【雑記】どうしても好きになれないものを好きになろうとすることのデメリット

うさんくさいタイトル。うむ。平成回顧録。私は2年前の春に1つのことを克服しました。私は自分のそれが嫌で嫌で気づかぬうちにものすごい損失を出していた。後から分かったことだが。挑戦できたことも本当はしたかったこともすべて避けていた。そして「これさえなければ私だってできたんだ」と思っていた。ふりかえってみれば時間の無駄だったと思う。あ、あと「これさえなければ」と条件付きの願望って「これ」がなくなっても取り掛からないもなんで先に追記しておこう。

この文章を読んでくれる人の中にも、「自分のここが嫌い」って感じる部分がある人はいると思う。ある時は無理に好きになろうとするかも知れない。だけど好きになれなくて、そんな自分がまた嫌で「だめだ」って思うかも知れない。自分が自分に失望してしまうんだ。

でも、どうしても好きになれないなら好きにならなくていいと思う。好きじゃないものを好きになることって、2つの意味で悪いと私は思っている。

1つ目は、自分の気持ちに嘘をつくことになるから。2つ目は、それを本当の意味で好きになったり、人の役に立つ方法を絶ってしまうことになるから。

2つ目について深掘りしてみよう。「嫌い」という感情のとらえかたが雑なんだ。なぜ嫌いかも分からないものを好きになるってのは不自然な話で、ちぐはぐしている。からまった糸を左右にひっぱって戻そうとしているように。もちろん糸はほどけない。なので、なぜ嫌いかの理由に向き合ったほうがいい。そうしたら、どうしたら好きになれるのか。そもそも好きになったほうがいいのか、とか見えてくるはず。

なんだかすでにうまく言えないんだけど、自分の嫌いなとこって、好きなところより個性になりうると思う。個性になるってことは同じものを持っている誰かを励ますことができたり、アドバイスができたりするってことだ。

そして、あなたが自分の「嫌いなところ」から目をそらしたら(「嫌いなところを無理に好きになろうとすることも一種の逃避だと思う)、あなたによって救われたであろう人も救えないんだと思う。

私は自分が克服したことについて今も悩む人がいたら、その人がどういうふうに解決の手段を探して、どう絶望するかまでが分かる。どの本を読んで、どのサイトを見て情報を得て、どこでつまづくかがほぼ分かる。

なぜ分かるかというと、私はそれをずっと嫌いだったからだ。もし「好きになろう」の試みがうまくっていって(うまくいってしまって)、嫌いであることをないがしろにしてしまったら、そんなことはわからないだろうし今この文章を書いてもいないだろう。

自分にある「これさえなければ」と思う部分や状態を、もし好きになりたければ、唯一の方法は、それを乗り越えることだと思う。

あなたがそれを乗り越えられたら、同じことで悩んでいる誰かを支えたり救ったりができる。そのためには単に「好きになろう」で蓋をするんじゃなくて、嫌いという感情に向き合って納得いくまでどうにかしないといけない。だいぶ抽象的な言い方をしてしまっているが、病気なら治す。性格なら改善する。

嫌いなものを好きだ好きだと思い込むことは逃避で、その嘘にたぶん誰も耐えられないから。自分が自分につく嘘に耐えぬけるほど人はあまり丈夫ではない気がするから。他人への嘘なら大丈夫だと思うんだけどね。でも他人への嘘も結局自分への嘘だから嘘はむずかしいよね、嘘は。

それよりは沈黙が楽ですよね。私だって幼稚園のころからたくさん黙ってることある。言わないだけ。嘘じゃない。嘘つくくらいなら黙ったほうが得策ですよ。なんのはなしだっけ。まあいいか、おわり。

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