詩のない僕がこんなに臆病だったとは。一人称を戻さないうちは溶け合うことなんてできない。うざったい首輪だなと外したものは、命綱だったとあとから気づく。街と夕焼けを逆さまに滑ってく。手に入れたかったもの、手に入らなかったもの、手放したもの、いまここにすべて抱きしめ、いつかの空へのぼってく。いつかの僕にかえっていく。
カテゴリー: 詩
No.824
ぼくには大切なひとがいないから、世界という言葉しか使えない。日が昇ったあとの街は、色に満ちていた。それは懐かしかった。なぜ新しくならないの?風景がぼくに問いかける。振り返っても届かなかったくせに。なぜ新しくなれないの?もう一度問いかける。声は幻だったかもしれない。新しい季節。終わりの六月。来年や再来年はどこにいて何を食べるだろう。誰と何を見て笑うだろう。嫌いなものはひとつもなかった。嫌いという気持ちが持てなかった。どうでも良かった。傷ついたふりをして笑った。ちぐはぐな世界とあやふやなぼく。似たもの同士で陽のあたる場所をはみ出して歩いて行く。この夢は抱えたまま歩ける夢だ。叶わなくても許される夢だ。
No.823
どんな感動にもどんな悲劇にも私は慣れていくことを知った。慣れてはいけない。どの口が言うの。きみは私を好きだった。有名な言葉をそらで言うんだ。自分から出たもののように。恥ずかしくないの。不安じゃないの。私にはできない。何も持たないからと言って借りることができない。潔癖かも。そのうえ、自意識が強過ぎる。素直になれと人は言う。素直な私が自分の望む私だと期待してるからだ、疑ってないからだ。そんな私どこにもいないのに。きみは違ったな。きみだけが違って見えたな。近づかないで欲しかった。触れないで欲しかった。離したくないと思ってしまう。嫌われたくないと思ってしまう。そんな自分は嫌い。そんな自分と生きる自信はない。だけど平気で笑っていたね。ふと、思ったんだ。あ、大丈夫なのかも。そう思ったんだ。きみは気づいてない。きっと気づいてない。いつ私がきみのいる世界に入ったか。それでもいいやと何を捨てたか。得たものはないけれど、両手は自由だ。なんでもつかめる。望んだものが手に入る。そのことを知って初めて、望むことの贅沢を知る。生きるわけだ。なるほど人が、長い百年を生きようとするわけだ。私は初めて分かりかけて、迷いの声の上を踏み出した。
No.822
夢にまで見たストーリーは夢の中にあったほうが輝いていた。神さまはそれをきっと分かってた。だから手の届かないところへあなたを置いた。オーロラを閉じ込めた球体がお気に入りをのせて海原へ出る。帰ってきて。どこへも帰らないで。どこかへ帰ってきて。空がつながっていればどこででも良い。みっともなくすがること、呆れたように笑われること、好きだ、千年すれ違って分かったんだ。だけど、あなた行くのか。すれ違うこともない場所。夢の中のどこでもない場所。氷に閉じ込められた酸素を求めるぼくたち、たしかに体温が足りない。言葉が足りない。歌が足りない。思い出が消えていく。一瞬に永遠の意味を知る。太陽が月に姿を変える、その境目を見た。所有者を求めて差し出された手、今ここにあるたったワンシーンを、ぼくは何度も夢にまで見た。
No.821
空欄を埋める速度が間に合わない
足りてないのにもうたくさんだ
ぼくは置いて行かれた
かつて置いて行ったものたちに
青空を見たね
緑の草の上で雲ひとつ無い
きみが伝えてくれた好意を弄んだ
余裕なんて無かったのに
終わるんだ
人はどうせ終わるんだ
構わないんだ
世界はそれを構わないんだ
螺子を巻いて巻いて巻き切って
壊してしまう壊れてしまえと思ったとおり
優しくされたかったよ
きみが誰にでもそうしていたように
特別を望みません
そう言って特別になろうとしたんだ
後悔している
だけどもし戻れてもぼくは
またきみを泣かせるだろう
七年後に自分が今度は泣くだろう
結ばれないひと、でも運命のひと
つじつま合わせのために風の中で名前を呼ぶよ
No.820
楽しいことなんてひとつもない。ひとっつもない。堪えようとしても結局漏れてしまう笑い声を手の甲で押さえてきみが言う。屋上に続く青春悲劇ゲーム。白いネズミと青いネコが階段を駆け上った。誘惑の初夏がすぐそこにある。僕らどちらも舐めずに傷を残してる。あなたのせいだ、おまえのせいだ。いつか大人になるんだって。絶対なんだってさ。嘘みたい。嘘なんだよ。嘘をほんとにする方法があるよ。ここを飛び降りるんだ。簡単だろう?椅子から飛んだことがあるし、机から飛んだことがある。同じことだ。美しい形では残らないけど、どこまでも飛んでいけるよ。やってみる?しない。しなくて大丈夫?しないから大丈夫。コンビニで買った練乳パンを無駄にしたくない。払った180円を無駄したくないんだ。時間や命は無責任だよ。僕たちにはまだ見えない概念。柔らかい肌は大怪我をしない。未来ある生き物は何も粗末にしない。僕たちはお互いを隣に感じながら新商品を若く頬張る。振り返ってもこの今はいつまでも永遠になろう。
No.819
車窓の額縁にあなたと春が象られ、知ってる。と思った。間違いない、そうだ僕はあなたを知っている。一瞬の錯覚だったと認めたくなくて目を逸らす。目を閉じて深呼吸してまた目を開ける。風景のなかにあなたがいる。世界がある。なんて完璧なんだろう。呼吸も忘れる。吸うと吐くを、どうしてたっけ。なのに鼓動は勝手に高鳴ってる。身に着けていた鎧も、いつしか厚くなっていた仮面も、あっけなく消え失せた。セピア色の本から視線を上げ、あなたが言う。何かを言う。声が体に染みて意味が通らない。自分に向けられるその音を欲していた。電車は菜の花のただなかを行く。外はこんなに明るいのに、耳元でずっと星屑が流れるんだ。「血、出てます」。上唇に手をやって、ああ自分のことかと理解する。裏切られたと一瞬思う。でも、春だ。だけど、春だ。なんなら桜並木を歩きたい。第一印象がどんなに情けなくたって、いつかあなたの一番になるよ。ずっと前、生まれるもっと前に誓ったことを思い出して僕は第一声を発する。新しい風に百年が弾け、あなたは自分でも気づかずに、知らぬ僕の名を懐かしく呼んだ。
No.818
泣けない僕の代わりにグラスが濡れて
なんであの人じゃなかったんだろうと思う
なんで僕があの人ではいけなかったんだろう
決まりなんて、運命なんて、ないんだろう
ただそこにあったんだ
僕が知らずに踏んだ草花みたいにただそこに
たまたまだと言い聞かせればラクになれると思った
言葉が少しずつ軽く薄くなっていった
有名人のポスターの前を駆け足で通り過ぎる
僕はただの風景になりたかった
きらきら輝いて見えるその世界の粒子に
空は人をきれいに消えさせてはくれないけれど
また悲劇のヒーローぶってたんだ
そういうの二度とするなと言ったよね
いい加減、二番手の振りをするのはやめにしろよ
僕が寝ていないのを分かってポスターの君が言う
唯一無二であるかどうかなんだ
姿形にまったく無頓着とまでは言わないまでも
それは自分では決められないことなんだ
俺を選んでくれた君を好きだよ
たしかに俺の周りにはきれいなものがあるよ
おびただしい数のきれいなものが
だけど言葉が通じる人は少ないんだ
分かるかな、何を言ってるか分かってもらえるといいな
ポスターのあの人は今も夜に微笑んでるだろう
被写体の良いところはどこへでも行けるということ
ここが良いと思えるところ、この人が良いと思えるところへ
だから最初に俺を見つけてくれた、君に会いにここへ来たんだ。
No.817
私がここにいることが、誰かの孤独を慰める。私がここにいることが、誰かの自虐をやわらげるなら。言わないで。続きを言わないで。きみは僕の否定を待ってる。優しいんだね、信じてくれるんだね、僕がもしかすると人へ優しくできるかも、って。傷跡を見せ物にするのは終わりにしよう。二人で決めたルールは責任が分散され、一度も守られなかった。破るためだよ。裏切るためだよ。予測のつかない無数の淡い白も、やがて春のうちに終わる。僕らの人生、最初と最後を見届ける人がいるものだと、子どものように信じてる。大丈夫、ほら、もう大丈夫と言い合って。平和だねと頷き合って。狭めた視界で。でも、ああ、僕はそれを好きだったのに。花弁が浮かんで鏡だと思い知る。誰もいなかったと、ここには僕だけだったと、薄暮に包まれ思い出す。途方もなく静かな嵐。なけなしの沈黙のなかに恋は死ぬ。ぼくの世界できみはずっと不在だった。記憶だけが見つめていた。
No.816
深夜にきみの検索履歴を眺める。僕は悪いヤツだと思う。僕なら救えるんだ。だからしない。傍観している。悪いヤツだと思う。知っていることと知らないことが運命を変えるなら、知っているのに知らないふりをしてやり過ごすことが運命を変えたりしないだろうか?バカげてる、きみは言うだろう。それを分かってる。いつか読んだ小説のフレーズが、今僕の胸をえぐっていく。月がきれいと言えた頃、もっと瞳に映れば良かった。懇願に飽き足りて呪いのように。きみは映せば良かった。作者は読者の存在を知らず、僕が本当のひとりになった時に読む一行。大丈夫かと尋ねるきみのほうが大丈夫じゃなくて、振り返った僕は何も知らないふりをして笑った、色あせた行間に傷跡を隠して。