【雑記】春に傷つくことが多いひとへ

春。桜という花は文句なしにきれいだし、あちこちで新しいこと・ものが耳目に触れるので、なんだか自分も生まれ変わったような気分になりますね。そういえば朝刊に「私は小学校時代からずっと学校という場所が好き。だから教師になった」という投書がありました。読んでいてとても清々しく、学校教育捨てたもんじゃない、ってそんな希望を持てるような投書ですね。豆を投入しすぎたコーヒーの苦味も忘れてしまいましたよ。ふふ。

とでも書くと思ったか、ばかめ!

ぞっとするぞ。学校に良い思い出しかない教師に人の痛みなんか分かるか。いじめに気づかない、気づいても見ないふりをする。仮に優しさから相談に乗ったとしても的外れのアドバイスあるいは余計なおせっかいしか焼けなくて(例:学級会を開きみんなでいじめの原因について話し合うなどの愚行)、生徒を失望させるんでは。失望させたで済めばいいが、最悪それが死に追いやるのでは。ひとはつらいこと自体で死ぬことってあんまりなくて、つらいことがあった時に自分を助けてくれそうなひとが見当たらないという事実に直面したことによる絶望で死ぬから。

かと言って前向きに教師になる人が悪いわけじゃ全然ない。むしろ学校という場にネガティブな感情持ってる人よりは理想を体現できていいのかも。(誰にとっての「理想」だ?)

そもそも学校に嫌な思い出がある人は学校に就職しないだろうから(教師にはならないだろうから)結局学校って場所はいつまで経っても地獄の人には地獄なんだろう。

しかし、そんな学校という地獄が必ずしも悪い場所かと言うと反面教師的な意味でのメリットや収穫はめちゃくちゃあると思う。「あ、この世界むり」って思うからこそ外に目を向けることができるひともいて、「ここは私の居場所じゃない」って割り切ることができれば他のひとにない考え方や行動ができるから社会に出たら(出る前であっても)レアな存在になれる。

なので、学校や会社になじめないくらいで自分がどこにもなじめないと考えるのははやすぎるし、むしろ「あ、私にここは合わなかった。じゃ、また別の場所にしっくりくる場所があるんだろうなあ」でいいのではないですか。誰も教えないけど、学校も会社もふつうに不自然な場所だからね。たとえば「毎朝太陽がのぼる時刻になったらベランダに出て裸で5分逆立ちしましょう!こうすることによりあなたについている邪念を振り払うことができますし、その日1日は5体の守護霊があなたを守ってくれます」的なこと言われたら「こわっ」て思う。状況は似てる気がするよ。

逆なんだよ。

そもそもあなたは尊いのだから、世間?知ったことか!社会が俺様に合わせろや。くらいでいいと思う。

ただ表面上はしっぽりと、上っ面だけでも順応しているかのように振る舞えばいいと思う。絶対できるから。

今の季節はすがすがしい気分になれることが多い半面、ふっと不安や残酷な気配を感じて、おそらく同じように感じている誰かへ向けてこういうことを言いたくなるんだ。

新しいこと。成功。誰かの笑顔。幸せ。これらは素晴らしくいいものだが、誰かにとっては残酷なんだ。

優しい人が、その優しさを恨まず呪わず生きていけたらいいと思う。思うじゃなくて願っている。祈っている。人って感情が外に向かうか内に向かうかの違いがあると思う。極端な例が「殺そう」になるか「死のう」になるか。「死のう」の人は少なくとも今あなたが抱えている理由で死ぬことはないんだって分かってほしいし、「死のう」で死ぬ人が増えた国に生き残っている人には少しでも疑問を覚えて欲しい。あれ、「死のう」派増えてね?って。

どっちがどう、という分け方をすべきではないとわかっている。だけど、今たまたまあなたのいる場所だけが一方的にあなたに下した評価で自分を見てほしくないなと思う。

つらいなら逃げるんだ。
無責任な人は立ち向かえって言う。
シンプルに考えるんだ。
仮に人の生きる場所がほんとに1箇所しかないなら立ち向かうべきだと思うよ。しかし、そうではないんだ。今は当たり前にインターネットがある。小学生だって使えるだろ?情報を集めて、自分から発信するんだ。ここだけじゃないって分かるから。

そもそも「だけ」ってことはないよ。もう、そんな選択肢が僅少な状況ってそうそうはないだよ。自分「だけ」がこんな目に、ここ「だけ」でしか生きていけない、あのひと「だけ」が私を理解してくれる。とか、そういう唯一無二なものってそうそうない。そうだなー、「にも」かな。自分以外「にも」こんな思いを抱えている人がいるかも知れない、ここ以外「にも」居場所があるかも知れない、あのひと以外「にも」私を理解してくれる人がいるかも知れない。うん、そう、「にも」マインドで。

自分についた傷を消そう消そうとしてよけいに自分が汚くなってしまったと感じる、ずっとその悪循環だとしても。何度も「今度こそは」「次こそは」を繰り返して、繰り返しすぎて自分含めて何も信じられなくなったとしても。意外とそんなことないから。

好きなものだけ見て、食べて、集めて、たくさん眠るといいと思うよ。とりあえずは。これまでの自分に逆張りするんだ。思いつめすぎる人は、ちょっと心配になるくらいいい加減になってみる。楽観主義すぎて失敗が多い人は、もう少し予測を立てて動く。「もしもうまくいかなかったら?」と別ルートを予測してみる。

私はというと、とりあえず食べたいもの食べてる。最近うまいのがニンニクの醤油漬けとラッキョウですかね!

SNSでもご購読できます。