No.792

泥濘みからぼくを立ち上がらせたものがいまも歌っている。唯一無二のキラーチューン。生きておいで。それだけでぼくはこの世界に未練を持つんだ。ぼくを虐げる誰を見ていても、あの日きみの選んだ手がぼくだったということで。遠い光が今にも届いて存在をさせている。ある人は呪縛だと笑う。呪縛も無いなら生きられないよ。始まって終わる。それだけ。昇って沈む。それだけなのに。出会うために朽ち、拾われるために捨てられる。あなたの手が空っぽだったのは、あの日のぼくを味方につけるためだよ。有利な命知らず、条件を教えて。

2+

【雑記】あした消えるきみへ

自分以外のすべてが輝いて見えるときはそれが現実だと受け止めてしまうのが一番よい。
いや自分は自分!とか、個々それぞれかけがえのない存在だ!とか考え始めるとかえって反動がどっとくるので。そうですね、マジだ、ほんとそう。自分以外みんなすごくてみんな神。と思って世界と接する。意外とやさぐれない。

すごいなと全肯定の目で見ると逆に、おや?ってところが伝わってきて、あのひともまた人間、か…となるからだろう。か?

自分だけが特別と思うなというのはほんと無理で、自分は自分しか知らないのだからそりゃあ良くも悪くも特別な存在であるだろう。実際それは特別でしかない。だけど夜や雨の中ではみな等しくどうでもよく、それを救いと感じられるとき大人になった証拠と思う。誰に何を証明したいか分からないし翌日はべつのことを喋るが。

2+

小説『怠惰な僕と侵入する君』

まだここにいて良いと思いたくてカーテンを開ける。寝落ちしたときにスマホの画面にヒビが入った。生き物のいない水槽にクスリを溶かし捨てる。ごみのひカレンダーをどこにやったかな。してはいけないと分かっていながらゴシップをあさる。もし僕に、もし僕に子どもがいたら休日に、こんな過ごしかたはしないだろうな。大切にするのにな。事故物件サイトをスクロールする手を止めて、コーヒーを飲む。もし僕に、もし僕に家族がいたらこんな怠惰なことしないのにな。豆からこだわり、カップにこだわり、音楽や空調や会話の内容に気を配りそれから、目の前で僕に無防備な顔を見せている君をいかに愛しているかを訥々と語るか、

ピンポーン。
ゴリゴリ。
ガチャ。
おはよ。

玄関のチャイムが鳴った直後、勝手知ったる隣人が合鍵で入ってくる。

「廃人ごっこおわり」
「もう少し待たない?僕が裸だったらどうするの」
「見慣れてる」
「ほかに恋人を連れ込んでたりとかさあ」
「いま目の前にいるやつより好きなやつとかできんの?無理しょー」
「あ、はい」
「ワッフル買ってきた。食べよう」
「朝から」
「文句?」
「ありません」
「その後出かけよう」
「えー」
「めんどいって言わない」
「分かった」

もし僕に子どもがいたら。
もし僕に家族がいたら。
期待を高める妄想でしかない。
僕はいつだってどうせ君と過ごしただろう。

「コーヒー豆を買いたい」。
「お、豆。いいね」。
「ガーッとするやつも必要だ」。
「名前くらい覚えて」。
「行けばわかる」。
「そういうとこ」。

2+

小説『夜は逃げても』

あなたが好きだというものを嫌いだと言った。蛍光ピンクの垣根がどこまでも続いて、花の名前を聞き損ねる。作られたものもちゃんと優しいんだ。言われたセリフに頷けなかった。頷きたくなかった。あなたの知ってる人間はあなたの言葉に頷くことがほとんどだろう。だから記憶に残らないだろう。じゃあ僕は頷かないんだと、まあ、そういう理屈だ。
好き。
認めたくないのはひねくれてるからじゃない。もし伝えてしまって、果たされてしまって、その先に何があるのか。僕たちはどうなれると言うのか。捨てたくないものがあって、変わりたくない時間があって、そうじゃないものを捨てて変えた。別人になれるまで。なれるはずもないから当然のこととして何もなくなり、あおい夜の隅っこで伝える。それしかないから。それは残ったものだから。
好き。
かも知れない、と、あわてて付け加える。知ってた。あなたが言うから、僕はそれも知ってたと言い返す。笑いながら泣きたいような感覚になり、嘘にしようかどうしようか迷って隣にいるあなたの横顔を見ると、その目から星がこぼれた。星座がこぼれた。銀河さえあふれて、ふと空を見上げるとそこには一定の色しか残されておらず、ぐんじょう、と手のひらに降ってくる。
言ってもらえないかと思った。鼻先を埋めた肩口は冷たい。南に行きたい。じゃあ、南で。犬と暮らしたい。じゃあ、犬で。
じゃあ、って。
笑った顔を見られないよう、憎まれ口で朝を迎える。夜は逃げてもあなたは逃げない。どこまで行こうか。どこまでも行こう。

2+

No.791

忘れないと思っていたことを忘れる。忘れるはずはないのに忘れた。何かを。という記憶だけ残り人はどんどん寂しくなり、知らない人と結ばれる。人間のようだろう。ぼくもときどき人間のようだろう。見様見真似でここまできた。いまだにわからないことの多い。あなたはぼくを人間だという。ときどき好きだと伝えさえする。手も繋がないのにキスをすることがある。名前も知らないのに並んで寝ることがある。きみは人間。きみは人間だよ。言い聞かされるうちになんだか本当の気がしてくる。もしぼくがあなたの信じるものでなくても、あなたは平気でぼくを呼ぶ。ぼくがあなたを傷つけてもぼくは傷つかないんだ。そう打ち明けた時も笑っていて、あるはずのない心臓がコートの下で脈を打った。

3+

小説『はすむかいの聖域』

好きでいて優しいものだけに囲まれていたい。そのために無害でいなくてはならない。だが世の真理として毒を持たない生き物は愛されることがない。葛藤。生きるという枠の中で考えるから窮屈で、一歩踏み出せば果てのない回答。安全な毛布のように敷かれている。こんなこと思っていいわけがない。こんなこと思ったまま幸せになれるわけがない。ぼくはクズだ。ぼくはバカだ。ぼくは鈍感で知恵が無く人の言っていることが分からない。自分の発言にさえそんなことないそんなことないと繰り返して自問自答の毎分毎秒。ぼくを守りたい人はどこにもいない。ぼくの守りたいものがどこにもないように。さみしいと言えない。言ったら嫌われる。好かれてもいないけど。自分が自分を嫌うだろう。存在してはいけない最たるもの、自意識過剰の紛れもなく凡人。いつか朽ちる。いつか終わる。だったらその日を早めたら良いのに、橋の向こうできみのつく嘘を知りたくて、また今日も産まれてしまったんだ。ころして。

2+

【雑記】晴れた日にとどく手紙

なにかを続けてこられたのは、人の反応が感じられる場所にいられた時であった。もしかするとひとりで生きているかも知れないが、あなたが何かを産み出そうというとき心の中には誰かひとりを思い浮かべているはずだ。ほんとうに誰の気配もない場所ではあなたは創作をしない。見えないものを信じることは実は容易い。知っていた。見えないものはどこにでも持って行けるものだから。見えるものは脆く壊れやすい。形あるものの宿命として。窓から外を見て、今日もどこかへ出かけるのだろう。いってらっしゃい、またいつか。遠くないけどもう会えない場所であなたが今日も、没頭している姿が見えます。大丈夫と言い聞かせて。天国のように晴れた一日を。

3+

No.790

夜につかまらないよう夕闇を駆ける
それは朝と直接リンクするから
べつのところで温もりを教わった
光からいちばん遠い夕闇で

あやとりで遊んでいたら
オリオン座が指のあいだへ降って
「もうこんな時間だ」とつぶやく
きみがもう会えない人に見えた

冬の空気は気持ちを伝えてしまう
ぼくの抱いた不安の種を
きみはたやすく取り出し飲み込む
子宮のかわりに胃の中で溶けていく

奇跡を数えたことがあるよ
始まることのないものや
終わることを知らないものを
きみを簡単に忘れられるようにだ

記憶は邪魔をすることがある
強くなることを
立ち上がることや
ぼくがぼくであろうとすることを

言葉は偽りと判定する口々
ならばぼくは偽りにしか興味がない
自分のひいた風邪くらい認めなよ
きみはそう笑いぼくの額に手を当てた

オリオン座
満天をほうきで掃いて
ふたりだけの寝床をつくる
ぼくの知るあやとりは一人ではできない

2+

小説『やみつき』

このシリーズの話

おまえは心臓の上に手を置くのが好きだねと言った。

え、なに?
心臓。
うん。
心臓の上に、手を。
うん。
置くの、好き?

「好き。すごい好き」
「いやそんなに真顔で」
「ほんと好きだから」
「べつに良いんだけど」
「分かる?心臓はすごいんだよ。命なんだから」
「あ、うん」
「止まったら悲しいな」
「そう?」
「悲しい。特にハレの心臓とかが」
「じゃあ止まらないように毎日ちゃんとおれを甘やかさないとな」
「そうする」
「今のツッコミ入れるとこな」
「そう?」
「うん。でももう良いよ」

この男がこんなに甘えん坊やだったと高校生だった頃のおれは知らない。授業中はいつも寝ていて、放課後が近づくと起きてる時間が増えて、帰りに靴箱で見かけた時にはもうすっかり目が覚めたみたいな顔してた。

母親と、三つ上の姉と、飲み屋を経営していた。買い出しと掃除は小さい頃からやってたらしい。やがてカウンターに入るようになって、お酒をつくるようになって、バイトで貯めたお金で独立して自分の店を持って、なんか知らないが高校の同級生と付き合うことになって今に至る。同級生というのはこのおれだ。もちろん。

おれの高校時代は薔薇色に輝いていてそれは、まあ、高校以前も高校以後も変わらない。比較的いや結構外見に恵まれたおかげでそこそこ良い思いをしがちで、この男、ジウのことはどっちかっていうと同情の対象にしていたくらいだ。それがなんでこうなるかなあ。人生何が起こるか分からない。つくづく。

「ハレの心臓をさわってると安心する」
「それはどうも」
「おまもりにして持ち歩きたい」
「それは勘弁」
「ハレはかわいい」
「よっしゃ」
「ハレはかっこいい」
「ありがとう」
「ハレはおれのすべてだよ」
「考え直せ」
「ハレは、」
いつ来るかなと思っていたら今来た。
「ハレはおれに何も、言ってくれないの?」
心臓が跳ね上がったことは伝わってるだろう。笑ってくれないから誤魔化すことができない。

おれにいつも寡黙さを笑われる男は、本当は雄弁で、おれをいかに大切に思っていていかに好きかということを伝える言葉は尽きない。ふだん口数で圧倒するおれも、その点では完敗だった。それが不満なんだ。

「えーと?」
「ハレも言って」
「ジウは、えーと、そのー」
「うん」
「あー、うー」
「早く」
「くそ、言いづらいな」

大きな手が首元に伸びてきて命が縮み上がる。

「ジウは」
「うん」
「その」
「うん」
「まあ、ええと」
「うん」
「……かっこいいと思う」

これは何だ。この気持ちは何だ。ものすごく負けた気がする。勝ち負けじゃないのに、負けた気がする。相手へ素直に伝えることが負けなら、おれはいつも勝ってるのに。たった一度の敗北がこんなに尾を引くとは。あなどれない。

「ありがとう。一生大切にする」
「……んな大袈裟な……」
「思ったままを言ったんだ。いつもハレがおれにそうしろって言うから」

こいつは時々確信犯なんじゃないかとさえ思う。悔しいので心臓に手をあてる。ジウのそれはおれのよりずっと熱くてずっと確かで、ああ、おまえが病みつきになるのも頷けるよ。

3+