【雑記】物陰から食って掛かる

私が新聞で目を通すのは、経済、文化面。あと、おくやみ欄、赤ちゃん欄。おくやみでは、毎日いろんな方がいろんな年齢で亡くなるんだなと、住所や名前から勝手に思いを馳せるんです。だいたい同じか近いページに、わたしは赤ちゃんコーナーがあって、新しい命が誕生してんなあ〜って、めずらしい名前とか両親の名前とか見比べて思いを馳せるんです。

それは日課なのでまあどうでもいいっちゃどうでも良いんですが、読者投稿欄も目を通します。特に若者の声を読むんですが、この前「うへぇ」ってなった投稿があって、小4だったかな、それくらいの者による投稿ですよ。

「AIが増えてきたら人間のすることがなくなる。なんでも機械任せになって人間の脳が退化する」って、両親が話すんでしょうかね、または教師や、テレビ番組かな?

マジでそう思ってんのかよ?と読んでいて悲しいようなむなしいような心持ちになりました。赤の他人のおまえがむなしくなるなよって話なんですが。

そしてこれを「よし」と掲載した新聞社も「ヒューマニズムおっけーい!」(?)て感じて掲載したのでしょうか。

AIが増えたら、自動化が増えたら、人間が退化する?仕事が奪われて?することがなくなる?

んなわけないっすよ。

時間ができたら人間は本当にしたいことをするんですよ。あるいは、もっとできるほうへ手を伸ばすんですよ。そうやってきたし、そうやっていけるでしょ。洗濯機が登場してきて洗濯板が減って退化したか。自動車が出て昔より安く簡単に遠くへ行けるようになって楽しくなったでしょ。インターネットは犯罪を助長したけど、救われた人だってたくさんいるでしょ。人間が運転する自動車なんてよっぽどきもちわりーよ、ほんと。あんな感情的な生き物(人間)が殺傷に至る武器(自動車)を乗りこなそうなんて傲慢だと思いませんか私は思う。数年後自動運転技術が普及したら「マジで昔って人間がハンドル回してたの?やべwww」ってなるでしょ、「いやいや無謀っしょwwwそりゃ交通事故起こるわ野蛮すぎwっw」ってなるしょ。

特にペーパー時代の長かった私としては思うんですよバック運転なんて武力行使以外のなにものでもないなって(キリッ)。今は少し慣れてきたけども。

とりあえず全部いったん疑ってみて。人が言わないほうを思ってみて。当たり前が当たり前なのか?そしてそれが当たり前とされているのはなぜか?誰かにとって都合がいいからでは?本当は違うのでは?

とかね。

ほんとにそれ人間がしたほうがいい?
それって人間がするべきこと?
なんで?
機械化や自動化は人間を退化させる?劣化させる?
それだけ?
それ以外になんかあるでしょ?

そんなふうに考えてほしいし、考えられる世の中や教育であってほしいんだけど、無理だな。ってふうにも思うわけです。

でも、「そうじゃない」って言える大人、言ってる大人はいっぱいいて、10代でも8歳でも手を伸ばしている子は伸ばしているので、お金のこと、技術のこと、否定から入らずに「そっかー」「そうなってんだー」って受け止めて成長してほしい。

知らんけど。

あと、方法も方法論もGoogleタッターン!てしたら夜店の金魚くらいうじゃうじゃ出てくるでしょ。方法は1つじゃないので、生きやすい方法で生きていったらいいのだと思う。

人との付き合い方。
お金のかせぎ方。
ストレス発散方法。

自分がやりやすい方法が見つからないってほど世界なまぬるくないしあなたはオリジナリティあふれるレア人材じゃないのでまずはさがしてみて。そんで、いや、むしろ「やっぱりこの悩みは私だけだった」って分かればそれは。このご時世ラッキーなことですよ。だってまだ誰も発信してない内容なんだから。鉱脈ぶち当たってるのかもしれんじゃん。情報がないからってそれで悩んでる人がいないってわけじゃないからな。「ぼっち……」でなくて「ラッキー!」て思って、パイオニアでもなんにでもなってみればいいのでは。

違和感や疑問を大事にすること。
なんでも疑ってみること。
そして取り掛かること。
工夫すること。
続けること。
変化を恐れないこと。
変わらないほうがリスクだと知ること。

とりあえずこれくらいです。

あ、あと、他人はあなたの人生に責任負ってくれないってこと。せいぜい同情してくれるだけだってこと。いや、同情しかできないってこと。あなたを慕う人も、愛する人も、本心から「変われるものなら変わりたい」と思ってくれても、それはできないってこと。じゃあ自分を信じるしかないってこと。

若い人には、たくましく生きて欲しい。

頼むから私を失望させないでくれ。

……今のセリフ言ってみたかっただけ。すまなかった。

いやー、でもほんと、警戒心強いところがあるから、私の世代でも、いくつになっても、チャンスがあるっちゃあるんですかね。もし次世代が速攻で新しい文化や価値観になじんでいって新しいものポンポン生み出してくれちゃったら「ちょ、ま」ってなって早めに隠居したいような気持ちになるかも。だけど古臭い思考、上の世代の思想そのまま引き継いだような次世代がいてくれるおかげで、ちょっと出遅れた場合でも挽回できるんすかね。

うん、チャンスは平等にあるはずだ。時代は変わってくんだから。老若男女関係なく。更新し続けることができるか、感性を信じながら疑い続けることができるかどうかで。みんなたくましく生きて世の中おもしろくなればいいし、今いる場所がつまんなかったりつらくても世界つまんねと思わないでほしい。

優しい人みんな生きて幸せになってほしい。

最後いつもこれだな。ここに行き着くんだな。優しい人は傷つきやすいから。落ち込んだり傷つくことの多いひとは「私ってだめだ……(しゅん)」ってならないでほしい。傷つく才能だと思ってほしい。そして生きて、同じような人をたすけてほしい。助けを求める人は動けないことが多いので、あなたが動き出す必要がある。そのためには傷つきやすさを欠点だと捉えていてはだめで、才能だと思うしかない。っていうか、実際それは才能では。今いる環境とか人間関係つらくてもたまたまマッチしなかっただけで「動き出せ」って合図かもしれない。あなたが生まれたことには絶対意味がある。信じられないかもしれんけど。おまえはなんの根拠があって絶対なんて言葉使うんだよって言われたらあれだけど。意味は「ある」ものじゃなくて「つくる」もの。せいぜい100年で人は死ぬんだから自分でいちいち死ななくて良い。

まあ100年後には不老不死の薬とか発明されてっかもしんねーけどな。需要があるかは知らんが。

3+

【雑記】ロマンと希望

誰にでもあると思うのね。「この人なんでこうしないんだろう?」こうしたら、もっとお金になるのに。もっと人気が出るのに。もっと有名になれるかもしれないのに。こうしたら、こうしたら、こうしたら。

ただたんにそうする方法を知らんだけってこともあるかもしらんが、そうでない場合、その人にはそれしかないんだよね、きっと。指示語多すぎかと。

人って自分で自分の好きになるもの決めたり変更したりできないのね。嫌いになるものは、どうだろ、うん、同じか。人の相性、好き嫌いって、当事者同士には決められんのよ。特技とか、性癖とか、そういうのも。そこになんというかロマンがありますよな!

・なんでこいつのこと好きになっちゃったんだ
・なんであんなやつ嫌いになれないんだ
・おまえなんかよりもっといいやつ見つけて幸せになってやる(でも無理)

みたいな、そういうロマンがね。

たくさんの人が「自分だけは自分の思い通りになる」みたいに思ってるかもしらんが大きな嘘もしくは間違いで、逆なんですな。つまり、自分ほど自分の思い通りにならん生き物はおらんっちゅうことですよ。だってそうでしょ?自分には自分の好きなものと嫌いなものが、感覚として、体感として、分かるんだから。意のままにしようとしてもどうにもならないことがあって、にっちもさっちもいかなくなるでしょ。その点、他人のほうがもっと気楽に操作できるでしょう。他人の意思を無視してもおまえさんの心はちっとも痛まないんだから。な?

でもそういう境界を乗り越えるのもまた良しよなー。

なんで、ぼくは、きみじゃないのに、涙がこぼれるんだろう……

みたいなそういうの、人類の希望だなって思うこともあるんですよ。

結論:他人とかかわるのめんどい。

2+

【雑記】プラスにマイナスほどの力はない

どんなに前向きな言葉で語ってても人を突き動かしてるのはたぶん復讐心とか見返してやりたいって気持ち。それが自分を納得させるために、前向きな言葉にかわったんだろうね。だけど私はマイナスの力ってプラスのそれよりでかいと思ってて、まず、マイナスってプラスになることがあるじゃん?可逆性ないと思うんですよね。プラスがマイナスになることって。まずその点でもうマイナスはプラスより強しでしょ?そして、たぶん、マイナスをどうにかしたいという気持ちのほうが切実で、行動にうつしやすい。

私ふと今までの自分振り返ったら節目節目でマイナスエネルギーがとても働いているのね。そんなに、うががー!って感情になることはないんだけど、「ふう〜ん?」と思った時ってたいてい心の中でジト目になってて、後から「もしかして……いらっとしていたのか?」と他人事のように思う。マイナスはモチベーションの動力源なのでそんな否定することないよと思う。ただそれで人にあたったり、周囲に迷惑かけるのも違うと思う。不機嫌は罪ってタイトルの本がありますが本当にそれで、自分の機嫌は自分でとらないといけない。人にとってもらおうとしない!って、みやぞんが言ってた。みやぞんすごい。最初あんまりおもしろくないなーと思ってたけどすごい人だった。

なので、周囲にあたりたい気持ちとか、他人のせいにしたいずるい気持ちとか、全部ひっくるめて動力源にしたいと思う。見返したいと思ったらそれを動力源にしたいと思う。何かを成し遂げてる人って多くが「人に反対されたからやる」という発想らしいね。天の邪鬼なんでなくて、人が反対するってことは誰もやっていない、やろうとも考えない分野でしょ。ブルーオーシャンを嗅ぎつけるのだろうね。

なので復讐の火は、しずかに自分の心の中で燃やしておくといい。ある日ふっと果たされるんだけど、そのことを自慢げに言うこともしなくていい。訊かれたら答えて良いのかもわからんが。でもたいてい言った本人は覚えてなくて「え?すごいね!」って手放しで感激してくれたりもするんで肩透かし半端ないって。

マイナスのこと、否定しなくていい。自分の中にうまれたマイナスな感情、ネガティブな考え、生まれてきたからには何かわけがあるはずだ。そこにあなたが絶対ゆずれないと思ってる何かがあるはずだ。ポジティブやプラスに力はあっても魅力はない。マイナス面を見つめるんだ。「こんな自分いやだ」って自分で思うところに、自分にしかないものがある。絶対だ。

結論:あなたはあなたのままで生きていくべき。

1+

【雑記】伝われ伝われ

伝われ伝われってタイプは、詩や小説にならないと思うなあ。なんだろ、音楽とかイラスト?文字書きは卑屈なとこある。さも一般論みたいに言ったけど自分がそう思ってた時期があってだな。イラストいいなあ、歌いいなあって。けど自分はそっちじゃないこと分かってて、まあだからMMDとか動画作成って文字書きに与えられた表現のチャンスなんですけどね別の話で。

でも。文字は武器だなあって心から思うことがあって、まあかと言って何かインパクトでかい出来事があったわけじゃないんだけど、じわじわと武器だなっていう。それは、書かなくてもいいってところなんですね。いや、むしろ書かないところにこそってやつで。たとえばすっごい美少女を登場させたい時にさ。美少年でも良いんだけど。

はい、ここ。

いま「すっごい美少女」「美少年」って言った時、どんなイメージ思い浮かべました?

ってことなんですよね。

絵で表現しようと思ったら、描かなきゃいけないでしょう。髪の色、瞳の色、輪郭。人によっては「あんまり美少女じゃない」「おれの知ってる◯◯のほうが美少女」ってなるわけでしょう。ならん場合は合致したんですね。

文字は単体では完成しなくて(厳密に言えば作家の中ではちゃんと完成してる)、読んでくれた人の頭の中にある最高のものと合致することがあるんですな。

だからほんとは「◯◯な瞳」「◯◯色の髪」とか書かないほうがいいのかもしれんが、それやるとぼんやりなって「どないやねん」ってなるからそこまで引きすぎると手抜きになるっちゅうわけですな。

萌えやフェチポイントは出していったほうがいいのかもしれない。だって、もしそれが相手の心に届けば「ですよねー!」ってなってまたべつの力になるから。やっぱ一番いいのは自分が好きで楽しんでそれをやることだな。だって見てるの自分だもん。感じるのも自分だもん。
みんな「いいね」コレクタだけど、それって絶対行き詰まるよ。だって最初に見てるのは自分だもん。それを「いいね」してくれた人が「あなたの作品すきです」つってくれても、自分はその人の「このひとのここがすき、こういう部分あいしてる!」って感情を共有できることはないでしょ。「ああ、すいてもらってんなあ」で終わりで、真に満足できないでしょ。
だから、自分と他人をはかりにかけなきゃならないときは、自分を重視したほうがいい。よほどいい。そうしたほうがずっと精神が健康だ。言いたいやつには言わせておけ。そして心の中でこう思うんだ、てめーの人生生きてろよ。

これ前提で好きなこと好き放題やって、それでも「すきです」って言ってもらえたら、あーた、これ最高じゃん?最の高でしょ。

他者優先オーディエンス優先の危険性ってここにあると思ってて、自分の本当にやりたいことや好きなことを好きだと言ってくれる他人の存在を見落とす可能性があるってことなんすよ。そして上滑りでやがて人が離れたときに「俺の人生おつ」ってなって自殺すんでしょ(極論)。

よくわからないけども。やめないからな。

結論:生きろ。

3+

【雑記】ずっと謎

ずーっとひとりで書いてた。

あれは、小学校2年か3年の頃だ。サンリオキャラクターの鍵付き日記帳を買ってもらって、そこに1日も欠かさずその日の出来事を書いてた。5年生くらいまで。そこからインターネットと出会って、メルマガ→サイト→ブログって流れになっていったんだけど。

この小2〜3のころの、日記帳って、自分、何を思って書いてたんだろうな、って。

宿題でもないし、発表するものでもない。誰かに見せるのでもなく、自分が読み返すためでもない。

記録?その頃記録って概念あったかな?記録って概念は大人特有のものでは。知らぬが。

無心だったと思う。

「きつい」「やめたい」とかぜんっぜん考えてなかったし、かと言って「たのしい」「すき」でもなかったの。無だった。無。無。潔く無。

無って、すごいなあ。今、無で取り組んでることって、あまりないもんな。いや、あるか。ここか。誰に見せるでもない、自分はたまに読み返すかな、好きでも嫌いでもない、まあ好きって言ったら好きになるのかな?

あ、そうだ、

好きかときかれたらそうでもない。

ってやつの最強なところって、嫌いになったり飽きることがないってところなんだよなー。将来のことは分からんが。いつか、ふっと、離れていくのかもしれないけど、そのときも「嫌いだ」ってわけで離れるのではないように思う。

だから、人や生き物に対しても「好き好き」っていうのより、「あれ、いたんだ?」ってくらいの命を大切にするなどすればいいのかなって思う。だって好きなものはいつか嫌いになりそうじゃん?めんどくさがりの極み。

だから、目標とか夢って、あんまり挙げないほうがいいのかもなってふうにも思う。小さい子はさ、「こうなりたい!」って目をキラキラさせるじゃん、たまに。そして大人も喜ぶじゃん。ああいうの、「ああ〜・・・」って思う。ことも、ある。たまに。その勢いで向かって行ったらもったいないなあ。と。これがね、俗にいう石橋を叩いて壊す戦法なのかもね。わたしはあまりよくない大人である。

いかに長く、いかに末永くともにあるかが大切であって、一瞬のアバンチュールに胸を焦がすものではないというふうに思う。あれだ、ウォーレン・バフェットかな?

向き不向きなんだろうね。もうそれでいいんだよね。まとまるんだろうね、それが一番。

デイトレードが得意なひととバフェットタイプ、どちらも成功者がいることからも、絶対ってないから、逆に言えば絶対失敗ってものもないわけでしょう。

つまり?

結論:みんなちがってみんないい。

すでにある言葉。

いやほんとそう。まじだ。

2+

【雑記】一期一会のゆくえ。

昨日の投稿数たくさんあるなあ。

ふと思ったんだけどインターネットもいつかなくなるかな?って。今なんでもインターネット上にあって、その上でアプリやメディアが増えたり減ったり消えたり生まれたりを繰り返して、この基盤(インターネット)がなくなることってないみたいに思うけど、ていうかそもそも思いもしないけど、それくらいインターネット浸透しすぎてるけど、それもいつかなくなるかなって考えてゾッとしたと同時にあらたなユートピア見えた気がする(錯覚)。

新しいインフラはどんなふうなんだろうなー。生きてる間にインターネットの「次」に出会う日ってくるかな?どんなだろ。しらんけど。ブログオワコンと言われてひさしいですが、なんだろうなSNS隆盛ってとこかな?でもやっぱりブログのほうが使い勝手よくてこっちがいい、って部分もあると思う。ここもWordPressだけど、まあ、ブログみたいなもんだしな。SNSながめてると「あ、そっか。」「なるほど、なるほど。」っていうのはたっくさんあってほんとキラキラしてるなあと思う。いいと思う。でもそっちでできないことと、こっちでしかできないことと、掛け合わせるともっといいことってあると思う。とか考えてたけど、そもそもインターネットって隙が多すぎませんか。セキュリティ未熟すぎませんか。いたちごっこかな?でもいたちごっこにビジネス生まれるから必要悪とは違うかもしれないけど、脆弱って理由で消えたりはしないよなー、と思うんだけど、さっそうと消えて、あたらしいものに、取って代わられるのかもしれないな。そして予兆はたぶんある。それを感じず、察知できなかったひとが、「こんなもの!」って、ニューカマーをディスるようになって逆にマイノリティになってて時代遅れだなおっさんって言われて世の中に反旗を翻す力もなくってひねくれてくのかな。私さっきから適当にものを言ってるわけだが。

◯◯が好きな人が元気でいることをSNSで知って「ふむふむ今日も元気でいるな」と遠くから眺めるパトロンみたいな気持ちで眺めてたのが疎遠になって、ある日ふとのぞいてみたら「今日でやめます」発言しててね、パトロンおじさんもう、ふああ・・・となった。そうだよね契約してないしいつでもいなくなるんだよね、誰も責められないんだよね、悲しいですとかありがとうございますとかまた機会があれば〜みたいな挨拶でしめくくるしかないんだもんね。そういうの当たり前だけどすっごくさみしいなあって思った。

さも親しい人やすっげ応援してた人が去った後の腑抜けみたいな発言してるけどまじで接点も共通点もなくて、精神的支えですらない、ふと「どうしてるかな?」レベルで気にかけてみた人がフッと消えることすらこんなに切ないのだから、もう大好きで大好きでたまらない人とか、このひとのこれが好き!って人が突然フッと消えてしまったら本当にどう思うんだろうなあああ?!!?

と考えた次第ですよ。ええ。

でもみんな、それもこれもインターネットという遥かなる大地の上で行われている観劇であるからして、そもそもその基盤が消えてしまったらどうするんだろう。どこ行くんだろう。

流行りの(?)ピア・ツー・ピアかな。
「インターネット?ふふ、いつの時代のシステムですかそれ(確信犯)?」っていう少年が直接脳内にコネクトしてくるやつかな。

でも、まあ、考えてもわからんから考えんどこ。

追記。

なんか考えれば考えるほど「生身」であることの破壊力すごいなって。人間すごいわ。うーん、でも生身は無力だ。でも原点だ。ツールもインフラもなんもかんも、増大させてるだけ。生身は祖だから叶うはずはないのね。でもやっぱりそれが原因で滅ぶひともいる。

うん。やっぱわからん。

結論:わからん。

2+

【雑記】終わりの始まりの最後の夏

平成がテーマになることが増えると思います。わたしが書くものも。書店に並ぶものや、ネットに流れる記事も。特に最近そう思います。こんな平和なまま終わる時代は初めてでは?(まだ終わってない)。平和だったって言ったら怒る立場の人たくさんいるかな。とりあえず国民総平成ロスに陥ると思います。みんな。終わりができるってことはパッケージ化に他ならない。獰猛に見えた野生動物も檻に入ったら餌をあげたくなるように、いろんなふうに名前をつけて呼ぶようになるんだと思う。一区切りつくということは一旦俯瞰できるということで、そうするとどんなに大きく見えたものもスケールが把握できるから「かわいい」の対象になると思う。元来、時代とはかわいいものです。かわいいと思うことで塗りつぶしながら乗り越えていくものです。たくさん歪曲されて形を変えていくと思う。みんなの精神、感受性、自分だけのものだと思っているもの、すべてちゃんと毒されていくと思う。洗脳は簡単なので。口にすることがはばかられるものは、ぜんぶ詩や絵や歌にすべきと思う。出せる形で出していけばいいんだ。それをやめないことが死ぬまで続けなくちゃいけないことで、それ以外はおまけで、人はそのために生まれてきたと思う。

1+

【雑記】根も葉も火もなくても噂なんて立つよ。

脱線だらけのコラムっぽい雑記。

部屋がですね、35度あるんですね、いま温度計みたらさ、部屋の温度がですね。パソコン壊れてしまわないかな。人体は復活しそうだけど、電子機器が壊れると痛いな。嫌だな。だって35度あるからね。でもすっごく集中しているので平気でいるわけです。人間の集中力ってすごいなーっと思う。気づいたらその時点でクソ暑いな!知らぬが仏とはこのことだ!

税金を払いたくなくて払いたくなくて「今まで!国が!私に!なんかしてくれたか?!」と思って振り返ってみたら人生でめっちゃいろいろしてくれてたから(主に失業保険)、善意ってすぐ忘れられるんだと思う。まあ国の施策は善意ちゃいますけど。なので、嫌な思い出や復讐心ばかり残るんだと思う。その観点から活用したいのは何クソ精神です。(いや、そんなことないよ。)って思うということ。臥薪嘗胆の芽。

人は、否定をするでしょう。基本、コミュニケーションって否定でしょう。「いや、それはね」「私はね」「俺はね」っていうやり取りでしょう。だけど、否定は否定って形であらわれてこないのね。ほんと親切なだけだから。生まれつきかってくらい。「そんな生き方でだいじょうぶ?」「こっちの道が安全だよ、幸せだよ、こっちがいいよ」って、何の根拠もないのに、言うのね。平気で。悪徳勧誘かよって。だっていつも思うのは、あなたの根拠ってあなた1人の人生でしかないでしょ?ってやつなのね。その、経験則も、教訓も、あなたを通した、あなた1人だけを通した、応用力も再現性もないものでしょ。であるから、たいして意味ないのね。ほんとに。「こうしたほうがいいよ」「あれはしないほうが」っていう助言なんて。なんていうか裏付け少なすぎるし。まあ、しかし、裏付けがあればいいって話でもないし、他人の忠告なんてちくわの耳でいいんですよ、ちくわで。簡単でしょ。顔は、そうだな、一応それっぽく聞いてるっぽくしたほうがいいかもしらないけど。まあ大抵表情には出てるからね、「こいつ聞いてねーな」って思われといたほうがラクってのはあると思うんだ実際。

誰でも、ふと(貴様……なにいってやがる……?)と思うことってあるでしょう。どんなに冷静なひとでも。それは絶対にさ、忘れないほうがいいよ。なにくそって思う部分って、あなたがひそかに負けたくない部分であって、っていうか、たぶん勝てる見込みがあるのね。だからなにくそって思うのね。たとえばさ、誰かの行動を見てイライラすることがあったとするじゃん。(あー、そうじゃないのに。)って。そういう時ってさ(なんかイライラしてるな。いっけない、いっけない☆)じゃなくて、それで終わらせるんじゃなくて、(ちょっと待て、なんで自分はイライラするんだ?)って考えてみると分かるのね。たぶんそれを、あなたは、その人よりうまくできるから、もっと上手なやり方を知っているから、イライラしてんだよ。なので、あー、これっておかしい。それってもっとどうにかなるじゃん?ってささくれた気持ちになったときは「おっ?」って触覚を立てるといいと思うんだ。

34.8度ですね。
集中してたね。

あと、忙しいからってとっても幸せな言い訳であったりするんだね。忙しくするのって、したいしたいと言ってることを本当は行動にうつせない自分をカモフラージュできるからだよね。だってほんとにしたいなら時間とかつくるもん。他のこと捨てていけるはずだもん。それをしないのに、できないのに、「あー休みがとれたら◯◯したい」って、あなた、それは嘘ですよ。休みなんてつくれるし、それができないなら寝る時間くらい削るし、そもそも「したい」って言う前に動いてるはずなんですよ。宣言とかいらねーし。気づいたら「あ、やってた」。ってくらい自然にフォーカスしてるものがあなたの本当にしたいことで、だから、「したい」って言ってることってほんとは「したくない」こと。だよ。したいって言うの免罪符にしてるんだよ。よっしゃ今日も「したい」って口にしたぞ、私それがしたいぞ、再認識したよ、おっけー、って思って安心してるんでしょ。本当にしたいことはあなたがすでにやっていることだよ、だから、正確には、厳密には、「したい」って概念はそもそもないのかもな。したいことは、してること。したいって口にすることは、これからも、たぶんしないこと。

だけど「したい」星人がどれだけ多いことか。私もであるけど。この星人で厄介な亜種は、他人の足を引っ張る属性を持ってるやつですな。「したい」が「したくない」の変化があることは知っていて、意識していて、その上で「もうやってる」人が羨ましくて妬ましくてジャマをするのね。邪魔って言っても邪魔邪魔しい感じでは露呈させないよ、嫌われたいわけではないので。なので、親切を装うのね。話は少し戻って、「こっちがいいよ」「やめたほうがいいよ」って言葉になるのね。だから他人のアドバイスなんて、それが優しさだろうがなんだろうが、違うなら(違う。)って思ってりゃいいし、いらっときたら(うっせバーカてめーは自分の人生だけ生きてろよ)でいいんですよ。そういう、なんていうかな、ナイフをね、捨てないでほしい。まるまるした心とか魅力ないんですよ。まるまると、ほんと裕福そうに太りやがって。

嫌いな人を嫌いな理由を。腹が立つものに腹を立てる理由を。こんなの汚い、自分はちっちゃい人間だ、で戒めるのではなく、どうしたんだい?って人格くらい数個に分裂させて質問してみようではないか?

そして税金を払いたくないなーって思ったんですね。でも一周回って税金、払ってもいいかなって心情に変化があったんですね。国は敵!でも人間は敵じゃない……と気づいた生き物のようにです。ええ。

言い伝えられてきたこととか、慣習とか、圧力とか、常識とか、いろんなものがこれからあなたを飲み込もうとすると思う。元号が変わって、古きが倒れて、新しいものが生まれても、暗い波がひたひたついてくるんだと思う。正攻法でなくて、心の中で
「くそが」って思うだけでもずいぶん違うと思う。思春期かよってなじられたら「そうだね、へへ」つって内心「くそが」。これだけでずいぶん違うと思う、あなたの本心はあなたのこと「うむ、こいつ、わかってるな」って思うと思う。つまり、大切なのは自分との信頼関係なんですよ。他人って言うほど考えちゃいないですからね、あなたのことやらなんやら。善意悪意じゃなくてキャパの問題なんだよ、たぶん、ひとりひとり自分の親になり子になるしかないんだと思うなー。

35度。

暑いな。

集中力の唐突な終焉。ザ・クライマックス。

2+

【らくがき】アサガオが咲いても。

かんたんな人物紹介
「おれ」=ギン。研究者。
「リー」=ギンが小学生の頃から同居してる吸血鬼。

✳︎

徹夜明けの弱い頭でおれなりに考えた。そもそもこういう考えをすること自体おかしいのだが、どうにか振り向かせられないかと考えたのだ。考えは論理的でなく、本心から実現を望んでないのじゃないかとさえ思われた。 いつかのことを考えればおれが有利であることには変わりない。

おれが小さいころから同居している吸血鬼も、

「そんな目で見ないでくれる?おれのこと好きで好きでたまらないって顔してる」。

こんなくだらない暗示にかかることがあるんだろうか?

正直に生きなきゃならないのは、有限であるおれのほうなのに。人間は、たぶん、有限だから終わりを意識して立ち止まったりするんだろう。足踏みしたり、うずくまっては、差し出される手の数をむなしく数えたりするんだろう。競うべきじゃないものを、他人と競ったり、するんだろう。

「む、何か言ったか」。
手元の書物に落とされていた視線が、訝しそうにおれを見る。山形県産佐藤錦かな?って目が。
「なにも」。
「そうか」。
納得したようにふたたび視線を落としたリーが、やがて落ち着かない様子で顔を上げた。
「私いま、何か大切なことを聞き逃した気がする」。
「いや、どうだろ。気のせいじゃないかな」。
「ギン、私をだましているか?」。
「何のためだよ」。
「たとえば私を自分の思い通りにするためなど」。
飛沫が上がる音がして、おれは飲みかけのお酒を噴き出していたことに気づく。飲んでたのかよ。
「いやあ、びっくりした。自分の本心に気づいた時の次くらいにびっくりしたね」。
「何だと?」。
「ちょっとおいで、リー」。
「取って食う気か?」。
「めっそうもない。来い」。
リーは読みかけの本にやたらゆっくりしおりを挟んで、さらにゆっくり閉じたあとでおれのところまで歩いて来た。のろのろ動いているのでこっちから腕を引いて座らせると、ばふっともたれかかった。
「ドキッとした」。
「またまた。そんな心臓ねえくせに」。
指も首もどこもかしこも冷たいんだなあ。
酔い覚まし、とか意味もなく言い訳じみたことを呟きながら、ここで死にたいなあ、とか受け答えに困るようなこともあわせて呟いてみる。困らせて困る相手でもないからあとはこっちのプライドの問題。だけどそれも寝不足と酔いでリミットなしという状態。まぶたを上げるとベランダのプランターが視界に入って来た。
「あっ」。
朝顔が、咲いている。
何かを育ててみたいと言いだしたリーと一緒に、週末ホームセンターで種を買って来たんだった。
なるほど、こんな色だったのか。
「どうしたのだ?」。
でも今教えたら、ほんとうか?とか言って立ち上がって見に行っちゃうんだろうなあ。
容易に想像がつくので、言わない。
「どうもしない」。
「夢でも見たのか」。
「そうかもな」。
「そうかもなとは何事だ。自分のことだろう」。
ごちゃごちゃうるさいなあ、と額をこすりつけているとやがてリーはおとなしくなった。
いま、どんな顔でおれを受け止めてるんだろう。
硬い胸に耳を寄せてみるけど、ずっと前に止まった鼓動はもう聞こえない。
「あっ」。
リーの口から小さくこぼれる。嬉しいと驚きの混ざった声。
さて、どうするか。
…。
…うん。よし。えらい。
あんなに咲くのを楽しみにしていた朝顔に気づいても立ち上がらなかったこいつに今日は、うん、今日という今日こそは、好きなだけ好きなものを飲ませてやろう。

2+

【らくがき】食わず嫌いと性癖

坂の上の雑貨店の窓辺に飾られていたものを「どうしても欲しい」とリーが言うので購入してやったものだった。売り物ではなかったのに。色のついた液体を入れるとかわいいんですよ。オレンジジュースだと、黄昏時みたいになります。アトリエの店主(たぶん)はそう言って、グラスの絵柄のひとつを指さした。その先に小舟が浮いている。「トマトジュースもいいですね。夕暮れをうつす水面を、この船が、すーっとすべるので」。へえ、と言いながらおれは早速べつのことを考えようとして、視界に入ったリーに驚愕する。なんとキラキラした眼差しで見るんだ。まぶしいほどだった。おれは考えようとしていたことを忘れて店主の語りに意識を戻す。

「でも、一番いいのは牛乳ですね」「牛乳?」「夢のようなミルキーウェイ!この船に乗って星空を旅しちゃってください」「あいわかった、旅しちゃう」「素敵だと思います」「まったくだ。早く帰ろう、ギン。旅しちゃいたい」。

何がツボにはまったのかリーは、帰り道もずっと「あいわかった」と言いながらグラスの入った紙袋をぶんぶん回し続けていた。

帰宅後、牛乳をなみなみ注いだグラスを前に、リーの眉間にシワが寄っていた。
おれは笑いを噛み殺して、「きれいなお顔が台無しですよ」。などと皮肉を言う。
「ギン。私、今になって思い出したんだが」。
「うん」。
「牛乳、きらいだった。あんな、大きな生き物が出す乳など」。
「血とか飲むくせに。いけるって、ぐいっと、ね、ぐいーっと」。
「でもちょっと生臭い」。
「え、血とかイケるのに」。
「うん、むり」。

その夜、リーは雑貨店からの帰り道とは別人のように落ち込んでいた。
「まあ、そう落ち込むなって」。
「私は牛乳が飲めない」。
「いや、そんなことくらいで」。
「そんなこと」。
「うん。飲めないものがあるやつなんていっぱいいるよ?」。
おれとしては慰めたつもりだったがリーは長いため息をついた。
「ギンは分かっていない。私が、ただ、牛乳を飲めないことを悲しんでいると思っているのだろう?」。
「違うの?」。
「私は牛乳を飲めなかったんじゃない。飲むことを楽しみにしていた夢のミルキーウェイを飲めなかったんだ」。
「いや、牛乳」。
「いいや、ミルキーウェイだ。もうこの話はしたくない。寝る」。
そう言うとリーはベッドにぽすっと倒れ込んで本当にそのまま眠ってしまった。
「かわい、…くないねえ」。
おっと、あぶない。つい本音と建前が混在するところだった。

おれはベッドに腰をおろしてしばらくその寝顔をつついたり、銀色の髪を束ねてつくった筆で円を描いたりしていたけれど、飽きて、そのまま一緒に眠ることにした。

なにが夢のミルキーウェイだ、そうつぶやきながらおれだけがさわれるプラチナブロンドで首を絞められて遊んだりした。

2+