No.819

車窓の額縁にあなたと春が象られ、知ってる。と思った。間違いない、そうだ僕はあなたを知っている。一瞬の錯覚だったと認めたくなくて目を逸らす。目を閉じて深呼吸してまた目を開ける。風景のなかにあなたがいる。世界がある。なんて完璧なんだろう。呼吸も忘れる。吸うと吐くを、どうしてたっけ。なのに鼓動は勝手に高鳴ってる。身に着けていた鎧も、いつしか厚くなっていた仮面も、あっけなく消え失せた。セピア色の本から視線を上げ、あなたが言う。何かを言う。声が体に染みて意味が通らない。自分に向けられるその音を欲していた。電車は菜の花のただなかを行く。外はこんなに明るいのに、耳元でずっと星屑が流れるんだ。「血、出てます」。上唇に手をやって、ああ自分のことかと理解する。裏切られたと一瞬思う。でも、春だ。だけど、春だ。なんなら桜並木を歩きたい。第一印象がどんなに情けなくたって、いつかあなたの一番になるよ。ずっと前、生まれるもっと前に誓ったことを思い出して僕は第一声を発する。新しい風に百年が弾け、あなたは自分でも気づかずに、知らぬ僕の名を懐かしく呼んだ。