【雑記】「卒業しよう」も好きのうち

この山は高いなあ。終わりがないなあ。そもそもこれ山なのか。川なのかも。流れて、めぐって、また降って、あがりはないのかも。

自動車の免許更新に行ったら次回の有効期限が「平成36年」と記載されていて「令和」じゃないのか!と少しくやしいような「いやでも平成36年って存在しないからレアかも」と一喜一憂するなど。

わたしは自分のサイトについてほんの少しだけ反発心でつづけているところあるかも知れないと思った。

反発心の対象はいつの間にかフェードアウトしていったわたしが好きだったひとびとのことである。

人生が複雑化してきて時間が割けなくなって、ということもあるだろうし、単に興味が薄れて他にもっと夢中になれるものを発見できたということもあるんだろう。よろこばしいことである。だが1読者としては「あんなに好きだったのに!消えるなんて!ゆるさない!もどってこいよ!」ってなるんである。エゴ。

いいんだよ、変わらないものなんてないから。

それより「生活が変わったから」「社会人になったから」という理由で好きなことを手放す人はちょっと考え直したほうがいい。受験勉強とかならしかたないかもだけど、「卒業しよう」と、ほんとうは好きなくせに「卒業しよう」とわざわざ口に出して背を向けることは、うんと良くないことだ。これは半分エゴで半分はそうじゃない部分から言いたいのだけど、「卒業しよう」って決意しないと手放せないほど好きなものにはこの先そうそうめぐりあえないと思うんだよね。たまに時計を見上げて時間の進みに「遅いなあ」てため息つきながら向き合う程度のものしか残ってないと思うよ。好きとか夢中ってすごい奇跡で幸福で、このうえなく尊いので、うーん、でもまあこれ誰かに言われなくても気づく系かな。

うん、この話やめた。

ただ、卒業しようって決意しないと卒業できないものはまだ卒業できない系のやつだよ。
忘れようって決意しないと忘れられない人が本当に好きだった人だと気づくように思い知るといいんだ。
時間は有限だということを、な。
くくく……(?)。

しかしキャラメルコーンってなんであんなに美味しいんだろう。1袋あけるまで手を止めることができないもん。もしあれが違法な薬物だとしたらさ、中毒になっちゃう人の気持ちもわかるってもんだよ。だめって言われても絶対隠れて手に入れようと思うだろうし、取引してはいけないって言われたらあらゆるルートを検索するだろうし、すっごく高価だとしてもそのためにがんばって働くなり下手すると良くない稼ぎ方さえ身につけてしまうかもしれない。キャラメルコーンがたまたま違法な薬物じゃなくってみんなもっと感謝しないといけないんだよなあ。感謝が足りないんだよ感謝がさあ……ポリポリポリポリ……。

4+

No.671

おまえがここにいる
八度目の正直を裏切って
性懲りもなく
ぼくをスケープゴートにした
忘れるわけがないのに

投げつける言葉もなくなって
空き瓶にさした花をもちぎって投げる
勢いが足りなくて祝福に似る
バカにしてんのか、
天にまします我らの主よ?

心臓から毒が抜けてって
前倒しの夜が来る
深くて甘い波が来る
空からレモン果汁が降ってきて
誰かの仇は滅亡に至る

なあ、おまえはなぜ
ぼくから復讐されると思わないんだ
月は動脈のありかを教えている
断ち切ることは難しくない
だって白昼のようにあたりは明るいのだ

隣室からラジオが聞こえてきた
ぼくを救う唯一のロープみたいに
踏み出そうとして邪魔が入る
手首に巻かれたシロツメクサだ
おまえは本当に邪道を好む

しぶしぶと磔刑に処される
天国はすぐそこにあるのに
天国はすぐそこにあるから
生きることをやめないでもいいか
復讐するなら夜明けを待ってもいいか

そんなふうに考えるんだ
そんなふうに考えてしまうんだ
目覚めたら鳩尾に一発だ
蹴りたい寝顔に落書きをする
報われないぼくの孤独を思い知るがいい

2+

No.670

頬杖ついた窓の外を真っ赤な魚が泳いでいた。そうか、教室はさっき水の底に沈めたんだった。だから音が聞こえないんだった。ふやけた時計の針は午前九時。まだまだ終礼にはほど遠い。誰かがおしゃべりしようとしては活字が泡になって消えていく。ぼくは余計に虚しくなるんだ。期待したってしかたがないや、今ここにある世界を平方根でも匿うことができないんなら。自由なふりをしても、飛べる気がしても、終わりから生まれたんだ。ぼく、いいえ、ぼくたちは。この目に映る限りの景色をうつして、この口で伝えられる限りの愛をつたえて、この明け渡された全身でコピペばかりの夢を見るんだ。他人事のように眺めていたら優雅な尾びれがハリボテの妄想を打ちのめし、乾いた空気に涙が張り裂けてこぼれる。酸素を吸ったときに初めて、ああ、ぼく、くるしかったのかと気づいた。忌み嫌った黒板には色とりどりのチョークの花が咲いていて。それが悪意でも好意でもこの先二度とぼくを妨げることはないと思った。ぼくが悪魔でも天使でもきみからの光はぼくに向かって遮られることがなかったから。単純なことだ。認めたくなかっただけだ。幾重にも巻いた鎖がカップに落とした角砂糖よりだらしなくほどけていく。生まれて一度もちゃんと意識したことない視神経の束がぼくにきみの色彩を差し出す。おはよう。そう言われて。ただいま。まるで釣り合わない不貞腐れた声で応答とかするんだ。ごまかしたくて瞬きした視界の端を、見たこともない色の魚が横切った気がした。

5+

【雑記】非加工だからって偉いわけではない

思ったことや感じたことをなるべく一般的な言葉に置き換えて出力したものが雑記。そのまま出力したものが詩。詩のほうが自然なんだね。伝わりやすい文章にしようと手を加えたものは加工品。自分としてはなるべくそのまま出力しようとするんだ。でもときどき「伝わりやすさを重視すべき」と感じて雑記にすることもある。この、今書いていることのように。でも本当なら詩にするべきなんだと思う。かなしいと思う。ここでただ「かなしい」と書くのは嘘で、妥協で、だってかなしいと思ったわけはないんだ。わけはない、というか、それ以前の言葉にならない言葉があったはずだ。最大公約数へ逃げたな、と後ろめたい気持ちになってしまうんだ。自分でも気づかないほど瞬時に一般的な感情の型にはめて言語化してしまったんだ。すごく突発的で、ストレートな感情であるかに思えても、ほんとうは「むかついた」じゃなくて「青空割れろ」とかだったはず。なのに、伝わるものにするためにズルをした、と思ってしまう。そういう出力の違いで自責の念を感じることもあって、ほら雑記にした、手を抜いたーって思うんだけど、ほんとはどっちでもいいんだろう。カメラのフィルターを変えるように、自由にやればいいのかなと思った。あと、逆だとしても違和感ないなとも思う。加工したのが詩で、そのまま出力したものが雑記だとも言える。ズルしたのは詩で、真摯なほうが雑記だとも言える。「どっちにでもとれる」という結論でまた私は逃げてしまったのか。情けないことである。

3+

No.669

いつだってもったいぶってた。たやすく口にしたら負けだって思ってた。要求を飲んだら形勢逆転は到底不可能で、弱みを見せたら逆手に取られる。ありもしないルール、体験したことのない思い込み。近づくすべてを否定する理由をさがしてた。あと、十日だった。あと十日もあれば僕たちはきっと足並みそろえて新しい朝を迎えられたのに。君が僕におくるプレゼントと別れは似ていた。どちらも唐突に訪れる。あの花の名前を教えてくれた人は、もうこの世界に現れない。だいじなものって、そうなんだ。自覚してるかなんて関係ない。ぎゅっと握っているうちは見えないんだ。僕も例外じゃない。特別な存在なんかじゃなくて、夢を見たり裏切ったりする生き物だから、ひとりでいるよりふたりを選んで、ぎゅっと握っていたんだろう。僕の手を握り返すために、臆病な僕が迷子になってしまわないように、他のすべてを捨ててきた君の冷たく強い手を。

2+

【雑記】サイト修正完了

おわったー。ふー、すべてのファイルの修正が終わりました。これで今後も問題なく読めるはずです。

http://rigel.chu.jp/

じゃっかん微調整が必要かもしれないが……。文字化けしてるファイルがあったらメールフォームからでも教えていただけると、シャッ!となおします。

5+

【雑記】サイト修正/SHORT 1~20

今日は、SHORTの1〜20のページへリンクを貼りました。このへんは10年以上前の詩です。もう書けないやつばかりだな。今書いているものも未来の私には書けないものになるんだろう。そう思うとなかなか「もう、ここらへんでいいや」と思えない。

8+

No.668

限りないものがぼくを無言で責めてくる。いつか終わってしまうことを。こんなにも脆くできていることを。沈黙の中でも波音は鳴り止まず、敷かれたレールをうまく歩けない。歩幅は人それぞれだからだ。目をそむけたい、でも捨てたくない。幼い夢はすぐには消えない。すこしずつ、腐りながら、見たこともない何かへ形を変えていく。いずれ生まれ変わると信じることができないひとからおとなになっていった。老いることのないこどもを笑っていた。なりたくない、端正なおとなに奪われないようぼくが、砂浜に埋めた美しい詩が、潮とともに引いていく。血や骨や記憶の詰まったからだは浮遊できるほど軽くなく、そらんじた言葉の分解を見届けることができない。いっしょに連れていってとは言わない、ただおしえないで、乞われたとしても何も教えないで。知ってしまったら最後、その名を呼んで目覚めてしまうから、だから名前を教えないで、そうすればぼくは貝殻を耳元において、この世の誰よりも深く眠れるんだから。

5+

No.667

夢の中を月が跳ねる。うたかたの幸福に溺れるぼくのこと、あとは散るだけの花が笑った。この世の大小は奇跡と奇跡で結ばれているの。だけどそうと憶えている人はいくらもいないの。ねえ、目眩がするでしょう。(ああ、してるよ)。箱にとじこめられて運ばれる。外ではときどき雪が降った。隙間からは横着な光が漏れてきた。ぼく、ずっと昔もこの体験をした気がする。それを証明できるもの、何もないけど。でも、よかった。証明できるものがあったら、いつなくしてしまうか、ずっと怖かったろうから。すみれ色やみどりいろが代わる代わるぼくを見る。名前をつけよう。いいや、その前に命を。敏感な目鼻と賢い頭、頼りない心と、最後にあたたかい血を注いだら完成だ。ぼくはあまり乗り気ではないなあ。だけども、まあ行ってみるか。もしかしたらひとつでも何か良いことが待っているかも知れないのだし。長い夢から目を覚ました、ぼくが最初に見たものは泣き疲れたような男の横顔だった。それを優しくなでる女の表情だった。彼らから何か大切なものを受け継いで、ぼくは今ここにいるのに。「にんげんは、自分のことをうまく愛せないようにできてる」。チョークの粉が付着した指が透明な瓶に花をさしていく。「もしうまくできてしまったら、誰もここにいる意味などないだろう」。ぼくは、今、なつかしい男女から受け継いだ何物かに匹敵するものを、この身に注がれた気がした。「だから、きみがこの世から自分を遠ざけようとすることは、不思議でもなんでもない。ただ、きみにだって、誰かが必要であることが分かるだけ」。断ち切られた花の茎が、ぐんぐんと水を吸い上げるような、そんな青空だ。あなたがぼくに向けてた無臭の愛は、強く蹴っても戻ってくる、水に跳ねる丸い月だ。

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【雑記】どうしても好きになれないものを好きになろうとすることのデメリット

うさんくさいタイトル。うむ。平成回顧録。私は2年前の春に1つのことを克服しました。私は自分のそれが嫌で嫌で気づかぬうちにものすごい損失を出していた。後から分かったことだが。挑戦できたことも本当はしたかったこともすべて避けていた。そして「これさえなければ私だってできたんだ」と思っていた。ふりかえってみれば時間の無駄だったと思う。あ、あと「これさえなければ」と条件付きの願望って「これ」がなくなっても取り掛からないもなんで先に追記しておこう。

この文章を読んでくれる人の中にも、「自分のここが嫌い」って感じる部分がある人はいると思う。ある時は無理に好きになろうとするかも知れない。だけど好きになれなくて、そんな自分がまた嫌で「だめだ」って思うかも知れない。自分が自分に失望してしまうんだ。

でも、どうしても好きになれないなら好きにならなくていいと思う。好きじゃないものを好きになることって、2つの意味で悪いと私は思っている。

1つ目は、自分の気持ちに嘘をつくことになるから。2つ目は、それを本当の意味で好きになったり、人の役に立つ方法を絶ってしまうことになるから。

2つ目について深掘りしてみよう。「嫌い」という感情のとらえかたが雑なんだ。なぜ嫌いかも分からないものを好きになるってのは不自然な話で、ちぐはぐしている。からまった糸を左右にひっぱって戻そうとしているように。もちろん糸はほどけない。なので、なぜ嫌いかの理由に向き合ったほうがいい。そうしたら、どうしたら好きになれるのか。そもそも好きになったほうがいいのか、とか見えてくるはず。

なんだかすでにうまく言えないんだけど、自分の嫌いなとこって、好きなところより個性になりうると思う。個性になるってことは同じものを持っている誰かを励ますことができたり、アドバイスができたりするってことだ。

そして、あなたが自分の「嫌いなところ」から目をそらしたら(「嫌いなところを無理に好きになろうとすることも一種の逃避だと思う)、あなたによって救われたであろう人も救えないんだと思う。

私は自分が克服したことについて今も悩む人がいたら、その人がどういうふうに解決の手段を探して、どう絶望するかまでが分かる。どの本を読んで、どのサイトを見て情報を得て、どこでつまづくかがほぼ分かる。

なぜ分かるかというと、私はそれをずっと嫌いだったからだ。もし「好きになろう」の試みがうまくっていって(うまくいってしまって)、嫌いであることをないがしろにしてしまったら、そんなことはわからないだろうし今この文章を書いてもいないだろう。

自分にある「これさえなければ」と思う部分や状態を、もし好きになりたければ、唯一の方法は、それを乗り越えることだと思う。

あなたがそれを乗り越えられたら、同じことで悩んでいる誰かを支えたり救ったりができる。そのためには単に「好きになろう」で蓋をするんじゃなくて、嫌いという感情に向き合って納得いくまでどうにかしないといけない。だいぶ抽象的な言い方をしてしまっているが、病気なら治す。性格なら改善する。

嫌いなものを好きだ好きだと思い込むことは逃避で、その嘘にたぶん誰も耐えられないから。自分が自分につく嘘に耐えぬけるほど人はあまり丈夫ではない気がするから。他人への嘘なら大丈夫だと思うんだけどね。でも他人への嘘も結局自分への嘘だから嘘はむずかしいよね、嘘は。

それよりは沈黙が楽ですよね。私だって幼稚園のころからたくさん黙ってることある。言わないだけ。嘘じゃない。嘘つくくらいなら黙ったほうが得策ですよ。なんのはなしだっけ。まあいいか、おわり。

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