【雑記】配分と残された時間

根がインドアもインドアなので「やりたいこと」「しなければならないこと」がごっちゃになって配分うまくいかなくなる時が大人になった今でもあって「だめだめだなあ」て思う時と「しあわせなことだなあ」て思う時がある。

どうやら「しなければならないこと」の割合に圧されて「やりたいこと」が消失する人も多いらしい。

なのでもし「まだそんなことやってんの(はまってんの)?」て言われた人とか、あのね、まじで大丈夫、誇りに思っていい、なんでもいいよ、アニメでも漫画でも小説でも雑貨づくりでも創作でもマッチ棒クイズとかパズルとか竹とんぼとかゲームとかカラオケとか石投げとか空想とか円周率とかなんかそういう「お金にならないもの」(って、オトナが思い込んでる類)に今でも夢中でぜんぜん幸せなことだよ。

そう言ってくるひと心底うらやましいんだろうなあって思ってる。

口に出したら「ちっげーし!」て全否定されそうなので心で思うだけだけど、けなしてくる人とか見下してくる人は、無い物ねだりさえも素直にできなくなった人たちなので、いつまでも偏執狂でOKだよ。超嬉しい、ありがとう、て思っておけば。

変なこだわり、意味ないこと(と、多くの人が勝手に認識していること)、(すぐには)お金にならないこと、うむ、万々歳じゃん。

もうそれしか生きる意味ってない気がする、最終的に。

お金って、お金ってね、ほんとうは簡単なんですよ。手に入れるの。間にいろいろはさまって難しくなってるだけで。まあ、はさまってるときでさえ難しいことはないんだけども。見直すきっかけがない。

でも、好きなことや夢中になれることって、一度なくしたら難しいんですよ。

そのうえ、好きなことを続けるにはやっぱりお金が必要で、となると配分をうまくするか、好きなことをお金にかえる努力すればいいのかなって思うけど、ここがちょっと違って、得意なこと・できること、もっとひらたくいうと「他人より苦痛じゃないこと」でお金を稼げるといいんだなあ。

「はー、まじきつい」「むり」「だるい、かわりにやって」「おしえて」

って、他人から言われたことを、自分が(そう?)(それほどでもないけど)って感じたら、あなた、それは見落としちゃいけないことですよ。

たぶん。

最終的に見習うべくは年配の方だと思う。

お金と健康と趣味。
もうほんとこれ。
最終的にこれすぎる。
これには労苦やお金を惜しまない所存。

お金は別としてあとの2つは取り戻すのに時間がかかりすぎるのと、失ってる間のダメージはんぱないからコスパ的な何かが悪いんすよ。どうせ100年だしー。でも100年まるまる残ってるわけじゃないじゃん。今20の人だってさ健康ないがしろにしてたら60とかで寝たきりになったとして、それでもあと40年?きつくね?むりじゃね?

って考えるべきだし、そう考えてる大学生知ってほんと焦る、おねえさん焦った。すっげーなーて思う。老人と若者には学ぶことが多い。つまり、そうか、みんなか。みんな先生であった。