雑記

なんでも書きます。何気に一番人気あるカテゴリー。

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【雑記】好きに気づく

いちばん最初に新しいことを始めようとした時ってさ、なんとなくだけど大切なこと全部できてたなあと思う。手順のこと。効率的ではなかったかもしれないけど効率的になるよりも大切なこと。

たとえば私が詩のサイト作ろうとした時は今みたいに会員登録してポン!みたいな過程ではなくて自分で一からサーバー借りて(または買って)タグ書いて(または教えてくれるサイトから勉強やコピペ自由のやつコピペして)掲示板必要ならそこも借りて設置して検索サーチに登録してやっと知ってもらって、みたいな色々することあったんだけど、そもそもそういう情報集めたり、こういうのは全然苦じゃなくて「これどうすんだ?」って疑問を持って、自分の好きなサイトやここいいなあと思うところがあれば真似から入ったり、とりあえずやってみるかってやってみて、ダメなら何度でもやり直す。随時手を加える。

こういう過程が全然苦じゃない。時間許す限り半日でもパソコンの前に座ってられるし大学で一人暮らししてた時はもうそれこそベッドから起きたらまっすぐパソコンの前に行ってご飯食べずに気づいたら夕方だったみたいなの日常的にあるし、それって少しでも他人から強要されたものだったり要は自分が好きでやり始めたことでなければありえないのね。誰でもそうだと思うけれど。だから「好き」ってものすごく強い。それが「得意」な人よりも「好き」な人のほうが絶対に強い。好きはそのうち得意になるかも知れないけど、得意は好きにならないケースも結構あるよね。自分でもそうだし他の人で「この人これ得意なんだなあ。これしたらいいのになあ」ってこっちが羨ましくなるような才能持っていても本人が「私それ興味ない」だったりね。

好きはすごい。
勝手に自分から加速させてって、他のこと気にならなくなるし、そのためになんとか時間捻出しようとするし、となると他の部分でも工夫するし、とにかくそれにまつわることが何も苦じゃ無くなるっていうハイパー無敵。

挫折って「得意なこと」に対して起こるものであって、「好き」なことにはそもそも起こりえない現象だよね?
だって続けられるんだもん。
折れるとかそういうことはない。

もちろん得意なことがたくさんあるに越したことはないけど、好きなことがあることはもっともっと大切。下手でも好き。

じゃあ好きなことってなんで好きになれたかというと、自分が寂しかったりもうダメだって思ってたときに「それでもここにあるよ、いるよ!」と寄り添ってくれた記憶や体験があるものって割とそうなるんじゃないかな。またはそれに関してすごくかけがえのない思い出があるとか。

だから若い人は好きをいっぱい作ってください。どんな苦労も大丈夫な好きなもの。評価が無くても低くても自分が好きなもの。そしてときどきその幸せを噛み締めてあげる。
これがあるだけで、誰も死ななくて済む夜もある。

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【雑記】どれでも大切

ここ三年くらいはiPhoneのフリック入力で詩や小説やブログ記事を書いているが、それより以前はもっぱらパソコンのキーボードだった。手が動かしづらい関係で必然的にフリック入力に変遷したという経緯があるけどそうじゃなくても変遷したのかな。

手軽さでは絶対スマホに軍配だけどひさびさにパソコンのキーボードで自分の思うスピードで打てるようになったので打ってたら、ああ、こっちもやっぱり楽だ。と思うのは慣れてるからかな。懐かしいもん。トータルで見たらこっちのがまだまだ使用歴長いもん。そら、書くものも初々しくなるわ。男子学生は恋に落ちる。空は青くなる。世間は敵。世界は僕たちのもの。に、なるわ。うんうん。夏のせいでもある。うんうん。

とは言えフリック入力も同じ程度に楽になってきてるんだけど(というか「邪道!」ていう謎の感覚が薄れていってる。原稿用紙の時代から見ればキーボード入力が「邪道!」なんだろうか?)、でもフリック入力は親指だけ活躍してて他の指あんま働いてないから脳の活性化には一躍買えて無さそうだなあ。出先やバス待ちなどの時間にポチポチ打ち込んだりメモできるのは間違いなくとても便利。

家にいるときは、iPhoneとiPadとパソコンの三台を並行して見ながらサイトデザインの崩れがないかとか誤字がないかとかチェック兼ねつつ、パソコンが何か読み込んで空いてる時間はiPhoneでLINEしたりアプリしたり調べ物したり、その横ではiPadで動画見てたり音楽流してたりするから、暑いのとか気にならないのね。頭に室温を気にする容量が残っていない。で、ふうって一息入れた時にハッ!として汗ダラダラになってることにようやく気づいてクーラーつける。これは割とよくやる。あー今すげー夢中になってたー、て分かる瞬間。これ地味にうれしい。地味にしあわせ。まあ、健康上はよろしくないんだろうが…。

懐かしいものに触れると、その時の気持ちや立場や何やかやが蘇ってくるでしょう。音楽とか、においとか。それは景色であったり人であったり料理であったり思い出の品であったりするんだけど、入力端末もその一つだなって思ったという話。一番パソコンをメインで使ってたときはVAIOだったー。懐かしい。その次は白のDynabookだったー。懐かしい。ちなみに白のDynabookは初めて自分のお金で買ったパソコン。今は赤のDynabook。

画面表示とかインターフェースとか、そういうのも含めて、執筆環境は思い出なんだよ。その端末でしか書かなかったものってあるはずだ。
鉛筆でしか書かれなかったもの。原稿用紙にしか書かれなかったもの。パソコンのキーボード使ってしか書かれなかったもの。iPhoneでしか、iPadでしか書かれなかったもの。
そもそもそれが無ければ書かなかった人すらいるんだろうな。以前は「書く人は何を使ってでも書く」みたいに感じてるところがあったが、それはそれであるのかも知れないけど、今日はそんな考え方じゃなくて、ツール次第で人は何にでもなっただろうと思う。明日にはまた違う考え方してると思う。一貫性は保てないと思う。生きているとはそういうことだと思う。無理矢理まとめ。手がちゃんと思うように動いて私はうれしい。完璧じゃないけど、充分。

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【雑記】壁と襞

壁と襞は似ている。

ひとつ大きなイメージ(人、景色、色、場所、思い出)があって創作活動っていうのは何度もそれを塗り直したり、いろんな角度から眺めたりしているだけなんだと思う。ずっとひとつのことを。ずっとひとりのひとを。だから色んなことを網羅的に包括的にやっているように見えてもそれはそのことを包むレースの襞が増えただけで、本当に言いたいことや表現したいことは微かだったりする。だけどそのままでは品が無いし味がないから襞をつけてふんわりさせたりボリュームを持たせて存在感を出したり香りをつけて居場所を示したりする。そういった派生で他人は気配を感じたり本来作者が伝えたいことを直に伝えられるより感じることが強くなったり多くなったりする。だからこの世界に無駄なものはない。人によって無駄なものがあるだけで。そうでないものを探し出せた時にみんな肯定できるし、肯定してた人に初めて共感ができるようになる。自分で壁を打ち立ててしまえば襞に触れることさえできない。ない。壁は一時的に自分を守るかも知れない。だけど自分にとって大切なものから自分を隔てることもある。襞はやわらかい。壁には勝てない。物質的には。だから自分が取り除くしかない。朝だけでも。夜だけでも。壁はいつでも建てられるけど襞は脆く儚い。人の中で生きることしかできない。飲まれてゆくしかない。傷つくしかない。もし知りたかったら。触りたかったら。

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【雑記】サタデーモーニング

好きってすごいよな。何の見返りもないのにものを生み出すモチベーションになるんだよな。お金のためじゃなく時間を費やしてしかも他人のことは二の次でたぶん自分のため、原初は自給自足、なぜって最初の読者はいつだって自分自身だから、そしてそれをわざわざちゃんと形にしていくんだ。尊いよ。まぶしいよ。私生活でのいろんなしがらみや苦悩や、創作活動を妨げる要因になりそうないろんな時間的・精神的制約、それらぜんぶ乗り越えて、もくもく励んでいるんだ。土曜日の朝っぱらから推しカプの二次読んで真面目に感動してる。作品そのものの手前、そもそも人の創作意欲の根源だとかに。これがあれば友達も彼氏も要らないよ。短絡的。極・論。気持ちの上ではみんなそうだよ。嫌いなものとか受け入れないものも全部全部ネタにしちゃえば平和だよ。プレミアムフライデーなんか関係ねえよってただ毒づくくらいなら過重労働のサラリーマンと帰宅途中の気になる花屋さんのお話とか書けばいいじゃない(仮定)、西野カナの歌詞にはてなマークがとまらないならどっちも男にすればいいじゃない(腐)、勉強が楽しくないから科目を擬人化すればいいじゃない(実践済おすすめ)。そして西野カナのことすみませんこんなこと言いながら私のiPhoneにはいってるから。iPhoneって「あいふぉん」じゃくて「あいふぉーん」てしないと変換されないて知ってた?そこ融通きかせよう?な?余計な予測変換あげまくって笑わせるくせに自分の名前に関するアイデンディティばきばきで体質的(性能的)に譲歩できないようインプットされてるとか可愛いかよ。私のだけかな。二度寝しよ。

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【雑記】きみをまもる

なぜ書くのか。
長いこと考えていた。問われることもちらほらあった。なぜ書くんですか。書き続けるんですか。
うん、なぜであろう?

息をするのとは違う。眠くなるから寝るのとも、お腹が空いたから食べるのとも、似ているようで、なんだか違う。しっくりこない。書けなくなったら死んだ目になるかもしれないけどたぶん死なないし。

では、なぜ。

ほめられたいから立ち回るのとも、注目を浴びたいから為すのとも、誰かから感謝されたいからとか救いたいからとか。とも、違う。むしろさっきより離れた。自分にとって書くということはどんなふうに、何を、意味するのか。そもそも意味するのか。もしかすると時々で「それはだな、」とかもったいぶり、すでに回答したことがあったかもしれないが、そのどれにも納得はいっていない。なぜなら今この自分が覚えていないからだ。間違っていないことなら自分で覚えているはずだった。そもそも忘れないはずだった。だから思い出す必要もないはず。

きいてほしい。
いつものバス停でバスを待っているときに、ふと気づいた。
(逆、なんじゃないのか?)。
逆って、視点。
「自分が」どうか、「自分にとって」どうだったか、について考えるからいつまでも答えが出てこないわけで、いつまでも答えが出てこないというときには、問いから疑ってみるべきだったのだ。
つまり、こうだ。

書いたもの、にとって、私は、何であったか。

私の書いた文章はどんなふうに私をとらえていた。思っていた。何を感じて何を思っていた。
そうやって立場を替えてみると、答えはシンプルだった。
「きみをまもる」。
それだった。
「きみを、まもる」。
確かにずっとそうだった。
それ以外もそれ以上もない。
私にできることは、私のしてきたことは、何もなかった。もらったものなら、幾らでもある。私はずっとまもられていた。そうと気付かせない相手によって。さかさまの問いかけを何遍も繰り返す、馬鹿のままでも。

なんたるのろま。

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【雑記】バカップルとポメ神様

断食ならぬ断読をしているがレビューブログは隙間時間に読むので、オメガバース読み漁りてえ。と悶々なりながら歩いていたら目の前にどこからともなく大学生同士くらいのゲイカップルが現れた!実話である。欲望が具現化したかのようなタイミングだったので三度見くらいした。進行方向が同じだったので止む無く必然的に(強調)、真後ろを歩いていたんだが、しっかり絡めた恋人つなぎとか甘々の雰囲気とか、隠さない派なんだなあと思いつつ様子を観察していたら、向かい側から来た異性カップルの男サイドがすれ違いざま「ぎゃっ?おえっ?いまの、ホモ?!初めて見た!うひゃあああぎゃははは!おえっ?」と物凄い反応と大声で笑い出したものだから当然当人達は傷ついているのではないかと懸念したが、彼らは全く振り返ることもなく自分たちのペースのまま、繋いだ手を離すこともなく進み続けたので、これまでにも幾多の試練に耐えてきたのだろうかと想像しながら、異性カップルの女性側が彼氏とは対照的に非常に冷静に「最近は女の子同士でも手を繋いだりして仲良いもんねえ」と嗜めるともなく嗜めていたことに感心をした。なんかちょっとずれてるが。天然か計算か。てか二次元ならスピンオフで掘られてるからな、この男…。いや、それはいい。そしてそれからも私は甘々の雰囲気を撒き散らしながら歩いて行くカップルの後ろを、進行方向が同じだったため必然的に歩いて行った。人通りの多い場所へ出ても彼らは繋いだ手を離さなかったので周囲の人はしばしば凝視したり振り返ったりした。なるほど、このような目で見るのか、なるほど、この頻度で二度見されるのか、などと局所的世論を把握しはじめたところで、しかし彼らは卑屈になる様子もなく実に堂々とカップルしてるんだなあと改めて感じいってたら、彼らは突如として広場の中央に出て行った。それから、長身のほうが相手の背中がしなるほど抱きしめて周囲に見せつけるようにディープなブチュー!!したので諸々の懸念だのは吹っ飛んだ。
ただのバカップルかい!
思わずそう突っ込んだという話。
もうね、周囲の視線や反応が油になって余計燃え上がっていったという感じ。
たまらん!おまえやっぱりかわいい!好きだー!ブチュー!されたほうも「うふあはは、やめてよもう、見てるってばもう、でもやめるなよ?」みたいな熟練の流れ。世論が転がされてたわ。

あたかも憲法97条のようだったなー。

まとめ。
この一連の出来事の中で一番可愛かったのは、爆笑した男が連れてたポメラニアンだった。あれは私を見上げてニッコリと笑っていたのだった。地上を視察しに来た、神様のように。

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