【雑記】理想と現実

さっきあげた小説は、スマホのメモに眠ってた書きかけを完成させたやつ。
メモで書いてスマホからもタブレットからもパソコンからもアップロードできる。便利な時代よの。

執筆環境(理想)
・淡色を基調とした広い部屋
・座り心地のいい椅子
・飲みたいものが好きなだけ飲める
・窓からは自然の緑が見えている

執筆環境(現実)
・ベッドの上で寝ころびながら
・扇風機の風
・窓の外を車が走っている
・飲み物は麦茶かカフェオレ

理想があるうちが花かも知れない。
そして環境はあんまり関係ないかも知れない。
むしろ満たされていないほうが良いのかも知れない、人間、欲は尽きないけれど、不足していたほうが、夢を見られる。
と、合理化をする。

質より量。

他人の書いたものにあれこれ言うより、一行でも自分で書いたほうが良い。私はその人を偉いと言う。勉強でもそうだ。一分でも手を動かしたほうが偉い。この勉強したい、あの資格とって、ああしてこうしてって言ってるよりも。何事もそうで、これは自分への戒めでもある。もちろん計画を立てることは大切だが動き出すことはもっと大事で、計画立てて満足したり計画という名の後回し精神には注意をしたいところ。だけどそんな場合でもやっぱり「計画して満足したならその程度」なんだろうな。やりたいことって「やりたい」って考える前にやってたりするし、そのエネルギーや瞬発力みたいなのはすごいと思う。すぐ行動にうつすひとってすごいな。心がけてはいるけど、それって心がけるようなことかな?と思ったりして一進一退。
まあ、頭の中でこね回してればお金もかからないし場所はとらないしエコだよね!
その層を突き破ってきたものにだけ現実に存在させてあげよう。

3+

【雑記】得意は使える

ここ数日、好きについての記事をいくつか書いた。好きは強いとか、好きなことは消えないから大丈夫とか。その見解は今のところそのままだけど、好きとよく比較されるのが「得意なこと」ではないだろうか。

好きなことと得意なことは違うとよく言われる。私もそれはいろんな人を見ていてよく思う。「あれ?この人これを極めればいけるんじゃないか?」とか、「なんでこの人ここを磨かないの?」とか。それらは他人事であるがゆえの見方かも知れないけど、本人の素質と願望が寄り添っていないことは多々ある。時としてそれは「ギャップ萌え」という新たな価値を生み出しもするが今回はその話ではなく。

服装に例えたらどうだろう。
その人が着たい服(好き)はロリータファッション。仮に。
でも、似合う服(得意)は清楚な和装。とかね。
極端だけど。

じゃあ得意な物事が当人にとってなんの利益ももたらさないの?他者からの評価以外に?ってなると、どうもそうじゃなくて、好きなことを維持したり始めるためのサポート役になってくれるんじゃないかなとは思う。メインに据えると「ちがう、そうじゃない!」ってなるけど、得意なこともやはり好きになるはずだよ。それを頼って人が集まったり、それが得意なおかげで人から褒められたりしていれば。卑屈にならない程度に。そういう才能が何か一つあれば、自分の好きを保つための材料になるんじゃないかな。好きで生きていなくても、得意でお金を稼げるのなら。そういうやり方もあるんじゃないかな。

そのやり方の良いところは、得意なことは「スキル」として客観的にとらえられるところ。得意なことはそれを好きな人にいつか抜かれる運命で、それは避けようがない。好きは最強だから、苦労も苦労じゃない。だけどそれが得意なことであったら、受け入れられるだろう。すごいな、好きには敵わないなって。だから得意はツールには向いている。すべては好きを守り、続けていくため。
なので得意なこともあればあるほどよい。

もし好きなことも得意なことも何にもないのだとしたらその劣等感で生きていけば良い。劣等感とか自虐の精神はとらえようによってはだいぶ強い。ギャグにもシリアスにもなるし、共感を得やすい。つまり自分のファンがつくれる。自分を見てくれる人がいると知ることほどの幸せはそうそうない。そこから、何か挑戦しようとかあれこれ願望が出てきたら「しめしめ」とほくそ笑むのです。

自らの手で終わらせなければ絶対どこかにはつながる。
好きになれない今のために、好きになれるかもしれない人や時代まで捨ててしまわないで欲しい。
こういう言葉はいつだった発する方のエゴであるんだけど、理由がないなら私のために生きてよ。ってやつ。

一でつまづいたからって残りの九十九を捨てちゃう?
もったいないよ。
ふざけるなと感じる。

どうせ死ぬの。だったらなおさら今を選びたいって純粋に思ってるならそれはそれで自由にすれば良いけど、もしも「本当は〇〇したいのに。」って気持ちがあるんなら、それができるまで生き延びるんだ。

死にたかったら詩の中で何回も気の済むまで死ねば良いし、殺したかったら小説の中で何人でも気の済むまで好きな方法で殺したら良い。

諦めるには若過ぎるんだよ。
関わりすぎているし。

まあ確かに君が死んだって世界は回るけど。
生きてたってどうせ回ってるんだつまり変化なし。

みんなバカ死ね地球もろとも粉々に割れちまえって罵りながらもう少し見ておこう。いつか平気になって笑えるよ。今はそんな自分を想像できなくても。いつか全部肥やしになる。卑屈も憎悪も嫉妬も羨望も落胆も敗北も不安も。貯めれば貯めるほどお得になる。
つまりマイルだな。
せっかく貯めたマイル、使いたくない?

4+

【雑記】好きは大丈夫

下の「好きに気づく」でも書いたけど、好きなことに関しての続き。

好きなことは自分の中で時とともに変わったりするけど、よそからの力では消せないと思う。たとえば、時間がなくなったら好きなことできなくなって忘れちゃうんじゃないか、とか。否定されたら自信がなくなって、好きなことでもやがて嫌いになっちゃうんじゃないか、とか。

そういうの全然心配しないでいいと思う。

好きなことが好きなうちは絶対消えないし消せない。もし消えたりすることがあったら、あなたは結局自分の意思でそれを好きじゃなくなったんだと思う。べつの新しい何かをもっと好きになったのかもしれないし、もう好きになり尽くしたのかもしれないけれど。とにかくあなたは自分の意思でそれを好きな自分じゃなくなったのだから、環境や周囲に責任をなすりつけるべきではない。

だから、つまり、繰り返すが、好きなものは強い。

押し込められるものじゃない。やめろって言われてやめられるものじゃない。もし一定期間それを中断したとしてもずっとどこかで考えているし、いつかはきっと、って野望抱いてる。それは幸せなことなんだよ。好きなもののために葛藤できる、なんてことは。好きなことがなければその葛藤はそもそもない。贅沢なんだよ。

命があるうちに、体や頭が自分の思い通りに動くうちに、好きなもののためになら、何だってしたほうがいい。他のことにとんと無頓着なんて最高じゃん。好きな気持ちはずっと続いたとしても、それを続けられる心身がなければ愛でようがない。健康は大事。私は自分のそういった領域を守るためなら、人間関係なんかたいして重要じゃない、はっきり言って軽視しても良いと思ってる、本当に。その人にとって、べつになくても良い程度ならばの話だけど。まあもちろん自分のしたことは自分に返ってくるよ?それを見越してまあいいやって関係ならべつに要らないのでは。べつに要らないどころじゃなくて、限りある時間を奪うという点では害悪ですらある。

愛や友情より大切なものを持っていたってべつにそれはそれでいいんだよ。ただその考えはあまり声に出して言うもんでないかもしれないけど。人間同士も効率よく繋がればいい。媒体が電子であってたとえば一生現実に対面することがなかったとしても、それはリアルになんら劣るものではない。生身だから、時間かけたから良いってもんじゃなし。もちろんそれはそれで良いこともあるんだろうけど、必ずしもそうじゃない。というところまで含めて覚えておくのが良い。

他人が色々言ってきても、その人にとってはこっちが他人事なんであって親身なわけない。その人の言ったことを鵜呑みにしたとしてなんか災いがふりかかってもその人が責任とってくれるわけでないでしょ。アドバイスしただけだもんって逃げられる立場だもん。自分以外すべてそうだよ。だったら、ハイハイって素直なふりしてさその実聞き流せばよいのだ。心の中で「うるせーおまえ俺じゃねーだろバーカ」つってな。とってもいつまでもガキ精神。顔に出ないタイプだとより良いね。私はよく顔に出てると言われるから上記の話ほとんど適用できない派。

ほら分かったでしょう。他人は無責任。

5+

【雑記】好きに気づく

いちばん最初に新しいことを始めようとした時ってさ、なんとなくだけど大切なこと全部できてたなあと思う。手順のこと。効率的ではなかったかもしれないけど効率的になるよりも大切なこと。

たとえば私が詩のサイト作ろうとした時は今みたいに会員登録してポン!みたいな過程ではなくて自分で一からサーバー借りて(または買って)タグ書いて(または教えてくれるサイトから勉強やコピペ自由のやつコピペして)掲示板必要ならそこも借りて設置して検索サーチに登録してやっと知ってもらって、みたいな色々することあったんだけど、そもそもそういう情報集めたり、こういうのは全然苦じゃなくて「これどうすんだ?」って疑問を持って、自分の好きなサイトやここいいなあと思うところがあれば真似から入ったり、とりあえずやってみるかってやってみて、ダメなら何度でもやり直す。随時手を加える。

こういう過程が全然苦じゃない。時間許す限り半日でもパソコンの前に座ってられるし大学で一人暮らししてた時はもうそれこそベッドから起きたらまっすぐパソコンの前に行ってご飯食べずに気づいたら夕方だったみたいなの日常的にあるし、それって少しでも他人から強要されたものだったり要は自分が好きでやり始めたことでなければありえないのね。誰でもそうだと思うけれど。だから「好き」ってものすごく強い。それが「得意」な人よりも「好き」な人のほうが絶対に強い。好きはそのうち得意になるかも知れないけど、得意は好きにならないケースも結構あるよね。自分でもそうだし他の人で「この人これ得意なんだなあ。これしたらいいのになあ」ってこっちが羨ましくなるような才能持っていても本人が「私それ興味ない」だったりね。

好きはすごい。
勝手に自分から加速させてって、他のこと気にならなくなるし、そのためになんとか時間捻出しようとするし、となると他の部分でも工夫するし、とにかくそれにまつわることが何も苦じゃ無くなるっていうハイパー無敵。

挫折って「得意なこと」に対して起こるものであって、「好き」なことにはそもそも起こりえない現象だよね?
だって続けられるんだもん。
折れるとかそういうことはない。

もちろん得意なことがたくさんあるに越したことはないけど、好きなことがあることはもっともっと大切。下手でも好き。

じゃあ好きなことってなんで好きになれたかというと、自分が寂しかったりもうダメだって思ってたときに「それでもここにあるよ、いるよ!」と寄り添ってくれた記憶や体験があるものって割とそうなるんじゃないかな。またはそれに関してすごくかけがえのない思い出があるとか。

だから若い人は好きをいっぱい作ってください。どんな苦労も大丈夫な好きなもの。評価が無くても低くても自分が好きなもの。そしてときどきその幸せを噛み締めてあげる。
これがあるだけで、誰も死ななくて済む夜もある。

4+

【雑記】きみをまもる

なぜ書くのか。
長いこと考えていた。問われることもちらほらあった。なぜ書くんですか。書き続けるんですか。
うん、なぜであろう?

息をするのとは違う。眠くなるから寝るのとも、お腹が空いたから食べるのとも、似ているようで、なんだか違う。しっくりこない。書けなくなったら死んだ目になるかもしれないけどたぶん死なないし。

では、なぜ。

ほめられたいから立ち回るのとも、注目を浴びたいから為すのとも、誰かから感謝されたいからとか救いたいからとか。とも、違う。むしろさっきより離れた。自分にとって書くということはどんなふうに、何を、意味するのか。そもそも意味するのか。もしかすると時々で「それはだな、」とかもったいぶり、すでに回答したことがあったかもしれないが、そのどれにも納得はいっていない。なぜなら今この自分が覚えていないからだ。間違っていないことなら自分で覚えているはずだった。そもそも忘れないはずだった。だから思い出す必要もないはず。

きいてほしい。
いつものバス停でバスを待っているときに、ふと気づいた。
(逆、なんじゃないのか?)。
逆って、視点。
「自分が」どうか、「自分にとって」どうだったか、について考えるからいつまでも答えが出てこないわけで、いつまでも答えが出てこないというときには、問いから疑ってみるべきだったのだ。
つまり、こうだ。

書いたもの、にとって、私は、何であったか。

私の書いた文章はどんなふうに私をとらえていた。思っていた。何を感じて何を思っていた。
そうやって立場を替えてみると、答えはシンプルだった。
「きみをまもる」。
それだった。
「きみを、まもる」。
確かにずっとそうだった。
それ以外もそれ以上もない。
私にできることは、私のしてきたことは、何もなかった。もらったものなら、幾らでもある。私はずっとまもられていた。そうと気付かせない相手によって。さかさまの問いかけを何遍も繰り返す、馬鹿のままでも。

なんたるのろま。

1+

【ネタ】おきにめせば

「好きだ」とか「愛してる」とかやたら言ってくるし公衆の面前だろうが構わずべたべたスキンシップしてくる吸血鬼にだんだんイライラしてきて「何でいつも軽々しくそんなこと言える(する)わけ?」ってブチ切れたら「だってお前たちはすぐ死ぬだろう。だからおれは言いたいときに言う。したいときにする」て言われていろいろ心境複雑になる男子高生が主人公のBLを読みたい。

寿命格差もえ!
遺す苦悩、遺される苦悩。

この時に男子高生の思考の焦点は次のふたつに絞られる。

・こいつはこれまでにもおれじゃない誰かに対して同じ事をしてきた(=唯一の存在としてのアイデンティティー喪失)
・そしておれもこいつより先に死ぬ(=連綿と続く交流史の一コマでしかない自分に対する焦燥や絶望感)

そして彼は何をされても感じなくなって吸血鬼に対しても冷たくなっていくけどそれはもともと芽生えてた初恋の裏返ったものを無理矢理延長してる類だから後から凄いのね、嫉妬とか歪んだ感情が。そしてなんとか自分が「最後のひとり」になりたいって考えて不死の男の殺し方を発見するために学者になるんだけど結局一生かかって見出せないのね。死の床で傍に寄り添う吸血鬼の昔と変わらぬ姿を見て、諦念とともに(もっとまっすぐ気持ちを伝えていればよかったのかな…)ていう一抹の後悔を抱えながら息をひきとる老人を見下ろす赤い瞳が優しい。

1+

【雑記】バカップルとポメ神様

断食ならぬ断読をしているがレビューブログは隙間時間に読むので、オメガバース読み漁りてえ。と悶々なりながら歩いていたら目の前にどこからともなく大学生同士くらいのゲイカップルが現れた!実話である。欲望が具現化したかのようなタイミングだったので三度見くらいした。進行方向が同じだったので止む無く必然的に(強調)、真後ろを歩いていたんだが、しっかり絡めた恋人つなぎとか甘々の雰囲気とか、隠さない派なんだなあと思いつつ様子を観察していたら、向かい側から来た異性カップルの男サイドがすれ違いざま「ぎゃっ?おえっ?いまの、ホモ?!初めて見た!うひゃあああぎゃははは!おえっ?」と物凄い反応と大声で笑い出したものだから当然当人達は傷ついているのではないかと懸念したが、彼らは全く振り返ることもなく自分たちのペースのまま、繋いだ手を離すこともなく進み続けたので、これまでにも幾多の試練に耐えてきたのだろうかと想像しながら、異性カップルの女性側が彼氏とは対照的に非常に冷静に「最近は女の子同士でも手を繋いだりして仲良いもんねえ」と嗜めるともなく嗜めていたことに感心をした。なんかちょっとずれてるが。天然か計算か。てか二次元ならスピンオフで掘られてるからな、この男…。いや、それはいい。そしてそれからも私は甘々の雰囲気を撒き散らしながら歩いて行くカップルの後ろを、進行方向が同じだったため必然的に歩いて行った。人通りの多い場所へ出ても彼らは繋いだ手を離さなかったので周囲の人はしばしば凝視したり振り返ったりした。なるほど、このような目で見るのか、なるほど、この頻度で二度見されるのか、などと局所的世論を把握しはじめたところで、しかし彼らは卑屈になる様子もなく実に堂々とカップルしてるんだなあと改めて感じいってたら、彼らは突如として広場の中央に出て行った。それから、長身のほうが相手の背中がしなるほど抱きしめて周囲に見せつけるようにディープなブチュー!!したので諸々の懸念だのは吹っ飛んだ。
ただのバカップルかい!
思わずそう突っ込んだという話。
もうね、周囲の視線や反応が油になって余計燃え上がっていったという感じ。
たまらん!おまえやっぱりかわいい!好きだー!ブチュー!されたほうも「うふあはは、やめてよもう、見てるってばもう、でもやめるなよ?」みたいな熟練の流れ。世論が転がされてたわ。

あたかも憲法97条のようだったなー。

まとめ。
この一連の出来事の中で一番可愛かったのは、爆笑した男が連れてたポメラニアンだった。あれは私を見上げてニッコリと笑っていたのだった。地上を視察しに来た、神様のように。

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