No.772

柔らかい闇を吹く風が湿っている。天井に映った影が言った、「おまえを押しつぶすのは容易い。放っておくだけで良いから」。ほこりまみれで捨てられないものがあるんだ。何とかなると信じてばかりいるんだ。あなたが身にまとう死は濃厚で、メリーゴーランドを眺めていた子どもの頃のように引きつけられる。入園料が精一杯で、アトラクションは乗れなかった。握りしめた硬貨は不安症のぼくを、満足させてはくれなかった。柔らかい闇から降る声は「平気なのに」と笑っていたあの人の声に似ていた。そのものだった。押しつぶすのは容易い。放っておくだけで良いから。その声が、言葉が、僕にいま立てと命じる。立ち上がりさえすれば変わって見えるから。視界が、表情が、環境が、おまえを取り巻くすべてが。立ち上がるだけで。立ち上がるたびに。分かっていた。暗がりへ行きたくなるのは、出てきた時の眩しさを感じたいからだって。不安を遠ざけることに命を割かなくても、そのことを覚えたまま笑いながらやってきたじゃないか。立ち上がったなら解に向かい歩く。正しさや間違いを見つけるためじゃなく、救いの求めかたを知らない、闇にひとりきりのあなたのため。