さを肯定したいだけでは?みんなポジショントークだよ。私だって自分が長距離走タイプならあの手この手で(?)「いいものは時間をかけて生み出される」みたいなことここに書くよ。人間みんな自己肯定のために物言ってるから惑わされないよう。

そして私がもう一つ思うのは、つくづく感じるのは、量産することの大切さですな。

質を気にしすぎると「あーでもないこーでもない」とこねくり回してるだけで結局発表されないのですよ。それって頭の中には素晴らしいものが完成しているのかもしれないけど他の人に届けられる形にできなければ何も完成していないに等しいからな。たぶんこの排出部分をできない人、そこに至らない人が、「くそかす」みたいに言うんだと思う。外に出した人や、出た作品などに対して。自分ができないことやられたんだからね。悔しい気持ちの根本見つめられてないと思う。

完成させることが、いや違うな、とりあえず出すことが何より大事。

一個の宝石より百個の石礫。

そして、一個の宝石を差し出す人を見て「おー、一個の宝石みがいたほうが影響力あるじゃん。すごいじゃん。おらこの人目指すだ」てふうに思っても、そういう人たいてい千個万個の石礫をすでに放ってるからね。知らないだけだからな。というか、知らせないだけだから、ずるいんだよ。一個の宝石だけ持ってたみたいに。ずるがしこくて尊いんだ。

と、いうわけで、気持ちも作品も出したもん勝ちだなって思う。それができれば愛されるよ。自分ができてないことだらけだから言うんだけど。他人を観察して思ったことなんだけど。

繰り返すが人間みんな自己肯定で物を言うので、私が今言ったことだって「そうか!」じゃなく(それはそれで嬉しいのだが)、「ふ〜ん」くらいに聞いておればいい。どっかにひっかけておいて、自分の性格や経験や向き不向きと照らし合わせて、まあ、答え合わせは数年後?人生の終末にでも。

っていうのもまた私だけの言い分なんだからな。

多くの人の考えを見て、歴史を見て、世間を見て、目の前の相手の反応を見て、居心地良いような体勢とってくださいね。あと、あなたを批判する人やぼろくそ言う人ってあなたじゃなくてその人自身に嫌気がさしてるんだよ。本人は気づいてないのかもしれないけどな。なので、しょげることはない。もったいない。あなたはあなたのままでいい。方向転換したらもったいねえべ?錆びた標識が示した適当な方に進むのって?あなたはまっすぐ行くんだよ。みんなちがって、みんないい。みすず。ほんとこれ。

おしまい。

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