【小説】ゆめやうつつや

(「分からず屋と小悪魔」の2人で)
ゆめやうつつや

終業式を終えて学校から帰ると金ちゃんがいない。
書斎、リビング、キッチン、浴室、ありえないけど庭、と探す。見当たらない。再び自分の部屋に戻ると、ポケットからスマートフォンを取り出し、登録してある連絡先一覧をながめた。心当たりは三件ほど。もっとも可能性が高いのはあいつの家だ。今日、学校で会った時はそんな素振りしてなかったぞ。だけど、いや、所詮はそういう奴だ。数度目のコールの後、相手が応答した。
「はい、コトリコーポレート。何かお困り事でしょうか?弊社ではお客様のご要望に合わせて多数の良質なソリューションをご用意しております。庭の草むしりから愛犬のお散歩、平穏な家庭の存続を揺るがす不倫問題から国家機密に関わる重要案件まで何なりとご相談くださ、」
「金ちゃん」
慇懃な物言いを遮ってそれだけを言う。
しばらく沈黙があった。
「はい?何とおっしゃいました?」
「金ちゃん返せさもないとぶっ殺す」
今度は間髪入れず笑い声が返ってきた。
しかも長らく止まるところを知らない、こっちの神経を逆撫でするような引き笑い。
「学校一の優等生が本性不穏すぎるんだけど」
「あれさあ、ぼくの」
「え、金ちゃんいないの?」
クラスメイトであるタカナシはまだ笑いながら、いかにもしらじらしく尋ね返す。
「ぼくはあまり人に、特に同年代から馬鹿にされた経験が少ない。それはぼくの実力のためであったりそうでなかったりするんだけど、要するに慣れない反応されるとはっきり言って癇癪起こしそう」
「ムカつくってことね」
「それだ」
「金ちゃん?いるよ。おれの隣で寝てるんだなあ、これが」
その言葉でぼくはスマートフォンとランドセルを壁に投げつけるや、帽子もかぶらず玄関を飛び出した七月の炎天下。

タカナシの家は何でも屋をやっている。嘘か本当か分からないけど、殺人の請負までしてるとか、してないとか。まあ、小学生のたてる噂だから根も葉もない話だってことはままあるだろう。万が一それが事実だったとしてもぼくはぼくのものを取り返すだけだ。
いつかの時代の白亜の神殿みたいな家はどこが玄関なのか分からない。定期的に変わるから。周辺をぐるぐる回ってとりあえず見つけたスイッチを押す。めでたく正規のインターフォンだったようでぼくは室内に招かれる。
タカナシの部屋へ入るのは初めてじゃない。たけどそんなにしょっちゅうじゃない。約一年ぶりに訪れたその部屋は相変わらず整理整頓が行き届いていて嫌味なほどだ。
「ようこそ、未来のプロフェッサー、シノヤマ・マヒロ」
タカナシはそう言って両腕を広げた。
無論、無視。
タカナシはぼくのことを一方的にライバル視している。以前招かれた時は、秘密の発明品とやらを自慢されまくった。アイデアもたくさん聞かされた。その中に夢現機というのもあった気がするけど今となっては名称は定かではない。普段その人が思い描いている妄想を具現化してくれるんだとか。ただし、妄想とは大抵後ろめたさを伴う。そのために使用を控えられては発明する意味がない。よって、妄想をあまり的確に映し出さないよう自動調節機能も付いているらしい。仕組みについては真面目に聞かなかったから分かっていない。とにかく、おせっかいなのかそうじゃないのか曖昧なその機械が完成間近だと言うので特に熱弁されたから、比較的記憶に残っている。
果たしてタカナシのベッドには金ちゃんが寝ていて、ぼくはひとまず安堵する。
「何がしたいわけ?」
遅ればせながらぼくの怒りを悟ったタカナシは広げたままだった両腕を下ろし、申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「父ちゃんからモデル準備しとくように言われて」
「やっぱり、そうか」
タカナシの父親はコトリコーポレーションの代表取締役でありながら、プロのカメラマンでもある。フェチシズムをテーマにした写真が多く、海外で個展を開くこともあるらしい。ことあるごとに金ちゃんを起用したがって、一言で言うなら煩わしい。そりゃあぼくだっていろんな金ちゃんを見たいさ。だけどそれは他人のフィルターを通したものじゃない、断じて。少なくとも、今は。
「そうそう。父ちゃんな、最近は暴飲暴食の光景を撮りためてるんだよ」
「ぼういんぼうしょく」
「金ちゃん上品な気配のする美人だろ?そういう存在が髪の毛振り乱しながら骨つき肉にかぶりついてるとかさ、そのギトギトした肉汁が陶器みたいな肌質の肘までタラタラーっと流れてんのとかさ。はたまたもっと露骨にグロテスクな感じで得体の知れないどろっとしたものを口に運んでチラッとこっちに流し目送ってるのとかさ、そういうの撮りたいわけ。適役だから」
「待て待て。意味がわかんない。いや、意味はわからなくていいんだけど」
「父ちゃんを代理してまとめると、即ちエロス」
「だからって金ちゃん勝手に連れ出していいことにはなんないだろ」
「え?マヒロの家からは了解もらってるって話だったけど」
「マジかよ。また母さんかな。金ちゃんを有効活用することが大好きだから。そこはぼくにも話を通して欲しいのにな」
ぶつぶつぼやいていると、
「まあ、実質所有者はマヒロの母ちゃんってことになるのかな。金ちゃんはおれが電話で呼び出して、父ちゃん来るまで待っててもらおうと思ったんだけど、寝ちゃった」
信じらんねえ。
ぼくのいないところで。
ぼくのあずかり知らないところで。
誰でもない、金ちゃんに対して苛立つ。
ぼくが同じことをしたら金ちゃんは質問攻めにするくせに。なぜだ?って。
なぜだ、なぜだ、金ちゃん、なぜだ!
深呼吸を繰り返して何とか気持ちを落ち着けたぼくは、金ちゃんの眠るベッドの傍に跪いた。
すよすよ安らかにお眠りやがって。この、この。
タカナシが悪の手先だったらどうするんだ。この分からず屋め。ばか、ばか、寝顔もきれいでかっこいいな、くそ。
恨めしい思いでその髪の毛を指先に巻きつけて軽く引っ張るなどしていると、睫毛が震えて覚醒しそうになるけど、たちまち睡魔に引き戻されていく。
「へんな薬でも飲ませたんじゃないの」
顔を合わせずタカナシに言ってみるが適当にはぐらかされる。
二十分ほどそうしていると家の中が騒がしくなったように思え、振り返ると部屋の入り口にガタイのいいヒゲ面の男が立っていた。タカナシの父親だ。ベッドの上の金ちゃんを見つけると「おお、おお」と謎の呻き声を上げながら近づいてきたが手前でぼくの存在に気がついた。
「おお、篠山さんのところの真尋くんだね。大きくなったね」
「こんにちは。お久しぶりです。おじゃましています」
「君も、見て行くかい?そろそろ薬も切れる頃だろう」
やっぱ盛ってんじゃねえか。
ぼくの不満に気づいたヒゲ面が「大丈夫。美と健康には害がない」と意味不明なことを言う。誰もそんなところの心配をしていたわけじゃない。
悶々していると、金ちゃんの瞼がゆるゆると持ち上がった。操られているみたいなぎこちない動き。見慣れた赤い瞳が金魚の尾鰭みたいに頼りなくふるふる小刻みに震えた後、ゆっくりと焦点を結ぶ。普段の動きをスローモーションで見ているみたいに、それはいつもの金ちゃんでありながらまったく新しい金ちゃんだった。
金ちゃんが非常にゆったりとした動作で上体を起こした頃、ヒゲ面はネクタイの裏から甲殻類を取り出した。
昆虫のような、水辺の生き物のような。シーツに放り出されたそれは、まだ蠢いている。金ちゃんが摘み上げて舌ですくい上げるように口の中へ。ろくに咀嚼せずほとんど一気に丸呑みする。喉仏が異様な出っ張りを繰り返すのを見た。
お次はシャツのポケットから、何やら黒い果実。両手で割ると透明な粘液とともに小さな種が無数に溢れ出す。金ちゃんは一粒も残さないよう舐めとる。だけど液体の溢れかたが速くて間に合わない。ベッドから降りて床に這いつくばる。金ちゃんはまだ眠そうに瞬きを繰り返す。それもヒゲ面が言っていた薬の影響なんだろうか。
開け放たれたドアの向こうからは一頭の獣が現れる。毛が白く、額には真っ直ぐなツノがあって、作り物なのか幻なのか分からない。剥製めいている。金ちゃんが手を差し出すとそれは思い出したように逃亡を図る。だけど金ちゃんの手はもうすでにそいつのツノを固く握りしめていて、首筋に噛み付かれてしまう。ああ、そうだ、ぼくは忘れていた。金ちゃんのやっていること。獣の体は己の流した血で染まっていく。金ちゃんは勿体無いというふうにそれを吸い、さらに噛み付き、舐めまわし、口を開けてかぶりつく。ぼくは自分の喉が鳴る音、心臓の音を鼓膜のすぐ近くで聞いた。金ちゃんが手の甲で乱暴に口をぬぐい、舌舐めずりをする。その瞳はいつも以上に色彩の濃さを増して、視線に捕まりたくないと思う。なぞられたなら、爪の先で引っ掻かれたみたいに痛む。金ちゃんが腰を折ってぼくの肩に額を寄せる。何事か囁かれる気がして耳を澄ませると、血混じりの唾液の粘り着く音と、首筋に穴の空いた感触が、した。甘美というには鮮烈で、痛みと言い切ってしまうにはただ恍惚に過ぎた。一瞬でだめになる感覚があった。ぼくは怖くなった。金ちゃんの背中を叩いて引き剥がそうとしたけどびくともしなかった。膝を折りながら金ちゃんから離れようとするけど追随は振り切れなかった。ぼくはヒゲ面の構えたカメラのレンズが金ちゃんだけでなくぼくの表情や一挙一動を逃すまいと見張っていることに今更ながら気づいて鳩尾から苦しくなる。
急激な吸い上げのせいに違いない、一時的に血液の出が悪くなった場所を金ちゃんの舌が今度は優しく圧迫してくる。ぷっくり盛り上がった穴の周囲を揉みしだくように円を描いて、懐柔でもしようとしているみたいだ。もしかしたら声が出ているのではないか。ぼくはいつしか金ちゃんにしがみついていた。自分が訴えかける声を聞いていた。こんなのは自分じゃない。そう考えようとしても現に感じることは偽れなかった。すり替えられなかった。
シャッターの音が近づく。タカナシが笑う。笑っている。大人みたいに。間隔が狭くなる。それはやがて雨が窓ガラスを叩きつける音になってぼくを現実に引き戻す。

しまった、寝ていた。

金ちゃんは頬杖をついて窓の外を見ていた。
念のため起き上がって今いる場所を確かめる。
大丈夫、ここはぼくの部屋だ。ぼくのベッドの上だ。大丈夫、もう大丈夫。
タカナシ父子も、カメラのレンズも、謎の甲殻類や溢れ出す黒い果実、ツノの生えた生き物なんかも、ここにはいない。気配もない。
「たくさん雨が降って、気温が下がると良いな」
外を向いたまま金ちゃんが言う。肩にかかった髪の毛の束のいくつかがさらさらとこぼれた。きれい。きれいすぎる。
これは、妄想じゃないよな?
「あついから」
振り返るまで安心できなかったけど、それはぼくの知ってる金ちゃんだった。
「金ちゃん、今日、ひとりでどこかへ出かけた?」
「いや?なぜだ?」
「ううん、なんでもない」
「ずっとここにいたぞ」
「うん、知ってた。だめだよ。勝手に秘密をつくったら」
「理解した。ところで、明日から夏休みだな」
「え?ああ、そうか」
「マヒロと過ごせる時間が長くなることは嬉しい」
金ちゃんを見やる。
白い。
赤い。
何も変わっていない。
「今まででいちばんいい夏休みにするぞ」
金ちゃんは暑さにめっぽう弱いくせに、はりきって言う。きっと頭の中はクリームソーダのことでいっぱいだろう。夏と言ったらクリームソーダ。それは他の季節でも変わらない。金ちゃんは目移りするということを覚えない。バカのひとつ覚えみたいに、クリームソーダクリームソーダクリームソーダって。そのうち髪の毛も目も色が変わってしまうぞ。そうしたら、そうしたら、もう遊んでやらないからな。
まあ、いいか。
ぼくは頷きながらもう一度ベッドに体を倒す。
目を開けたら金ちゃんが別人みたいになっているかも知れなくて、ぼくがその考えを捨て切れないせいで、会話はそれ切り。
夏の午後、昼寝なんてするもんじゃない。
これだけぼくをおびやかしておいて一個も罪のない金ちゃんがどこまでも恨めしかった。

タカナシのろくでもない発明品なんか、そのうちぶっ壊してやる。