2017年 7月 の投稿一覧

【小説】野良猫の詩

この人、きっとぼくを拾うだろうなあ。

ひとりに飽き足りた目をしているもの。着こなしたスーツ。ひとつひとつの仕草がさまになってる。嫌悪感を抱かせない顔つき、表情。かっこよくて優秀で誰からも指図されたことがなくて憧れられるばっかりで。そしてそのことを一度も責められもしないで生きてきたんだろうなあ。いるよね、持っちゃってるの。産まれながらに備わってるの。そういう人種の最大の悲劇は共感者のいないこと。優しさも思いやりも裏があると思われちゃうんだよね。うん、うん。じゃあ未知だよ、未知。ぼくが新しい扉ひらいちゃうかもね。自分の血とかちゃんと見たことある?まあ、こんな完璧な人間を傷つけようとする輩はいないか。たとえばさ、差し出した料理を皿ごとひっくり返されるとか、おまえだけは許せないとか理不尽に除外されるとか、自分の持てるすべての資産能力なげうっても満足してくれないやつがいるとか、そんな経験ある?ないよね。それ全部全部叶えてあげるよ、これからは。手加減なしだよ。邪魔のない世界には飽きたんだよね。そんな顔だよ。簡単に許されることに、何をしてもしなくても受け入れられることに、疑問を抱いてもらえもしないで、そこにいるだけでいいと言われ続けた暮らしも、今日で終わるね。明日から引っかき傷だらけの毎日が始まるんだ。そうでしょ。それしかないでしょ。生きていくために必要なんだよ。誰にも言えなかったよね。罵倒されたかったし裏切られたかったよね。みんなのじゃなくて誰かの特別になりたかったよね。なんなら足蹴にされたかったし顎で使われたかったよね。濡れた毛を乾かしてあげたかったし傅きたい日もあるでしょ。そうでしょ。それ全部全部叶えてあげるよ。初めて満たされるよ。かわいいって、いとしいって、そんな気持ちで毎日はりさけそうになるんだよ。

うん。
この人はきっとぼくを拾う。
きっとじゃない、絶対。

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【小説】不機嫌の理由

たとえば他人を愛すると決めたらとてもらくになった。薬みたいだな。決めたんじゃなくて認めたせいかもしれない。言葉足らずで悪人だろうか。それでもちいさなものだろう。あさはかだと笑うだろう。嘘ばっかり。

おまえはそれほど強くない。だけど、ぼくに見破られて立ち直れないほど弱くはない。でもやっぱり頑丈とまでは言えない。たとえば朝にスープを飲める生活、夜がふければベランダで涼みながら煙草をすっていられる生活なんてものを与えてやったら、だめになる、なんてもんじゃない、生きていけなくなる。

そんな日々に埋もれて平気でいられるほどタフじゃないだろ。だから欲しがらない。これがあざといと言うんならそうなんだろう。ぼくの行動はいつも意図的なものばっかりだし。因果を推し量ってものを言うし。

かんたんに救われないで。安らいだ寝顔を見せないで。幸せだって言わないで。終わりが透けて見える。一緒に落ちてくれないと嫌だ。終わりが遠ざかるまで。

パラソルがひとつ、青い空に吸い込まれる。

もっともっと遠ざかるまで。
幸せだって言わないで。
平和とか永遠とか使わないで。
今だけ、ぼくたちにとってはいつだって今だけなんだ。
それを忘れてしまいそうになるから、溺れさせてやらない。
ぼくがいつでもいなくなれることさえ覚えてられないんなら、笑顔なんか見せてやらない。

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no.249

いろんなライトの色にくるまって眠るのが好き。匿名じゃなくなるのって安心する。秘密を奪われるのって。何か話して相手が眉をひそめるとぼくは正しいんだなって思う。ピンク色が一箇所に集まって誰のもとにも戻らなくなっちゃったからこんなに高く売れるんだよ。わかる、あの子がくわえていたカミソリの味、プールの水面の色したラムネ、虚構の純喫茶でティータイム、流れる血とは無関係のセラミック、それを青春だの呼ぶこと、欲しくて欲しくて、憧れて憧れて、それでも手に入らなかった時にそれを本当には望んでなかったからだと気付いた。田舎も都会も星の数はおんなじ。使い古された言い回しが道端に捨てられていてその栄光をかじってまた捨てた。拾ってまた捨てた人になりたくて。それだけ。ふと前方に現れたのは女学生の後ろ姿。追い越して見ればむかし僕の男だったやつ。やっぱり。意地悪じゃなくてまだみんなに内緒だった頃の合図。舌を見せよう、そこにはもう小さな刃物のないことを証明しよう。お互い晒した赤い舌は着色料に染まってたけど、ああ、そうだ、これが欲しくて眠らない夜もあった。僕たち今は話せる。空のこと。先生のこと。握っていたペットボトルの味についてや、履き倒したスニーカーのこと。張り詰めてて何も話さなかったあの頃。変わったねと言った。まだまだ変わるよと答えがあった。変わらないほうが危険なんだよ、そのほうが。ピアスの穴、とじたんだ。合わなかったから。でもわかるよ。ここにあったの。消えないのかな。消えないよ。この傷はなに。今の男。彼氏。何歳。七歳年上。上司。そう。まじで。うん、まじで。その格好は。彼氏の趣味。いや、おれの趣味だけど。そう。おまえは。女の子だよ。目が覚めたか。男はもう良い、忘れらんなかっただけ。またまた。もう一度始めてみる。それいいね、と、言うとでも思ったかバーカ。ざんねん。本気でそう思ってんなら言え。お。お?お。出直していい?そうしろ。こんな田舎もうこないと思ってた。なんで。嫌な思い出しかないだろ。そうでもないけど、おまえもいるし、桃はおいしいし。未練。は、ない。笑笑笑。何も消せてなかった。それって最高じゃん。潜伏してただけ。生き延びていた。殺されなかったし死ななかった。最高じゃん。一番じゃなくても大切にするよ。お気持ちだけいただきます。そう。てか、足を閉じろ、おまえいまスカートだぞ。あらやだ、うっかりうっかり。うわ、かわいくねえ。釘づけだったくせに。冗談。笑笑笑。

幸せになれよ。
笑顔でそう言うことが自分への罰で、いつかのおまえへの復讐。
忘れない、忘れさせない、何度でも言うよ。
どうかずっと幸せに。
そのあとで叩きのめされてまたおいで。

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no.248

真夜中がきたらぼくの中できみの失脚に対する願いが強くなる。悪魔にしたんだ。誰がってことわざわざ訊かないで。夕焼けを見ながら夜は全部隠すって嘆いていたあの子がかわいかったよ。そんなふうに考えたことなかったから。ぼくを映さなくてもその目はいろんなものを見ていて黒いんだね。誰かが訴追してくれないかと思う。手を下せずに。乾かない血だまりが完成しないかなと思う。秘密の血だまり。よどんでしまって取り返しのつかない気持ちでも初恋にできるなんてすごい魔法だ。ひとつも信じられない。ひとりになりたい。そんな言葉を鵜呑みにするなんて思わなかった。だからくたばれ失脚しろ。凶暴な悪役で倒されてやるから、手を抜くな、ヒーロー。心を痛めるなんてきみらしくない。闘え。相手が誰であってもだ。ずっとそうやってきたんだろう?

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no.247

気づいているか、それが命綱になっている。あなたが知らずに踏み続けてちぎれかけているもの。強くなろうとしても意思のないもの。いつでもあなたを守ることから逃げ出せて誰にも責められないもの。追われる身にはなりえないもの。ぼくはそれを切断してしまった者をたくさん見た。いっときは気が楽なんだ。それから自由になった気もする。十年と百年が過ぎる頃には何が起こったか忘れてしまってるんだけど、感覚だけ覚えてんだよ。生きていくことを決意しなくてもいい朝に、夜に、真昼でさえ、その声を聞かされるんだ。すべきことをしなかった。すべきではないことをしてしまった。それでも。いつかの悪態ひとつ違っていたら、この愛は生まれなかった。あなたなど地獄へ落ちるがよい。春の雪を、夏の花を、秋の海を、冬の星を、かぶせてあげよう。目覚めないで夢を。二度と、誰のためにも生まれ変われないように。

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【小説】ゆめやうつつや

(「分からず屋と小悪魔」の2人で)
ゆめやうつつや

終業式を終えて学校から帰ると金ちゃんがいない。
書斎、リビング、キッチン、浴室、ありえないけど庭、と探す。見当たらない。再び自分の部屋に戻ると、ポケットからスマートフォンを取り出し、登録してある連絡先一覧をながめた。心当たりは三件ほど。もっとも可能性が高いのはあいつの家だ。今日、学校で会った時はそんな素振りしてなかったぞ。だけど、いや、所詮はそういう奴だ。数度目のコールの後、相手が応答した。
「はい、コトリコーポレート。何かお困り事でしょうか?弊社ではお客様のご要望に合わせて多数の良質なソリューションをご用意しております。庭の草むしりから愛犬のお散歩、平穏な家庭の存続を揺るがす不倫問題から国家機密に関わる重要案件まで何なりとご相談くださ、」
「金ちゃん」
慇懃な物言いを遮ってそれだけを言う。
しばらく沈黙があった。
「はい?何とおっしゃいました?」
「金ちゃん返せさもないとぶっ殺す」
今度は間髪入れず笑い声が返ってきた。
しかも長らく止まるところを知らない、こっちの神経を逆撫でするような引き笑い。
「学校一の優等生が本性不穏すぎるんだけど」
「あれさあ、ぼくの」
「え、金ちゃんいないの?」
クラスメイトであるタカナシはまだ笑いながら、いかにもしらじらしく尋ね返す。
「ぼくはあまり人に、特に同年代から馬鹿にされた経験が少ない。それはぼくの実力のためであったりそうでなかったりするんだけど、要するに慣れない反応されるとはっきり言って癇癪起こしそう」
「ムカつくってことね」
「それだ」
「金ちゃん?いるよ。おれの隣で寝てるんだなあ、これが」
その言葉でぼくはスマートフォンとランドセルを壁に投げつけるや、帽子もかぶらず玄関を飛び出した七月の炎天下。

タカナシの家は何でも屋をやっている。嘘か本当か分からないけど、殺人の請負までしてるとか、してないとか。まあ、小学生のたてる噂だから根も葉もない話だってことはままあるだろう。万が一それが事実だったとしてもぼくはぼくのものを取り返すだけだ。
いつかの時代の白亜の神殿みたいな家はどこが玄関なのか分からない。定期的に変わるから。周辺をぐるぐる回ってとりあえず見つけたスイッチを押す。めでたく正規のインターフォンだったようでぼくは室内に招かれる。
タカナシの部屋へ入るのは初めてじゃない。たけどそんなにしょっちゅうじゃない。約一年ぶりに訪れたその部屋は相変わらず整理整頓が行き届いていて嫌味なほどだ。
「ようこそ、未来のプロフェッサー、シノヤマ・マヒロ」
タカナシはそう言って両腕を広げた。
無論、無視。
タカナシはぼくのことを一方的にライバル視している。以前招かれた時は、秘密の発明品とやらを自慢されまくった。アイデアもたくさん聞かされた。その中に夢現機というのもあった気がするけど今となっては名称は定かではない。普段その人が思い描いている妄想を具現化してくれるんだとか。ただし、妄想とは大抵後ろめたさを伴う。そのために使用を控えられては発明する意味がない。よって、妄想をあまり的確に映し出さないよう自動調節機能も付いているらしい。仕組みについては真面目に聞かなかったから分かっていない。とにかく、おせっかいなのかそうじゃないのか曖昧なその機械が完成間近だと言うので特に熱弁されたから、比較的記憶に残っている。
果たしてタカナシのベッドには金ちゃんが寝ていて、ぼくはひとまず安堵する。
「何がしたいわけ?」
遅ればせながらぼくの怒りを悟ったタカナシは広げたままだった両腕を下ろし、申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「父ちゃんからモデル準備しとくように言われて」
「やっぱり、そうか」
タカナシの父親はコトリコーポレーションの代表取締役でありながら、プロのカメラマンでもある。フェチシズムをテーマにした写真が多く、海外で個展を開くこともあるらしい。ことあるごとに金ちゃんを起用したがって、一言で言うなら煩わしい。そりゃあぼくだっていろんな金ちゃんを見たいさ。だけどそれは他人のフィルターを通したものじゃない、断じて。少なくとも、今は。
「そうそう。父ちゃんな、最近は暴飲暴食の光景を撮りためてるんだよ」
「ぼういんぼうしょく」
「金ちゃん上品な気配のする美人だろ?そういう存在が髪の毛振り乱しながら骨つき肉にかぶりついてるとかさ、そのギトギトした肉汁が陶器みたいな肌質の肘までタラタラーっと流れてんのとかさ。はたまたもっと露骨にグロテスクな感じで得体の知れないどろっとしたものを口に運んでチラッとこっちに流し目送ってるのとかさ、そういうの撮りたいわけ。適役だから」
「待て待て。意味がわかんない。いや、意味はわからなくていいんだけど」
「父ちゃんを代理してまとめると、即ちエロス」
「だからって金ちゃん勝手に連れ出していいことにはなんないだろ」
「え?マヒロの家からは了解もらってるって話だったけど」
「マジかよ。また母さんかな。金ちゃんを有効活用することが大好きだから。そこはぼくにも話を通して欲しいのにな」
ぶつぶつぼやいていると、
「まあ、実質所有者はマヒロの母ちゃんってことになるのかな。金ちゃんはおれが電話で呼び出して、父ちゃん来るまで待っててもらおうと思ったんだけど、寝ちゃった」
信じらんねえ。
ぼくのいないところで。
ぼくのあずかり知らないところで。
誰でもない、金ちゃんに対して苛立つ。
ぼくが同じことをしたら金ちゃんは質問攻めにするくせに。なぜだ?って。
なぜだ、なぜだ、金ちゃん、なぜだ!
深呼吸を繰り返して何とか気持ちを落ち着けたぼくは、金ちゃんの眠るベッドの傍に跪いた。
すよすよ安らかにお眠りやがって。この、この。
タカナシが悪の手先だったらどうするんだ。この分からず屋め。ばか、ばか、寝顔もきれいでかっこいいな、くそ。
恨めしい思いでその髪の毛を指先に巻きつけて軽く引っ張るなどしていると、睫毛が震えて覚醒しそうになるけど、たちまち睡魔に引き戻されていく。
「へんな薬でも飲ませたんじゃないの」
顔を合わせずタカナシに言ってみるが適当にはぐらかされる。
二十分ほどそうしていると家の中が騒がしくなったように思え、振り返ると部屋の入り口にガタイのいいヒゲ面の男が立っていた。タカナシの父親だ。ベッドの上の金ちゃんを見つけると「おお、おお」と謎の呻き声を上げながら近づいてきたが手前でぼくの存在に気がついた。
「おお、篠山さんのところの真尋くんだね。大きくなったね」
「こんにちは。お久しぶりです。おじゃましています」
「君も、見て行くかい?そろそろ薬も切れる頃だろう」
やっぱ盛ってんじゃねえか。
ぼくの不満に気づいたヒゲ面が「大丈夫。美と健康には害がない」と意味不明なことを言う。誰もそんなところの心配をしていたわけじゃない。
悶々していると、金ちゃんの瞼がゆるゆると持ち上がった。操られているみたいなぎこちない動き。見慣れた赤い瞳が金魚の尾鰭みたいに頼りなくふるふる小刻みに震えた後、ゆっくりと焦点を結ぶ。普段の動きをスローモーションで見ているみたいに、それはいつもの金ちゃんでありながらまったく新しい金ちゃんだった。
金ちゃんが非常にゆったりとした動作で上体を起こした頃、ヒゲ面はネクタイの裏から甲殻類を取り出した。
昆虫のような、水辺の生き物のような。シーツに放り出されたそれは、まだ蠢いている。金ちゃんが摘み上げて舌ですくい上げるように口の中へ。ろくに咀嚼せずほとんど一気に丸呑みする。喉仏が異様な出っ張りを繰り返すのを見た。
お次はシャツのポケットから、何やら黒い果実。両手で割ると透明な粘液とともに小さな種が無数に溢れ出す。金ちゃんは一粒も残さないよう舐めとる。だけど液体の溢れかたが速くて間に合わない。ベッドから降りて床に這いつくばる。金ちゃんはまだ眠そうに瞬きを繰り返す。それもヒゲ面が言っていた薬の影響なんだろうか。
開け放たれたドアの向こうからは一頭の獣が現れる。毛が白く、額には真っ直ぐなツノがあって、作り物なのか幻なのか分からない。剥製めいている。金ちゃんが手を差し出すとそれは思い出したように逃亡を図る。だけど金ちゃんの手はもうすでにそいつのツノを固く握りしめていて、首筋に噛み付かれてしまう。ああ、そうだ、ぼくは忘れていた。金ちゃんのやっていること。獣の体は己の流した血で染まっていく。金ちゃんは勿体無いというふうにそれを吸い、さらに噛み付き、舐めまわし、口を開けてかぶりつく。ぼくは自分の喉が鳴る音、心臓の音を鼓膜のすぐ近くで聞いた。金ちゃんが手の甲で乱暴に口をぬぐい、舌舐めずりをする。その瞳はいつも以上に色彩の濃さを増して、視線に捕まりたくないと思う。なぞられたなら、爪の先で引っ掻かれたみたいに痛む。金ちゃんが腰を折ってぼくの肩に額を寄せる。何事か囁かれる気がして耳を澄ませると、血混じりの唾液の粘り着く音と、首筋に穴の空いた感触が、した。甘美というには鮮烈で、痛みと言い切ってしまうにはただ恍惚に過ぎた。一瞬でだめになる感覚があった。ぼくは怖くなった。金ちゃんの背中を叩いて引き剥がそうとしたけどびくともしなかった。膝を折りながら金ちゃんから離れようとするけど追随は振り切れなかった。ぼくはヒゲ面の構えたカメラのレンズが金ちゃんだけでなくぼくの表情や一挙一動を逃すまいと見張っていることに今更ながら気づいて鳩尾から苦しくなる。
急激な吸い上げのせいに違いない、一時的に血液の出が悪くなった場所を金ちゃんの舌が今度は優しく圧迫してくる。ぷっくり盛り上がった穴の周囲を揉みしだくように円を描いて、懐柔でもしようとしているみたいだ。もしかしたら声が出ているのではないか。ぼくはいつしか金ちゃんにしがみついていた。自分が訴えかける声を聞いていた。こんなのは自分じゃない。そう考えようとしても現に感じることは偽れなかった。すり替えられなかった。
シャッターの音が近づく。タカナシが笑う。笑っている。大人みたいに。間隔が狭くなる。それはやがて雨が窓ガラスを叩きつける音になってぼくを現実に引き戻す。

しまった、寝ていた。

金ちゃんは頬杖をついて窓の外を見ていた。
念のため起き上がって今いる場所を確かめる。
大丈夫、ここはぼくの部屋だ。ぼくのベッドの上だ。大丈夫、もう大丈夫。
タカナシ父子も、カメラのレンズも、謎の甲殻類や溢れ出す黒い果実、ツノの生えた生き物なんかも、ここにはいない。気配もない。
「たくさん雨が降って、気温が下がると良いな」
外を向いたまま金ちゃんが言う。肩にかかった髪の毛の束のいくつかがさらさらとこぼれた。きれい。きれいすぎる。
これは、妄想じゃないよな?
「あついから」
振り返るまで安心できなかったけど、それはぼくの知ってる金ちゃんだった。
「金ちゃん、今日、ひとりでどこかへ出かけた?」
「いや?なぜだ?」
「ううん、なんでもない」
「ずっとここにいたぞ」
「うん、知ってた。だめだよ。勝手に秘密をつくったら」
「理解した。ところで、明日から夏休みだな」
「え?ああ、そうか」
「マヒロと過ごせる時間が長くなることは嬉しい」
金ちゃんを見やる。
白い。
赤い。
何も変わっていない。
「今まででいちばんいい夏休みにするぞ」
金ちゃんは暑さにめっぽう弱いくせに、はりきって言う。きっと頭の中はクリームソーダのことでいっぱいだろう。夏と言ったらクリームソーダ。それは他の季節でも変わらない。金ちゃんは目移りするということを覚えない。バカのひとつ覚えみたいに、クリームソーダクリームソーダクリームソーダって。そのうち髪の毛も目も色が変わってしまうぞ。そうしたら、そうしたら、もう遊んでやらないからな。
まあ、いいか。
ぼくは頷きながらもう一度ベッドに体を倒す。
目を開けたら金ちゃんが別人みたいになっているかも知れなくて、ぼくがその考えを捨て切れないせいで、会話はそれ切り。
夏の午後、昼寝なんてするもんじゃない。
これだけぼくをおびやかしておいて一個も罪のない金ちゃんがどこまでも恨めしかった。

タカナシのろくでもない発明品なんか、そのうちぶっ壊してやる。

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no.246

句読点みたいな呼吸が劇場を白けさせる。誰かの苦しみでしか起き上がれない朝がある。思い出しながら踏みにじって本当は泣いていても。誰かの涙でしか乗り越えられない夜がある。それでもいいんだよと大人はきっと言ってくれる。だけど答え合わせはしたくなくて鍵を付け替える。気まぐれにトライアングルを乱打すると星が落ちる。あの子の夢やあの子の希望が撃ち落とされる。支配される喜びも知らないで自由を語るなと謗られる。じゃあどうしたらいいの。あなたはたぶんそれを知らない。だからぼくも何も訊かない。コミニュケーションは断絶されたまま、永遠にやさしい信頼関係を保っていられる、不純でも、正しくなくても、片道でも、守るに値しなくても、唯一でなくても、ありふれていても、誰も許さなくても、何も救えなくても。壊れずにいられる。

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【小説】分からず屋と小悪魔

金ちゃん。という名前だからって金時豆が好きとかいうわけではなくって金ちゃんの好物はメロンクリームソーダ。食玩みたいにいかにもメロンクリームソーダメロンクリームソーダしたメロンクリームソーダ。毒みたいな緑の液体に言い訳みたいに真っ白なアイスが浮かんでて、てっぺんから少し傾いたところにこれまた毒みたいに赤く色付けされたシロップ漬けチェリー。

金ちゃんがうちに来たのは今から七年前。ぼくが生まれた年の夏。
ぼくの善良なる両親は金ちゃんがいろんなことを一から学べるようこの家に招き入れ自分たちの庇護のもとに置いた。金ちゃんはぼくのことをぼくがオムツを履いていた頃から知っている、ということになる。それが今後ぼくにとってどのような悪影響を及ぼすことになるのか今はまだ知る由もありません。考えたくもない。
金ちゃんは白い。髪が白い。睫毛も眉毛も白い。肌も白い。陽に当たっても焼けないし赤くならない。化粧品メーカーに勤めるお母さんは金ちゃんの皮膚組織について研究をしている。まだ謎が多いらしい。
金ちゃんの目は赤い。水槽で飼っている金魚のお腹みたいに丸くて赤い。まあ、だから金ちゃんというわけでもない。金ちゃんは銀の次世代ハイブリッドバンパイアだから金ちゃんなのだ。それは型番の呼称なのだ。個体識別のために別名をつけてもいいけど、なんとなくそのまま金ちゃんと呼んでいる。親戚のおばさんなんかもそうだろう。小さいころの呼び名はそうそう変えられない。
金ちゃんは見た目二十歳くらいに見える。ぼくがハイハイしてる時からそうだったからこれからもそうなんだろう。ぼくはいつか金ちゃんの背丈を追い越す日が来るんだろうか?
金ちゃんは「なぜ」ばかり言う。
なぜそうしたいのだ?
なぜそんな顔をする?
なぜそうだと言わないのだ?
なぜ、なぜ、なぜ?
金ちゃんにとってぼくの、ぼくたちの行動は、矛盾だらけで不可解なことばっかりらしい。一番おかしいのはそれを疑問に思わないひとや、少なくとも口にしないひとが多いこと。説明を求めると呆れたような困ったような表情を浮かべること。そしてそれは意地悪な気持ちからくるのではないこと。みんな本当にそうなのだ。

さいきん金ちゃんは衝撃的な事件に遭遇した。
ぼくが初恋に落ちたのだ。
そういえば、なぜ恋は「落ちる」ものなのだろう。他に「落ちる」という言葉を使うときといったら、奈落の底に落ちるとか絶望の淵から落とされるとかあまり良いイメージにつながらないことが多い。誰が最初に「恋に落ちる」なんて言い出したんだろう。
ちなみにぼくの初恋は友達から言わせたら「かなり遅い」ほうらしい。早い人だと記憶が始まったころに落ちることもあるらしい。でもそれってなんだかうさんくさくない?いいけど。
以来金ちゃんはぼくを観察するようになった。尾行はもとより、細かい質問が多くなった。お風呂も毎日一緒に入るようになったし部屋のゴミ箱を漁られるようになった。金ちゃんみたいなことするひとのことストーカーって言うんだよと教えたら、マヒロから話してくれればこんなことはしなくて済むのだがなと舌打ちされた。金ちゃんはさいきん舌打ちが多い。どこで覚えたのだか。
ぼくの初恋の相手がぼくとは五倍以上年の離れた女教師だということは金ちゃんにはすぐにバレてしまった。
その女のどこがいい?と真顔できいてくる金ちゃんは冷やかし目的ではないので、「顔だ」と大雑把に答えた。
回答を得た金ちゃんは思案顔でだんまりしていたけどしばらくして「俺の顔は嫌いか?」と質問を切り替えて来た。なんでそうくるかな。あー、とぼくは唸った。俺は今マヒロを困らせているんだな?と金ちゃんは念を押すように詰め寄って来た。その問いには答えず、
「金ちゃんはね。かっこよすぎるんだよ。いわゆる美形ってやつ。万能的な美だよね。ぼくは生まれたときから金ちゃんの顔を間近で見てるから、かえって正反対のものに惹かれたのかもしれないな」
「みんながマヒロを羨ましいと言ったぞ。俺と一緒に暮らせて良いなあと言っていた。なぜマヒロは嬉しくない?俺の顔では幸せになれないか?みんながマヒロになりたいって思うのに?」
「嬉しくないわけでも幸せになれないわけでもなくて、ようは見慣れちゃってるんだよ。金ちゃんは左右対称だしお肌にはシミひとつないし切れ長の目もすっと通った鼻筋も素晴らしいと思うよ」
「そうだろう、そうだろう。しかも俺はマヒロのことを誰よりもたくさん知っているぞ」
「そうだね。でも、だからってぼくが金ちゃんのことを、金ちゃんがぼくのことを好きになるように好きになるとは限らないんだよ。人間ってそうなんだよ。バンパイアにはちょっと難しいかな」
「む。バカにしただろう」
「ちがうの?」
「確かに、バンパイアはわからない。人間はへんなところでいきなり行動したりかと思えばためらったり、それは必要なことなんだと言い張ったり、急に無気力になったり、もっとニュートラルに自分を信じられないのかと思う。たとえばマヒロは俺の気を引くためにそんなことをしている可能性があると見ることもできる。女教師はただの出演者であってマヒロは無意識のうちに自分を偽ってあの女を好きだと思い込んでいるだけで真の目的は俺をやきもきさせたいだけだろう?現に俺はやきもきしてきたぞ」
「ちょっと何を言ってるのか分からないな」
「分からないわけがないだろう。それも演技だ」
「どうしちゃったの?なんだかおかしいよ、金ちゃん」
ぼくが金ちゃんのおでこに手をあてると金ちゃんはビクッとして三歩後ずさった。信じられないことでも起こったように目を見開いてわなわなと肩を震わせてその後で悔しそうに目を細めた。赤い瞳の輪郭が、暗闇でたった一本の最後のろうそくのように頼りなく震え始めて、潤んできた。言いたくないけど言わざるを得なくて言うときの表情を浮かべる。
「え、英単語を」
「うん?」
「マヒロが試験前に英単語を暗記するだろう。真剣な目で、他のことを無視して。おやつを片手でつまみながら、食べカスが服に落ちても気づかずに」
金ちゃんはどうやらそのときのぼくをつぶさに観察しているらしいと思しき描写がその後も数分続いた。中断させずにひたすら吐き出させる。金ちゃんはうつむいたり身振り手振りをつけたり、英単語を暗記するぼくがいかに真剣で脇目も振らず集中しているのかについて熱弁する。あの手この手で。
最後に本音をポロリと付け足すんだ。
「だから、英単語を覚えるみたいに、俺の好きなところをひとつずつ見つけて、覚えて欲しい」
ぼくは吹き出しそうになるのをこらえる。金ちゃんがめんどくさくてかわいくて。こいつぼくのこと大好きじゃん。だけどここで吹き出したら一週間はヘソを曲げるだろうことが容易に想像できてそれはぼくにとってもありがたいことじゃないので堪える。
「へんな金ちゃん。ひとつも何言ってるのかわかんなかった」
「こんないろいろな気持ちになるとは思わなかったんだよ」
一度素直になってしまえばやわらかいのだ。金ちゃんはしゅんしゅんと音が立ちそうなほど萎れて頭や肩からはぽっぽっと小刻みに湯気を出している。みたいに見える。血が通っていたら目の周りもほっぺたもいろんなところが赤くなるんだろうな。
「ばかだね、金ちゃんは。ちゃんと正解にたどり着いたのに、弱みをさらして」

ぼくは初恋に落ちたりしない。
女教師は単なる出演者。実在しない。
金ちゃんだけ大好き。
金ちゃんが悪いんだよ。
はやくおとなになりたい。
「ひっかけたな。メロンクリームソーダを食わせろ」
「はいはい」
だけどこの気持ちはまだ秘密のままにしておく。
「さくらんぼはぼくにちょうだいね」
だって、いろいろ使いようがあるだろう?
何も分からない分からず屋の金ちゃんは戸惑いながら頷く。
それを見てぼくはにっこり笑う。
よくある日常。
これがほかの誰かのものでなくて、本当によかった。

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no.245

あなたは何でも好きになれるから何も幸せにはできないのだ。あなたはとても優しくたくさんのことを間違える。正しいことを行おうとしてたくさんの人を傷つける。わかっている、それでも、何もしないよりはよっぽどいい、傷ついた人もそのことで恨みは言わないだろう。だって救われたのだ。この言葉を使うとあなたはそんな大それたことと笑うんだろうが。報われたのだ。たったひとつで、たった一瞬で。ぼくのように。生きて行くよ、揺らした尾鰭が毒々しい色したネオンに照らされるだけの生き物になっても。死ぬまで殺すことはないよ、そのために長引く時間があるなら。眉をひそめる人の視線の先で、陽の当たらない物陰で、喧騒に絡め取られることのなかったささやきを見つけ出す。今度はぼくが、今度こそあなたの、ありかを探り当てたなら、もう一度息を吹き込んであげる。あふれんばかりの模造品の中でも間違わずに。目をつむっていても、応答がなくても、確信を持って、どんなにきつくっても、やっぱり懐かしいと思ってしまう、その眼差しひとつで。

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no.244

ずいぶん遠回りしたからね
最短で正解を掴みたいと
でたらめを言う
バルコニーの出っ張りで

羽根はないよ
見えたことはないよ
きみは美しいもの
そんなものがなくても

ぼくの体験に
きみが消えるところを目撃する
という項目を増やすことが
きみの目的だったのか?

そうではないはずだ
いや、そうであってもいいんだけど
困りはしないんだけど
嬉しくてまた
生まれてきてしまいそうだよ

何回も何百回も言ったよな
何人も何億人も死んでるんだぞ
感動と違って悲しみは伝染しない
愛がなければ

その上それは名前だけ
実体はない
おまえが信じるかどうかさ
そんな表現を許す唯一のもの
くだらないと笑うんだ

銀河なんか
ミミズクの目の中にある
空の青だってつかまえられる
わけないんだ
度の無い銀縁眼鏡で十分さ
百円の絵の具でだって描けるさ

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