No.708

きみの言ってることなんかいっこもわかんない人生がよかった。思うのに、きみの言ってることしかわかんないんだ。ざらざらした雑音のなかで、それだけは間違えずに聞き取ることができる。異国の朝に聞く母国語みたいに。寄り添ってきた生き物の背中をなでて、なぜぼくはこれとして生まれなかったかを悔いる。これならばきみに寄り添うくらい朝飯前。試みては失敗して、もうあんなことしないと固く決意したり、でもやっぱするかも、と決意をかんたんに揺らがせてしまったり。耳をとじて、おでこくっつけて、交互にまばたきをする。知ってる、こうやってタイミングを合わせていけば、わかりあえるんだよ、文字でもなくて言葉でもなくて、そのまま自分の中へやってくるんだ。寒い冬の夜、気づいたら猫が布団の中へ入ってきたことに気づいても、まるく灯った体温の何割が自分のものか、なんてもうわからないだろう。ああいう感じに、混ざって溶けてしまうんだよ。すこしこわいね。すこしかなしいね。きみの言うこと。きみの話すこと。きみのせいじゃないのに。きみのせいじゃないよ。優しい思いが体に流れ込んできた。血に乗って全身をめぐっていく。きみが思っている人をぼくは傷つけたりできなくて、背中に隠した手からおもちゃみたいなピストルを滑らせた。

3+

No.707

水の底から見上げてる
盗んだ折り紙が光るのを
かわいいねと言えなかった
それが欲しいと言えなかった

回想の順序は決まってる
たどりつく結末もわかってる
また水の底から見上げるんだ
手にできなかった光を見るんだ

帰り道がわからない
そんな嘘をついて道をそれた
視線の先であなたが立って
待っていたよとこちらへ告げる

星のにおいがしていた
迷子のあいだずっとだよ
ぼくの言葉すべてが
ほんとうではないけれど

ぼくの言葉すべてが
うそだというわけでもないんだ
嘘をつく人には守りたいものがある
失いたくないものが

黄色い花が咲いていたと思うんです
曲がり角のごみ捨て場に
それをあまり愛さないようにしよう
ぼくが触れたら花は枯れるので

自由の効かない手袋に
問題ばかりの手を詰め込んだ
もう来ないで
誰ももう近づかないでと

百年後の昼下がり
寝ているぼくのところへあなたがやって来て
なんなく手袋を取り去ってしまう
魔法なんて解けてただろうと笑いながら

3+

No.706

ぼくは変わるかも知れない
それを誰かへ謝りたい
歩道橋から叫びたい
できないままで道を渡る

記憶が書き換わることはない
忘れたりはするかも
そしてべつのことを言い出す
前からそうだったという顔で

捨てたかった
変わりたかった
何を恐れるんだろう
ぼくが嫌いなぼくから離れられるのに

予感があったんだ
光へ引きずり出される
縛られているというのは幻想、
幻想であり期待でもあった

ぼくの痛みが
あなたを人間にしていたのだ
あなたが人間でいられたのは
ぼくに痛みがあったからだ

封筒からはみ出した記念写真
捨ててしまったらきっと忘れる
セラミックのコップで氷が傾いて
ぼくはやるべきことをやったよ

2+

【雑記】肥沃な土を保つために

今を生きる私たちがしてはいけないことがいくつかあります。

そのうちのふたつについて今から話します。

ひとつは将来受け取れる年金額のシミュレーションと、もうひとつは思いつきをググること。

前者は鬱不可避なの自明なんで後者について。

「おっ、名案じゃーん。われ天才なり。稀有なりよー」と思っても、すぐにググってはいけない。
なぜなら、似たような考えはとっくにあるから。そこから何歩も進んだ考えも。
大海を知らずして試作に試作を重ね時間を無駄にするのもな、という考えもあろうが最近は「そもそも無駄か?」と思いつつもある。

「名案!いいね!わくわく」ていうときめきをもう少し持続させたってバチは当たらないだろう。
それからでも遅くはないはず。
芽がでるたびにぶちぶち毟ってたら土地も痩せる気がする。
雨が降っても太陽がさんそんと輝いてもそれを受け止める芽がないのなら。
土も「かったりーなー」となって痩せる。おそらく。
思い込みと自尊心を守ることに、人はもう少し意識的になろう。稀有でありたいのなら。すさみたくないのなら。自分の感受性くらい自分で守れ馬鹿者よ、ですな。

3+

No.705

かたかな
ひらがなで書かれたその文字を見て
初恋の人を思い出した
忘れていたことに気がついた

とおくを意味するんだ
ぼくがずっと遠くにいけるように
親の願いがこめられているんだ
朗読でもしているみたいにそう教えてくれた

あんまり自信がない、
甘夏のゼリーを崩しながら
きみはそう言った
あなたを好きでいられる自信がない

その不安だけで充分だよ
教えても良かったけど
楽しいのでそのままにした
神さまもきっとそうだった

帰り道のハルジオンを撫で歩き
抜歯跡を恐る恐る舌先でたどる
けもの道を探すぼくは子どもで
舌は味わうだけの器官と思ってた

街は取り壊され再建する
記憶は物に付随し消えていく
ぼくたちが思い出と呼んだあの夏も
これから始まる今年の夏もだ

百年後に手をつなごう
ほかに約束はいらない
太陽系に夢中だった地球のぼくたち
醒めない夢なら夢じゃないから

1+

No.704

六角形のコップに光を集める
屈折させたり鏡の反射を楽しんでいる
幸せなことがこうやって
増えていったらいいのにね

なんの不安もないのに
もったいなくて泣けてきたり
なくなっちゃうかもって
奪いあったり

そんなことしなくたって
無限に無限に広がるといいのに
だけどぼくたちは知っていた
本当に無限なら欲しくならないこと

こぼしたグラニュー糖が
テーブルクロスの目に詰まる
暗号を隠すみたいに
指先でもっと奥へと押し込んだ

もしも神さまが見ていて
すべてリセットされたとするよ
グラニュー糖は見落とすんじゃないかな
ここまでは見ていないんじゃないかな

よほどおかしなことを言った
あなたが笑ってコップを落としてしまう
これが魔法だったら
これが魔法だったら

割れたコップは割れる前に戻る
散らばった光は透明に戻る
あなたは実態としてそばにある
ぼくがへたくそな幻をつくらなくても

2+