No.670

頬杖ついた窓の外を真っ赤な魚が泳いでいた。そうか、教室はさっき水の底に沈めたんだった。だから音が聞こえないんだった。ふやけた時計の針は午前九時。まだまだ終礼にはほど遠い。誰かがおしゃべりしようとしては活字が泡になって消えていく。ぼくは余計に虚しくなるんだ。期待したってしかたがないや、今ここにある世界を平方根でも匿うことができないんなら。自由なふりをしても、飛べる気がしても、終わりから生まれたんだ。ぼく、いいえ、ぼくたちは。この目に映る限りの景色をうつして、この口で伝えられる限りの愛をつたえて、この明け渡された全身でコピペばかりの夢を見るんだ。他人事のように眺めていたら優雅な尾びれがハリボテの妄想を打ちのめし、乾いた空気に涙が張り裂けてこぼれる。酸素を吸ったときに初めて、ああ、ぼく、くるしかったのかと気づいた。忌み嫌った黒板には色とりどりのチョークの花が咲いていて。それが悪意でも好意でもこの先二度とぼくを妨げることはないと思った。ぼくが悪魔でも天使でもきみからの光はぼくに向かって遮られることがなかったから。単純なことだ。認めたくなかっただけだ。幾重にも巻いた鎖がカップに落とした角砂糖よりだらしなくほどけていく。生まれて一度もちゃんと意識したことない視神経の束がぼくにきみの色彩を差し出す。おはよう。そう言われて。ただいま。まるで釣り合わない不貞腐れた声で応答とかするんだ。ごまかしたくて瞬きした視界の端を、見たこともない色の魚が横切った気がした。