no.418

ぜんぶどこへも行くことはない
あくどい夢もつたない空想も
あなたにすべて染み渡る
だけどだんだん透明になる

生きていくことは彩色だと
もしかするとそう
わざと思っていたかもしれない
ほんとうは正反対でも

したいことやりたいこと
しなくていいことやらなくていいこと
簡単に忘れてしまうって
それは絶えず変わってゆくからだ

細胞のように
月の満ち欠けや引いて寄せる波
眠たいのに寝られないで
(まるで同じように見えたんでしょ?)

刻一刻と切り取られる魂
すこしずつ生まれ変わる
いつかぜんぶいなくなる
(そのことがまだ不満?)

涙を誰にも売らないこと
伝えたかった
だからこぼれてくるようにした
分かり合えないことを分かってほしかった

それだけでは冷たいので
内側からあふれるようにした
他の誰かがたやすく気づくよう
誘惑の多い仕掛けをほどこした

不思議なことじゃない
なぜって意図的に仕組んだんだ
あなたにとっては遠いある日あなたを
この世界に放り込んだ気まぐれな誰かが

4+

【雑記】楽園の消え方

考えていたこと。

好きなものってなんで消えちゃうんだろうな。蛍かな?

私が思うには「消えた」というより「身に溶けた」のではないかな、ということである。

生涯それを続けていく人だって確かにいる。だからと言ってそういう人々に比較して好きな気持ちが劣っていたのではないか、とか、もうこれから先自分は何も楽しめないのではないか、とか、思う必要性などまったくない、それどころか無駄だと思っている。むだむだ。

例えば私は小学校4年生くらいまで絵を描くのが好きだった。書きながら思い出したけど、そうだった。

幼稚園生のころから、友だちと遊ぶ時間よりも黙々とお絵描きしている時間が長かったし、弟を主人公にした漫画はCampusノート17冊に達したし、引っ越しした友達と文通する際にも封筒の中いっぱいにイラストを描いて送り合っていた。家にパソコンが届いたらマウスを使ってお絵かきをしていた。ほうほう、そうだった。書きながら思い出した。

でも今は、詩や小説っぽいもの、文章を書くほうがメインになっている。
「絵を描くのが好きだった自分」が消えたわけでなくて、その上に今の自分がいる。ミルフィーユみたいに層になってる。

もしも並行世界が存在したとして「文章ばっかの自分」と「もともと絵を描くことが好きで今は文章メインで書いてる自分」がいたら両者は似て非なるものなんだろうなと思うんだ。
どっちが良いとかの話ではなくて。絵を描くときのイメージとか描き出し方っていうのは、意識していなくても文章を書く時の何かにつながっていて、ひっくるめて私が書き出す文章になる。

絵を描くことにおいては、もう満たされて、この身にしみていったんだと思う。

千の風になってあの大きな丘を吹き渡っていますじゃないけども、ミルフィーユ層を抱えた自分だからこそ生み出せるもの、たどり着ける場所が、誰にでもあるんだと思う。私だけの話じゃなくて、みんなそうなんだと思う。

番組名忘れたけど「オリンピック選手より才能あったあの人は今?」みたいなテレビ番組をちらっと見かけたのね。同じ教室に通っていて成績(タイムとか優勝回数とか)も良かったあの子はなんであの競技をやめちゃったんだ?みたいなやつ。で、やめた理由は経済的な問題であったり当人のモチベーションが消失したり別競技のほうが楽しかったんだよね、とかさまざまにあるんだけど、その人はその人でべつに普通に生活してるのね、当たり前だけど。才能って、純粋にスキルのことだけじゃないんだと思った。その才能を抱えて生きていく才能、とでも言いましょうか。自分の才能との相性ってことだな。たとえばすっごい才能あったとしてオリンピック行かなかったとしても、コーチなど指導者になってその人の才能を発揮させる人もいるわけでしょう。いやいややるからにはオリンピックって思うものなのかも知れないけど、その人にとってはオリンピックに出るためにその才能があったんじゃなくて、指導者となるためにその才能があったのかも知れないでしょう。あるいはいっそその競技にかすりもしない人生を送っていたとしても、やっぱりそれは「その競技において才能があった人によるその競技にたずさわらない人生」なんだよ。ずっとオリンピックとか競技の話してるとか絵とか歌とかもそうでない?スポーツよりは個人で続けやすいという特徴はあるのかもしれないけど。

なので「これが何のためになるだろう?」って考えずに、好きなものは好き。で良いし、「気づいたらこれやっちゃってるなあ」っていうものがあれば、それは「好き」以前に天性であったりするので、まあ続けていけばいいと思うんだ。

何もかもする気分にならない、俺はもう無だ・・・。

みたいな気分になっても、間隔の問題であって、ただしゃがんでるだけかも知れない。ジャンプするためにはしゃがむでしょ。だから「しゃがんでるなあ」って感じつつ、あほのようにホゲ~っとする時間を過ごすのも良いと思う。

わたしは全然心配をしていない。
何にも興味を持てない状態を続けられるほど人間って高度じゃないって思うんだ。

自分が原始的に好きだったものを思い出したり、ホゲ~っとしたり、とことん傍観者になってみたり、広い場所行って寝転ぶとか。

何かを好きな自分でないと好きになれないって呪いかもしれないのでそういうのから適当に解き放たれて楽になればいいと思う。

そうしたらあなたの前にまた新しい楽園があらわれるでしょう。

あやしげな勧誘っぽくしめくくる。
おわり。

4+

【雑記】やさしいひとりのつくりかた

わたしさいきんになって「これは最強だな」って自分の中で基礎を固め始めたワードが3つあってそれは何かというと今から書きますね。

1. 他人じゃなくて自分の期待にこたえる
2. おまえ俺じゃないじゃん
3. うるせーばーか

こんな感じ。

ふざけていると思わないでほしい、思ってもいいけど一つずつどういう意図か伝われば良いと思う。少しでもいいから。

まずは1つ目の「他人じゃなくて自分の期待にこたえる」ということです。

ん、ちょっと待って。
なんかおかしいなと思ったら、ここまでなんで敬語で書いてるんだろう?
ここから、いつもどおりに戻す。

まず大前提として「人は自分のことしか考えていない」という事実を認めてほしい。
「いやいや、おまえ自分のブログだからつってさ、そう極論でものを語るなよ、え?他人の利益を優先して考える人やボランティア精神旺盛な人だっているだろうがよ」って言いたくなる気持ちも分かる。
しかしわたしはそういうの信じてなくて、いや信じてないっていうより「もう一皮むけるでしょ」って思っていて、結局「自分が満たされるから」でしょ。
他人が喜ぶ。すると自分が嬉しい。なぜなら自分が感謝されてるから。自分が認められてるから。自分がいてよかったな自分かわいいい!
ってなるから。
多少語彙的ニュアンスで違和感あってもだいたいそうだと思う。
そしてここが割と誤解されているなあと感じるのは「自分かわいい」精神が悪どくとらえられがちだという点だ。「結局自分が可愛いのかよ!」の言葉に代表されるように自分の満足を最優先させたり、そうでなくても重視すること自体が悪と見られる風潮があるのではないかな?日本人の文化的に?知らんけど。
そんな中でわたしたちがんばって生きているので「自分かわいいって思っちゃだめ。少なくとも出しちゃだめ。オブラート、オブラート」って思うかも知れない。
まあ確かに度が越せば傍迷惑だろう。
(話それそうー。いつもの悪い癖で話それってって「で、なんだっけ?」な展開になりそうー。軌道修正。)
えーと、だから。
自分かわいいって思っていいと思うよ。
だって自分がつらいとき誰が一番つらいかっていうと自分じゃん?
そりゃそうだよね、考えるまでもないよね、もう、実際バリバリの当事者だから。
共感とか相談役とか名乗るやつら現れてもそいつら最終的に十字架背負ってくれないじゃん。
会社とかイメージすると分かりやすいよね。当たり前だけど使えなくなったら守ってくれないじゃん。
なのでね、自分かわいいと思って良いと思う。というか、そうしないと割合というかバランス的におかしいんでない?
したがって、周囲からの圧力であったり期待であったり羨望であったり、なんらかの言動を期待するまなざしが自分に対して向けられているような状況になっても、だ。もしそれを「したくないな・・・」って思っているのならしなくていいし、というか、してはいけないし、「だけど自分はこう感じているな」だったらそれに従えばいいんだよ。
これが「1. 他人じゃなくて自分の期待にこたえる」の理由です。

ここまで書いたら「2.おまえ俺じゃないじゃん」の意味もだいたい同じだなって分かってもらえると思うんだが、本当にそうだよ。
説明要らないんでないかな。
だって自分に刺さったナイフで痛いのってナイフ刺さってる自分でしょ。誰かが引っこ抜いてくれたり治療してくれたとしてもその間ずっと痛いのって自分じゃないか?
あと、自分の進路だの決断だのに口出して来る人ってわかりやすく悪どいならまだしも本人でさえ無自覚のうちに親身ヅラしてるから要注意な。
その人はその人の経験や見識から提言してるに過ぎず、あるいは世間一般的なものかもしれないなー、ようは無根拠で無責任なんだよ。ひねくれて言っているんじゃなくて「根拠もないし責任もない」ってことです。そのまま。他人の助言に従って行動したとするよ。失敗したり「こんなんじゃなかった」ってなった時に、助言者が責任とってくれますか?とらない、というか、とれんでしょう。
それは海で生きる(海でしか生きられない)魚に対して「川マジ最高!川で暮らそう!だっておれ川ちょう好きだもんね!いいとこだよ、来いよ!」って言ってるようなもんで(それはそれでちょっとかわいいと思いながら書いている)、だからそういうふうに言われたら「おまえ俺じゃないじゃん」って言い返していいと思う。
気まずい雰囲気ならそっと離れるだけでもいいと思う。鵜呑みにしたり洗脳される必要はない。
「なんか言ってることわかんねーけど川楽しそうだから川でも生きられるかもしんねー。行ってみっか」って感じるなら、それはそれで行けば良いけど。

最後は「3.うるせーばーか」である。
これはできれば心の中だけで言っておいたほうがいい。
もう大抵みんな語りたいだけ。押し付けたいだけ。百歩譲ってそれが親切心だったとしてもだよ、おまえはおまえの人生しか生きていないわけだしましてや俺のソムリエじゃないだろ?ってことなんだよ本当に。(おっいい例え!っていま自画自賛したけどどうだろ微妙かな)。
もうね、その人が仮に100回転生してる命だったとしてもだよ、私ではないんだ。
同じ時代同じ世界を生きているんだとしても、厳密に、まったく別個なんだよ。
それは希望でありワクワクでありいいことなのかもしれないけど弱ってる時は流されてしまうんじゃないのかな。
もしもあなたに友人が多くてたくさんの人が優しい声をかけてくれる時があっても心の片隅では「うるせーばーか」と言えるスペースは残して置いてほしい。な。

それがなくなったら委ねるだけになってしまってあなた簡単に飲み込まれるよ。

以上、ためにならない講座であった。

書いてる本人だけ頭の中すっきりまとまったんでしょ、とでも思ってるのならば答えはノーだ、とだけ最後に書き記しておこう。

なんなら太字に装飾したっていい、答えは、ノーだ。

ここまで2,454文字。原稿用紙6.1枚。

きみとわたしは有益な時間を共有したと言えるんだろうか?
答えはイエスであってほしい。

5+

【雑記】あいほんのゆううつ

私はiPhoneを高く評価しておりVodafone時代から一切浮気などしていないしiPhoneと同期が取れたら便利だろうなという思いから、ああそうさ、iMacまで買ったよ。もちろんiPadも所有済みである。気づいたら身の回りがりんごマークまみれになっているんだったな。それはそうと前も同じようなこと書いた気がするがあえてまた書くとiPhoneって「あいほん」では予測変換されないってのが本当にツンデレとしか思えなくて「はあ?」って時と、まあ時間に余裕があれば「かわいいな、おまえ(ニヤニヤ)」で済むんだけどじゃっかん謎だな。これだけ主人の意図を読んで、時は読みすぎて「ちょ、ちょ、先走りすんなよな!」ってくらいに予測変換大好きなiPhoneがさ、もう「あい」まで打った時点で出てきても良いくらいの性能を持っているiPhoneがさ、「あいふぉーん」ってしないとiPhoneって表示しないの意地悪でないかな?って思ったんだよ。「私の名前は『ほん』じゃなくてよ?まだおわかりにならないの?」とでも言っているんだろうか。それとも「僕の名前は『ふぉーん』が正式だぜ、『ほん』なんて野暮ったくて返事するのも癪だね!」とでも拗ねているんだろうか?いずれにしてもいまいましいかわいらしい。とか書いてるうちに「あいほん」でも「iPhone」って出るようになったから単に学習してなかっただけかあるいは・・・?(ここから作者はゆめのせかいへ・・・)。

果たしてGoogle先生はどうだろう?と思って「あい」まで入れたらまずこの時点では何も出てこない。これも謎だな。Google先生ともあろうお方がだよ、「あい」、ここまで入力したらそれはもうユーザーの大半はiPhoneの情報を知りたいんだろうと予測する程度の能力はありそうでないか?なにゆえ頑なに提示を拒むのか?と思いきや「アイホン」検索ヒット。
ははあ、なるほどなるほど。
Google先生はiPhoneより一枚うわてだったというわけだ。私の名前は「ほん」じゃなくってよ、な美少女iPhoneちゃんをたしなめつつ「いや、きみはアイホンでも検索可能なのさ。ふふ」と言い聞かせる大人の余裕もあったってわけだ?くー、渋いな。Google先生イケメン紳士かよ惚れる。

そしてすべてが私の妄想であり勘違いであり私自身のスキルの及ばないところであり何故きみはここまでこんな文章を読めたのだろう?

答えは間違いなくきみが私の文章を好きだからに他ならない。
しかし時として裏切られる。
学習しないのは誰しも同じなのであった。

そんなきみにありがとうの意味を込めて米津玄師のアイネクライネをおすすめしたい。(アイで検索し過ぎた結果)。

やってた作業に戻ります。ここまで1,160字。原稿用紙2.9枚を読むだけの時間をきみはこの記事に注いで私を喜ばせたのだった。立派な貢献活動だ、活力をありがとう。

4+

no.417

あれからずいぶん時間が経っていたのに。くすくすと笑いだした。しばらくすると大きな笑いに変わった。さすがに知らぬふりを続けられなくなって怪訝な顔を向けた。そうするほうが適切だとぼくは判断したのだ。

おまえはぼくが振り向くのを待っていた。目が合うだけでふたたび笑った。つられて笑うべきか迷った。迷っているうちは行動に出ないほうがよろしい。

ぼくは琥珀糖を手に取った。
口に含むでもなく指先で転がしていた。
膝から下をふると猫のような気持ちがした。
それになったことはないのにそれのように感じた。

おまえを見るともう笑ってはいなかった。真剣な、優しい目つきをしていた。おや、と思った。ぼくは、それを、知っているような?それどころか、もっと、意味のある感情で受け止めていた日があったような?

夕暮れのグラデーション。いや、明け方の潮騒。名前も姿も知らない鳥の声。鳥だよと教えてくれた人がいたのだった。鳥だけじゃない。色だよ。食器だよ。花とか。鉱物。髪の毛。マニキュア。眼鏡。ガラスのペン。化石。これがルビー。サファイア。ダイアモンド。物知りなくせに。ぼくの名前は呼ばないんだな。そうやって拗ねたことがあった気もする。確かではない。

確かではないなら夢かも知れない。幻かも知れない。笑われるかも知れない。

だけど、それならそれで、いいじゃないか。
それが、いいじゃないか。

ぼくは思った風に口に出す。おまえは泣き出す。どれだけ、きずつけてるか、わかってんの。って。ぼくは数秒黙ったあとで、ちいさく言う。笑ったり泣いたり、つじつまの合わない奴だと。

少しうれしいと感じたためだ。おまえが泣くところを見たことがないと思ったからだ。

ああ、ぼくは、忘れてる。
たぶん、忘れている。
そうでなきゃおまえがぼくのことをそんな目で見るわけはないんだ。
ときどきは祈るように、ときどきは諦めたように。
すこしでも口を開くと微かな期待を隠しきれないでこっちを向く。
ぼくは大切な誰かだったんだろうな。
まだ何も思い出さないけれど、それだけで心地よい一日もある。

ところでさっきからぼくの手のひらにのっている、この宝石の名前は、なんと言うのだろう。

瞬間、光がとじる。
次の光を取り込むためにまた一旦暗闇に潜るんだ。
海に似ている。
後ろからされる目隠し、甘いにおい。
許して。
(ゆるさないで)。
罪を揺らして。
(わからせて)。
ふりほどけないものだと知っていたい。
それは。
二度と。
ほどけるんなら、また結びたい。
そんなふうに恋い焦がれたい。
彼方にあると思っていたもの。
手が届かないと信じたいのは誰のせい?

泣かないで。
(泣いていて)。
終わりにしないで。
(もう忘れて)。
ぼくを知っている。
(おまえだけ知っている)。
傷なんか怖くない。
ずるい手を使ってでも幸せにしてやる。

4+

no.416

いま何をしているの
きみは青から生まれた
たくさんの手紙から
言葉のちがう切手から

なまぬるいも
かたいも
さみしいも
あいしたくないも

いっしょくたにできる
世界の夜は優しいね
きみはいつだって眠れたはず
スープのような静けさの中

色付きフィルムで満たしてよ
こどものうたの延長線上
空っぽの箱に喋りかけている
あの人は今も嘘をついてくれる

指の先まで
針で刺せば血が流れる
証明の粒子
幸せでないことなんかない

利用されたとしても
次の青にかざした手を
笑われたとしても
根拠のない自信が

きみはいつだって大丈夫だ
ルーツに守られるから
何も持たなくて平気だ
薔薇だって降るよ

2+

no.415

きみはもう逃げ込まなくなった。
きっと強くなった。
だけどたまに振り返ることがある。
あの弱さは僕を僕たらしめるものだった、と。
誰もいない暗闇の優しさとあたたかさを思い出して。

ほかに光がないおかげで自分の色を知ることができたんだ。

一気に忘れてしまいたかったな。
なのに、すこしだけ覚えてる。
それは悲しいことだった。

さよならを言っても振り返らないものを知っている。それが僕を生んでここまで育てたものの正体だとして、だけどしずかに失われてゆくんだ。希望だの愛だのにすり替わってゆくんだ。そのうちに違和感も覚えなくなってゆくんだ。

そんな牙じゃ風船も割れない。

だから優しい人に出会うといつも少し不安になるんだ。いつかさよならをするんだね。それは避けられないんだね。

だけど台無しにはしないよ。

それが、あの暗闇で佇んでいるだけだった僕が覚えたたったひとつの確かなこと。疑う必要もないことだから。

3+

no.414

言いたくない。きみだけが頼りだ。そう言えば多くのことを投げ打ってぼくを優先するんだろう。切り札にとってある。そうじゃなかった時を迎えたくなくて。言葉が時々は意味をなさないことを知っている、知っていた、知らずにいられるはずがなかった。役割のないものに愛着を覚えていられるよう、朝の水色、冷蔵庫のしなびたレモン、昨日の泥水が乾いたスニーカーの靴紐、取り替える指先、なんでもない時に泣いてもきみは見ぬふりができる。ぼくが不意に他人のようになってもきみはいつだって思い出させることができる。さざ波と緑。まるい太陽、はためくフラッグ。世界は広い。腕の中は狭い。ぼくたちは窮屈でときどき喧嘩をした。夢のようだね。幻のようだね。人と人が通いあうのって。何をしても奇跡になるよ。捨てきれないものを抱えて、だけどいつかさよならをするのかな。この不安も抱えたまま生きていく。今日が明日に笑いかける。どうだ、未来、今がうらやましいでしょう。

3+

no.413

いまは果物をあつめるとき
きみは深く傷つくだろう
生きたいと強く思い
それをたしかに実行したときに

甘くてあかい
あおくて硬い
すっぱいのや
からいのや

いつ役に立つかわからない
そんなものでも
いまはたくさんあつめるとき
数えることは必要ではない

誰かがやってきて言うんだ
それをください
またある人は黙って取っていく
きみはまだ人を信じられる

まっすぐに
なんて願うものじゃない
一度願ってしまえばあとはもう
しつこくて寂しい検証だから

好きなほうへ
明るいほうへ
信じられるほうへ
きみを呼ぶ声のするほうへ

きみが笑っていなくても
それはそれでいいんだ
少しわがままを言うと
本当はいやなんだよ

光がまぶしければ逃げていい
その方角にはまだ誰も
いないかもしれない
でも待っている人はいるかもしれない

誰かが来てくれないかな
そうしたらぼくも行くのに
そうしたらわたしも行くのに
そんな場所があったらいいな

劇場よりあざやかで
洋裁箱よりにぎやか
なぜってきみの命だ
いまは果物をあつめるとき

2+