とつぜんですが、私、両目裸眼で1.5なんですよね。
こないだ診察に行ったら医師に「視力が良すぎる。疲れるでしょうね」って言われたんですよ。
へ〜、なるほどな〜。視力が良いと疲れるのか〜そうか〜。と。
で、帰り道「なんで私って視力いいのかな」と考えてみた。だって基本インドアで小さい頃から液晶画面がお友達で、もうちょっと視力悪くてもおかしくない生活をしてるんですよ。そしてそれはこれからもかわらないだろう。
仕事もPC使うものだし、今や日に12時間は液晶画面と向かい合ってるんじゃないかな。まばたきの回数も少ないし、なんで視力良いんだろ?親兄弟も割と早い段階で悪くなったし、コンタクトもメガネも不要なのは私くらいである。
それなりに考えてみて、勝手にたどり着いた結論が2つあります。根拠?ない。
1つは、「慣れ」ですね。小さい頃から液晶画面がお友達だったから適応したというか、人体が液晶画面に強いかんじに変化したのかな?(適当)
もう1つは、こっちが有力候補なんだが、道歩く時に360度遠くまで見据えてるってことでしょうか。
つまり、あまり会いたくない人がむこうから来た時に、相手より早く相手の存在に気づきこちらから身をくらます必要があったわけなんです。なぜなら立ち話するのとか、あいさつするのとかめんどいから。相手の視界に入って認識されてからじゃ遅いので、ていうかそんでいきなりこちらが進路を変更したら相手を不快にさせてしまうだろう。そうなるとベストアンサーはこっちが先に気づいて早めにUターンもしくは手頃な店先などに身を潜める必要がある。何はともあれとにかくスピード優先。そんな逃亡者のような気持ちで生活してきたなのかな、って…。OK、わかってる、自分で語っていてどうかと思うよ。
あとは、道行く人ある程度みんな悪意か殺意があるのではないかと思って歩いてる。「誰でも良かった」あとからそう語るような通り魔じゃなかろうか、ふところから刃物を取り出していきなり切りつけてくるんじゃなかろうか、ひったくり犯じゃないか、体に爆弾まきつけているんじゃないか。そんないけない妄想をしている。もし不穏な動きが察せられれば私はいち早く彼もしくは彼女から距離を取り不本意ながら他人の家屋内などに逃げ込まざるを得ない。とにかく不審者の不審な動きを先に察知することが先決であって、これが1秒でも2秒でも遅れたら命取りになるかもしれないんだ。
そういう気持ちで生きていると視力は両目ともに1.5を保てるんじゃないかな。
でもきみはきっとこう言うだろう「そんな暮らしはしたくない。つらい」そのとおりだ。きみは正しい。ザッツライトすぎ。
冗談はさておき、ブルーベリーのサプリは飲んでる。
でもサプリってずるいよなー。
サプリ飲んでない人生を私は知らないわけだから、飲み続けるしかないよね。でもブルブルくん(わかさのマスコットキャラ)との付き合いもはや6年になるもんで、おいそれと離脱することもできないんだよな〜。こうやって高齢者はいろいろな悪徳商法にハマるんでしょうね。
ただ、「気休め」というのもまた1つの立派な効果効能だと思うので、これはこれでいいかなって。気休めにもならんものってもっと他にあるでしょう。あれやこれや。