【雑記】骨の白さは見てないけれど

先日、田舎の河原で転倒した。

ごつごつした場所だったのでなんかこう、自分でびっくりするくらい色んな箇所をぶつけ、特に右手の指3本やっちまったかな…と思った。

毒に犯される善逸の体くらい紫色に変色し、ていうか絶対ありえないほうへ一瞬逸れた…と思った。幸いなことにこれまで骨折を経験したことのない私は「だが、こんなものではないはずだ…精神を鍛え抜いたアスリート達でさえのたうち回るではないか…もし本当の骨折なら私などひとたまりもないはずだ…つまり折れてない」だの「いやいや待てよとりわけ私が痛みに鈍感なだけで実際には折れてるのでは…」だのハラハラしくしくしていたが、結論、骨に全く異常は無かった。

翌日、整骨院の先生とまったくもって綺麗に健康な骨のレントゲン写真を眺めたのである。

「骨は大丈夫です」
「よかったです」

笑顔。

しかし紫色の腫れ上がりっぷりがあたかも骨折したかのような有様で、ではむしろすごいこけ方をしたんですねという話になり、えへ…はあ、まあ…みたいな本当にひさびさに人と話すような気持ちで会計を済ませたらペイペイ!!!!!が予想以上に待合室に大きく響き本当に外へ出るのは嫌だと思った。だが医療従事者の方は優しいので好きだ(仕事)。

病院の、全体に対するいたわるような雰囲気が満ちている場所は優しいと思う。だが病院によっては受付のレディがいけすかないので「誰も好んでおまえに会いに来てるわけではない。ひとえに医師の診察を所望してるだけだ。おまえはおまえの役目を果たせ。それには愛想の良さも含まれるんだぞ」と腹の中で思う。

いや、まあ、いろんな方が来られるんだろうけどさ。

話を戻そう。

たとえば今回のような不慮の怪我や病を患ったような時、ふっと頭に浮かぶことが本当にしたいことや続けたいことなのだとしたら今回の指反り事故においては「あー、これでパソコン打てなくなるな…」だったのである。仕事も趣味もすべてパソコンありきなので、私はキーボードが打てなくなったら私を少し失うかも知れない。まじでどうなるのか。手と目は大事だ。お金は惜しんでいない。

他にも数年前、倒れた本棚が後頭部に激突した時も脳裏をよぎったのは「あ、これで持病なおったかな…」というものだった。(当時ちょっと病があった)。

そういう一瞬によぎる物事が本当にその人が叶えたかったり大事にしたりしていることなんだ。そうでもないと認識できてなかったりするのでたまには必要なんじゃないか?と思うが痛いのも命を危険にさらすのも御免だ。ほどほど平和に痛くない暮らしをしたい。

人がよく死ぬ。事故物件サイトを見ていたら隣のアパートでも数年前に自死がある。心霊的な意味でぶるっとしたが、よく考えればこんだけ人間が存在してこんだけ歴史があるんだからどこもかしこも事故現場だよと思う。逆に事故現場じゃない場所を探すほうが困難なのではないか。新聞のおくやみ欄、わたしは赤ちゃんのコーナー、メメントモリ、ハッピーバースデー。祝辞と弔辞。ハレとケ。特別なことではない。

だが「特別なことではない」と言い聞かせる自分にまた動揺するのである。怖いんだぜ、こいつ怖いんだぜ幽霊が!だが冷静になれば私に霊感といったものは微塵も無かった。それより虫が怖い。嫌い。あんなの無理である。だが見様によっては人間も随分と無理な感じだ。二足で立ち、体の脇に腕をぶらぶらさせ、ある者は着飾り、ある者はよたよた歩く。よく喋りよく考えよく罵り笑い怒り絶望し立ち上がり歌い道具を使い乗り物を運転し酒を飲み静かに考え事をしていると思いきや突如スマホに向かって決めポーズする。怖い。

怖い、と言ったが正確ではないぞ。本当は分解できるのだがもうめんどいのである。「怖い」で結ぶとわりかし便利なのである。意味が広いし使い慣れているので、意味を言葉に委ねるのだ。はい適当に解釈しちゃってくれと委ねるのだ。そしてこれは委ねなかった場合と正確性であまり大差はないと思っている。人と人との間のあまりある「伝わらなさ」は、表現を放棄した場合も、表現に真摯に向き合った場合も、たいして変わらない。のであればどんなに気楽に放棄できるだろう。

おいしいものを食べたいと思う。だがべつに空腹でないことがある。おいしいものを食べたいんじゃなくて幸せになりたいんだ。そういう錯覚は少なくないと思っている。そういう錯覚になら共感できると思う。というのも幻想なんだろう。

3+

No.838

時刻が産まれた日付でとまる
産まれた、ぼく産まれた
すぐに過ぎ去りすぐまた巡る
命だけ例外だとぼくには思えない

信じたことは夢でしか見られなくなった
軌道修正に手遅れの夕方
知ってる夏の中に道を見つける
臆病な自分が水たまりのなか歪んだ笑顔を見せる

強い自分でいたかったよ
弱さを見せられる相手がいないなら
いつだって受け止められたのに
助けが必要だと認めたくない強がりのせい

約束が裏切られる瞬間を見た
ああはならないと言い聞かせた
間違いだらけでいいんだよ、
言ってくれたきみがいま幸せなら良いのに

3+

No.837

フィルター越しに見る世界
きみの肌が汗ばんでいく
細胞は生きることを忘れていない
きみだけが忘れてしまおうとしている

救いってなんだろうね
始まって終わるってさ
探すとか見つけるとか
愛だの恋だの胡散臭い

口調と裏腹に瞳の奥は凪いでいて
きみは遠いところにいるんだね
寂しいけれど寂しくなさそうだね
出した手紙はきっと届かないね

外気が体温を超えた一日
生き物の儚さを嘆く慈悲の目で
誰かがぼくらを見下ろしていた
まなざしが光となり容赦無く降り注ぐ

まぶし、と目を離した一瞬の出来事
透明の風鈴が無数の虹を辺り一面つくり
懐かしいと美しいに塗れて気が遠くなる
白い雲と青い空のもっともっとむこう

ああ、きみ、そこにいたのか
ぼくもそこへ行けるんだ
願うだけで、体なんかを残して
手放すのではなく溶けただけか

これ以上無いくらいの融合だ
夜を怖いと、
星を遠いと、
思っていたのは喧嘩を覚えた大人たちだけ

ほんとうは優しい
ほんとうに優しい
浅い眠りのようで疑っているよ
握る手はそこに無いけれど

カレンダーの日付けは巡っても
同じ一日は一度も来ない
何を差し出しても取り戻されることはない
だって溶けたから、飲み込まれてひとつになって

(昼寝か?)

覚醒間近
ほかの誰でもなくきみの声
ありがとう、また会いに来てくれた
目を開けない約束でぼくは、日に焼けた両腕を伸ばす

(夢のまた夢)。

2+

【雑記】寝落ち数分前(推定)

人と接する機会が減って思うのは(てかもともとそんな接する暮らしはしていないのだが…)、1日に会う人間の数が減ってくると、1人あたりの印象が強く残るというか、今まで以上に過敏になる。感覚が研ぎ澄まされ?とも違うか、うん、1人あたりの印象がとても強くなる。そうすると「あ、このひと今の職場合ってるわ」とか「このひとはほんとに接客向きだ…」などと感動する。大半の人からは(めんどくさいなー)(はやく帰ってゲームとかしたいなー)(転職してー)(次の休みいつだっけー?)みたいなオーラが多少なりとも出ていたりするがそれをまったく感じさせない、ああおめでとうあなた天性の接客員だよ…またここ来る…みたいなほっこりを味わうのである。実際その人が内心どう思ってるかは知らんが少なくとも私にそれを感じさせない、擬態だとしても見事な擬態である!店のレベルを上げるとみんないい接客だよ?知ってる。そうじゃないからほっこりするのである。お金ではないんだ…しかし私はお金に対してそこまで悪のイメージを抱いてもいないのである。

何が言いたいのか?べつに何も言いたくない。世の中の文章すべてに結びがあると考えるのは思考停止である。私はべつに何も言いたくない。つまり、ようは、ちゃんと人に親切にできてえらいなと思った…すごいなと…たとえそれがお金のためであったとしても…いっときの擬態だとしても…よく行くコンビニのおばちゃんに幸あれだ!ばか!(???)

私はこの文章をフローリングに寝転がってスマホに打ち込んでいる。クーラーと扇風機だ。すごい贅沢だ。クーラーと!扇風機!ふたつ!ふたつも!すごい!

眠い…

2+

【小説】RPG前夜

あの線から先に入ってはいけない。
僕はそれを知っている。
教えた人は意図的だったろうか。
僕に、あの線から向こうがあると教えてしまった。

本を読みたいこともあれば、散歩したいだけの日もある。
猫を撫でたい日もあれば、たった一人になりたい時もある。
雨に打たれたい日もあれば、日光浴を存分にしたい日も。
満腹になるまで飽食したい日と、極限まで空腹を感じたい日と。

砕いていくと感性に個人差はないのでは。
粒度の違いしかないのではないか。
だから本当には分かり合えるんじゃないか。

窓の外に季節があって、今は夏だと言う。
誰だ?知ってるような知らないような顔だ。
僕は誰のこともちゃんと覚えない。
自分を一番覚えていないんだから、不思議ではない。

(あっ。原稿を、書かなけりゃあ。)

こちらを見下ろしている男を見て頭に浮かんだ言葉はそれだった。

「おまえ、原稿を取りに来たんだろう」
「え?ああ、それは分かっていたんですね。いつまで寝ているのかと思いました」
「寝顔を見ていたのか?気持ち悪いな。どうやって入った?」
「あの線を超えて」

夏なのでセミが鳴いて沈黙は匿われる。
セミが鳴くから夏なのか?それとも?

「お土産を持ってきました。頼まれていた琥珀糖」
「頼んだか?覚えていない」
「どちらにせよ好きでしょう?」
「それも覚えていない」
「食べたら思い出します」

男は僕の口に鉱石を押し込む。
顎と頬に添えられた指先から薬品の匂い。

「これは本当に食べられるものか?飲み込んで大丈夫なのか?」
「みな最初はそう言います」
「みな?」

僕以外にここには他に誰かいるんだろうか。
考えようとすると頭が痛んだ。
こんなんで原稿なんか書けやしない。

「それでも書くんです」
「頭の中を読んだ?」
「ご自分で口に出してましたよ」
「感覚が無い。困った」
「傷は、良くなりましたか?」
「傷?」
「この前見せてくれたでしょ?」
「この傷?」
「おや、新しい」
「前回と違う?」
「こちらは治ったほう」
「記憶に無いんだ」
「琥珀糖をもう一つ?」
「不味い。美味しくない」
「置いて行きます。必ず食べて」
「それ、ほんとは薬なのか?」

男の瞬きは見事なほど乱れなかった。
予知していたんだと知った。
想定パターンは他にもあるんだろう。
分かったけど試すのが面倒だしどうでも良い。
男の利益になることが僕に害を成すとも思えない。

「外の話をして」
「興味を?」
「逃げたりしないから」

男は僕を見つめた後に、ふいと視線を逸らせて笑う。
ああ、懐かしい。
胸の奥が、そこには血肉だけあるはずなのに。
飲み込んだ琥珀糖が灯ったような違和感。
男の、もっと違う表情を思い出しそう。

(思い出す、って、なんだ?)

「隔離しているわけじゃありません。逃げたって良いんですよ」
「外の話を」
「この部屋は高い塔の上にあります」
「うん」

唐突に切り出した。
まさか話してくれるとは思わず、はっと息を呑む。
男は気づいたか知らないが淡々と話し続けた。

螺旋階段を降りていく途中の踊り場にコンビニがありまして。琥珀糖はそこで買いました。そこからさらに螺旋階段を降りるとやっと地上に出ます。今の時刻、太陽が眩しいから扉はゆっくり開けて。視界が慣れるまで待って。慌てないで。転ばないよう。トラップを避け、湖を舟で渡ったら、森の入り口です。森は深く見えますが寄り道しなければ実はそうでもない。ただし森のものは何一つ食べてはいけない。出てこられなくなる。そうして行方不明になった人は数えきれません。森を抜けるとまた湖があるので舟で渡って、しばらく道を歩くとやっと人家が見えてくる。この時に振り返ると塔はちいさく、六角柱の形をしていたことが分かるでしょう。誰かが話しかけてきても、答えてはいけないんです。やつらの正体は魔物であるから。答えたが最後、あなたはまるごと飲み込まれてしまって二度と出てこられませんよ。きちんと消化もされず、ただ暗く狭い肉の狭間で生かされ続ける。死ぬこともできず。永遠に。あなたの生気を少しずつ摂取し、効率よく奴らは生きるんです。魔物の街を抜けたら今度は高い壁がある。ここは、乗り越えるよりも門番に交渉した方が早い。なんせあなたが暮らしていた塔の倍ほどの高さがあるのだから。乗り越えようとしていたら何年かかるやら。ちなみに交渉というのは穏便でなくて構いませんよ。ま、どうせ穏便には進まないでしょう…。さあ、門番をどうにかして中へ入ると王国だ。

「王国?」
「ゲームクリア!」
「ゲーム?クリア??」
「…ま、たとえばの話です。最初から最後まで、たとえ話」
「つまり本当の話」
「それは…ご想像にお任せしますよ」
「答え合わせのできない想像は得意ではない」
「もう一つ差し上げる」

次の琥珀糖を僕は拒まない。
なるほど失敗だったんだ。
男はそこまで喋ってはいけなかったんだ。
本当について話しすぎたことを後悔している。

うとうとしていると男がぼくを覗き込み、仰向けに寝かされていると分かる。

開けていようと思うのに、目蓋がゆっくり下がってくる。

男の表情が歪んで見える。

『なあ、いつになったら思い出す?約束を守れよ。俺が医師のふりなんて今にボロが出るぜ、さっさと覚醒しろ、バカ』。

ふいに男の口調が切り替わった。
こっちが素なんだろう。
僕は大切なことを忘れたんだろう。
懐かしいんだ。
心細いんだ。
それで男は泣きそうになるのだ。
正気の時には伝えられないことなのだ。

男が扉を開けて外に出る。

僕の聴覚は眠りに落ちる前、最大限に研ぎ澄まされ、線の向こうの会話を拾う。

「今朝は何か思い出しましたか?」

男と違う声が訊ねる。
他にも人がいたのか。
監視役か。

「いいや。辻褄の合わない出たら目ばかりだ。今朝は自分を作家だと名乗っていた。外の様子を教えろと問われたから、適当にでっち上げだ。創作のネタにでもなるかもな」

抑えた笑い。

「回復までもう少し時間がかかるのかも知れない」
「そうですか。先生の担当からはずしましょうか?」
「いや、」

食い気味に否定してしまったことを男は冷静に取り繕っただろう。
なぜだか分かる。
なぜか。

「……いや、これはあくまで俺が診る」
「ええ、ええ。負担になっていなければ良いのです」
「負担どころか、良い気晴らしになっているよ。助けが必要なときは声をかけるから心配するな」
「承知しました」

外の会話を盗み聞きしながら、僕は吹き出しそうになった。
何が面白いのかはっきりと分からない。
男が、周囲に気取られないよう巧妙にやっているのがツボなのだ。

ほんと、おっかしいなあ。
ほんといつかボロが出るぜ。

僕はもう少しで覚醒しそう。

次目覚めたらあいつと螺旋階段を駆け下りるから、森を抜けて魔物をやり過ごして門番と戦わないとだから、それまでもう一眠りしておくとしよう。

あ、バカと言ってたこと忘れないからな。
無事に二人でゲームクリアできたら、とりあえず一発殴らせろ。
おやすみ、親友。
あともう少し。
もうすこし。

4+

No.836

冷たいのね
言われて疑問が生じる
ひとって温度なんだろうか
触れてもいないのにあなた分かるのか

境界線は消えたよ
消えたと思う
消えたと思いたいひとが増えたと思う
秘密の部屋を覗くのはもうおしまい

秘密が秘密でなくなったから
欲しいものがなくなったから
正体がなんであれぼくは
誰にも知られない領域が欲しかった

草だらけの空き地も所有者がいて
自由奔放だったあなたにも首輪が見える
忌避したくなったんだ
そのことを伝えたら冷たいと言われる

あのね、ぼく本当に楽しかったです
ながい夏休みの入り口みたいにそうでした
終わりがわかって永遠に飛び込むような
意味不明に飛び込んだあなた輝いて見えた

これから百年おなじことを詩に書くだろう
ずっとそうしてきた
あなたは知らないんだ
ぼくは最初から赤の他人と同じように冷たいんだ

5+

【掌編】百年待てない。

宝物を隠した引き出しの鍵を探せなくて、鍵穴を壊した。開けたい引き出しなんて無かったことにした。大切にしまっておきたい宝物が何だったか確かめようも無くした。光を消せてぼくは満足した。今夜はきっと眠れそうだ。何かが地面で鳴いている。鳥の雛が砂利の上をもがいていたんだ。生えそろわない羽根に無数の蟻がたかっていた。自分よりずっとちいさな生き物に生きながらに食糧にされる。姿を人間が見下ろしている。助けもせず笑いもせずただ見下ろしている。退屈そうにも見える目で。ママ。今日は楽しかったよ。日記に書きたいことがたくさんあった。夏の思い出をねつ造し、ぼくはペンを走らせる。百年も経たず、あの惨劇は風化しそうになっている。そう、百年も待てずに。ぼくはコップの水滴を弾く皮膚を見つめ、きみに会いたくなる。百年も待てない。そのうち遠いいつかに埋れてしまうある日。単なる、ある日。それが今日だ。人間、呼吸するたび死んでいくんだ。飛び出したぼくを待っていたのは、赤い夕焼け。おぞましいと美しいの境目が見つからない。唇の間からふと漏れる。ごめんなさい。ありがとう。ごめんなさい。ごめんなさい。怪我した雛の行方は知れない。今どこへ行ってもきみに似た人にしかぼくは会えない。もどかしい黄昏。致命傷の順番を待ってる。つまらないことで喧嘩をしたい。今すぐに。そして落ち度を認めて謝りたい。仲直りがしたい。繰り返して確かめたい。粋がって。息をして。生きるを教えて。百年も待てない。

3+

No.835

追いつけないまま
永遠の夏が終わる
憧れは理解から遠く
あんなもの要らないと言った

青空を映す帰り道
当たり前が何か知らない
未来はいつまでも続いて
希望は途絶えることはなかった

いま星のひとつが目に映る
どうして落ちてしまったんだろう
生まれて息をしてしまい
初めて終わりを知るんだろう

たくさんの涙とたくさんの血が
ぼくたちに儚さを伝える
星なんかもう見えない
オーロラ、とささやいたきみの声が悲しくて

3+

【小説】知らなかったこと。

汗ばむ背中。のびやかな四肢。まごうことなき優良男子。

おまえは平凡な男になる。ぼくでななくあの子を選ぶ。なぜか?ぼくがすすめたからだ。ご名答。ぼくがすすめたものをおまえが受け入れなかったことはない。完全なる思考停止。自らの青春に異質が混じっていたことを知る由もない。ぼくも言うつもりがない。おまえの戸惑いを応援する。自薦は禁じ手。

なんという、名優。

いいね。
可愛いし優しそうだ。
友達の文句も言わない。
てことは彼氏の文句も言わない。
何よりおまえ、すごく好かれてる。

(バカだろ)。

お人好しを通り越して献身。悪人になれなかったとしても、爪痕くらい残して良かったんじゃないのか。冗談めかして予感をほのめかすくらい許されたんじゃないだろうか。

死ぬときに後悔するだろうか。告げなかったこと。応援してしまったこと。これを何才までずるずると引きずるんだろう。痛みは今がピークだろうか。後からもっと痛むだろうか。やめて欲しい。時間が経つほど効いてくるだろうか。恋のできない体質のふりをして、一番もろい部分だけ自家発電であたためるしか。ないのか。

でもおれお前といる方が楽しいかな。

(それはそうだ。いつだって楽しませることだけ考えてきた。どこの馬の骨か分からない輩とは歴史が違うんだ歴史が)。

これからも今までどおり遊ぼうな。

(いままでどおり)。

どうして悲しそうなの?

(どうして?)。

確かめたかったんだ。

(ん?)。

おれだって、おまえのこと何も知らないわけじゃない。なかなか本心を語ってくれなくても、嘘をつくときの癖くらい分かってる。応援?いいと思う?自分がどんな顔してるかわかってる?手のひらで転がしてるような気分でいるかも知れないけど、そんなにうまくは転がせてないから。もうね、すっごく居心地悪い。転がすならもうちょっとうまく転がしてくれないと、体中痛むんだけど。

(ん?ん?)。

分からないよ、おれだって分からない。じゃあおまえの気持ちに答えられるのかって言ったらそれは都合が良すぎっていうかフィクション寄りになり過ぎっていうかなんかこじつけみたいになるし、そもそもまだよく分からないんだけど、とりあえずおまえに嘘をつかれるのと、勝手に献身されるのは勘弁。おれを鈍感な罪人にでもしたいの。ずるいよ。

ずるいのはおまえだと思うよ。
今のだってそう。
じゃあさ。
絶対飼えない猫にエサやる?
見捨てた自分に失望しないために?
それって本当に優しい奴のすることか?

おまえはいつもそう。
白か黒かで話の決着つけようとする。
腹空かせた猫がいたら自己満足かどうかなんて関係なくね?
食べ物持ってたらやるし。
ごく自然にやるよ。
それで少しでも生き延びたら、良い奴に拾われるかも知れないじゃん。

絶望する時間が長引くだけじゃね?
もう戻ってこない奴を待ってさ。
もう食べられないものの味とか覚えさせられてさ。
ほっといてくれって。
その場しのぎの同情がいちばん腹立つんだよ。

その場しのぎでも次に繋がることがあるじゃん。
その場しのぎを悪いように言うけどさ、それで本当に救われたらどうする?
結果的にそいつ超幸せになったらどうする?
その場しのぎして良かったー!って言うよおれは。

なんなん?
なんの話?
マジでなんの話してるのぼくら?

おまえ好きでしょおれが。
うん。
あっさりしすぎ。
もう面倒くさい。分かってるんだろう。
うん。
でもおまえは応えられない。それをぼくは分かってる。進展しない。おまえが明示させたせいで、もう振り出しにも戻れない。
そうやって思考を暴走させるのやめろよ。おれまだ何も言ってない。べつにいやじゃないと思ったよ。
ほう?
だけどよく分からないとも思った。
ふうん?
些細なことにぷんすか怒ってて可愛いなと思ったし、あからさまに拗ねてるともっといじめたいとも感じた。これはなんだ?
なんでもぼくに聞くなよ。恋じゃねえの?
恋!
そう。相手の変化が楽しくて、もっと変化させたい、それを見てみたい。そう思うんなら恋だろうが。そんなことも知らねえの?
恋か。
愛にしてみる?
うーん、みる。
チョロい。大丈夫か?
今やっとホッとした。おれ自分がよく分からなくて。
ぼくがおまえを教えてやるよ。
それが良いな。
ずっと見てたから、おまえよりずっと分かるんだよ。
だと思った。

2+

【雑記】レターセットの思い出

手紙を書くのが好きだった。文房具屋さんでレターセットを買ってきて、伝えたいことをそのまま書くのだ。お元気ですか?私は元気です。それから先の順序は適当。思いついたままを連ねていく。手紙を書いているとき、相手の顔を思い浮かべることもあったかも知れないけど、けっきょく自分を見つめていた。内側のことばを「これだ」と取り出して外に出してまた眺めた。そうだよね、こういう形だよね、と。そして私は一瞬だけ満足(おそらく)したものの、また次の言葉探しを始めた。取り出して形にして、うん、そうだよね。また取り出してまた形にして、うん、こうだよね。どこまでも書き手は私で、読み手は私だった。手紙というのはけっきょく半分創作の、自己満足だ。宛先の人には、付き合わせているようなものだ。レターセットというものは、便箋を二つに折るときれいに封筒に収まるものだ。それが気持ちいい。封をするためのシールがいくつかついていて、好きなものを使う。レターセットというのは大抵使い切ることがない。また別のものが欲しくなるからだ。だからなるべくいちばん良いシールから使う。最後のほうは使われない可能性があるから。赤いポストにコトリと手紙が落ちる音を聞き、手放した気持ちと言葉の分だけ私は少し軽くなる。思いが溜まってきたら、また手紙を書くだろう。こんなにも相手のことを考えないものなんだろうか。誰かへ手紙を書くときは、こんなにも自分の内面とだけ向き合うものなんだろうか。液晶画面に向かって詩を打ち込むことと何が違うんだろう。宛先を書いて届けてもらって。数日、数週間経って返事が届く。私がもう何を書いたかさえ忘れた内容への反応だったり、近況だったりする。送り主は書き手の私のように自分と向き合っただけかも知れない。(そうでないかも知れない)。何も私だけが、と引目や罪悪感を感じることもなく。たしかなことはそれを書いている間、あなたの時間は少しだけ私のために削れていたということだ。私も同じだ。何年もレターセットを買ってない。手紙を送っていない。郵便ポストを開けると、カラフルな、シンプルな、一通の重みを迎えることはそうそうない。手紙を書かなくなったから、切手は種類が出たね。使う人がいなくなってから、それはどんどん魅力的になる。振り向いて欲しいから。また使って欲しいから。なので私もつい釣られて、使う予定のない切手を買ってしまったりする。使いたくて官製葉書を買うこともある。文通していたあの子はもう、私の出した手紙を持っていないだろうか。懐かしく眺めることがあるだろうか。どっちだとしても、ときどき幸せでときどき悲しい日々を過ごしている気がする。どんなふうに思い出されるだろう。あの頃とは切手一枚の値段もなにもかも変わったね。もし出会ったとしても思い出せる話題は少ない。同年代の初対面のように、頭の片隅で別のことを考えながら、当たり障りのないよう曖昧にはにかむだろう。

5+