ないものはないのに、今の二人にすべてが降り注いでいるのに、あと一歩が踏み出せない、どうしてだか信じ込んでいる、あと一歩が僕たちを駄目にするのだと。銀の糸に視界を遮られ、蜘蛛の巣みたいだって、思ったのはたしか、でも言ったつもりはないのに伝わっていて、それはお互いの心が透明度を高めすぎたせい。おまえはすごく怒るんだけど、体温はあがらない、もう死んでいるからね、だけどすごく怒るんだ、蜘蛛の巣と言われたことが気にくわないのか、沈黙を破ったことに我慢ならないのか、感情が動かされて仕方がないんだ、だっておまえ、僕を好きだろう?蜘蛛の巣だと言ったのは中傷じゃない。僕はちいさな頃、今だっておとなじゃないけど、もっとちいさかった頃に家出をしてね。ベッドの中から見ていた夜と、群青以外に包まるものがない肌で感じる夜とがまるで別物だって恐怖したんだ。いや、ちがうな、同じものだから怖かった。こんなに変わっても同一なのかと。だから翌朝死のうと思った。方法を考えているうちに眠りに落ちて、見慣れたいつもの朝が来た。夜の気配はどこにもなくて、眠りに落ちる前に考えていたことが思い出せなかったくらいだ。そのとき僕の視界に光るものが入ってきた。頭上の枝にはられた蜘蛛の巣だ。それは朝露をとらえて正体を露呈していた。蜘蛛にとっては不都合だったかも知れない。だけど僕の中には今も、銀色したこまかな網の目と、とらえられた宝石の数々、そのむこうに明るんでいた始まりが、心地よい低音で流れてる。僕の血や肉になることはない、だってそれは記憶でしかないから。だから忘れないでいられるんだ、欲しくなったら目をつむって耳をすますだけ。これを聞いてもまだ僕のことを殴りたいと思う?そうじゃないよな、大丈夫、言わなくてもわかるよ。僕たちはたまたまひとりじゃないだけ、なんと言おうと限りなく透明へ近づいてるんだ。