No.765

夜は怖くないのに
朝がきて光に包まれると
ぼくにも輪郭ができ怯えてしまう
今日もまた影を引きずって歩くんだ

満員電車に揺られながら
何が怖いんだろうと問いかける
質問者も回答者も自分なので答えは無い
車両が大きく傾いて窓の外が夏だけになった

やりたいことも望みもないけど
それを隠して生きているだけじゃないか
これは一つの仮説
だから輪郭や影が怖いんだ嘘が見破られる

誰にも届かない言葉を
吐き続けていられるほど強くなくても
誰にも届かないとわかっている言葉を
吐かずにいられるほど我慢強くもない

結局吐き出すしかない
喉を通さない文字という文字を
誰の心臓も撃ち抜かない思いという思いを
今日もまた透明のまま目覚める

窓の外に流れる青色に別の仮説を描く
ぼくが生きることをやめられないのと同様
ぼくが言葉や文字をやめられないのは
ちゃんと誰かに届いているからではないか

寄り添っていても抵抗がなく
姿がないからあるがままの姿でいられて
時にはこころを垂直に貫く光のような
ぼくが知らずにそうされたように

車両の傾きがゼロに戻り
窓の外に人工物が戻ってくる
ぼくが見ていた夢と現のさらに先
この星で会いたい人に出会えそうな気がした

3+

小説『シネマハイツに守られなくても』

人がどんどん死んでいく映画を見て、こんな世界ならすれ違わなくて済んだのかなと思えるほど、ぼくは平和に生きている。そりゃ生きていればいつかは死ぬだろうが、差し迫った生命の危機はなく、嫌なことには嫌だと言っていいし、手に入れたいものを手に入れる手段はいくらでもある。時代や環境を無視して比較されたら怒っていいし、傷つけられたら訴えていい。それなのに。

月光という名のクッキーをレモンティーに浸して食べる。すっかり染み込ませたつもりでも、中は案外乾いている。上下の歯でさくさく粉砕される、粉と油からなる食料。その音と同じリズムで人が撃たれたり地面に倒れたりする。この映画を作った人が伝えたかったことは、ぼくが感じ取っている何かとは違うだろう。描きたいものがあって、そこに多くの人が共感して関わって作ったとしても、別のとらえ方をされてしまうんだ。ひとりとひとりで同じことが起こらないはずはない。

クッキーの空き箱を丁寧に折りたたんで、一番上になった面に書かれてある文字すべてを読んで、読み終えた後はきみの名前を拾った。一文字一文字には音と形しかないのに、つなげると胸を締め付ける。祈るように視線を動かし、救済のように発見をする。

(もう、行っていいんだ)。

見つけたかった文字をすべて見つけられたので、ぼくは決意する。会いに行こう。いま。行って伝えよう。 その後のことは知らない。

玄関を出ると握りしめたスマホが震えた。「今から会いに行っていい?」「だめ」。少し考えて「こっちから行く」と追伸。少しも考えなかったことがわかる早さで承諾のスタンプ。ああ、それで良いんだ。それほど考えなくても伝えて良いんだ。何度も教えてくれたのに、今さらやっと腑に落ちた。スマホはもう見ない。アパートの階段に昆虫の死骸がいくつか転がっている。その横をたんたたんと不規則なリズムで駆け下りる。何事も悲劇ではない。

映画とクッキーの部屋を後にしたぼくは、銃撃されることもなくきみの場所まで安全にたどり着けるよ。

4+

No.764

夕陽がすごく綺麗だよ
隣の部屋からメッセージがとどいて
音を立てないようベランダへ出る
遮光カーテンに守られた世界の外で
もうひと回り大きな世界が輝いていた

かがやく闇は家電量販店の看板を飲み込む
不用品が集められるあの場所を
親切なオーナーのいるコンビニを
一度も入ったことのない五番街を
嫌悪にすり替わる他なかった好意を

同じものを見ているだろうに
だって教えてくれたのはきみなのに
本当だねと写真付きで返信する
きみからも同じく写真が届く
僕の方がセンスいいな、
そう主張したくて部屋のドアを開けた。

『なかなおりの詩』

3+

小説『この甘さに対抗しうるもの』

このシリーズに出てきたハレが幸せを噛みしめるだけの小噺。甘め。

仕事が早く片付いた今日は久しぶりに定時で上がった。取引先から連絡が入る予定も特に無し。同じ部署の同期から飲みに誘われたが「やめとく」と即答すれば「オンナ?」とからかわれる。オトコ!と元気よく答えて会社を後にした。

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2+

No.763

盗まれたから持っていたことを知った
失ったから大切だったことを思い出した
漏らして知る自分の本音
嫌いだと言い好きだと否定した
胸が痛んで耐えられない
本音を嘘で証明しようとして仕損じて
きみはずっと私を好きだったよと
あなたから教えられるという失態
ぼくから伝えられなかったという不覚

『不覚の詩』

2+

No.762

決まった朝に目が覚めて
いつもと変わらない私を知る
机の上に増えてく花が
減っていく言葉を表していた

日付が追い越していく
異変のない庭の手入れと
たやすくなびいてしまう髪

あなたに言ったことはない
不安が消えたことはなかった
愛を歌えたら
幸せを歌えたら

欲しい終わりをあげられたら
塗りたい青で塗りつぶせたら
きっとなにかが変わると思っていた
ずっとなにも変わらないと分かっていた

あなたは光りやすい素材の人ね
私と違って私でなくても
手をかざすだけで見つけられるの

2+

No.761

リズムがぼくを離れていかない
花瓶を買ったんだフラスコの
花が好きになれなくて
花さえも好きになれなくて

手紙を書くよ
あなたの声は知らないけれど
手紙を書くよ
切手を貼りたいという動機だけ

新調したペン先を今
信号機の青に浸す
禁止という言葉が行間から生まれ
隣の行に吸い込まれて消えた

ぼくが手紙を書くこと
手紙を書くためにペンを握ること
ペンを握るまでに至るあなたへの思いが
明日、欠落するかも知れない

今だけだ
どうしても眠ることできない
今しかない
よそ見している余裕はない

火のようにペンを走らせる
独りよがりに似ている
凍てつく前にペンを走らせる
ぼくはたぶん大人にならない

封筒に宇宙の切手を貼り
星から吸い込んだもの全部を還して
一生に一度の最期を迎える
この世には美しいものがたくさんあった

優しいひとがつくってくれた
正方形の窓から夜明けが見える
遠くのちいさな星よありがとう
ぼくより先に沈まないでくれて

3+