朝焼けが遠くて、終わりってこんなもんなのかなと思った。制服の時期を指折り数えて、無駄だと感じ途中でやめる。ぼくたちは背中に色を背負っている。自分では分からないから、誰かと話すほかない。話して、笑って、泣いて、今こうだよと教えてもらう、ほか。教えてあげる、ほか。水たまりに映った空に、薄い皮膚みたいな桃色が浮かんでいる。きみが、恋をしている。ぼくに、恋をしている。手をのばしてくれたんだ、終わりの見えなかった夢のなかへ。水たまりが消える前に、ぼくに向けられた一瞬の衝動を捕まえに行く。向かい風も追い風も妨げられない、これはぼくが選んだ行く手だ。触れ合わない距離で、ふたり並んで、手始めにキャラメルカプチーノを。それからぼくたちが過ごした長い、今やっと終わりに近づいている長い夜にまつわる話を。しずかに。
カテゴリー: 詩
No.774
月は空砲で撃ち落とされ、愛より重い夜が来る。明けることのない、信じたい、育って欲しくない、朝ではない夜が。黒と青が幻覚を飲み込むんだ。殺さずにとっておくの。ページをめくる手がさっきから進まなくて、ああ、またあの人を考えている。あなたにとっての星はひとつきりで、見えなくなったら何もないんだ。空気を読みながら語りかける。読めているかは分からないけれど、経験からくる確率としては、きっと正解であるはず。これが正解なら美しいはず。思うんだ。祈るんだ。願うんだ。乞うんだ。あなたは僕を見て「かわいそうに」それだけを言うと、自分の言葉が本当になるよう、ちゃんと僕を壊した。鉄屑になったぼくは無数のあなたを抱えて星になるかも知れない。無数のあなたの中のどれかひとつくらいは、くらい夜から脱出できたかも知れない。
No.773
こんな夜があるんだよ。きみはまだ信じられないかもしれない。信じようとしなかったから。誰も殴らない、誰も慰めない、誰にも拭えない、誰も裏切らなくてもいい、こんな夜があと何回もあるんだ。冷たく切れ味の良いものにだけ心を許そうとしたね。死にそうで死ねない猫にだけ語りかけたね。夜空に低くたゆたう月に、好きな歌を口ずさむ少年に、いつの間にか聞こえなくなった蝉の声に、キャスターによって演じられた緊迫感に、ダッシュボードで溶けてしまって粘り気のある飴を噛み砕くあの子に。ぼくは伝えたい。ぼくは、いたい。もう少しこの世界にいたい。約束が嫌いなきみに、ひとりごとみたいな誓いを立てる。明日が来る保証はない。それでも本にしおりを挟む。明後日もぼくらがいる保証はない。それでも名前を書いたデザートを冷蔵庫の奥に隠す。口にしたら大袈裟になる気がして言わなかった永遠は、大袈裟どころかいつもあった、ここに、ふたりの呼吸の重なるところに、月もナイフもそれを知ってた。
No.772
柔らかい闇を吹く風が湿っている。天井に映った影が言った、「おまえを押しつぶすのは容易い。放っておくだけで良いから」。ほこりまみれで捨てられないものがあるんだ。何とかなると信じてばかりいるんだ。あなたが身にまとう死は濃厚で、メリーゴーランドを眺めていた子どもの頃のように引きつけられる。入園料が精一杯で、アトラクションは乗れなかった。握りしめた硬貨は不安症のぼくを、満足させてはくれなかった。柔らかい闇から降る声は「平気なのに」と笑っていたあの人の声に似ていた。そのものだった。押しつぶすのは容易い。放っておくだけで良いから。その声が、言葉が、僕にいま立てと命じる。立ち上がりさえすれば変わって見えるから。視界が、表情が、環境が、おまえを取り巻くすべてが。立ち上がるだけで。立ち上がるたびに。分かっていた。暗がりへ行きたくなるのは、出てきた時の眩しさを感じたいからだって。不安を遠ざけることに命を割かなくても、そのことを覚えたまま笑いながらやってきたじゃないか。立ち上がったなら解に向かい歩く。正しさや間違いを見つけるためじゃなく、救いの求めかたを知らない、闇にひとりきりのあなたのため。
No.771
ここから先へは行きたくない。黒い霧が流れている。ぼくを見つめる瞳の気配、手も足も出せなくなる感覚。きみが手を握ったり離したりするせいで、本当のお別れなんだと分かってしまう。気づくのはぼくが先でも、準備するのはきみが早かったね。いつも。いまも。太陽があるのに降り注ぐ雨を、奇跡のように見ていた。初めてきみを見た時きっと、同じ顔をしたんだろうな。顔を上げる。誰が教えずとも、空に描かれる虹に気づけるように。きみの決断を待たずにぼくは手を離す。黒い霧が晴れたら新しいきみを見つけられる。予感だけで一歩を踏み出す。運命に出会うために糸を切った。さよならを言わなかった気がして振り返ると、陽だまりしかそこにはもう残っていなかった。
No.770
絵の具を混ぜて唯一無二をつくりだそうとした神さまの試みは、既視感の連続で不発に終わった。欠けたのは新鮮、初心、慈愛と無垢。目をつけたら花を見て、口をつけたら喋り出す。彼ら彼女らへの憧憬は止まなかった。いつも。ちいさな鳥が卵を産んで、孵る前に獣に食べられても、雨は大地を潤して、虹は七色を描く。ぼくは自分になにが足りないか自覚している。それをどうやって補ったらいいのかも知っている。自分がどれほどそれを望んでいるかを。誰も望まないことを。人を傷つけない夕日や星空はない。朝は、思い出は、食卓の卵は、選ばれなかった野良猫、ぼろぼろの夢。描かなければ見なくて済んだのに。見慣れたものに飽きてしまっても、時間は巻き戻せないまま世界はリセットされる。きみの産声が正解も不正解も打ち破る、朝、美しい一日を迎えるためにそこらじゅうで絵の具を潰す。
No.769
忘れていいよなんて言わない
思ってもないことを伝えたりしない
覚えておいて、覚えておいて
忘れようとしてもいいけど(無理だから)
体育館の扉が半分ひらいていて
後輩たちが駆け足で横切ったあと
輝く菜の花より鮮烈だった
非常ベルが鳴って合唱が悲鳴になった
飼い慣らされた野性が日常の
中で死んでしまおうとしていた
僕はすがったりひれ伏したりした
ここにいて、また元に戻すから
覚えておいて、覚えておいて
出会う前だと思っていた頃を
もうすでに出会っていた頃のことを
あなたの視界に入ることだけ考えていた
人差し指が非常ベルを押すのを見ていた
菜の花が燃えているのを
水族館の水槽みたく磨かれた空を
その瞳に刻まれる一瞬を
無実のあなたと逃避行とかしたかったな
だけど何にも言えなかった臆病者を忘れないで
No.768
雨雲の切れ間からバター色の光がさしている
映画ならあの光は兆しかもしれない
群像劇ならあの光はフラグかもしれない
ぼくは今日運命の相手と出会うのかも
日常に点を散りばめて線にするのをもったいぶった
時間は砂のように流れて光景をつくりかえてった
登場人物は変えないまま少しずつ少しずつ
ドラマチックはぼくの上を素通りした
どんな思いで気持ちを伝えてくれたんだろう
卒業式が終わった後のワンシーンを繰り返す
本当に桜が舞っていたのか、身長差は違わないか
もう分からないしそもそも捏造込みの回想だとしても
光はさしていた
今ぼくが何気なく見上げた空にあるような
光が確かにさしていた
特別じゃないもののような顔をして
今さら気づいたのとでも言いたげに
線は後から結ぶものなんだろう
点を散りばめたことはないんだろう
その証拠に振り返れば道だけがある
つないだ手からは光のように血が流れる
人が変わっても名前が変わっても
No.767
一枚の絵に、知る限りの青をのせた。
永い夢から醒めた青。
色彩から隔たった青。
夜と夜明けをつなぐ青。
境界線に生まれ出づる青。
ぼくはぼくの名前をつけるけど、きみはきみの呼びかたでいい。どの青がどんなふうに映るかは、きみの瞳によるところだから。それぞれの瞳が感じることだから。
過ぎ去った時間を取り戻せないと分かるのは、同じぶんの時間で形を成した人に出会ったとき。彼らは前触れもなく現れて言った。
「なにも特別なことではないよ」。
賞賛したい、諦めたくない、何も無くてただ自由でいたことを、認めたくない。ほとんどの当たり前が、ぼくにはできない。
誰かを愛すること、自分の弱さを受け入れること。どちらが欠けても後悔が生じる。どちらを満たしてもまたべつの後悔が生じる。
見下した世界がたちまち無数の青に染まってく。ぼくが描き出す青など飲み込まれてしまう。唯一無二なんて幻だ。幻だと知るところから、また始まっていくんだ。
風が吹いてキャンバスの埃をさらっていく。
きみが笑った。
ひるがえった屋上のシーツの裏側で。
いつかのぼくがそうしたように。
No.766
いつでも会えると思っていると
いつまでも会わないまま終わりそう
終わりそうな命であることに例外はなく
つないだ手を離す理由を天気のせいにした
僕を見るあなたの目が優しくて
求められてもないいいわけを披露する
聞き苦しい話を遮らず聞いてくれた
こんな人が僕といてくれたのか
世界には完璧なものが多くて
少なくとも多いように僕には見えて
あなたもそのうちの一つだと
思ってたんだ、誤解を解いて
色とりどりの魚が泳ぎ
水槽越しに見つめあったふたりは
たまに隠されながら
文字や思いを泡にして遊ぶ
やがてあなたは謎を一つ明らかにする
僕が誤解を解いたお返しだと言う
何を拠り所にして凪いでいられたのか
壊れそうだから壊されたかったと告白される