no.196

年中流れている無声映画。四辺からなる音の牢獄がぼくたちを照らそうとしている。ちいさな宝石の鎖をちぎって。消えない魔法の世界で、消せない魔法の世界で。負けたひとが次の手をさがしているあいだにまた道に迷うよ。行き交う人の顔にふたりの終わりが書いてあるから俯いていて標識を見失う。でもそれって好都合。つたない手書きの切り取り線は何も知らない。足並みを揃えて崖っぷちまでスキップしたいな。このまま見え透いた旅路なら。後先考えてストーリーの始まりをぶち壊す。僕のスカートの中で君は泣く。だからここに現実なんかない。君の唇は僕のかさぶたの味がする。舌はないんだけどふとそんな気がしたんだ。風に乗ってナポリタンのにおいがする。きっとどこにもないお皿をさがしてあちこち旅をしたいな。ようやくそれを見つけた時にはまた新しい幕が上がるんだろう。そしてふたりは笑いながら。

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no.195

だって毎秒新しいんだもん。ちょっと不自由なくらいが本当に自由だったんだって、選択肢の少ないほうが都合がいいんだって、そういうのさいきんすごく頷いてしまうのって老化、いやいや自分の性質が把握でき始めていることだと信じたい。浴びるようにシャーっと吸い込むの得意だったけど、なんかもう、鈍感でいたいモード。こんなにものがある中でどうやって自分の足りないものみんなさがすんだろう。さがすものじゃないからそもそもおかしな疑問である。欲しいものは何もないけど作りたいって欲求それすなわちただ褒められたいだけなんじゃないのか。もしそうだとしたら恥ずかしいこと?なんで?承認欲求を露呈することはわりと恥ずかしいこと?そういう風潮があるから?周りはどんどん承認されていくし、でもそれはたぶん自分の勝手な被害妄想だし実のところ誰も承認欲求を満たされないでいる。他者の目や評価から自由であることやそう振る舞えることってかっこいいみたいな感じするしもしかしたらそれ理想かも知れないけどそれもできなければ言葉の綾で乗り越えるしかないのかもね。「誰かを笑顔にしたいです」。はあ?「ありがとうの一言が喜びです」。はあ。誰も頷いてくれなくても平気でいることはすごいことだからそうなりたいの。そんなひとなんていないでしょって否定を期待しているの。ばかじゃん。推敲なんかしないし支離滅裂を叩きつけることは消化器でいたずらすることとあんまり変わらないよ本質的に。いつまでも成長しないねって仕方なさそうに笑われていたいの。僕の虚勢が君のプライドを支えるかけがえのない現実の一つであればいい。って、透明感がどうとかって、綺麗ぶったフィクションに投影したならひねもすひょうひょうとチョコレートだけ食べていたい豚 is me.ほんと頭悪そうって最高の賛辞。変な顔。廊下に残飯がこぼれた光景。柔らかい光。異国で撃ち合う兵士を憂えながらカロリーの計算して昼の予定をどうやってキャンセルするか考えている、これも平和と呼べば平和。死んでください。そんな直球の愛してる。月は見えなくても初恋は消えない。

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no.194

ビニルハウスはあったかいからここへ眠っていてほしい。白い空に浮かべた星のうち、爛れたものから降らせてあげるから。耳朶に真綿を噛ませて待って。きみが生まれた朝はまだお城があったんだ。青空を背景にしてまるで誰もがすがすがしいみたいに。繰り返しにうんざりしながら変化を起こすだけの思いもなかった。一番輝かしい瞬間は過去か未来か妄想の中にだけあって現在はあくまで観客席だった。いつか僕にだけ優しかった人がそうじゃなくなるのを見ているってとても辛くて不愉快なことだ。雨に濡れたパッケージからはみだしている宝石が、僕から開封の喜びを盗んでしまった。数えるほどしかなかった。あのときも今も。数えるほどには分かっていた。同じように見え透いてしまうくらいならビニルハウスに決めよう。誰も手入れをしない部屋。きらきらの密室。痛々しい作文と容赦ない幸福。物言わぬまま夢を見ている。老いもしないで朽ちもしないで。日が暮れたら半球体の異世界。また植えたらいいよ。何だって育てられるよ。サテンの屑が欲しいなら。スパンコールが足りないのなら。

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no.193

誰が意味を求めても何もわかりませんってゆう。どこも痛くない。どこも苦しくない。何もかわっていないのにからだはこんなにもすこやか。「何も変わっていない」だって?なにも?映す目が、伝える神経や、受けとめる心が。すべての針を知ってそのままであるってことが。新しいと旧いは優劣と関連ない。美しいひとが一瞥するけど記憶には残らない。誰のためにもならないことが僕のためになることもあるのだ。誰も救えないままのきみでいることがきみ以外を生かすこともあるのだ。アンチーヒーロー、検索結果の出てこないことが稀有性の証明ではないよ。アンチヒーロー、次の春で欺かれない目はないよ。世界は一瞬で変わってしまう。虫の羽ばたきひとつ、きみや僕の瞬きひとつで。そう、ケーキは最初から鼻先にあった。銀のフォークが無くたって食べるんだろ。約束したじゃないか。飲み込むんだよ。

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no.192

両手で掻き取った砂の轍
正しさを追求して冷血になった
忘れられない背表紙が
ふいに大きな意味を持って迫り来る
悪夢の類は真昼にこそ訪れた
淡くまばゆいだけの日常に炙られて
きみたちは差し引きゼロだと主張する
だけどぼくはそんなもので
愛を帳消しにしないんだと跳ね除ける
綺麗事と絵空事にまみれていい
大人にならないことを責めてもいい
背骨は柔らかく知恵は少ない
降り注ぐ光も花も言葉の呪いから解放される

ぼくは祈る、ぼくに降れ、ぼくは祈る、きみに降れ、きみたちに降れ、ぼくたちに降れ、わかり合うことのない者達の上にそのままの姿で、光よ花よ、降りしきれよと。

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no.191

何を差し出さなくても幸福になっていいだなんて知らなくて瞬きばかりしていた。終わりを知った途端に全部が全部輝いて見えて誰かのぶんがなくなっちゃったんじゃないか、とか。分離帯に立って夜空を見上げると今が始まりなのか終わりなのかわからなくなって同じメロディがからだじゅうを埋め尽くすんだ。真新しい何かを生み出すひとになれなくて失望を恐れて針は何度も同じ数字を撫でた、目の前を行き交う群れが影でしかなくて邪魔するものは本当にいなかった、期待も羨望もいっときの幻でしかないって知らないまま怯える、かわいいだけのきみでいてください。

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no.190

ちいさな交差点に建つ、ビルの一階にある。喫茶店の優しい店主は新しい野良猫を見るように僕を見た。白い椅子に腰掛けて通りを眺める。と言っても人通りは少ない。午前の光がアスファルトを柔らかく照らして、宅急便の配達人が何度か行き来をする。食器の触れ合う音。テーブルに添えられた生木。葉の何枚か枯れていて、それがつくりものではないことを僕に教える。毎日来ることはできない。僕は何気ないものを本当に欲しかった。店主がやってきて僕の前に遅い朝食を並べる。正方形の箸置きはさわるとざらざらしていた。躊躇いながら口にした。なんで。なんで。お腹が空いて、しかも僕は食べるんだろう。自分の睫毛に陽が当たっているのがわかる。そこから溢れるものはもう何もないことも。限りがあるんだ。幸せにも絶望にも。正体は明かさない。あさってが来ないことも言えない。こんなお店の店主は僕を気に入るだろう。絶対に。ぜったいに。名前も、素性も、ここに至る経緯も知らないくせに。明日やあさってがもうこないことも。何も抱えていないわけではないってことも。骨張った長い指が視界に入る。わからない終わりならまだ何もできない。おいしかったですか。まるで怖いものなんてないみたいに、あなたの問いに僕は答える。はい、とても。ごちそうさまでした。また来ます。

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no.189

星を数えていない。数えるふりをしているだけ。何も見ていない。見えるふりをしているだけ。観察している。知ろうとしている。私を救うものが何であるのか。探している。求めている。祈っている。それがどこにもないことのありませんように。手繰り寄せたいときに切れ端さえ消えている。あんなものでも欲しい人のあったのだ。血だけが流れて名前も与えなかったのに。音にも色にもならない、ただ吸われて吐かれるだけの。誰にふれられなくても悪夢は虹と溶けた。私が信じるものについて話すときに。よりによってひたむきに。まだ残っているものがすでに失われた感覚になる。認識しながら何も分からないふりをすることほどの贅沢はない。すくなくとも私は知らない。星はいつも遠くにある。その途方もなさが今日も君に残酷な殺戮を思いとどまらせる。生まれたばかりの目に涙の柔らかく盛り上がる、誰もふたりを知らないでいる夜明け。星と君を書き違えた。やましいばかりの生存欲求。生きろなんて言えない。もう一度夜にならなければ。

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no.188

僕はそれが自分のためじゃなくなることを恐れた。我を忘れる。食事が喉を通らない。色が分からなくなる。景色が鮮やかになるなんて嘘だよ。暗い氷に閉じ込められたんだ。さもなくば夥しい光の粒に溺れた亡国。これが呪いでなくてなんだろう。誰のためにもなりたくない。考えることをやめた。みんな一斉に。幸せになった。最後にはなりたくないから順に。二つの笑いを同時に浮かべて。夢を見たのは誰と誰。逃げるより留まることを選んだのは。変わるより染まること、求めるよりただ寄り添うこと、愛しいと言わないままふれることを、選んだのは、誰と。

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no.187

誰が知らなくても生きていけること。ずっと秘密のままでもやめないでいられること。それを持っているからひとにやさしくできるし何を言われても平気だよ。どんな美しい音楽もこの衝動より深く染み渡ってはこない。ぼくはこれを本当に好きなんだ。夢でもなければ希望でもない。評価はいらないだってぼくが欲しいからつくるんだから。ひとりよがりのあたたかさ。ベランダで蕾をつけた植物の名前は知らないけれどそれを置いていった人の笑顔が見えるよ。きみだって知らない。知らなくていい。

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