No.775

朝焼けが遠くて、終わりってこんなもんなのかなと思った。制服の時期を指折り数えて、無駄だと感じ途中でやめる。ぼくたちは背中に色を背負っている。自分では分からないから、誰かと話すほかない。話して、笑って、泣いて、今こうだよと教えてもらう、ほか。教えてあげる、ほか。水たまりに映った空に、薄い皮膚みたいな桃色が浮かんでいる。きみが、恋をしている。ぼくに、恋をしている。手をのばしてくれたんだ、終わりの見えなかった夢のなかへ。水たまりが消える前に、ぼくに向けられた一瞬の衝動を捕まえに行く。向かい風も追い風も妨げられない、これはぼくが選んだ行く手だ。触れ合わない距離で、ふたり並んで、手始めにキャラメルカプチーノを。それからぼくたちが過ごした長い、今やっと終わりに近づいている長い夜にまつわる話を。しずかに。

4+

No.774

月は空砲で撃ち落とされ、愛より重い夜が来る。明けることのない、信じたい、育って欲しくない、朝ではない夜が。黒と青が幻覚を飲み込むんだ。殺さずにとっておくの。ページをめくる手がさっきから進まなくて、ああ、またあの人を考えている。あなたにとっての星はひとつきりで、見えなくなったら何もないんだ。空気を読みながら語りかける。読めているかは分からないけれど、経験からくる確率としては、きっと正解であるはず。これが正解なら美しいはず。思うんだ。祈るんだ。願うんだ。乞うんだ。あなたは僕を見て「かわいそうに」それだけを言うと、自分の言葉が本当になるよう、ちゃんと僕を壊した。鉄屑になったぼくは無数のあなたを抱えて星になるかも知れない。無数のあなたの中のどれかひとつくらいは、くらい夜から脱出できたかも知れない。

3+

No.773

こんな夜があるんだよ。きみはまだ信じられないかもしれない。信じようとしなかったから。誰も殴らない、誰も慰めない、誰にも拭えない、誰も裏切らなくてもいい、こんな夜があと何回もあるんだ。冷たく切れ味の良いものにだけ心を許そうとしたね。死にそうで死ねない猫にだけ語りかけたね。夜空に低くたゆたう月に、好きな歌を口ずさむ少年に、いつの間にか聞こえなくなった蝉の声に、キャスターによって演じられた緊迫感に、ダッシュボードで溶けてしまって粘り気のある飴を噛み砕くあの子に。ぼくは伝えたい。ぼくは、いたい。もう少しこの世界にいたい。約束が嫌いなきみに、ひとりごとみたいな誓いを立てる。明日が来る保証はない。それでも本にしおりを挟む。明後日もぼくらがいる保証はない。それでも名前を書いたデザートを冷蔵庫の奥に隠す。口にしたら大袈裟になる気がして言わなかった永遠は、大袈裟どころかいつもあった、ここに、ふたりの呼吸の重なるところに、月もナイフもそれを知ってた。

4+

No.772

柔らかい闇を吹く風が湿っている。天井に映った影が言った、「おまえを押しつぶすのは容易い。放っておくだけで良いから」。ほこりまみれで捨てられないものがあるんだ。何とかなると信じてばかりいるんだ。あなたが身にまとう死は濃厚で、メリーゴーランドを眺めていた子どもの頃のように引きつけられる。入園料が精一杯で、アトラクションは乗れなかった。握りしめた硬貨は不安症のぼくを、満足させてはくれなかった。柔らかい闇から降る声は「平気なのに」と笑っていたあの人の声に似ていた。そのものだった。押しつぶすのは容易い。放っておくだけで良いから。その声が、言葉が、僕にいま立てと命じる。立ち上がりさえすれば変わって見えるから。視界が、表情が、環境が、おまえを取り巻くすべてが。立ち上がるだけで。立ち上がるたびに。分かっていた。暗がりへ行きたくなるのは、出てきた時の眩しさを感じたいからだって。不安を遠ざけることに命を割かなくても、そのことを覚えたまま笑いながらやってきたじゃないか。立ち上がったなら解に向かい歩く。正しさや間違いを見つけるためじゃなく、救いの求めかたを知らない、闇にひとりきりのあなたのため。

4+

No.771

ここから先へは行きたくない。黒い霧が流れている。ぼくを見つめる瞳の気配、手も足も出せなくなる感覚。きみが手を握ったり離したりするせいで、本当のお別れなんだと分かってしまう。気づくのはぼくが先でも、準備するのはきみが早かったね。いつも。いまも。太陽があるのに降り注ぐ雨を、奇跡のように見ていた。初めてきみを見た時きっと、同じ顔をしたんだろうな。顔を上げる。誰が教えずとも、空に描かれる虹に気づけるように。きみの決断を待たずにぼくは手を離す。黒い霧が晴れたら新しいきみを見つけられる。予感だけで一歩を踏み出す。運命に出会うために糸を切った。さよならを言わなかった気がして振り返ると、陽だまりしかそこにはもう残っていなかった。

4+

No.770

絵の具を混ぜて唯一無二をつくりだそうとした神さまの試みは、既視感の連続で不発に終わった。欠けたのは新鮮、初心、慈愛と無垢。目をつけたら花を見て、口をつけたら喋り出す。彼ら彼女らへの憧憬は止まなかった。いつも。ちいさな鳥が卵を産んで、孵る前に獣に食べられても、雨は大地を潤して、虹は七色を描く。ぼくは自分になにが足りないか自覚している。それをどうやって補ったらいいのかも知っている。自分がどれほどそれを望んでいるかを。誰も望まないことを。人を傷つけない夕日や星空はない。朝は、思い出は、食卓の卵は、選ばれなかった野良猫、ぼろぼろの夢。描かなければ見なくて済んだのに。見慣れたものに飽きてしまっても、時間は巻き戻せないまま世界はリセットされる。きみの産声が正解も不正解も打ち破る、朝、美しい一日を迎えるためにそこらじゅうで絵の具を潰す。

3+

No.769

忘れていいよなんて言わない
思ってもないことを伝えたりしない
覚えておいて、覚えておいて
忘れようとしてもいいけど(無理だから)

体育館の扉が半分ひらいていて
後輩たちが駆け足で横切ったあと
輝く菜の花より鮮烈だった
非常ベルが鳴って合唱が悲鳴になった

飼い慣らされた野性が日常の
中で死んでしまおうとしていた
僕はすがったりひれ伏したりした
ここにいて、また元に戻すから

覚えておいて、覚えておいて
出会う前だと思っていた頃を
もうすでに出会っていた頃のことを
あなたの視界に入ることだけ考えていた
人差し指が非常ベルを押すのを見ていた

菜の花が燃えているのを
水族館の水槽みたく磨かれた空を
その瞳に刻まれる一瞬を
無実のあなたと逃避行とかしたかったな
だけど何にも言えなかった臆病者を忘れないで

3+

No.768

雨雲の切れ間からバター色の光がさしている
映画ならあの光は兆しかもしれない
群像劇ならあの光はフラグかもしれない
ぼくは今日運命の相手と出会うのかも

日常に点を散りばめて線にするのをもったいぶった
時間は砂のように流れて光景をつくりかえてった
登場人物は変えないまま少しずつ少しずつ
ドラマチックはぼくの上を素通りした

どんな思いで気持ちを伝えてくれたんだろう
卒業式が終わった後のワンシーンを繰り返す
本当に桜が舞っていたのか、身長差は違わないか
もう分からないしそもそも捏造込みの回想だとしても

光はさしていた
今ぼくが何気なく見上げた空にあるような
光が確かにさしていた
特別じゃないもののような顔をして
今さら気づいたのとでも言いたげに

線は後から結ぶものなんだろう
点を散りばめたことはないんだろう
その証拠に振り返れば道だけがある
つないだ手からは光のように血が流れる
人が変わっても名前が変わっても

2+

No.767

一枚の絵に、知る限りの青をのせた。

永い夢から醒めた青。
色彩から隔たった青。
夜と夜明けをつなぐ青。
境界線に生まれ出づる青。

ぼくはぼくの名前をつけるけど、きみはきみの呼びかたでいい。どの青がどんなふうに映るかは、きみの瞳によるところだから。それぞれの瞳が感じることだから。

過ぎ去った時間を取り戻せないと分かるのは、同じぶんの時間で形を成した人に出会ったとき。彼らは前触れもなく現れて言った。
「なにも特別なことではないよ」。
賞賛したい、諦めたくない、何も無くてただ自由でいたことを、認めたくない。ほとんどの当たり前が、ぼくにはできない。

誰かを愛すること、自分の弱さを受け入れること。どちらが欠けても後悔が生じる。どちらを満たしてもまたべつの後悔が生じる。

見下した世界がたちまち無数の青に染まってく。ぼくが描き出す青など飲み込まれてしまう。唯一無二なんて幻だ。幻だと知るところから、また始まっていくんだ。

風が吹いてキャンバスの埃をさらっていく。
きみが笑った。
ひるがえった屋上のシーツの裏側で。
いつかのぼくがそうしたように。

3+

No.766

いつでも会えると思っていると
いつまでも会わないまま終わりそう
終わりそうな命であることに例外はなく
つないだ手を離す理由を天気のせいにした

僕を見るあなたの目が優しくて
求められてもないいいわけを披露する
聞き苦しい話を遮らず聞いてくれた
こんな人が僕といてくれたのか

世界には完璧なものが多くて
少なくとも多いように僕には見えて
あなたもそのうちの一つだと
思ってたんだ、誤解を解いて

色とりどりの魚が泳ぎ
水槽越しに見つめあったふたりは
たまに隠されながら
文字や思いを泡にして遊ぶ

やがてあなたは謎を一つ明らかにする
僕が誤解を解いたお返しだと言う
何を拠り所にして凪いでいられたのか
壊れそうだから壊されたかったと告白される

5+