【雑記】たちあおいこわい

朝の散歩をしていると思いがけず立葵(タチアオイ)に遭遇してウワッとなる。怖い。あの花を最初どこかで見かけたとき背が高くて本当に驚いた。なんだあれ?!

立葵がいっぱい咲いている庭を見ると、まあそうでもない。きっとその家から種子が飛んだかどうだかして、少し離れたところ、道端に1本だけ立葵が咲いてるんである。

何がそんなに怖いのか私なりに考えながら歩いてたんだが、人間の顔の高さに花のあることが怖いんだと思った。

私たちは、いやとりあえず私はだけど、花は見下ろす位置にあるものだと思ってる。足元に咲く。植木鉢や花束だとしたって、まあ見下ろすというか目の高さより下にあるでしょう。

じゃあ花輪はどうだ?ん、花輪っていうのかな?開店祝いとかで飾られてるやつ。あれも立葵のような高さにある。でもあれは怖くないなあ。なぜなら人間のコントロールが及んでいるから。カットされて他のと並べられて、ある目的(開店を祝うため)にまとめられていると分かる。

一方、立葵はどうだ?コントロールされていないどこか自立しているではないか。そう、自立。そこもまた怖さの一因かも知れない。基本あんな長い茎であんなに大輪の花をいくつもつけて、まっすぐ立っているなんてできないでしょう。それをあんなまっすぐ。私あれ灯りのない夜道で出くわしたら腰抜けそう。

じゃあひまわりはどうか?と思うかも分からないね。ひまわりは1本で道端に咲いてるところをあまりみないから恐怖の対象ではないかも。小さい頃から「夏はひまわり〜」みたいな絵を描く(描かされる)こともあり、まあ「ひまわりだね」って。

じゃあ樹木に花が咲くのはどうか?見上げる位置だぞ?というとこれもやはり怖くない。樹木に咲く花というのは小ぶりだし、そもそもベースが樹木で、花は香ってもサブ的存在だから反乱の意思は感じないんであるな。

でも立葵はどうだろう。

・自立している
・突如として道端に咲く
・花が大きい
・花が顔の高さに来る

わかった人間に近いんだ。
それなのに花だと言い張るから怖いんだ。ちぐはぐなんだ。少し見えてきた。

気になって立葵の花言葉を調べてみる。「大望」「野心」「気高く威厳に満ちた美」とある。ふむ。威厳か。なんかどれもしっくりこないけど、自分に言い聞かせることは難しくなさそうだ。あの姿も花も威厳だととらえればどうにかなりそう。いや、だがやはり威厳ある生命体がいきなり道端にあらわれて、顔の高さに花があるのは怖い。

これはたぶん私の感じ方によるもので、まあそりゃそうで、立葵?きれいね!って人にはそういう花で、そうだな大きいものが怖いのかも。それはわかるぞ。大きい鯉のぼり、大きいタンカー、大きい穴、大きいことは怖いことが多い。心細くなるのだろう。渦潮とか。大きなぐるぐるは怖い。田んぼアートとかも本物見たらたぶん怖い。

うずしおといえば、うずしおではないが幼稚園のころに堤防から海に落ちたことがある。くるくる回ったらまっすぐ歩けなくなるのが楽しくて、それをやっていたら落ちた。突如として視界から消えた娘を父親はすかさず海へ飛び込んで救出してくれたのだが、その堤防には、うまく表現できないが、うずしお?(開門?)みたいなものがあって、それが開いている時間帯だったら幼児はぐるぐるに吸い込まれてしまい、遡ることはできず、そのまま溺死していただろうと言われた。親と一緒に私を助けてくれた釣り人が。そうしたらあの堤防に柵でもつくられただろうか。あの島に柵のある風景はなんだか似合わないので、死なないで良かった。

その島で立葵を見たことはなかったが、ハイビスカスは咲いていた。花は似ている。

夏になると家の垣根やあちこちに真っ赤なハイビスカスが咲いて、子どもの目の高さにあってもあれはあまり怖くなかった。そうか成長したということか。

成長すると怖いものが減るように思いがちだが、そんなことはなくて怖いものが別のものに変わるだけなのかも知れない。

できないことが減るがまたべつのことができなくて、できることが増えるがまたべつのできたことが消えていって、そういうことが続いてくってことなんだろう。

生きていたら、まあそれはそうかも知れない。そろそろ結論を出そうか。

『立葵が怖いのは生きている証。』

ふむ。これだな。おわり。