奇跡ってたくさん集めたら薄くなる気がしてた。だから奇跡だってあまり思わないようにしようって。約束はしなかったけどそういうふうに決めたんだ。何かひとつ決めておけば忘れた時にも思い出せるかなって。最初から奇跡だった。終わりのことは知らないけど、最後までずっと奇跡なんだろう。白い箱に詰め込まれて出荷を待つだけのショートケーキだった。きみがそこから連れ出した。いちごなんて要らないんだ。何も変わっていないのに何もかもが新しかった。きみは子どもを産めないと言うけどあたらしいものはいつもきみから生まれていたよ。脱線、それだけを願っていた制服の頃。車窓の外に海が見える。きみがいるだけで毎日こんなにたくさんの色が見える。見ようと思う。そして受け入れようと思える。世界はぼくを傷つけないと、傷つけられてもまた立ち上がれると、また歩き出せると、誰より自分がわかるから。いつかこの風景に溶けたら、何もかもを睨んでいたかつてのぼくのような目をした子どもに教えたい。奇跡は平気。使い切ることはない。絶望がある限り、何がいちばん幸せかをきみはほんとにわかっている。
月別: 2018年9月
No.562
氷を買いに出かけた夜
流れ星が降っていた
魔物がたくさん潜む森
コンビニまでを照らしてよ
手編みの夜色ニット帽
懐かしい道を消さないでね
ぼくたちを生かしてね
産んだのだから生かしてね
めくるめくきらびやかな店内
にぎやかな無数の音楽
たちまち窓の外が背景になる
ここには主役がいっぱいだ
明け方近くに店を出た
ぼくははたと立ち止まる
地面いっぱいに星のかけら
朝日を反射してきらきら光ってる
こんなにもばらばらになったの
もう取り返しがつかないの
特別じゃないものに負けたんだ
ぼくとあなたはもう会えない
【小説】あるプログラマの憂鬱
昔習った九九をとなえる
頼りないとき
泣きそうなとき
嘘が暴かれそうなとき
頭の中で何度も繰り返す
全身がどくどく鳴って
数字以外入ってこられないように
音も匂いも体温も記憶も
水風船が弾けた
そう思った
水風船なんて手にしたことはない
欲しいと思ったことはあるけれど
差し出された手を握った
草のように乾いていた
問題ないか?
うん、平気だった
(ぼくは、いつでも、へいきだったよ。)
それからふたりで旅をしたんだ
あなたの話が聞きたくて
ぼくは喋れないふりをした
そのうち本当になったんだけど
あなたは最初ちぐはぐに思えた
悪いと感じた命は簡単に割るし
良いと感じた生き物は拾うし
そんなに優しいと騙されるんだからな
助言はいつもあなたが寝たあとだ
ぼくが逃げ出すのを待っているのか
それとも寝ながら死んじゃいたいのか
装備品やナイフをそのへんに放って
ぼくは何度かこっそりと触った
それはたまにつめたくて
いつだってピカピカしてた
あなたはいつ磨いているんだろう?
はやく慣れてほしいな
好きなものは守って良い
そして、やっつけて良いんだ
好きなものを傷つけそうなものは
そう見えただけかもしれなくても?
そう見えただけでもじゅうぶんだよ
おれを不安にさせたってだけで
だって不安は一晩で膨れ上がる
精神まで健康そうなあなたにも
不都合な発狂があるらしい
ぼくはいつまでも後をつけた
あなたはぼくをときどき助けた
かと思えば傍観してるだけのこともあった
その時は目が開いていても寝ているんだ
そう思うようにしている
これはぼくの決めたこと
ある時ぼくたちは窮地に陥った
先に逃げろとあなたが言った
その命令を聞けなかったから
ぼくは隠し持っていたナイフを振り回した
すっかり安全なところにたどり着いて
ようやくあなたはぼくを見た
まともじゃないな
おまえ正気なのか?
正気だったよ
ずっとずっと正気だったよ
あなたがいたから
たってぼくよりいかれてるんだもん
声には出なかったけど
なんとなく伝わったんだろう
あなたは困った顔で笑った
まあいいけど、どっちでも
あーあ、優しい世界だったらな
逃げたり隠れたりしない
襲ったり襲われたりもない
でも、それはきっと、退屈だろうな
あなたはぼくを振り返る
大丈夫か?
歩み寄ってくる姿が過去に重なる
昔習った九九が流れる
気づいた時には水風船が弾けていた
全身に赤い水を浴びて
立っていたその人が手を差し出す
問題ないか?
うん、平気だった
ぼくは答えた
いつものように
いつもどおりに
(ぼくは、いつでも、へいきだったよ。)
優しい世界
バグのない世界
あなたは何人いても勇敢で
守られるぼくだけがいつまでも死ねない世界
No.561
本当と偽物がわからないの
白すぎたんだよ
どこが底辺か知らされず
物語ばかり埋め込まれたせい
自由だと思うんだ
きっと自由だと錯覚するんだ
信じているなら間違いがない
疑うよりもずっと真に自由だ
死にたい夜を越えて
まだ誰もいない街を歩く
夢の続きかと思いながら
滅亡後かと思いながら
遠くのほうからやってくる
それはぼくを覚えている
だけどぼくは忘れてしまってて
きみの名前でそれを呼んでみる
血が通うように光がさす
壊したい人や壊れない人の
窓辺に新品を携えて
夜のためにまた起きなさいと言う
ふと何もかも見えなくなったふり
みんなしていること
みんながしてほしいこと
ぼくときみがしてこなかったこと
いつかのあやとり
輪っかのままで毛糸が落ちている
何の形をつくっていたんだっけ
見覚えのない落し物かも知れない
懐かしい気持ちで呼ばれたい
もう一度はじめからなんて面倒だ
不自然に歪んでもいい
白い紙の上では歪みは無いも同然だ
No.560
ぼくは歩き出そうと思う
雨雲が遠くに見える
風が湿っている
花瓶の蕾が顔を上げる
窓の外に揺れる架空線
用のない眼球がふたつ
ひな鳥が虫を食む
かつてそうだった場所で
緑がさんざめく
虚空に文字が踊る
捕まえようと手を伸ばしたら
ひっかいてしまって飛行機が落ちた
橙を秘めて眠る家々には
まだ少し魔法がかかっている
ぼくはここを出て行こう
あなたにひかりが降るように
No.559
水槽ごしは安らぐね
錯覚かもしれない
その可能性を残すから
あなたはきっと傷つかない
その可能性を残すから
もともと出会わない予定だった
そう仮定しよう
そもそもが道草だった
そう仮定しよう
仮定仮定と仮定にばかり頼りきり
まんまるな月が
ちょうちんのように闇をつくっている
折り紙のような黒一色を
振袖から飛び立った蝶々が飛んでいく
崩壊を待っている
誰や僕が泣いてもいい
たとえ失敗したっていい
その失敗に失敗を重ねたっていい
思うだけなら危うくてもいい
あなたがどちらを切ったとしてもいい
その手に持った銀色のハサミで
目元を隠す黒い髪や
鱗粉を残す蝶の軌跡や
背を向けあっても途切れない撚り糸
この夜を偽物たらしめる折り紙の一枚
No.558
投げつけられた言葉を拾い上げ
いちいち傷つく暇はない
僕の代わりに誰かが泣くだろう
午後には干上がる水たまりの中で
好きだった
手に入らなかった
だから大好きだった
気持ちだけ宝石箱にしまい込む
たまに夢で会えたらいいな
現実ですれ違うことと変わらないから
視線は交わらないし接触もしない
あとは可能性の問題だけだ
キャラメルの包み紙を集めて
ひとつずつに文字を書く
毎朝ひとつつまみ上げて
そこから始まるイニシャルに会いに行く
普通が世界を壊して行く
構成する細胞を貶めながら
消滅したいか残存したいか
どっちでもいいよって嘘つきながら
真夜中は小鳥をさがす
心臓くらいの大きさの
それを握りしめてとくとく眠る
翌朝には冷たくなっている
花をむしることも
川をせき止めることも
小鳥を冷たくすることも
君の名前を忘れていくことも
僕には止められない
誰にも止められない
世界に止められない
命を止めない限り止まらない
ふたりは握っている
心細さのあまりにお互いを握りしめる
そうしたせいでどちらも息絶える
だから明日にはまた別の誰かが心細い
蹴り上げられても元どおり
消えても生まれる
覗き込んでは真似ばかり
僕たちがあこがれる水たまりのむこう
No.557
誰もいない
灰色の空気をくぐる
街はそれでも輝いている
人類が絶滅した世界だと仮定する
初めて僕は息をする
すがすがしくて温かい
冷たくて心地がいい
公園のブランコも滑り台も
太陽が斜めに昇って影を作る
正体を見ずに影ばかり見る
ハロー、はじめまして。
あなたはこの街がスキデスカ?
たどたどしく装った人間
または、流暢に話す異形の機械
影だけでは判別がつかない
僕は返事をせず微笑み返す
気が違ったふりは少し甘い
舌の上にじんわりとひろがる
夜になると甘さは毒になるから
いろんなものを舐めては解毒する
同じ時刻どこにいても汽笛がする
なのでそれは幻聴だろう
だけど連想する記憶なんて持たない
ああ、自覚がないから幻聴なのか
お腹の底に少しずつ溜まった毒が
ようやく致死量を満たす頃
僕は計画を実行に移すことにした
丘の上の白い箱のような家へ向かう
ハロー、ごはんです。
甘くて美味しい、ごはんですよ。
ドアを開けると初恋が立っている
灰色した朝靄の中で淡く光りながら
ぼくはもうずっと空腹でいる
検分もせずにそれを頭から食べ尽くした
No.556
水色の道が網目状に拡がっている
この先の不安が何も無いと知らされる
ある人は僕に水色じゃないと言う
もう少し紺色がかっていると
僕たちの眼球は不ぞろいだ
統率者もそこまで気づかなかったのだろう
重要性を感じなかったというのが近いかも
その違いが僕に少しだけ希望を持たせた
半端な希望なら無い方が幸せだと
そう思えて仕方のないこともある
作られた笑顔はそれでも笑顔で
僕に向けられる愛情を否定はしない
新しい楽しみを見つけたんだ
違和感を拭い去れない顔だ
まだこの世界に馴染めないでいる
きっとこれからも馴染めないだろう
その正気がいつか君を殺すと
ここでは違和感が異常だと
誰も君に教えられないでいる
甘い僕だけのショートケーキ
捨てていく中で僕だけ持っていた
賢くないと思ったから
夢は今日も傍観する僕を訴える
なけなしの水色で君を染めようとする
No.555
むずかしい言葉
核心を突かないため
芝生にスカートがひろがる
靴底はフレアに隠している
見えない鎖があって
見えない壁があって
見えない棘があって
それでふたりは近づけないの
紫の猫が笑う
見えない棘も
見えない壁も
見えない鎖も
なんにも見えないんだ
なぜってどこにもないからだ
でも信じたいふたりがいるんだ
それで存在を許されるんだ
見えないくらいで
疑うこともない
見えないくらいで
嘘になることもない
贅沢な遊びだ
死ぬまでの時間つぶしだ
綺麗な装丁には収めてやらない
死ぬまで鏡と向き合っていろ