No.773

こんな夜があるんだよ。きみはまだ信じられないかもしれない。信じようとしなかったから。誰も殴らない、誰も慰めない、誰にも拭えない、誰も裏切らなくてもいい、こんな夜があと何回もあるんだ。冷たく切れ味の良いものにだけ心を許そうとしたね。死にそうで死ねない猫にだけ語りかけたね。夜空に低くたゆたう月に、好きな歌を口ずさむ少年に、いつの間にか聞こえなくなった蝉の声に、キャスターによって演じられた緊迫感に、ダッシュボードで溶けてしまって粘り気のある飴を噛み砕くあの子に。ぼくは伝えたい。ぼくは、いたい。もう少しこの世界にいたい。約束が嫌いなきみに、ひとりごとみたいな誓いを立てる。明日が来る保証はない。それでも本にしおりを挟む。明後日もぼくらがいる保証はない。それでも名前を書いたデザートを冷蔵庫の奥に隠す。口にしたら大袈裟になる気がして言わなかった永遠は、大袈裟どころかいつもあった、ここに、ふたりの呼吸の重なるところに、月もナイフもそれを知ってた。