ちょっとするはずのことをする予定がなくなったからブログを書いていますが、読んだりもします。米津玄師さんのLINEBLOGの感じがけっこう好きで、いい歌作る人はブログまで良い感じなんだな。うむ!てなりながら、読んでますが。去年8月記事にこういう文章あって「それだ。」て、なる。
親が近所の人に「うちの息子は全然駄目で〜」みたいなことを言ってる姿を見て、お前が育てたんちゃうんか、と憤ったことを憶えている。それ以来こういう謙遜文化は悪だなと思うようになったので、自分が作った音楽にはいつだって胸を張って「美しい」と言ってやろうと思っている。むろん美しくないものを出してるつもりもないけど。
LINEBLOGには千眼美子さんのブログあって何気なく読んでたらけっこうあかるく幸福の科学ネタ書いてて「そうだな。」ってなった。メディアがさんざん叩いた人もそのあとの生活があって楽しいこと楽しいって感じながら生きてて、いや幸福の科学についてあんまり知らないけど、もういいじゃん。てなった。個人のブログっていいね。マスメディアが植え付けたいイメージとぜんぜん違うんだもん。テレビでガーッと言われてる人がブログやSNSでピカーッと光ってるとほんと希望だなって思うし、これが強さだと思うな。中央集権は(マスメディアはもう崩壊してるかもだが)、どんどん時代遅れになってって、一箇所停電したら全部だめになってしまうような時代は、もう、なくなってくんだよね。分散化だよ。
誰かが植え付けようとしたイメージに踊らされることも泣かされることもないし、反論したければ自分のメディアで反論ができる。し、見るほうもそれを一次ソースとして尊重すべき。どうだろ、みんなはどうとらえてんだろ?かつてのマスも昨今ではだいぶ「この流れやばいな」ってんで視聴者やSNSに寄り添った(媚を売ったような)あり方に変わってきてるように思うし、データ活用とも言えるんだけど、マスはマスにしかできないことするともっといいのでは?「お、やるじゃーん」ってなるのでは。隷属的にならずに。追従じゃなくて差別化といいますか、なんかできるのでは?それが何かはここで考えることをしないしべつに期待もしてないが。
ただ、「こういう世界あるからこっち来ればいいじゃん。」て言える、いろんな選択肢が並んでる状態の時代って、もっと色濃くやって来ると思うのね。うん文章おかしいね。直さないけどね。
これまではマニュアル通りにできる人がちやほやされたけどもマニュアルは人間がこなすべきことじゃなくなってAIの領域になるから今後は好きなこととことんできる偏執狂の時代になってくのね。で、そうすると取り残される人種がどんな人種かというと「好きなものがないひと」「夢中になれるものがないひと」なのね。時間を忘れるほど打ち込みたいことなんてない、仕事がなくなったら何をしたらいいかわからない、何をしても飽きっぽいし熱中できない。こんな人がこんど路頭に迷うのね。で、となると将来のペテン師像もイメージができてくるぞ。「あなたを夢中にさせるもの見つけます」とかさ。「あなたが本当にやりたいことをあなたのオーラから見抜きます」的な?さ。みんな夢中になりたくて、夢中になれるものに恋焦がれて、夢中になるためならなんだってする!っていう、夢中になる対象を見つけたい症候群に一斉に陥る時代がドーンとくるのでは。想像でものを言います、ええ。そういう場所ですからな。
だからそうなると夢中格差ですよ。世の中は大夢中戦国時代になって、いかに好きなことに熱中できるかで人間はランク付けされて何においても夢中になれない人は落語者で這いつくばって生きてくしかない的な。えっあなた会社も行かず四六時中ゲームしてたんですか?羨ましいです!どうしたらそんなに夢中になれるんですか?どうか僕にも教えてください今日からあなたを師匠と呼ばせてください死ぬまでついてきます!って段階までいってしまったらこれはもう夢中コレクターという亜種ですね。そんで夢中になるためのノウハウ蒐集家として国内に名を馳せるんですが世界は広い。もっと頭のおかしな夢中コレクタがいてそいつはなんつうかもう「夢中になったものへは命を差し出すのも厭いません!」と言いながら死ぬのね。それにエモさを感じて後追いする若者が続出してもう地球人口激減するから。そうしたらそろそろ人々も熱狂からさめて「あれ……おれたちは、一体何を……」あたりを見渡すと無数の死体。その体じゅうに「夢中」の文字がびっしりと入れ墨されているのであった。
って時代が?
A:来る
B:来ない
ファイナルアンサー?