坂の上の雑貨店の窓辺に飾られていたものを「どうしても欲しい」とリーが言うので購入してやったものだった。売り物ではなかったのに。色のついた液体を入れるとかわいいんですよ。オレンジジュースだと、黄昏時みたいになります。アトリエの店主(たぶん)はそう言って、グラスの絵柄のひとつを指さした。その先に小舟が浮いている。「トマトジュースもいいですね。夕暮れをうつす水面を、この船が、すーっとすべるので」。へえ、と言いながらおれは早速べつのことを考えようとして、視界に入ったリーに驚愕する。なんとキラキラした眼差しで見るんだ。まぶしいほどだった。おれは考えようとしていたことを忘れて店主の語りに意識を戻す。
「でも、一番いいのは牛乳ですね」「牛乳?」「夢のようなミルキーウェイ!この船に乗って星空を旅しちゃってください」「あいわかった、旅しちゃう」「素敵だと思います」「まったくだ。早く帰ろう、ギン。旅しちゃいたい」。
何がツボにはまったのかリーは、帰り道もずっと「あいわかった」と言いながらグラスの入った紙袋をぶんぶん回し続けていた。
帰宅後、牛乳をなみなみ注いだグラスを前に、リーの眉間にシワが寄っていた。
おれは笑いを噛み殺して、「きれいなお顔が台無しですよ」。などと皮肉を言う。
「ギン。私、今になって思い出したんだが」。
「うん」。
「牛乳、きらいだった。あんな、大きな生き物が出す乳など」。
「血とか飲むくせに。いけるって、ぐいっと、ね、ぐいーっと」。
「でもちょっと生臭い」。
「え、血とかイケるのに」。
「うん、むり」。
その夜、リーは雑貨店からの帰り道とは別人のように落ち込んでいた。
「まあ、そう落ち込むなって」。
「私は牛乳が飲めない」。
「いや、そんなことくらいで」。
「そんなこと」。
「うん。飲めないものがあるやつなんていっぱいいるよ?」。
おれとしては慰めたつもりだったがリーは長いため息をついた。
「ギンは分かっていない。私が、ただ、牛乳を飲めないことを悲しんでいると思っているのだろう?」。
「違うの?」。
「私は牛乳を飲めなかったんじゃない。飲むことを楽しみにしていた夢のミルキーウェイを飲めなかったんだ」。
「いや、牛乳」。
「いいや、ミルキーウェイだ。もうこの話はしたくない。寝る」。
そう言うとリーはベッドにぽすっと倒れ込んで本当にそのまま眠ってしまった。
「かわい、…くないねえ」。
おっと、あぶない。つい本音と建前が混在するところだった。
おれはベッドに腰をおろしてしばらくその寝顔をつついたり、銀色の髪を束ねてつくった筆で円を描いたりしていたけれど、飽きて、そのまま一緒に眠ることにした。
なにが夢のミルキーウェイだ、そうつぶやきながらおれだけがさわれるプラチナブロンドで首を絞められて遊んだりした。