No.667

夢の中を月が跳ねる。うたかたの幸福に溺れるぼくのこと、あとは散るだけの花が笑った。この世の大小は奇跡と奇跡で結ばれているの。だけどそうと憶えている人はいくらもいないの。ねえ、目眩がするでしょう。(ああ、してるよ)。箱にとじこめられて運ばれる。外ではときどき雪が降った。隙間からは横着な光が漏れてきた。ぼく、ずっと昔もこの体験をした気がする。それを証明できるもの、何もないけど。でも、よかった。証明できるものがあったら、いつなくしてしまうか、ずっと怖かったろうから。すみれ色やみどりいろが代わる代わるぼくを見る。名前をつけよう。いいや、その前に命を。敏感な目鼻と賢い頭、頼りない心と、最後にあたたかい血を注いだら完成だ。ぼくはあまり乗り気ではないなあ。だけども、まあ行ってみるか。もしかしたらひとつでも何か良いことが待っているかも知れないのだし。長い夢から目を覚ました、ぼくが最初に見たものは泣き疲れたような男の横顔だった。それを優しくなでる女の表情だった。彼らから何か大切なものを受け継いで、ぼくは今ここにいるのに。「にんげんは、自分のことをうまく愛せないようにできてる」。チョークの粉が付着した指が透明な瓶に花をさしていく。「もしうまくできてしまったら、誰もここにいる意味などないだろう」。ぼくは、今、なつかしい男女から受け継いだ何物かに匹敵するものを、この身に注がれた気がした。「だから、きみがこの世から自分を遠ざけようとすることは、不思議でもなんでもない。ただ、きみにだって、誰かが必要であることが分かるだけ」。断ち切られた花の茎が、ぐんぐんと水を吸い上げるような、そんな青空だ。あなたがぼくに向けてた無臭の愛は、強く蹴っても戻ってくる、水に跳ねる丸い月だ。