思ったことや感じたことをなるべく一般的な言葉に置き換えて出力したものが雑記。そのまま出力したものが詩。詩のほうが自然なんだね。伝わりやすい文章にしようと手を加えたものは加工品。自分としてはなるべくそのまま出力しようとするんだ。でもときどき「伝わりやすさを重視すべき」と感じて雑記にすることもある。この、今書いていることのように。でも本当なら詩にするべきなんだと思う。かなしいと思う。ここでただ「かなしい」と書くのは嘘で、妥協で、だってかなしいと思ったわけはないんだ。わけはない、というか、それ以前の言葉にならない言葉があったはずだ。最大公約数へ逃げたな、と後ろめたい気持ちになってしまうんだ。自分でも気づかないほど瞬時に一般的な感情の型にはめて言語化してしまったんだ。すごく突発的で、ストレートな感情であるかに思えても、ほんとうは「むかついた」じゃなくて「青空割れろ」とかだったはず。なのに、伝わるものにするためにズルをした、と思ってしまう。そういう出力の違いで自責の念を感じることもあって、ほら雑記にした、手を抜いたーって思うんだけど、ほんとはどっちでもいいんだろう。カメラのフィルターを変えるように、自由にやればいいのかなと思った。あと、逆だとしても違和感ないなとも思う。加工したのが詩で、そのまま出力したものが雑記だとも言える。ズルしたのは詩で、真摯なほうが雑記だとも言える。「どっちにでもとれる」という結論でまた私は逃げてしまったのか。情けないことである。