【小説】あるプログラマの憂鬱

昔習った九九をとなえる
頼りないとき
泣きそうなとき
嘘が暴かれそうなとき

頭の中で何度も繰り返す
全身がどくどく鳴って
数字以外入ってこられないように
音も匂いも体温も記憶も

水風船が弾けた
そう思った
水風船なんて手にしたことはない
欲しいと思ったことはあるけれど

差し出された手を握った
草のように乾いていた
問題ないか?
うん、平気だった

(ぼくは、いつでも、へいきだったよ。)

それからふたりで旅をしたんだ
あなたの話が聞きたくて
ぼくは喋れないふりをした
そのうち本当になったんだけど

あなたは最初ちぐはぐに思えた
悪いと感じた命は簡単に割るし
良いと感じた生き物は拾うし
そんなに優しいと騙されるんだからな

助言はいつもあなたが寝たあとだ
ぼくが逃げ出すのを待っているのか
それとも寝ながら死んじゃいたいのか
装備品やナイフをそのへんに放って

ぼくは何度かこっそりと触った
それはたまにつめたくて
いつだってピカピカしてた
あなたはいつ磨いているんだろう?

はやく慣れてほしいな
好きなものは守って良い
そして、やっつけて良いんだ
好きなものを傷つけそうなものは

そう見えただけかもしれなくても?
そう見えただけでもじゅうぶんだよ
おれを不安にさせたってだけで
だって不安は一晩で膨れ上がる

精神まで健康そうなあなたにも
不都合な発狂があるらしい
ぼくはいつまでも後をつけた
あなたはぼくをときどき助けた

かと思えば傍観してるだけのこともあった
その時は目が開いていても寝ているんだ
そう思うようにしている
これはぼくの決めたこと

ある時ぼくたちは窮地に陥った
先に逃げろとあなたが言った
その命令を聞けなかったから
ぼくは隠し持っていたナイフを振り回した

すっかり安全なところにたどり着いて
ようやくあなたはぼくを見た
まともじゃないな
おまえ正気なのか?

正気だったよ
ずっとずっと正気だったよ
あなたがいたから
たってぼくよりいかれてるんだもん

声には出なかったけど
なんとなく伝わったんだろう
あなたは困った顔で笑った
まあいいけど、どっちでも

あーあ、優しい世界だったらな
逃げたり隠れたりしない
襲ったり襲われたりもない
でも、それはきっと、退屈だろうな

あなたはぼくを振り返る
大丈夫か?
歩み寄ってくる姿が過去に重なる
昔習った九九が流れる

気づいた時には水風船が弾けていた
全身に赤い水を浴びて
立っていたその人が手を差し出す
問題ないか?
うん、平気だった

ぼくは答えた
いつものように
いつもどおりに

(ぼくは、いつでも、へいきだったよ。)

優しい世界
バグのない世界
あなたは何人いても勇敢で
守られるぼくだけがいつまでも死ねない世界

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